第百八十三章 アルテマ・メナス

 城の外。舗装されたターマインの街を歩きながら、私はティアナ姫の右腕に治癒魔法を発動していた。『バカなことツッコミ練習』をして腫れ上がった手を治す為である。


「ありがとう! 女神様も治癒魔法、使えるんだねー!」


 にへらー、と笑うティアナ姫を見て、溜め息が出た。


 私が手を治している間、セルセウスはコルトに車椅子を押して貰っていた。コルトの隣にアイヒ、ジョンデが続く。そして、聖哉は一番後ろを歩いていた。どことなく、ティアナ姫と意識的に距離を取っているように思える。


 ――ただでさえ聖哉ってば、捻曲世界の人達と関わるの嫌がってるもんね。それがティアナ姫なら尚更か……。


 ティアナ姫は私の前世であり、また聖哉の元恋人である。もちろんそのことを聖哉は覚えていないが、イシスター様から話を聞いて既に知っている。自らの心に動揺をきたさせない為、なるべくティアナ姫とは関わりたくないのだろう。私はそう思った。


「此処は公園ー! 皆の憩いの場なのー!」


 私の複雑な思いなど意に介さないように、ティアナ姫が明るい声を出す。私はのどかな公園に視線を向けた。ぱらぱらとまばらに人が歩いている。


 ――あれ……?


 ふと私は違和感に気付く。初めてターマインに来た時は、ガルバノと違って平和な雰囲気だと思った。だが、よくよく見れば、歩く人々の表情は一様に暗い。


「皆、元気ないわね」


 私が呟くと、ティアナ姫はほんの少し真面目な顔をした。


「不安なんだよー。だって、ガルバノとは冷戦中でしょ。海を挟んだ南方には、ガストン帝国。魔導大国バラクトリアもヨダレを垂らしてターマインを狙ってるの」


 俯き加減でティアナ姫は言う。


「アルテマメナス降臨までに本当は各国、力を合わせて、四種アルテマを集めなきゃいけないのにねー」

「四種アルテマ……」


 独りごちるように私が呟くと、ジョンデが話に入ってきた。


「我がターマインの『復活のアルテマ』。ガルバノ公国のレオンが持つ『雷獣のアルテマ』。ガストン帝国のセレモニク姉妹が持つ『呪念のアルテマ』。更に超大国バラクトリアが有する『動力のアルテマ』――これらが揃って、初めてアルテマ・メナス降臨に対処できる」


 ジョンデが言い終わった時には、私達は公園を過ぎていた。ティアナ姫が悲しげに笑う。


「不安と恐怖で、この世界の人達は、ほとんど皆おかしくなっちゃってるんだよー」

「うん……。というか、アナタも随分おかしくなっちゃってる気がするけど……!」

「えー! そんなことないよー! あははは、ウケるー!」


 ティアナ姫は本当に面白かったようで、私の背中を手でバンバンと叩いた。いや、あの、冗談言ったつもりはないんですけど。


 ひとしきり笑った後、ティアナ姫は笑顔のままで言う。


「だから、お笑い! 笑いがあればいいのになーって! それで私、ツッコミの練習してるんだー!」

「あ、ああ……そういう感じのアレなのね……」


 私は頬をポリポリ掻きながら小さく頷く。暗い気持ちをどうにかしようとして、ツッコミを――お笑いをしているらしい。まぁ、そういう理由なら、ほんの少しだけ理解出来る。


 歩きながらアイヒが辺りをキョロキョロして、口を尖らせた。


「けどさあ。街は綺麗だし、ガルバノよりか数千倍マシだって。羨ましいぜ」


 だが、その時、突然。私達の視界は薄暗くなる。


「えっ! な、何?」


 不意に雨雲に太陽が遮られたかのよう。コルトが神妙な顔でぼそりと呟く。


「偽りの平穏は簡単に崩れ去る。ほら、来たよ……」


 上空を窺うコルトの視線を追うように、私も太陽の方を眺めて――言葉を失う。


 ターマイン上空。地上より遥か遠くで、翼のある巨大な物体が飛行していた。こんなに離れた位置から見ても、その大きさは筆舌に尽くしがたい。島ほどはあるだろうその物体に、私は目を凝らす。体表の多くの部分には木々が生い茂っているように見える。大きく膨らんだ腹。吸盤のある手足――それは翼を宿した超巨大な蛙であった。


 私が口をパクパクさせている間にもソレは飛行を続け、遂に私達の頭上までやってくる。轟音と共にビリビリと空気が震え、私達の周囲にいた人々が叫びながら逃げ惑う。


 コルトが呟く。


「これが、アルテマ・メナスだよ」


 い、いやいやいや!! 待って、待って!! アルテマ・メナスって、こんなでっかいの!?


「ってか、まだ復活してないんじゃねえのかよ!?」


 セルセウスが怯えながら叫んだ。ジョンデが上空を見据えながら言う。


「今は攻撃の意志は持っていない。眠っているようなものだ」

「夢遊病って感じだね。こうやって世界中の空を浮遊しているのさ」


 コルトに続けて、アイヒが呑気そうに言う。


「たまにガルバノまで来ることもあるんだぜ」

「そ、そうなんだ……!」


 とりあえず浮遊しているだけということなら、一安心である。それにしても……。


 ――倒せるの、アレ……!?


 あまりの大きさに息を呑みながら、私は聖哉を見た。聖哉は紙を取り出し、アルテマ・メナスをチラチラと窺いながら、何かを書き込んでいるようだった。


 私は聖哉に近付いて小声で話す。


「何してるの?」

「全長や特徴などを書き留めている。やはり、あれが捻曲イクスフォリアの捻れの原因に間違いなさそうだからな」

「冥王の言ったこと、信じるんだね?」

「……イグザシオンが反応している」


 私は聖哉の腰の鞘に目を落とす。最強の聖剣イグザシオンは、邪悪な捻れの原因を感じ取り、持ち主である聖哉に教えているのかも知れない。


 ――なら、やっぱりアルテマ・メナスを倒さなきゃならないんだ! まずは、四種アルテマをどうにか手に入れて!


 攻撃の意志はないと言っても、ゴゴゴゴと空から轟く重低音。私達の周囲には、人っ子一人居なくなっていた。なのに、


「恐れることはありません! アルテマ・メナスこそ救世主! この世界に必要なのです!」


 突如、響き渡る女性の声。振り返ると、白装束を着た壮年の女性が、同じ衣装をまとった集団の先頭に立って叫んでいた。


「アルテマ・メナスを倒そうなどと考えてはいけません! それはこの世界イクスフォリアの破滅を意味します!」


 十数名もの彼、彼女らはまるで信仰する神のように、上空を飛行するアルテマ・メナスに手を合わせていた。


 その女性の声を聞きながら私は、何とも言えない複雑な気持ちを味わっていた。確かにアルテマ・メナスを滅ぼせば、捻曲世界であるこのイクスフォリアは消えてしまう。つまり、コルトのように、元の世界で既に死んでいる者は、存在が消え去ってしまうということである。彼らにとっては、アルテマ・メナスの破滅は確かに『この世の終わり』を意味するのかも知れない。いや勿論、彼らがそんなことを知っている筈はないのだが。


 ジョンデがその集団を見据えながら吐き捨てるように言う。


「何を言ってやがる。アルテマ・メナスが降臨すれば、雷撃に火炎、溶解液に闇魔法――あらゆる攻撃を放って、世界を混沌に陥れると言う。そんなものが救世主の訳があるかよ」


 コルトが集団を見詰める私の隣で言う。


「あれは『フリー・ライブス』。最近できた国際的な団体らしいよ。ガルバノにも信仰者がいるそうだ」

「世情が乱れると妙な教えが蔓延るんだよなあ」


 アイヒの言葉に車椅子のセルセウスが頷く。


「そういや前のゲアブランデでも聖天使教とかあったもんな」

「確かに……」


 私は同意するように呟く。やがてアルテマ・メナスは、徐々に小さくなって西の空に移動していく。それに伴い『フリー・ライブス』という集団もこの場から歩き去って行った。


 私達は呆然とその場に立ち尽くしていたのだが、


「ねーねー! 早く行こーよー!」


 ティアナ姫が元気に言って、歩き出した。


 私はティアナ姫の後ろ姿を見ながら思う。


 ――アルテマ・メナスを破壊すれば、ティアナ姫だって消えちゃうのよね……。


 何だか、切なくなる。その瞬間、私は背中に突き刺さる視線に気付く。聖哉が私の気持ちを見透かしたように、ジト目を向けていた。『捻曲世界の者に感傷するな』とでも言いたげに。


 私は気持ちを切り替えるべく、頭をブンブンと左右に振ったのだった。





 設置されたターマイン王の銅像を見たりしながら、ぐるりと市街地を回った後、私達は城に戻った。ティアナ姫はもっと街の案内をしたかったのかも知れないが、アルテマ・メナスを見た後、皆、どことなく暗い雰囲気になってしまった。


 ティアナ姫は城の中庭で立ち止まると、真剣な表情で私に語り掛けてきた。


「女神様……私と一緒に……」

「えっ? な、なぁに?」

「一緒に……漫才をしない?」

「!? しないよ!!」


 アルテマ・メナス対策についての話かと思ったら! やっぱりティアナ姫って、メッチャ変!


「女神様、ツッコミうまいじゃん! きっと私より上手だよー!」

「やりません!」


 ピシャリと一喝する。どうして世界を救おうとしているのに、漫才しなきゃいけないの!?


「うーん。そっかー」


 少し落ち込んだように見えたティアナ姫は、中庭の裏に消えると、大きな物を両手に抱えて笑顔で走ってきた。


「じゃあ『ボケ』でも良いよ! ホラ、コレ! 魚のかぶりもの!」


 ティアナ姫が持ってきたのは、魚の着ぐるみの頭部であった。私は、前回イクスフォリア攻略で変化させられた魚人を思い出す。


「何コレ、絶対ヤダ!! どうしてこんなもの、あるの!?」

「かぶってー!」

「かぶりません! 漫才もしません!」

「チェーッ。じゃあいいよ、一人で練習するから」


 少し口をすぼめたティアナ姫は、だが、包帯の巻かれた自分の手を見て、また笑顔に戻った。


「あれれー!? すごい!! 女神様の治癒魔法で手の腫れが完全に治ってるよー!!」


 嬉しそうに手を振ってみせるが……え、と。じゃあ、ティアナ姫の治癒魔法って、私のよりレベル低いんだ……。それって超低レベルってことよね……?


「ねえ、ティアナ姫。治癒魔法の練習だったら付き合うわよ?」


 私はにっこり微笑むが、ティアナ姫は意気揚々と藁の人形へと走って行く。


「治癒魔法は別にどーでもいいよー! 手も治ったし、これでまた藁人わらじん相手にツッコミ練習できるー!」

「だから、ソレ止めなよ!! あと、藁人わらじんって言うんだ、その人形!!」


 私は叫ぶが、


「『何でやねーん』!! 『どないやねーん』!! ……くっ! また、手が……!」


 ティアナ姫は藁人に激しいツッコミを繰り返していた。こ、この子が私の前世……! 信じたくない……!


 うなだれる私。ツッコミし続けるティアナ姫。コルト達は苦笑いし、聖哉は無視するように明後日の方角を眺めていた。


 ふと、ジョンデが真面目な顔で、私に声を掛けてきた。


「大目に見てやってくれ。姫がターマインにおられるのも、あと僅かの期間なのだ」

「え。それってどういう、」

「カーミラ王妃が仰ったガルバノとの同盟――その譲歩策として、復活のアルテマの共同管理。更にそれに加えて、もう一つ……」

「もう一つ?」


 私が聞くと、ジョンデは苦しげな顔で、ツッコミ練習をするティアナ姫を見詰めながら言う。


「デューク・レオンにティアナ姫を差し出す」

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