第百八十四章 グゥ
ターマイン滞在二日目の昼。真ん中に花瓶の置かれてある長卓に、サラダや魚などの美味しそうな料理が並んでいる。ティアナ姫を囲むようにして、私達は昼食をとっていた。
「この味付け、ターマインの名物なんだよー」
ティアナ姫が食べながら楽しそうに言う。だが、その後で何かに気付いたように寂しげに俯いた。
「ガルバノに行ったら食べられなくなっちゃうから、ドカ食いしとこ……」
キッと料理を見据えるや、バクバクと貪るように食べるティアナ姫。ジョンデが笑顔を繕いながら言う。
「姫、ご安心を! ガルバノでも食べられるよう、毎月、新鮮な食材を送りますから!」
「えー、ホントー! やったー!」
無邪気に喜ぶティアナ姫。しかし……私の心は重たく、愛想笑いすらできない。
昨日ジョンデから聞いた衝撃の事実。ガルバノと同盟を結ぶ通称『恒久平和の円卓』。その日はティアナ姫の婚姻の日でもあったのだ。
これは、カーミラ王妃としても苦肉の策なのだろう。ティアナ姫と形の上だけでも婚姻関係を結んでおけば、いかにレオンが暴君といえど簡単に同盟を破ることはできまい。でも……だけど……。
――好きでもない人と政略結婚……ティアナ姫が明るく振る舞ってるのは、そのせいだとしたら……。
私は何だか無性に悲しくなって、美味しい筈の料理もほとんど味を感じなかった。既に話を知っているコルト達もまた静かに昼食を食べている。
周囲のきまずい空気を察したらしく、ティアナ姫が笑う。
「私ってば、デューク・レオンの第六夫人なんだって! それってもう、愛人みたいなもんだよねー? ウケるでしょー!」
冗談めかして言うティアナ姫に、私はぎこちない笑みを返した。すると、ティアナ姫は聖哉に視線を送る。
「聖哉はどう思うー?」
「……政略結婚とは、そういうものだ」
ぼそりと聖哉が呟く。「だよねー!」と、ティアナ姫はにこりと微笑んだ。聖哉は半分以上、料理を皿に残したまま、一人、席を立つ。
「あっ、と! わ、私も失礼します!」
私は慌てて膝に敷いていたナプキンを外して席を立つと、聖哉の後を追った。
歩幅が広く、歩くのも速い聖哉に追いついたのは、客室近くの廊下だった。
「聖哉ー! 待ってってば!」
「何だ?」
「ちょっと、お話。入って良い?」
無言で聖哉はドアを開いて、自室に入った。特に否定されなかったので、私もそのまま聖哉の部屋に入る。
静かにドアを閉めて二人きりになって、私は俯き加減に言う。
「ねえ、聖哉。もう少し、ティアナ姫に優しくしてあげても良いんじゃない?」
すると聖哉は深い溜め息を吐いた。
「今回は人命をなるべく尊重するように行動しているだろうが。その上、捻曲世界に住む人間の心情まで考えていればキリがあるまい」
「それはまぁ、そうだけどさ……」
「そもそも、レオンとティアナ姫の政略結婚は、カーミラ王妃が自国の平和の為に考えた策なのだろう? 俺達がとやかく言うことではない。第一、それで両国の紛争が解決するなら、女神として喜ぶべきではないのか?」
確かに、聖哉の言う通りだった。争わずに事が運ぶなら、それに越したことはない。ターマインに向かう際、検問所を通過した時と同じように。
「でも……それでも……ティアナ姫が何だか不憫でさ。好きでもない人と――それも、グランドレオンの転生みたいな人間と、結婚させられるなんて」
「……グゥ」
「ん? え? 『グゥ』?」
突然、唸るような妙な声が聖哉の方から聞こえた。そんな声を聖哉が出す筈がないので、聞き間違いだと思ったのだが、
ズダーン!!
突如、響く音と震動! そして、ありえない光景! 聖哉が床に突っ伏して倒れていた!
「うわあああああああああ!? 聖哉あああああああああああ!?」
こ、こ、こんなこと前のイクスフォリアでもあったような! そうよ! 怨皇セレモニク戦で、聖哉はキリちゃんのことで心を痛めて……!
私は慌てて聖哉に駆け寄りながら叫ぶ。
「倒れるの、早いって!! まだ怨皇戦じゃないのに!!」
「……大丈夫だ」
聖哉は頭に手を当てながら、半身を起こした。よかった! 今回は意識があった!
ふらりと立ち上がりながら、何処か悔しげに言う。
「なるべくティアナ姫とは、接触を避けるようにしていた。それでも、ティアナ姫の言動に心が乱される……」
そして、右腕を振り上げると、『ガン』! テーブルに拳を叩き付ける。その様子に、私は震え上がる。
「ご、ご、ごめん!! 私が余計なこと言ったからだよね!? だから聖哉が倒れて、」
「違う。自分の精神の未熟さに苛立ったのだ。捻曲世界ではない真実の世界に於いて、ティアナ姫と俺が恋仲であったことは聞いている。だが、これ程までに精神に影響があるとは思わなかった。この動揺は理性ではなく、魂の内から来るものなのかも知れない……」
頭を軽く手で押さえながら聖哉は言った。珍しく感情を吐露しているような気がする。つまり、それほど精神的に追い込まれているということなのかも知れない。
「ホントに大丈夫なの?」
不安げな私の顔に気付くと、聖哉はいつものように目を鋭く尖らせた。
「捻曲世界に向かう前、レディ・パーフェクトリーと言ったろう。前回のイクスフォリアでもキリコのことで精神疲労をきたした。このような事態は既に想定済みだ」
「そ、そう! 流石は聖哉ね!」
すると、聖哉は懐から、白くて長い物を取り出した。
「それって、ロウソク?」
「うむ。今から瞑想をして、心を静める」
「め、瞑想ですか……!」
心を静める為に瞑想――案外、普通と言えなくもない解決法に私は少し不安を感じたのだった。
「……聖哉は体調を崩して部屋で一人、瞑想しています」
夕飯時も聖哉は部屋に籠もったままだったので、私はジョンデやコルトにそう告げた。真実は少し違うが、事実、体調も崩しているだろうから嘘は吐いてない。
「疲れがドッと出たのかもなー。アイツ、一人でずっと溜め込みそうなタイプだし」
アイヒが芯を食ったことを言ったので、私は黙って頷く。事前にあらゆるトラブルを想定する聖哉は、ティアナ姫に出会った時の心の動揺も、もちろん思案に入れていた。それでも『魂から溢れてくる、かつて愛した人への思い』――それは聖哉の想像の範疇を大きく超えていたのだろう。
聖哉が未だにティアナ姫のことを魂の何処かで愛しているのだと思うと、私は嬉しいような寂しいような気持ちになった。
――い、いやティアナ姫って私だし! 別に悩んだりすることないじゃん! だ、だよね……?
「とにかく聖哉君が落ち着くまで、そっとしておいてあげようよ」
「そうだな。『恒久平和の円卓』まで後三日ある。それまでには体調も回復するだろ」
コルトとジョンデがそう言った。
私達は夕食をとりに、聖哉抜きで城内の食堂に向かう。すると――驚いたことに通路の角から聖哉が現れた! 普段通りの何食わぬ顔で!
「ええっ!? 聖哉!?」
「何だ、お前!! 体調が悪かったんじゃねえのかよ!?」
アイヒも驚いて言うが、聖哉はフンと鼻を鳴らす。
「瞑想は終了。体調も問題はない」
「いや、早っ!!」
私は叫ぶが、聖哉は涼しげに言う。
「こんなことは想定済みだと言ったろう。メンタルは完全に回復した」
うそぶいているような感じではない。短時間でしっかりメンタルを整えてきた勇者に私は感心していた。ホント、精神力オバケだわ、この人!
やっぱり色んな意味で頼りになる――聖哉に対してそう思っていた時、向こう側の通路の角から、ティアナ姫が走ってきて満面の笑顔で言う。
「今日のツッコミ練習終了ー!!」
そのままテテテと走ってくると、木に捕まるように聖哉の腕に手を回す。
――うわ、うわわわ!!
私は心の中で焦るが、
「おい。俺に触れるなと言った筈だ」
氷のような態度。いつもの聖哉である。
「へへー! 聖哉、格好いいからー! くっつきたくなっちゃうのー!」
悪びれもなく、そう言うティアナ姫。私はおそるおそる聖哉をちらりと見るが、ティアナ姫を空気のようにスルーしている。
――本当、豪語するだけあるわ! 瞑想の効果ね!
だが、ティアナ姫が独りごちるようにぽつりと言う。
「あーあ。私、レオンじゃなくて聖哉と結婚したかったなー」
――!! なんつー強烈なこと、言うの!?
「……グゥ」
聖哉はまたも低く唸ると、眉間の辺りを手で押さえた。かろうじて立っているというような感じで、小声を出す。
「……もう一度、瞑想してくる」
踵を返すとフラフラと歩き出す。
「せ、せ、聖哉……!」
愕然とする私。「どしたのー?」と天然なティアナ姫。セルセウスが、キコキコと車椅子を自ら動かしながら皮肉っぽく笑う。
「はっははは! あんな聖哉さん珍しいな!」
「バカ! 笑い事じゃないわよ! 聖哉が倒れちゃったら、私達どうするのよ!」
「そ、そうか。うん……確かに笑い事じゃないな。早く立ち直って貰わなきゃな」
フラフラと一人で部屋に戻る聖哉の背中を見ながら、私の胸は今までの冒険で経験したことのない、ベクトルの違う不安でいっぱいだった。
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