第百八十二章 ティアナ姫

「あいたたたたぁ~」


 ティアナ姫は、転んで擦った顔に手を当てていた。手から淡い光が発して、擦り傷が癒えていく。どうやら私と同じく治癒魔法が使えるようだ。


 カーミラ王妃はそんなティアナ姫を一瞥して、呆れた様子で言う。


「来るのが遅い。話はもう終わっちまったよ」

「ほ、本当にすいませーん……!」


 ヘラヘラと笑いながら、王妃と私達にぺこぺこと頭を下げる。


 ――な、何だか『お姫様』って感じがしないわね……!


 前世の私は格好こそお姫様だが、喋り方や行動は町娘のようだった。


 カーミラ王妃は、ふと、ティアナ姫の右腕に巻かれた包帯に気付くと、首を横に振った。


「治癒魔法で治らないくらいまで『例の作業』に打ち込んだのかい?」

「う、うん……」

「ティアナ。お前は次期王妃だ。バカなことにうつつをぬかさず、王族に相応しい行動を取りな」

「ごめんなさい……お母様……」


 うなだれるティアナ姫。カーミラ王妃は私達に向き直ると、厳しめだった顔を温和に変えた。


「五日後、スワインの砦に向かうまでこの城に滞在すると良い。……ティアナ。勇者様達をお部屋に案内してやりな」

「はーいっ!」


 突如、明るく返事するティアナ姫。そのお調子者っぷりに嘆息するように、カーミラ王妃はまた首を軽く左右に振った。





 ティアナ姫の後に続いて、私達一行はターマイン城内部を歩く。此処から離れた所に、客人用の寝室が連なっているらしい。


 王妃の間を出てから、しばし無言だったティアナ姫は歩きながら振り返り、セルセウスの車椅子を押す私に近付いてきた。


「女神様なんだよねー? すごいねー! ブロンドの髪、綺麗ー!」

「あ、ありがとう」

「ねーねー。この人は怪我してるの?」

「この人は……そうね……怪我はしてないけど、介護が必要なのよ」


 硬質化したセルセウスが「エッ」と驚いていたが、説明が面倒くさいので私はそう言っておいた。ティアナ姫は何か分かったような様子で、


「介護かー! やっぱり女神様って優しいんだねー!」


 無邪気に微笑んだ。次に、コルトとアイヒに目を向ける。ジョンデが察して、先にティアナ姫に言う。


「この二人は勇者達のお付きの者で、名はコルトとアイヒです」

「よろしくねー、コルトにアイヒちゃん!」

「どうも」


 コルトが温和にティアナ姫と握手を交わす。アイヒも繕った笑顔で握手をしたが、ティアナ姫が離れてから「王族っぽくねえなあ」と呟いた。私も全く同感である。


 そして――満を持したように、ティアナ姫が聖哉の前にテテテと走っていく。


「で、で! アナタが勇者なのよねー!」


 好奇心を全面に押し出し、聖哉の頭から爪先までを眺めつつ、感嘆の息を漏らす。


「背も高くて、顔も良くて、流石『勇者』って感じー! お名前はー?」

「……竜宮院聖哉」

「へー、聖哉! ねーねー、聖哉ってば、彼女いるのー?」


 ――んなっ!?


 いきなり呼び捨てで、しかもプライベートなことを尋ねるティアナ姫に、心臓が止まりそうになる。ダメだって! 聖哉にそんなこと言っちゃ! 殴られるわよ!


 私の予想通り、聖哉は右腕を振りかぶると――私の頭上に『ごちーん』と拳を振り下ろした!


「いったあああああ!? 何で私!?」

「……」


 聖哉は無言でそっぽを向く。ティアナ姫と私の魂は同じだから、ということなのかも知れないが、とんだ巻き込み事故である。


「あはははー!」


 殴られた私を見て、ティアナ姫は楽しげに笑う。何だか聖哉だけでなく、ティアナ姫にも腹が立ってくる。


「アナタのせいで、私殴られたんですけど!」

「きゃー! 女神様が怒ったー! こわーい!」


 ティアナ姫はそう言って、聖哉の背後に隠れると、自分の腕を聖哉の腕に回す。聖哉の顔が引き攣ったように思えた。


 次の瞬間、パンッと音を立てて、聖哉はティアナ姫の腕を振り払う。


「俺に触るな」


 ……周囲の空気が凍った。私を殴った時とは違う、怒りと焦燥を孕んだような声と表情。聖哉が感情を露わにしていた。


「ご、ごみーん」


 ティアナ姫も察したのか、すぐに謝る。そして小刻みに震え、少し目尻に涙を溜めていた。


 ジョンデが黙っていられなくなったらしく、聖哉に叫ぶ。


「お前! 姫に何てことを! ティアナ姫! 痛くなかったですか?」

「ちょっと痛かった。でも泣かないよー。私、姫だから! ……ぐすっ」


 ――いや、泣いてるし!


 ティアナ姫は涙を手で拭うと、またも先頭を歩き出した。だが数歩、歩くとニッコリ笑顔で振り返る。


「でもでもー! 世界を救う勇者様と女神様に会えて、私感激ー! ラララー!」


 ――歌い出した!? 立ち直り、早っ!!


 ミュージカルのように歌いながら歩くティアナ姫の背中を眺めながら私は思う。


 ――なんか思ってたのと違うなあ。酔っ払ってる時の私みたい……。ま、まぁ、捻曲世界だから、きっと本来の性格にズレが生じてるんだよね。


 などと考えていたら、車椅子のセルセウスがにやりと笑う。


「やっぱリスタに似てるな!」

「ええーーー!? そうかなあ!? 私ってあんな感じ!?」


 ――聖哉はどう思ってんだろ……。


 気になって、ちらりと聖哉を見る。聖哉は普段通りの、感情の読み取りにくい表情に戻っていた。だが、付き合いの長い私には、ほんの少し聖哉が戸惑っているようにも思えた。


 そうこうしている内に、私達は寝室の並ぶ通路に辿り着く。


「お前らはこの横並びのを部屋を使え。一人一部屋、ちゃんとある」

「ねーねー、ジョンデ! 次はお城の案内しようよ! それが終わったら街の案内も!」

「い、いえ、姫は此処までで! 後は私が代わりに、」

「ヤダヤダー! 私も行くー! もっと皆と話したいもん!」


 困った顔のジョンデは、ハッと気付いたようにティアナ姫の右腕を指さした。


「姫は腕を痛めていらっしゃるようですし、ごゆっくりお休みください!」

「こんなの平気だよー!」


 私はティアナ姫の右腕に巻かれた包帯を見る。カーミラ王妃いわく、治癒魔法で治りきらない傷を負っているらしい。


「ねえ、ティアナ姫。さっきカーミラ王妃が言ってた『例の作業』って一体……?」


 私の問いに、ティアナ姫は少し顔を引き締めた。


「いくらお母様にバカって言われても、私にはやりたいことがあるんだよ」





 次にティアナ姫が私達を案内したのは、城の外。中庭に、大きな藁の人形が置いてある。剣術などの練習に使う物だ。それを見て、私以外の皆も察したようだ。


 ――剣術……もしくは体術の練習ってとこかしら。


 セルセウスが得心したように言う。


「なるほどな。おてんばな次期王女って訳か。それで王妃が怒ってる訳だ」


 アイヒも小さく頷く。


「けどまぁ、アタシはちょっと好感持ったぜ。何でも部下にやらせる奴らより、よっぽど良いや」

「そうね。世界を救う為に、王族の身ながらも体を鍛えて、戦いに参加しようとしてる。けっして『バカなこと』じゃないわ」


 私はそう言いながら、少し安心していた。ポヤ~ッとしているように見えた前世の私だったが、芯の強いところもあるようだ。『世界を救いたい』というティアナ姫の熱い気持ちを感じられて、私は何だか誇らしかった。


 ティアナ姫が藁人形に近付く。


「練習の成果、見せるね」


 精神集中するように大きく息を吸い込むと、ティアナ姫は包帯を取って、右腕を後方に引いた。


「体術ね」


 私が言うと、セルセウスも顎に手を当てながら呟く。


発勁はっけいのような構えだな」

「ティアナ姫は『武闘家』なのかも知れないね」


 コルトの言葉に私は興奮した。簡単な治癒魔法に加えて、武術も出来るとなると『パラディン』並の上級職ではないか!


「ねえ、聖哉! ティアナ姫、すごいじゃない!」


 私は叫ぶが、聖哉は訝しげにティアナ姫を眺めていた。


「どうだかな」


 そして――聖哉の疑心は、現実のものとなる。ティアナ姫は手の平ではなく、手の甲を藁人形に叩き付けながら大声で叫ぶ。


「『何でやねーん』!! 『どないやねーん』!!」

「…………は?」


 私は意味が分からず呆然とする。私だけではない。コルト達も水を打ったように静まり返る中、ティアナ姫の叫びと藁人形を打つ音だけが中庭に響く。


 沈黙の時を破るように、私は絶叫する。


「何やってんのォォォォォ!?」


 ティアナ姫は私を振り返ると、にっこり笑う。


「私、一流のツッコミが出来るようになりたいんだよー! うーん、もっと手首のスナップを利かせた方がいいのかなァ……」


 絶句する私。ティアナ姫はツッコミしつつ、手を藁人形に叩き付ける。激しいツッコミで、ティアナ姫の手が赤く腫れ上がっていく。


 ――嘘でしょ……!! ツッコミしすぎで手を痛めてたんだ!? ってか、


「思ってたのと全然違う!! そりゃ王妃に怒られるよ!! これじゃ、ホントに『バカなこと』じゃない!!」


 カーミラ王妃の叱責にも超納得である。世界を救う為に、体術を磨いているのかと思いきや、前世の私はツッコミの練習に明け暮れていた。


「それに、そんなことしても、ツッコミはうまくならないよ!!」


 私は叫ぶが、ティアナ姫は藁人形を叩き続ける。熱中して、私の声が聞こえていないらしい。


 私はいてもたってもいられなくなって、ジョンデに言う。


「コレ、放置してるの!?」

「ひ、姫がやりたいんだから仕方ないだろ……」


 ジョンデの隣ではコルトが苦笑いして、アイヒは「うーわ。前言撤回。ヤッベェわ、この姫」と率直な感想を述べた。


 ――何だか、メチャクチャ恥ずかしい!!


 やっているのはティアナ姫であって、私ではない。だが、セルセウスと聖哉の視線は、私に突き刺さっている。『やっぱり前世のお前だな』みたいな顔である。


 顔がカーッと熱くなり、私の共感性羞恥が発動する。


 ――私って、人間だった時からバカなの!?


「『なんやお前ふざけんなー』!! 『ええかげんにせんかーい』!!」

「ふざけてるのはアナタで、いい加減にするのもアナタよ! 止めなさい!」


 私の叫びにティアナ姫はようやくツッコミを止めた。赤く腫れ上がった自分の手を眺める。


「くっ! もう手が……! でも私、負けないんだからー!」


 ティアナ姫は簡単な治癒魔法を施すと、再度、ツッコミ練習を開始した。


「絶対に負けない!! 一流のツッコミが出来るまで!!」

「もう止めてええええええええええええええ!!」


 恥ずかしさのあまり、私はちょっと涙目で叫んだ。

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