第百七十九章 涙のカレー

 ウノ邸の裏庭に作られた簡易的な教習コースを、聖哉のバイクがゆっくりと何度も周回していた。まるで揺りかごのようなサイドカーで、私がうつらうつらしていると、セルセウスがやってきた。


「昼ご飯できたっすよー……って、何コレ。すっご」


 聖哉自作のコースとバイクに目を丸くするセルセウス。聖哉はバイクを停めて、庭の奥から新しいサイドカーを運んでくる。


「セルセウス。これはお前用だ」

「へ、へー。サイドカーっすか。あざっす」


 セルセウスも私と同じく微妙な顔で礼を言った。私は欠伸をしながら大きく背伸びする。もう昼時らしい。サイドカーで仮眠しているうちに数時間は経過していたようだ。


 ふと気付くと聖哉が、霧の漂う冥界の空を眺めていた。


「バイクの練習は、これで良しとしよう」


 そして拳を軽く握り締める。あっ! もしかして準備が出来たのかな!


 私の予想通り、聖哉は自分に言い聞かせるように、この二日間の成果を語り始める。


「時限式魔法の習得。更に捻曲イクスフォリアで足となる、サイドカー付きバイクの合成にも成功した。ちなみにサイドカーは走行中の分離も可能。敵に追われた場合、セルセウスのサイドカーを切り離すことができる……」


 セルセウスが驚愕の表情を見せるが、聖哉は続けて言う。


レディ・パーフェクトリー準備は完全に整った

「!? レディ・パーフェクトリーじゃないっすよ!! ダメですって、切り離したら!!」

「そうしなければ敵に追いつかれる場合だけだ」


 二人の会話を聞きながら、私は吹き出してしまう。


「あーっはっはっは! ウケるー! いいじゃない、その機能……って、あれ……えっと……私のサイドカーも分離できたりする?」

「無論だ」


 途端、笑えなくなり、セルセウスと二人でずーんと落ち込む。聖哉はそんな私達を気遣う様子もなく、


「予定より一日早いが、イクスフォリアに戻るとしよう」

「ええっ!? もう!?」

「あ、あの、聖哉さん。ウノちゃんと昼飯作ったんすけど……」

「悪いよ、聖哉。食べてから行こうよ。セルセウスはともかく、ウノちゃんが可哀想」


 傍若無人な聖哉とて、流石に無視する訳にいかなかったのか、或いは単に腹ごしらえをしたかったのか――分からないが、聖哉はウノ邸に足を向けた。



 ウノ邸の食卓には、既にサラダとカレーが人数分並べられていた。私が以前、レシピを教えてから、カレーはウノの得意料理になったようだ。既に何度か頂いたこともあり、味は保証済みである。


「ごめんね、ウノちゃん。急に戻ることになっちゃって」

「いえいえ! お昼ご飯が間に合って良かったです!」


 体調不良のドゥエと違って、ウノは相変わらず優しく元気な笑顔を見せた。ちなみにドゥエの調子はまだ悪いようで、部屋に閉じこもっているらしい。


 私はスプーンを持ってカレーを食べようとして……気付く。聖哉が昨日のように、料理の入った皿を睨んでいる。何で食べないの?と聞こうとした瞬間だった。


「辛っれええええええええええええ!!」


 私の隣、先にカレーを食べたセルセウスが絶叫した。


 おそらく一口しか食べていない筈。なのに、セルセウスの口の周りは真っ赤。コップの水を飲んで「はぁはぁ」と悶絶している。


 私はおそるおそるスプーンで、ルーをほんの僅か舐めてみる。途端、あまりの辛さに舌が焼ける! ってか、辛いっていうより、もはや痛いっ! よくよく見れば、カレーのルーが真っ赤である。


「ありえないくらい辛いよ!! ウノちゃん、コレは!?」


 唐突に出された致死量クラスの超激辛カレー。何かの冗談かと思って、私はウノに尋ねる。すると、


「ぎげ……」


 ウノ=ポルタの顔は、私が今まで見たことのない程、邪悪に歪んでいた。


「ぎぎげげげげげげ!」

「笑った!? しかも悪意のある笑い!!」


 楽しげに下卑た笑いを発する。そして、その手にウノは小瓶を握っていた。激辛カレーに苛立ったセルセウスが、ウノが握っていた小瓶を奪うようにして取った。


 私はセルセウスと一緒に小瓶を見る。ドクロのシールが貼られていた。セルセウスが小瓶に書かれている文字を読んで叫ぶ。


「『ゴッド・デス・ソース』!? こんなもの入れたの!?」

「何ソレ!? ってか、そんなものあるの!?」


 デス・ソースを更に神レベルまで辛くしたという意味なのだろうか。もしくは、神が死ぬほどに辛いという意味合いか。分からないが、私とセルセウスはウノを問いただす。


 いつしか、ウノは哄笑を止め、先程とは打って変わった蒼白の表情をしていた。


「わ、私は……一体、何を……!?」


 呆然と呟く。悄然とした顔付きだったセルセウスは突如、キッと鋭い目をウノに向ける。


「何だよ、この殺人レベルに辛いカレーは!! お前、何か企んでんだろ!!」

「そ、そんなことは決して!」

「嘘吐くな!! そのくらい聖哉さんじゃなくても、俺にだって分かる!! その証拠に、最近、ドゥエの様子だっておかしいじゃないかよ!!」

「わ、私達は……」


 セルセウスに迫られて、ウノの目から涙が溢れ、ぽたりとカレーの皿に落ちた。


 普段ならセルセウスを落ち着かせ、ウノをかばうべきなのだろうが……私もついさっきウノの哄笑を目の当たりにした。どうして、イタズラレベルを遥かに超える凶悪なカレーを食べさせようとしたのか。そして、あんなに楽しげに笑ったのか。その理由を聞きたかった。


「おい!! どうなんだよ!!」


 セルセウスが珍しく怒って、ドンとテーブルを拳で叩いた、その刹那――『ガン!』と痛烈な音がして、セルセウスの頭がテーブルに突っ伏す! 聖哉がセルセウスの頭に拳を叩き付けたのだ!


「せ、聖哉!?」


 無言のまま『シュウ~』と頭から煙を出すセルセウス。そして、ウノは涙をポロポロと零していた。


「本当に、本当に、私は……」


 聖哉が食卓の席から立ち上がりながら言う。


「お前達はお前達の仕事をするだけのこと。そこには善も悪も存在しないのだろう」


 聖哉の言っている意味は私にはよく分からなかった。でも、少し意外な感じがして、私は黙って聖哉を見詰めていた。聖哉がウノをかばったように思ったからだ。


「聖哉様……ありがとう……ございます……」


 ウノも同じように感じたのか、泣きながら聖哉に礼を言った。


 今のウノから、私は悪意を全く感じなかった。むしろ、苦しみと悲しみ――自分では抑えきれない感情をどうにか封じ込めているような気がした。聖哉が私に言う。


「行くぞ、リスタ。庭に捻曲イクスフォリアへの門を出せ」




 気絶したままのセルセウスに、聖哉はスタンド・アローンを発動。意識不明のまま固められて、車椅子に乗せられる。そして聖哉は合成したバイクを裏庭から運んでくる。


 私は既に庭に捻曲イクスフォリアへの門を出していた。勿論、場所はコルト達が待っている町外れの丘だ。


 聖哉を待ちながら、ふと私は冥界の空を見上げる。空は不気味な紫色に染まっていた。


 ――こんな色だったっけ?


 冥界で赤い空は何度も見たが、こんな空は初めてだった。聖哉もちらりと空を見上げて独りごちる。


「やはり、冥界に来られるのは、多くて後二回といったところか」


 聖哉はそう呟いた後で、捻曲イクスフォリアへの門を潜る。私もセルセウスの車椅子を押して慌てて後を追った。



 聖哉はまず、ジョンデと自分のバイクを門に通した後、サイドカーを通した。サイドカーを付けたままでは幅があって通らないからだ。なるほど。こういうことも考えて、聖哉は車ではなくバイクにしたのかも知れない。


 捻曲イクスフォリアは未だに夜だったが、遠くのカジノの明かりで辺りはよく見えた。コルトの車が丘の上に横付けされており、その周りでコルトやアイヒ達が待っていた。


「お待たせ」


 私が言うと、誰よりも先に大声を上げた者がいた。


「ああああああ!! 俺のバイクううううううう!!」


 体に土の付いたジョンデが、聖哉の運んできたバイクにダッシュした。シートの辺りにすがりつくように身を寄せた後、涙目で聖哉を睨む。


「この泥棒め!」


 そして跨がってエンジンを始動させたり動作のチェックしている。聖哉が言う。


「『借りる』と言ったろう。合成の参考にさせて貰っただけだ」

「合成の参考だあ?」


 とりあえず動くのを確認して安心したジョンデだったが、聖哉の言葉に不審がって再度、燃料タンクを見た。そしてそこにあったステッカーを見て、血相を変える。


「!? 変なシール付いてんだけど!!」


 燃料タンクの両脇に私の笑顔がデフォルメされたステッカーが貼られていた。聖哉は悪びれもなく言う。


「材料である樹脂やゴムが足りず、女神の毛を少量使用した。その結果、何故かそのステッカーが出現したが、走行に支障はない」


 多量に使用すれば全体が女児用自転車のように変化するが、少量ならば大丈夫らしい。それでもジョンデはイラついていた。


「走行に支障はなくてもヤダよ、こんなステッカー!」


 ジョンデは剥がそうとガリガリと爪でやってみるが、


「取れねえ、このクソダサステッカー! 畜生!」

「何か、私も腹立つんだけど! 人の顔のステッカー、ダサい言うな!」


 いくら削ってもダメだったようで、ジョンデは諦めてその場にへたり込んだ。溜め息と共に、ジョンデはふと気付いたように、近くにあった聖哉のバイクを見た。


「待て。『合成の参考』って言ったか?」


 おもむろにジョンデが聖哉のバイクに近付き、驚愕の表情を見せる。


「俺のバイクをベースにコレを合成したのか……! あの短時間で……!」


 カロンいわく、ジョンデはターマインの優秀な技術者らしい。私のステッカーが貼られたバイクに怒ることを忘れ、聖哉の合成技術に感心していた。


「や、やるじゃねえか」


 だが聖哉はスルーするように言う。


「無駄話をしている暇はない。ターマインに行くぞ」

「つーか、お前らを待ってたんだよ!」

「無駄話って何だ、おい!」


 アイヒとジョンデが同時に叫び、コルトが苦笑いする。と、とにかくようやくターマインに出発するようね!


 私は車椅子で固まったセルセウスをコンコンと叩く。


「セルセウス。いつまで寝てんの。行くよ」

「あ、ああ……? いつの間に……」


 聖哉がバイクにサイドカーを装着していると、不意にカロンとルーク神父が私達の近くに歩み寄ってきた。


「待ってる時、話し合って決めたんだ。俺達はガルバノの町に残るよ」

「ええっ? 一緒に行かないの?」

「住み慣れた町を離れたくないですから。それと私らが行ってもお役に立てそうにない」


 ルーク神父はそう言って、カロンと二人で笑った。


「で、でもガルバノに残るのは危険なんじゃ……」


 ただでさえ、テロ組織の一味であるカロンとルーク神父に、今後はブノス殺害の容疑も付くかも知れない。私は心配したが、コルトは微笑む。


「もともとガルバノには残る計画だったしね。それに、アイヒがいるから大丈夫だよ」

「そうそう。アタシに任せとけって」


 アイヒはそう言って、カロンとルーク神父に近付く。何やら三人で集まって話していたが、しばらくしてカロンとルーク神父がこちらを振り向いて――。


「わっ!?」


 瞬間、私は驚きの声を上げてしまう! 二人の顔は全くの別人と化していた! アイヒが自慢げに笑う。


「アタシの特技『マッド・ビューティ』! 土魔法で顔を整形したんだ!」

「整形! 土魔法って、そういう使い方も出来るんだ!」


 サイドカーを取り付けていた聖哉が、急に顔を上げて鼻を鳴らす。


「フン。かつて会得した変化の術の方が優秀だ。あれは気配やオーラも隠せたからな」

「な、何だ、お前! アタシの魔法の方がすげえっつーの!」


 言い合う聖哉とアイヒ。だが、おそらく聖哉は、コルト同様にアイヒの力も認めていると思う。普段、仲間を「いらん」で一蹴する聖哉が、二人の同行に際して何も言わないからだ。


 ふとアイヒが聖哉の作業に目を見開いた。


「バイクの両側にサイドカー付けてんのか!? 何輪車だよ!! やっぱ車の方が良かったんじゃねえか!?」

「黙れ。考えがあってのことだ」


 そう言いながら聖哉はフルフェイスのヘルメットを装着した。その後、無言で私の方を見てくる。私は頷いて、ヘルメットを装着した後、セルセウスをサイドカーに乗せ、ヘルメットを被せてやる。まるで介護のような一手間の後、私もサイドカーに乗った。


 ぶるんと体が震える。聖哉がバイクのエンジンを始動したのだ。


 ジョンデのバイクを先頭に、私達のバイク、最後にコルトの車が続く。


「あーっ! お前! 自分のバイクには、女神のステッカー付いてないじゃねえかよ!」


 急に、ジョンデが聖哉のバイクを見て叫んだが、聖哉は無視するようにただ前方を見据えてバイクを走らせる。


 色々あったが、遂にターマインに向けて私達は出発したのだった。

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