第百七十五章 煙草の害

 倒れ伏したまま微動だにしないブノスを、聖哉がジッと眺めている。どうやら能力透視を発動しているようだ。この世界の強敵は全て偽装のスキルでステータスを隠しているらしいが、死んでしまえば解除されて、生死の確認ができるという訳だ。


「息絶えているように思うが……リスタ。お前も確認しろ」

「うん」


 聖哉に言われて、私も能力透視を発動。ブノスの死亡を確認して聖哉に報告する。聖哉は素っ気なく頷くと、次にコルトに近付く。


「かなりの確率で死んでいるが……コルト。念の為に、トリプルチェックを頼む」


 自分と私のダブルチェックでは物足りなかったらしく、聖哉はコルトにもブノスの死亡を確かめさせていた。コルトはブノスに近付き、直接、体に触れてから微笑む。


「大丈夫。間違いなく死んでるよ」

「うむ。まぁ、そうだろうな。十五層に込めた魔力全てを解放して発動させたのだから。これで生きているとは考えがたい」


 いや、だったらそんな何回も死亡確認させんなよ!と、私は言いたくなるが、温厚なコルトは柔和な笑みを崩さなかった。


 聖哉はブノスの死体を前に、顎に手を当てて何かを考えているようだった。


「どしたの、聖哉。まだ何かあるの?」

「本当にブノスは、歪んだ世界のブノゲオスに間違いないだろうか?」

「見かけからして、絶対そうだと思うよ。この世界じゃあ人間として生まれたのかも知れないね」


 すると、聖哉は珍しく苦渋に満ちた顔で言う。


「ならば『ごめんなさいシール』はいるのか、いらないのか……」

「い、いや……それは……」


 どうでも良いような気もしたが、ブノスは魔物ではなく人間。なるべく人殺しをしないと誓った聖哉にとっては重要な問題なのだろう。私も以前、口酸っぱく言った手前、何も言えない。聖哉はしばし黙考を続けた。


 そんな中、聖哉に聞こえない小さな声で不満を漏らす者がいた。


「チッ。仁王立てがなくても勝てたじゃねえかよ」


 車椅子のセルセウスだ。スタンド・アローン仁王立ては、ウォルフ戦では、マシンガンの攻撃から身を守る為に役立った。しかし今回は出番ゼロ。愚痴る気持ちはよく分かる。


 コルトがセルセウスの傍に来て、微笑を浮かべた。


「セルセウス君にそのスキルを使わせなかったことが、聖哉君のファインプレーなんじゃないかな」

「えっ? どういう意味?」


 不思議そうな顔のセルセウスに、コルトが諭すような口調で話す。


「聖哉君が言ったように、ウォルフ戦で銃を使っていたら、ブノスは用心してメカオーク機獣豚のスペリアルを装備してきただろう。今回使用したオーク豚獣人のスペリアルでも、ブノスは魔弾に込められた強力な魔法を何度も耐えた。もしメカオークのスペリアルを発動させていれば、セルセウス君のスタンド・アローンは役立ったかも知れないけど、勝負は長引いていたと思う。そうなれば、此処にいる誰かが死んでいた可能性だってあるよ」

「う、うーん。メカオークのスペリアルも仁王立ても使わなくてよかった――ってことか……」


 セルセウスはコルトの言葉に納得したようだった。私もふと考える。元のイクスフォリアでブノゲオスと戦った時、聖哉は二段階変身である『ビースト・ハザード』を封殺した。そして、今回もブノスが奥の手を出す前に片付けたという訳だ。


 ――確かにそう考えると、聖哉ってやっぱり凄いわよね!


 慎重すぎて面倒くさい所は多々あるけれど、それでも担当勇者を改めて見直しつつ、私は聖哉に視線を向ける。ブノスの死体を前に悩んでいた聖哉だったが、やがて自らの胸元に手を伸ばすと、例のシールを取り出した。あ、やっぱり使うんだ、ソレ。


 私が近付くと突然、聖哉が『ごめんなさいシール』をビリッと手で破いた。


「え? ブノスに貼るんじゃないの?」

「コイツは元の世界では魔物だったが、この世界では人間。故に、半分だけ付けておくことにした」


 長考の末に至った結論に自信ありげな顔を見せつつ、聖哉は千切った半分の『ごめんなさいシール』を死んだブノスの額に貼り付けた。貼り付けたのだが……。


「ねえ、聖哉。そのシール『なさい』しか書かれてないよ。意味分かんないじゃん。せめて『ごめん』の方にしなよ」


 しかし、聖哉は私をスルーしてコルトに語り掛けた。


「ウォルフの時のように死体処理を頼めるか? 俺が人間の死体を燃やしたりすると、この女神がうるさいのだ」

「い、いや、それはだって、聖哉は勇者だしさぁ……」


 魔物の死体を燃やし尽くしたり、地中深くに沈めるのには慣れてきたが、担当勇者に人の遺体を損壊して欲しくないのは事実である。


 コルトはやはり穏やかに快諾する。


「ああ。死体処理なら僕に任せておいて」

「それは助かる」


 珍しく聖哉はこの世界の人間に感謝していた。聖哉的に死体処理は重要事項の筈なので、それを託すということは、ある程度コルトを信頼しているのかも知れない。それはまぁ、良いことなのかも知れないが……私は気になってコルトに話し掛ける。


「えっと、コルト。ちなみに死体の処理って、どんな感じでやるの?」

「あはは。女神様は聞かない方が良いと思うよ」

「そ、そう」


 笑顔のコルトが恐ろしくて、私はそれ以上尋ねるのを止めた。カロンとルーク神父が協力して死体を何処かに運んでいく。しばらくして二人が帰ってきたのを見て、聖哉が土魔法使いのマントを翻した。


「よし。それでは行くぞ。こんな場所に長居は無用だ」

「長居の大半はお前のせいじゃねえか」というアイヒの皮肉を聞き流しつつ、聖哉は夜空を睨む。


「デューク・レオンもまた、上空から俺達の動きを見ているかも知れんしな」


 聖哉の言葉に、周りの空気が張り詰めた。アイヒも空をキョロキョロと窺った後で、苦笑いする。


「あのドローンってやつ、ブノスは最新の偵察兵器って言ってたぜ。レオンだってまだ知らねえんじゃねえか?」

「そうかも知れん。だが、念の為にオートマティック・フェニックスを飛ばしておく」


 聖哉は火の魔法戦士にジョブ・チェンジした後、火の鳥を数羽、夜空に飛ばした。レオンがもしブノス戦を上空から見ていたなら、もう敵ドローンに気付かない振りをする必要がないからだ。


「あの火の鳥は、お前なりのドローンって訳か」

「そうだ。ブノスと戦った後の隙を突き、攻めてこられては厄介だからな」

「いやいや。そりゃ流石に考えすぎだろ」


 アイヒが聖哉の用心深さを笑う。しかし、以前のように小馬鹿にしたような笑いではない。此処にいる誰もが、聖哉の慎重さがブノス戦で大いに役立ったのを目の当たりにしたのだから、さもあらんと言ったところである。


 ――聖哉の慎重振りが理解されると、私も何だかちょっと嬉しいのよね!


 ……などと思っていると背後から『パチパチパチ』と乾いた拍手の音がした。あれれ? 成長した私への拍手?


 だが、違った。拍手の音は、離れた木陰の暗闇から聞こえてくる! 私達以外の誰かが手を叩いたのだ!


「だ、誰っ!?」


 ぞくりとして、私は叫ぶ。私だけではない。先程まで漂っていた弛緩した雰囲気は一変。コルト達の顔にも緊張が走る。聖哉が暗闇に、鋭く目を尖らせた。ほ、本当にデューク・レオンがこの隙を突いて攻めてきた!?


「……全く。驚くほど用心深い奴だ」


 しゃがれた男の声がした。落ち葉を踏み鳴らしながら、男が徐々に姿を現す。カロンが慄きの声を上げた。


「透明化!? まるで気配を感じなかったぞ!!」

「ガルバノ公国の奴か!? また聖哉の勘が当たりやがった!!」


 アイヒの叫びに、男はカラカラと笑う。


「安心しな。俺はお前らの敵じゃねえ」


 そう言いながら、男は革のジャケットから煙草の箱を取り出して、一本抜いてから銀色のライターで火を付けた。縮れた頭髪の上を紫煙が立ち上る。


 ――こ、この人って、確か……!


 革のジャケットに煙草と、ワイルドな雰囲気を醸し出している余裕ぶった中年男に、私は見覚えがあった。口から大きな煙を吐き出した後、男が言う。


「俺はジョンデ。ターマイン王国の――」


 その瞬間、ボッゴーン! 男の足元が崩落して、話している最中の男は、首まですっぽりと地中に埋まった!


 私は驚いて聖哉を見る。いつの間にか火の魔法使いから土魔法使いの格好に戻っていた聖哉は、しゃがみ込んで地面に片手を付けていた。


 コルトが不思議そうな顔で頬をポリポリと掻く。


「見事に首まで埋まったね。魔法障壁を張っていなかったのかな?」

「違うぜ、兄ちゃん! 同じ土魔法使いのアタシにゃ分かる! 聖哉は高度な土魔法で、アイツの足元の地面を崩壊させたんだ!」

「ああ、なるほど。体は魔法障壁で対策していても、足場が崩れてはどうしようもないね」


 兄妹が呑気に喋っていると、埋められた男が叫ぶ。


「『安心しな』って言ったろうが!! 俺は敵じゃない!!」


 私は慌てて男を指さし、聖哉に言う。


「ねえ、聖哉! この人、ジョンデだよ! 覚えてない?」


 ジョンデは、私の前世であるティアナ姫の家臣であり、ターマインの将軍だった。そして前回のイクスフォリア攻略で、私達の仲間として行動を共にしていた。


「ホラ! ジョンデだって! アンデッドの!」

「はぁっ!? 俺はゾンビじゃねえ!!」

「えっ、違うんだ。ごめん……」


 今回はアンデッドではないらしい。ともかく、首まで埋められたジョンデは憤懣やるかたないといった感じで怒っていた。


「つーか、なんでいきなり攻撃してくんだよ!? 笑いながら煙草吹かして、明らかに『敵じゃない感』出してたろ!!」

「でも透明化してたし、怪しいといえば怪しかったけどね」


 聖哉がコルトの言葉に大きく頷く。


「うむ。それに、俺が土魔法でコイツの自由を奪った理由がもう一つある。……これだ」


 聖哉は地面に転がった火の付いた煙草をジャリッと足で踏み消した。そして眉間に皺を寄せながら、ジョンデを見下ろす。


「喫煙は各人の趣味。止めろとは言わん。だが俺は世界を救わねばならない。副流煙による被害で肺病を患っている暇はない。煙草は止めろ」

「結局止めろって言ってんじゃねえか! ムチャクチャだな、お前!」

「俺の前では止めろということだ。とにかく、お前もこれで分かったろう。『煙草は百害あって一利なし』。依存症。肺病。心臓病。更に、土の中に埋まることになる」

「最後のは、てめえがやったんだろが! 普通、埋まんねえわ! 煙草吸っても!」


 すっごい怒ってる……! で、でもそりゃあそうよね、いきなり埋められたら!


 怒って叫ぶジョンデを見て、カロンがふと気付いたように膝を打った。


「ジョンデ……そうか! この人は、ターマイン王国の技術者だ!」

「あぁ? 何だよ、カロン。それって偉いのか?」

「知らねえのか、アイヒ! ターマインの技術庁長官だ! 俺なんか比べものにならないくらいすげえ腕で、飛行艇の製造にも着手してるらしいぜ!」


 飛行艇と聞いて、もはや私は驚かない。ドローンが存在する世界なら、巨大な飛行艇があろうがおかしくないからだ。カロンが唾を飛ばしながら話を続ける。


「ターマインの魔導技術の大半は、この人の発明だ! かなりの大物だぜ!」

「だけど、そんな人物がどうしてスパイみたいに透明化して、ガルバノの町に?」


 コルトが呟く。私達は揃って、生首のようなジョンデを見下ろした。ジョンデが「フッ」と薄く笑う。


「それを今から説明する。だがその前に……早く出してくんない!? こんな埋まってたら格好つかないだろ!! 何、みんなで上から見下してくれちゃってんの!?」

「せ、聖哉。出してあげようよ? 危険な感じはしないし……」

「それにしても、コイツはどうしようもない奴だな。ゾンビ臭く無くなったと思えば、今度は煙草臭くなるとは」


 ブツブツ言いながら、聖哉が土魔法を解除する。ジョンデは「ハァハァ」息を切らしながら、地中から這い出してきた。私の近くでセルセウスが苦笑いする。


「はは! ジョンデの奴、くわえ煙草で渋い感じで出てきたのに悲惨だな!」


 そう。ジョンデのことはセルセウスも知っている。前回イクスフォリア攻略の際、ジョンデとキリコは神界でセルセウスに剣の稽古をして貰ったからだ。もっとも、二人ともセルセウスより強かったので、早々に稽古は中止してセルセウスのカフェを手伝っていた。アンデッドとキリングマシンのバイトを最初嫌がったセルセウスだが、二人が素直に仕事を手伝うのを見て、打ち解けたのだった。


「もしかしてターマインって所には、キリコもいるのかなあ」


 ふと、セルセウスが呟いた。全く悪意のない一言。だが、私の胸はキュッと苦しくなる。


「セルセウス……あのね、言ってなかったけどね。き、キリちゃんは、もう……」


 ボッゴーン! 突如、セルセウスが車椅子ごと地中に埋まる! 振り返れば、聖哉が同じように地面に手を当てて、土魔法を発動していた!


「何でェ!? 聖哉さん!! 俺、煙草吸ってませんよ!?」

「うるさい。黙っていろ」


 首だけのセルセウスに吐き捨てるように言う。セルセウスはきっと、私と聖哉にとってナイーブな話題に触れてしまったことに気付いていないだろう。


 何にせよ、聖哉に埋められて半泣きのセルセウスを、ルーク神父とカロンが力を合わせて救出し始めた。ジョンデは横暴な勇者を見て、首を横に振る。


「ホント酷い野郎だな。信じられねえ。せっかく助け船を出してやろうとしたのによ」

「助け船って?」


 私が問うと、ジョンデは気分を変えるように大きく息を吐いた後、真剣な目を向けてきた。


「町長ブノスを殺害して『町を救った』なんて、悦に入ってんじゃないだろな? ブノスを殺したところで意味なんかねえぞ」


 途端、アイヒが血相を変える。


「これでブノスの圧政から逃れられるんだ! 町は良くなるに決まってんだろ!」

「デューク・レオンはすぐに次の町長を任命するだろう。どうせまたロクでもねえ奴に決まってる。圧政は変わらねえさ」

「バーカ! これからはブノスに代わって、アタシらがこの町の実権を握るんだ! ちゃんとプランも考えてんだぞ! アタシの土魔法でブノスの体型を真似て、町長に成り代わって……」


 聞きながら私は驚く。アイヒのプランは以前イクスフォリアで聖哉が取った行動と似ていたからだ。前回、変化の術を駆使し、聖哉は犬の獣人、私は魚人に化けてグランドレオンの目を欺いた。


 しかし、ジョンデはアイヒを一笑に付す。


「お嬢ちゃん。そんなおとぎ話みたいな方法が通用すると本気で思ってんのか? デューク・レオンは戦闘力も高けりゃ、頭も切れるバケモンだ。あっという間に見破って、お前ら反乱分子を消すだろうよ」

「ぐっ……!」


 ジョンデの言葉に唇を噛むアイヒ。私は聖哉の様子をちらりと窺う。私の視線に気付いた聖哉は、小さく頷いた。


「確かに前回通用したやり方が今回も通用するとは限らない。むしろ、救世難度が上がったこの世界では、変装を見破られる可能性の方が高いかも知れない」

「た、確かにそうね」


 私も頷く。聖哉がアイヒと交代するように、ジョンデの前に歩み出た。


「おい。もったいぶらず『助け船』とやらの内容を話せ」


 ジョンデはフンと鼻を鳴らした後、聖哉と私に睨むような視線を送った。


「勇者と女神のアルテマを持つ者が現れた――その噂は我がターマインにも届いた。そして、王妃カーミラ様の命で、俺は透明化してガルバノの町に潜り込んだという訳だ」

「カーミラ王妃……!」


 私の前世の母親は、この捻れたイクスフォリアでも王妃として国を治めているようである。ジョンデが言葉を続ける。


「カーミラ様はこの荒みきった世界を憂い、平和を求める高潔な御方。慈悲の心で、お前達をターマインに招きたいと仰っておられる」

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