第百五十二章 闇の中へ

 修行一日目。


 六道宮の地下、薄暗い空間で聖哉とナトススが向かい合っている。私は寝不足の目を擦りながらその様子を眺めていた。昨夜はほとんど眠れずに、ベッドでのたうち回っていたのだ。セルセウスが私の顔を覗き込んでくる。


「そんなに落ち込むなよ、リスタ。屁なんか誰でもする。俺だって一日に二十回はしてしまう」


 セルセウスなりに気を使ってくれてるのかも知れないが、私はその事実を一刻も早く忘れ去りたかった……てか待って! 一日二十回は多くない? どんだけ屁こいてんのよ、この男神! こんなパティシエ、ヤだ!


「けど、聖哉さん自身が闇の技を習得出来るようで良かったよ。俺達には荷が重すぎる」

「確かにね」


 私達から少し離れた石の床から、不気味な黒い手が何本も蠢いていた。無限回廊の番人ナトススがしゃれこうべの口を開く。


「これがダークハンド暗黒縛手だよ」

「ふむ。敵の動きを封じるのに有効だな」

「相手が神や天使なら触れるだけでダメージを負わせることも出来るんだ」


 蠢く腕を見ながら私はイクスフォリアの怨皇セレモニクを思い出す。確かあの魔物も似たような技を使っていたわよね。うーん、とても勇者の技に思えないわ。


 訝しむ私とは逆にロザリーは目を輝かせていた。


「素晴らしい! この技を習得すれば、神竜王や竜王母の防御を崩せる!」


 ……結局のところ、ロザリーと聖哉だけがナトススのオーラを分け与えられていた。私とセルセウスは聖哉が闇の技を会得出来ない時の保険だったので、聖哉が言うには「お前達はもう全く持って完全に必要ない」とのことだった。いや言い方ってあるよね!


 呪文を唱えて闇の腕を消した後、ナトススは骨で出来た不気味な椅子に腰掛ける。


「もっと恐ろしい技もあるよ。知りたい?」

「すごく知りたい。だが例によってその技を使うことで弊害はないのだろうな?」

「言ったでしょ。僕の闇のオーラが守ってくれる」


 私は何だか不安な気持ちになって、聖哉とナトススの会話に割り込む。


「ね、ねえ聖哉。いくら安全でもあんまり闇の技とか使わない方が良くない? ホラ聖哉ってば勇者な訳だし……」


 話しながら聖哉に近寄ろうとすると、その刹那、床からニュッと一本の黒い腕が私と聖哉の間に現れた!


「うわっ!? ちょっとナトスス!! ビックリするじゃない!!」

「僕じゃないよ」

「え?」


 まさかと思い、聖哉の方を見ると右手の人差し指を立てている。そして指をクイクイ動かす度に私の足下の腕も連動するかのように動いていた。ナトススが骨の手を合わせて乾いた拍手をした。


「すごいね! 見ただけで覚えたの?」

「こんなのは覚えたとは言わん。この黒い腕を数百数千、草木の如く生やせるように頑張らねば」

「す、数千本も黒い腕、生やしてどうすんのよ……!」

「先程からうるさい奴だな」


 聖哉は冷ややかな目を私とセルセウスに向ける。


「修行は俺とロザリーだけで良い。お前達はウノ邸に戻っていろ」

「はーい! 戻ります!」

「!! ちょっとセルセウス!? 他人事みたいに!!」

「聖哉さんが言ってるんだから、そうした方がいいだろ?」

「アンタはお菓子作りしたいだけでしょ!」


 ゴチャゴチャ話していると、私達の回りの床から更に黒い手が二本生えてくる!


「「ヒャァッ!?」」

「戻らないなら実験だ。神がこの腕に触れたらどの程度ダメージを受けるか試させて貰う」

「い、行こうぜ、リスタ! 邪魔しちゃいけない!」


 セルセウスが逃げるように階段を上る。そして生えてきた五本の腕が私に向かって「お前も帰れ」と言わんばかりに『シッ、シッ』と手を振っていた。む、ムカつくうううううううう!


「ちゃんと進捗は報せてよね!!」


 負け台詞のように叫んでから、私は仕方なく踵を返したのだった。






 修行二日目の昼。


 リビングに向かうとロザリーがソファに座っていた。頭を垂れて、見るからに元気がない。


「あれ、ロザリー? 修行は?」

「……今日からは私も来なくて良いとのことです」

「え、そうなの?」

「昨日、私もナトススに教わり、闇の腕を出そうと修行していたのです。勇者様は離れたところで違う技を教えて貰っていたようでしたが……その後、私の所に来て『もう帰って良い』と」


 ロザリーは切なそうに大きな溜め息を吐き出す。


「きっと私の覚えが悪いから呆れられたのでしょう。実際、闇の腕も一本すら発現させることが出来ませんでした」

「うーん。あんまり気にしない方がいいよ。ほら、気まぐれだからあの勇者」


 私が放屁ショックからようやく立ち直ったら今度はロザリーが落ち込んでいる。その後、セルセウスがコーヒーを運んできてくれた。私はロザリーを慰めつつ、リビングで時間を潰す。しかし数時間経っても聖哉はウノ邸に戻ってこなかった。


 ――『進捗を教えて』って言ったのに。ロザリーも帰しちゃうし、何やってんのよ、聖哉。


 サンドイッチを作ってから、様子を見に一人で六道宮に赴く。門番に会釈して、無限回廊に続く地下の階段に向かったのだが……


「げえっ!?」


 思わず叫んでしまう。何と階段を無数の黒い腕が埋め尽くしていた! そして百を超える腕が一斉に私に向かって「シッ、シッ」と手を振っている! 何よコレ! バカにして!


 だが草木の如く生えた腕はある意味、聖哉の修行は順調だという証でもある。腹立たしいこと極まりないが、これが聖哉流の進捗報告なのかも知れない。


「ね、ねえ。これサンドイッチなんだけど……」


 おそるおそる包みを一本の腕に渡すとサンドイッチが腕から腕へと移動して階段を下っていった。バケツリレーか!


 シュールな光景を見た後、私はすごすごと退散したのだった。


 




 修行三日目。


 聖哉はあれから一度も戻ってこなかった。私も最近は、聖哉が修行中、集中出来るよう出来るだけ放置するようにしていたのだが、今回は得体の知れない闇の技である。どうにも気になって仕方がない。


 また闇の腕に「シッシッ」されるかも知れないと思いつつも、私はおにぎり持参で地下の階段に赴いた。だが今日は階段に黒い腕は一つもない。


 ――せ、聖哉のことだから、他にトラップとかあるんじゃないよね?


 私は足音を立てないように静かに階段を下りる。流石に考えすぎだったようで辺りに異変はなかった。ただ遠くの方から聖哉とナトススの会話が聞こえてくる。


「……これで完璧だね。後は自分で工夫したり応用したりすれば良いよ」

「そうだな」

「でもこんなの教えて本当に良かったの? 禁忌の闇の技なんか使う時があるのかい?」


 ――禁忌の闇の技!? 何よ、それ!?


 物陰に隠れ、聞き耳を立てようとしたが、


「待て、ナトスス。誰かいる。……リスタだな?」


 つおっ!? バレてる!! こんなに離れてるのに何故!?


 心臓が口から飛び出すかと思ったが、よくよく考えれば私は聖哉におにぎりを届けにきたのだ。自然を装い、聖哉に歩み寄ると、あえて元気な声を出してランチパックを差し出した。


「やあ聖哉! それでどうなの修行は?」

「覚えたかった闇の技はもうマスターした。とりあえず此処での修行は終了だ」


 ……なのにいつもの決め台詞を言わない。どうやら聖哉はまだやりたいことがあるらしい。ナトススを振り返りもせず、階段を上り始める。


「ま、待ってよ、聖哉! ……ありがとね、ナトスス!」

「うん。じゃあまたね」


 聖哉の代わりに軽く会釈してから、私は後を追ったのだった。





 ウノ邸に戻り、着替えなどの準備をした後、聖哉はリビングに私達を集めた。テーブルを囲んでソファに座ると、聖哉が私に視線を送ってくる。


「リスタ。ゲアブランデ出発前にもう一度、マッシュの情報を見ておきたい」

「ええっ!? また!?」


 ……私は例の如く壁の前に立たされ、頭を殴られまくった。しかし何度試しても有益な情報は得られなかった。幼少時のマッシュの水浴びシーン。ぐっすり就寝中のマッシュ。そしてまたもやバンダナの製造行程。


「誰得なんだよ、この映像……!」


 セルセウスがぼやく。私は頭を手で押さえながら聖哉に叫ぶ。


「もうヤダ!! 頭が爆発しちゃう!!」

「次で終わりにする」


 だが、最後に見られたのは大人になったマッシュが人間の町を蹂躙している映像だった。ナカシ村の時と同じく、人間を笑いながら切り刻み、命乞いする女子供さえも容赦なくバラバラに切り裂いていた。


 ――ひ、酷い……!!


「リスタ。途中で止めるなよ」


 目を覆いたくなる映像だった。しかし聖哉の指示もあり、私はマッシュが町から消えるまで映像を転写し続けたのだった。


「ふう……」


 残虐な光景を目の当たりにして心が激しく沈む。セルセウスが珍しく吐き捨てるように言う。


「こんなのマッシュじゃなくて、ただの化け物だ。ケーキなんか作ってやって損したぜ」

「その通りだ、セルセウス。神竜王は捻れた世界の幻影。排除することに何の遠慮も躊躇もいらん」

「倒しましょう!! 諸悪の根源、神竜王マッシュ=ドラゴナイトを!!」


 マッシュの暴虐振りを見て、三人が気持ちを一つにしていた。そんな中、私はふと思い出したことを、おずおずと聖哉に言ってみる。


「あ、あのね。言い忘れてたけど、私この前マッシュとエルルちゃんの夢を見たの」

「別にお前の夢の話など聞きたくはないが」

「そう言わずに聞いてよ! 私……この世界のマッシュもひょっとしたら苦しんでるんじゃないかな、って思うの!」


 セルセウスがぽかんと口を開け、ロザリーも眉間にシワを寄せる。


「はあ? 今の見ただろ。全然、苦しんでいるように見えなかったぞ。むしろ殺戮を楽しんでるっていうか」

「女神様が優しいのは分かります。しかしその優しさは神竜王に対しては必要ありません」

「二人の言う通りだ。そうした油断が命取りになるのだ」

「別に油断とかじゃなくって! 夢の中でマッシュは私に『助けてくれ』って言ったの! エルルちゃんだって『聖哉くんはこのままじゃ世界を救えない』って!」


 ぴくりと眉を動かした後、聖哉は睨むような目を私に向けてきた。


「それはお前自身が俺に対して思っていることではないのか?」

「ち、違う……と思うけど……」


 夢や妄想ではないと断言できない。あれが何だったのか、私自身よく分かっていないのだ。何も言えない私を見詰め、聖哉は「フン」と鼻を鳴らした。


「そ、そんな顔しなくたって良いじゃない……」

「もう良い。今回も無為に終わったが、前回偶然に知り得たマッシュの弱点に、闇の技の会得。今日一日休んで魔力を回復させれば竜王母対策には何の問題もなかろう」

「そう! じゃあ今度こそ準備は整ったのね!」


 私は聖哉をジッと見て、いつもの台詞を期待して待つ。だが聖哉は私から目を背けてぼそりと呟く。


「……レディパ準備整った


 !! 略しやがった!? あからさまに機嫌が悪い!!




 



 翌朝。


 イグルの町に門を出した後、私達は聖哉の後に続き、町境まで歩いていた。


「そういえば今までイグルの結界って見たことなかったよね」


 話しかけるが聖哉は振り向きもしない。怒っているのか、いつも以上に無口だ。


 気まずい雰囲気のまま、イグル郊外に進む。今まで町の中心部ばかりにいたが、郊外に近付くにつれて、結界の全貌か明らかになってくる。磨りガラスのような壁が町全体を囲っているのだ。私は隣を歩くロザリーをちらりと見る。


「これがイグルの結界なのね。ぼやけていて向こうがどうなってるか分かんないわ」

「それも計算の内です。このようにして町内部の状態を外から見られないようにしているのです。イグルの結界は生きる為に必要な太陽光や自然物のみを透過し、命ある全ての者の侵入を拒みます」

「へえ。良く考えて作られてるんだな」


 セルセウスが感心したように言葉を漏らした。結界の壁に手を当てながらロザリーは頷く。


「今から外に出る訳ですが、この結界自体は解除しません。外に出る私達に魔法を掛け、壁を通り抜けられるようにするのです」


 じゃあ結界は今まで一度も解除されてないんだ。厳重なシステムね。こうして長年、竜人の侵攻を防いでいるんだわ。


 ロザリーが私達に手をかざし、呪文を唱える。特に変化は感じられないが、これで結界をくぐり抜けられるようになったらしい。ようやく聖哉が口を開く。


「ロザリー。お前以外にこの結界を操作できる者はいるのか?」

「ええ。旧エドナ町長のグラハムだけが操作出来ます」

「そうか」


 私は気になって話し掛ける。


「ねえ、聖哉。どうしてそんなこと聞くの?」

「お前には関係のないことだ」


 聖哉は私の顔も見ずに答えた。やっぱり昨日からずっと機嫌が悪い。何度言っても捻曲世界の幻に気を遣うバカな女だと思われているのだろう。しかし、夢の中で聞いたエルルの声が、絶えず私の頭の中にあった。だからといって、どうしたら良いのか分からない。元の世界に戻す為にはマッシュ救うどころか、殺さなくてはならないのだから……。


 悩んでいると、聖哉が皆に淡々と指示を出す。


「ロザリーを除き、俺達は透明化する。そして先頭を歩かせ、後を付いていく」

「ええっ! ロザリーは大丈夫なの?」


 一人姿の見えているロザリーを心配するが、にこりと微笑む。


「先頭の者がいなければ皆、バラバラになってしまいますから」

「そ、そうだけどさあ……」


 聖哉の視線が背中に突き刺さっていることを感じて、私はそれ以上何も言えなかった。


 聖哉に続いて私、セルセウスも透明化してロザリーの後に続く。結界の壁を通過する際、ぶぅんと鈍い音が聞こえた。そして、次に私の目の前に広がったのは凄惨な光景だった。


 至る所に悪魔や竜人達の無惨な屍が転がっている。……くすぶる火煙……血の臭い。平和なイグルの町から壁一枚隔てて、地獄が広がっていた。


 ――うわ……! 結界の外がこんな惨状になってるなんて!


 私は言葉を失い、立ち尽くす。セルセウスも同様に呆然としていたが、しばらくして聖哉の冷静な声が響く。


「ロザリー。此処から北東約三百メートル付近で悪魔と竜人が交戦中だ。そちらに向かってゆっくり進め」

「はっ!」


 私が死体に驚いている間に、聖哉は既にオートマティック・フェニックスや火トカゲを出して偵察していたのだろう。ロザリーは聖哉に言われた通り、歩を進めた。


 ――竜人より悪魔の死体の方が圧倒的に多いわね。マッシュが言ってたように制圧間近なんだわ。


 おそらくこの辺りでは激しい戦いが繰り広げられていたのだろうが、今は生きている者は誰もいない。ただ痛ましい屍が転がっているだけである。私はなるべく死体を踏まないように気を付けて歩いた。


「ほばあっ!?」


 突然、セルセウスの間抜けな叫びが聞こえて私は体を震わせてしまう。私より先に聖哉が窘める。


「おい、セルセウス。大きな声を立てるな。透明化している意味がないだろうが」

「す、すいません! でも聖哉さん! これ!」


 透明のセルセウスに「これ」と言われてもよく分からない。だが辺りを窺ってロザリーはセルセウスの言っているものに気付いたらしい。


「この死体は……!」


 離れたところに悪魔の死体が転がっていた。その骸に私達は見覚えがある。六本腕の悪魔幹部イレイザ=カイゼルが上半身のみの姿で転がっていた。


「イレイザ程の悪魔が……おそらく竜王母にやられたのでしょう」

「検死する。俺が良いと言うまで待機していろ」


 聖哉は透明なままでイレイザの検死を開始した。聖哉が触れているのだろう。イレイザの腕が勝手に動いたり、宙に浮いたりするのは何だか不気味だった。しばらくしてセルセウスが尋ねる。


「聖哉さん。何か分かりました?」

「ふむ。戦帝の時もそうだったが、コイツはいつも気が付けば死んでいるな」


『検死して分かったの、それだけなんかい!!』とツッコミたいところだが、今は聖哉の機嫌が悪いので止めておく。皆の沈黙で察したのか、聖哉が自ら語り出す。


「無論、分かったのはそれだけではない。傷口が火傷したように爛れている。光の技を浴びたらしい。此処からは更に注意しながら歩く。透明だからといって気を抜くな」


 聖哉の指示で再びロザリーが歩き出す。やがて前方で戦いの音と魔法の光がちらつき、竜人の一群が見えてきた。 


「此処でストップだ。ロザリー、お前も透明化しろ」

「しかし、それでは先導役が、」

「討伐対象は発見した。案内はもういらん」


 私は竜人の群れに目を凝らす。複数の竜人達に回りを囲まれ、その中にいたのは焦燥とした表情のケオス=マキナと神官の格好をした竜王母だった。

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