第百五十章 マッシュの弱点

 がらんどうとなった部屋で一人、私は呆然と呟く。


「夢じゃ……ない?」


 エルルを見たことを聖哉に伝えておこうと思ってリビングに向かう。だがソファにはウノだけが腰掛けていた。


「ねえ、ウノちゃん。聖哉は?」

「二階から下りて来ておりません。まだ寝ておられるのではないでしょうか」

「珍しいわね」


 仮眠すると言っていたが、聖哉は何時間経っても部屋から出てこなかった。心配になって部屋をノックするも返事はない。そろりと扉を開けるとベッドで「スースー」と寝息を立てていた。「あら、可愛い」と思って近付こうとしたらベッドの下から火トカゲが出てきて指をかじられ、火傷した。いや、やっぱり全然可愛くねえわ!


 不機嫌になってリビングに戻ると今度はロザリーがいた。無くした片方の腕に巻いた包帯が痛々しいが、本人はたいして気にしていないようだ。ウノが運んでくれた軽食を頂きながら、私はロザリーと語り合う。


「いくら攪乱させる為だからって、あんなにオートマティック・フェニックス出すからクタクタに疲れちゃうのよ。渡り鳥の大群みたいだったもん、アレ」

「でもそのお陰で私達は無事に帰って来られました。透明化にしてもそうです。神竜王が突然現れた時、マスターしていなければ殺されていたかも知れない。正直、情報収集の為に修行など必要なのかと思っていましたが、結果として勇者様の思惑通りに運んでいます」

「そりゃあ、まぁ……」


 そしてロザリーは恍惚とした表情を見せた。


「勇者様の為されることは一から十まで全て正しいのです」


 私は心配になって、以前から気にしていたことを聞いてみることにした。


「ねえ、ロザリー。この際だからハッキリ教えて欲しいんだけど……アナタ、聖哉のことどう思ってるの?」

「そ、それは……!」

「正直に答えて」


 しばらく沈黙した後、ロザリーは顔を真っ赤にしながら叫んだ。


「大好きだっ!!」

「や、やっぱりそうなんだ……! でもそれって戦士として尊敬してるとかそういうことなんだよね?」

「いいえ!! 本当は、ベッドの上で生まれたままの姿になって、幾度も抱いて頂きたいと思っています!!」

「!? 本気の好きじゃない!! しかも生々しいわね!!」


 押し込めていた気持ちをぶちまけたからか、ロザリーは自ら続けて話し始めた。


「実際、私のような女など眼中にないのは分かっています。勇者様と共に修行や旅が出来ることで私は充分満足しているのです」


 まるで自分に言い聞かせているような口振りだった。今回、聖哉はロザリーを女どころか人間とすら見ていない。ロザリーの恋路がハッピーに終わることがないのは確実なので、私は釘を刺しておくことにした。


「どのみち、聖哉ってば恋愛事にまるで無関心だからね。あの勇者は世界を救うことしか頭にないのよ」

「そうですか……エーッ、やっぱそうなんだあ……ハーァ、残念。チェッ」

「ロザリー!?」

「い、いや! それは勇者として至極当然のこと! 私は一体何を呆けたことを! 自分で自分が恥ずかしいっ!」


 ロザリーは取り繕うように片手で頰をパンパンと叩く。


「神竜王も気になることを言っておりました! 『悪魔達が滅亡寸前だ』と! 竜人の侵攻は勢いを増しているようです! どうにかして食い止めねば!」

「え、ええ。明日、聖哉に聞いてみましょ……」


 こうして私はロザリーと別れ、部屋に戻ったのだった。


 




 次の日の早朝。

 

 部屋で寝ていると、扉が激しくノックされた。


「おい、リスタ。いつまで寝ている。さっさと起きてリビングに来い」

「あ、うん。ごめん。すぐに行くから……」


 寝ぼけ眼を擦りつつ、リビングに向かう。その途中、頭が段々ハッキリしてくる。な、何よ、あの言い草は! 自分こそ仮眠するとか言って一晩中眠りこけてたくせに! 自分勝手、極まりないわね!


 リビングには既にロザリーとセルセウスがソファに座っていた。だが、セルセウスは荷物を持つでもなく、まったりしている。聖哉が私にソファに座るよう促してきた。


「あれ? ゲアブランデに戻るんじゃないの?」

「まだだ。しばらく冥界に滞在する」

「けど聖哉。マッシュは悪魔達が滅亡寸前って言ってたわよ? 気にならないの?」

「そんなことは奴に言われるまでもなく知っていた。パラドゥラがイグルの結界を壊す手筈だったなら、竜人達はいつでも攻め込めるように町の周囲に陣取っていたと見るべきだろう。追い払ったケオス=マキナやイレイザはそれにやられたという訳だ」


 じゃあこうなることも分かって、町から悪魔を追い出したんだ!? な、何か非道な感じが!!


「どうしたリスタ。まさか幻の悪魔の命でさえも気にしてるのではあるまいな?」

「い、いやそりゃあ流石に。ただイグルの町は大丈夫かなって」


「ふぅ」と聖哉は頭を掻いた。どうせ町の人達も幻だってんでしょ! 分かってるけどさ!


「何年も竜人に目を付けられながら、結界のお陰で無事だったのだろう。今更、心配はいるまい」


 ちらりとロザリーを見ると、その通りとばかりに頷いている。


「それよりロザリー。マッシュの側近で力のある竜人はいるか?」

「はい。神竜王の右腕である竜王母――今回も奴が軍勢を率いていると思われます」

「りゅ、竜王母!!」


 元のゲアブランデでエルルちゃんを聖剣にしようとして聖哉に倒された竜族の女王だ。この世界じゃまだ生きていて、そしてマッシュに仕えてるんだわ!


「マッシュが『悪魔が滅亡寸前』と、あえて俺達に聞こえるよう言ったのは、待機している竜王母の軍と力を合わせて挟み撃ちにしようとする作戦かも知れん」


 聖哉はそう勘ぐりながら、鋭い目を私に向ける。


「リスタ。マッシュの能力で一番恐ろしいのは何か分かるか?」

「そ、それは勿論イグザシオンでしょ」

「違う。移動魔法だ」

「え……」

「ナカシ村に突如現れたように、その気になればゲアブランデの何処にでも瞬間移動してくる。イグル近辺の竜人と戦っている時にマッシュが現れれば形勢が不利になる。また逆に、マッシュと戦っている時に幹部クラスの竜人が移動してきてもまずい。この捻曲ゲアブランデで比較的安全なのは結界で守られているイグルの町の中くらいだ」


 なるほど。確かにそう言われてみれば移動魔法ってかなり厄介かも……って、待って!


「こっちだってロザリーの移動魔法でバハムトロスにいるマッシュを狙うことが出来るじゃない!」

「神竜王の居城には目星を付けております! 流石に城内は無理ですが、近郊になら移動魔法陣を展開出来るかと!」

「ダメだ。敵も当然それを警戒している。僅かでも危険のあることは避けねばならん。それに最終決戦の場なら、もう既に考えてある」

「え! そうなんだ!」

「今はとにかく情報収集を続行するのだ」


 最終決戦の場所って何処なんだろ? ふと疑問に思ったが、聖哉はマッシュのバンダナを私にずいっと差し出してくる。


「このバンダナからもっとマッシュの情報を読み取ってくれ。端的に言うと『奴の弱点』が知りたい」

「うーん。そんな都合良く見られるかなあ?」


 私はバンダナから残留思念を読み取り、そこから更に『過去に起きたナカシ村襲来』を読み取ることに成功した。しかし聖哉の言うようにこちらの知りたい情報をピンポイントで読み取ることは可能なのだろうか。ってか、そもそもマッシュに弱点なんてあるのかなあ……。


「とにかくまずは魔神化しろ。案ずるな。またハッスルしたら燃やして正気に戻してやる」

「!? 燃やされることを案ずるわ!! ……いやちょっと待って!! もう手、燃えてんじゃん!! 冥界でなら大丈夫だってば!!」


 ヘルズ・ファイアの火種を消させてから私は魔神化し、バンダナを手に取った。ソファに座って集中しようすると聖哉が私の肩に手を置いた。


「少し試してみたいことがある。この壁の前に立て」


 小悪魔姿のまま、私は無理矢理リビングの大きな白い壁の前に立たされる。


「こ、これってどういうこと?」

「今からお前が脳内で見る映像をこの壁に転写する」

「えええええ!! 一体どうやって!?」

「以前、土蛇が見た映像を水の入った桶に転送、映写したのと同じ要領だ。多分、上手くいく」


 そう。イクスフォリアの時、聖哉はその技を応用し、機皇オクセリオ戦や怨皇セレモニク戦で監視カメラとして活用したのだ。


「お前はただいつものように残留思念を読み取ることに集中すれば良い」

「わ、分かったわ」


 私は目を閉じ、静かに集中する。やがて朧気にマッシュらしき映像が脳内に浮かんできた。そして、その瞬間。聖哉の声が響く。


「……インフォ・シェアード情報汎共有撃


 ゴチーン!!


 ――はがっ!?


 強烈な衝撃が頭に! あまりの痛さで目を開く! 同時に私の口から自然と「ピカー」という変な声が漏れた! そして何と、今まで目を瞑って脳内で見ていたものが私の眼前の壁に映写されている……って、いやいや待ってちょっと待って!

 

 私は一旦、残留思念の読み取りを止めて聖哉に叫ぶ。


「わたしゃ映写機か!?」

「何を怒ることがある? 同じ情報を皆で共有出来るのだ。そして全員で見ることによってお前の主観から来る誤情報の伝達も防げる。良いことずくめだ」

「つーか、私の頭、おもくそ殴ったよね!?」

「適度な力でお前の頭部を殴らねば発動しないのだ。……続けるぞ」


 ゴチーン!! 


 痛ってええええええええ!? ううっ、中断したから二回叩かれた!! チキショー、こんなことなら止めなきゃ良かったわ!!


 そんな気持ちとは裏腹に、私の両目から出た映像が壁一面に展開されていた。



 

 ……壁に映っているのは頭にバンダナを巻いたマッシュだ。先程実際に見たマッシュとは違い、外見は私達が良く知るマッシュに近い。少し身長が高いように思えるのは私達と冒険した頃より多少の歳月が経過しているからかも知れない。


「はぁっ、はぁっ!」


 暗闇に閉ざされた空間の中、マッシュは傷だらけで肩で息をしていた。そしてその隣には同じく負傷した巨大なドラゴンがいる。


「マッシュ。もう一踏ん張りじゃ」


 人語を解し、黄土色の鱗を持つドラゴンを見て私の記憶が呼び起こされた。


 ――あ、あれは神竜化した竜王母!


 更に。その二人の前にいる者を見た瞬間、私の心臓は大きく鼓動する。


「よもや勇者でもない竜族の小僧に此処まで追い詰められるとはな……!」


 憎々しげに言葉を発する巨大な魔物――それはゲアブランデの魔王ゼノスロードだった。既に人型ではなく、第二形態である六本腕の怪物へと変化している。そしてマッシュ達と同じく、その体は満身創痍であった。


「見せてやろう。我が最大の奥義を」


 魔王の手の中で黒い光源が怪しく輝く! 空気が震え、凄まじい魔力が集まっていく!


ジャッジメント・ゼロ暗黒回帰点!」


 稲光りする漆黒の波動が爆散される寸前。マッシュはイグザシオンを大きく掲げていた。


「エルル! 俺に力を!」


 七色の聖剣が目も眩む光を放つ! その光に浄化されるように、魔王の漆黒の波動が掻き消される!


 ――な、何て剣なの……!!


 世界を滅ぼす威力を秘めた自らの最大奥義が封殺され、信じられぬといった表情の魔王。マッシュは掲げたイグザシオンを後方に引くと、瞬時に魔王との間を詰める。そして怒号のような声と共に一閃。脳天から股先にかけて真っ二つに切り裂いた。天獄門に捕らわれ、骸骨の姿になっても這い出してきた恐るべき生命力を持つ魔王……それでも再生不能のイグザシオンの斬撃を浴び、灰のようになって朽ち果てていく!


 魔王の魔力が潰え、暗黒空間が解除された後、ドラゴンから竜人の姿に戻った竜王母が高らかに笑う。


「何という素晴らしき日かな! 竜人が魔族の王を葬ったのじゃ!」


 悦に浸る竜王母。一方、マッシュは何もない空間を眺めていた。私はマッシュの視線の先に何があるのか集中する。するとぼんやりと人型の者が浮かび上がってきた。


 赤毛に魔導士のローブを羽織った可愛らしい女の子がうずくまっている。こちらも私が良く知るエルルに近い風貌だった。しかしその顔は苦痛に歪んでいた。


『苦しい。苦しいよ、マッシュ』


「何だ……と?」


 マッシュは怒りの形相で竜王母に詰め寄った。


「魔王を倒せばエルルの苦痛が取り除けるんじゃねえのかよ!!」

「ゲアブランデには魔王が産み落としたのではなく、元々生息していた魔物も多数生き残っておる。おそらくそいつらも根絶やしにせねばならぬのじゃろう」

「クソッ! 待ってろよ、エルル! 俺が魔族を全て殺してやるからな!」


『違う……違うのマッシュ……』


 苦しげに言葉を発していたエルルは急に大きな目を見開いた。


『魔族だけじゃない!! 竜族以外の生命に生きる価値なんかないわ!! 殺して!! 殺すのよ、全ての生命を!!』


 喋りながらエルルは床にドッと倒れ伏した。その体がみるみるうちに血に染まっていく。いつの間にかエルルの手足はありえない方向に折れ曲がっていた。それでも這いずり、マッシュの足にしがみつくと血走った目を向ける。


『ああ、痛い痛い痛い痛い痛い痛い!! 痛い痛い痛い痛い痛い痛いの!! 竜穴奈落に落ちた時の衝撃が今も残ってるの!!』

「エルル……!」

『マッシュ!! 人間も!! 人間も殺して!!』


 マッシュは目眩でも起こしたかのように、ふらつきながら手で顔を覆った。竜王母がマッシュの肩に手を当てる。いつしかエルルの姿は忽然と消えていた。


「無理を為されるな。魔王戦の負傷に加えて、イグザシオンの反動が来ておる。今回はいつものように丸一日では済まなさそうじゃ」

「エル……ル……」


 そしてマッシュは気を失う。同時に私の目から放たれて、壁に映っていた映像も消えてしまった。





 ……ウノ邸のリビングでセルセウスが神妙な顔で独りごちるように言う。


「ホントにマッシュが魔王を倒したんだな。イグザシオンの力はそれ程、絶大って訳か」

「聖剣の力だけではあるまい。メルサイスによって歪められた世界では、その歪みの原因たる者は邪神の加護を授かると推測される。イクスフォリアの魔王アルテマイオスが神の力を得たようにな」

「そっか! イグザシオンと邪神の加護! その二つがあったからマッシュは魔王に勝てたんだ!」

「まだ理由はある。お前には言っていなかったが、マッシュは元々強い」

「そうなの!?」

「出会った時の能力値と、それから行動を共にして上がった能力値の振り幅が大きかった。レベルが最大になれば、おそらく俺のステータスを超えるだろうと予想していた」


 だ、だったら荷物持ちじゃなく仲間として使ってあげたら良かったんじゃ……! まぁ聖哉は頑なに仲間を傷つけたくなかったんだろうけど……!


 聖哉の話を聞いてロザリーが頷く。


「竜王母も聖なる力を操ると聞いております。そして魔王討伐後、神竜王と共に聖天使教を作り、多数の狂信者を従えて人間の町を壊滅させたのです」

「ふむ」


 聖哉達は今見た、マッシュと竜王母について語っていた。しかし私はそれとは別に気になることがあった。


「……エルルちゃん。辛そうだったね」


 すると三人はきょとんとした目を私に向けた。


「何の話だ?」

「あ、あれ? エルルちゃん見たでしょ? ほら、体が痛々しく折れ曲がって、」

「確かに神竜王は『エルル』と、うわごとのように言っておりましたが……」

「マッシュの奴、まるで悪夢にうなされてるみたいだったなあ」


 う、噓! 映写しても私にしか見えてないなんて!?


 気付けば、聖哉が私に冷めた視線を送っている。


「これで昨日の話はお前の妄想の可能性が強くなったな」

「そ、そんなこと!」

「今は真偽は置いておこう。それより先程の映像でかなり有意義な情報があった。……リスタ。現在のマッシュの様子も映せるか?」

「それなら、今やったのよりは簡単だと思うけど……」


 白い壁の前でバンダナから思念を読み取ろうとする私の脳天に、ゴチーン! 聖哉はまたもげんこつを喰らわせた……いやだから痛ってえな、もう!! どうにかなんねえのかな、これ!!




 ……武器を持つ屈強な竜人に扉を守られた部屋の中、マッシュは一人、剣を支えにかろうじて体勢を保っていた。はぁはぁと息を切らしている。今、見えているのは入れ墨のような竜の紋章が体に刻まれて、大人になったマッシュだ。私達が捻曲ゲアブランデで会った現在のマッシュに間違いないだろう。


 マッシュはどうにか立ち上がり、ふらふらと歩くが足下が覚束ない。やがて音を立てて床に倒れる。そんなマッシュの背後にドレスを着た赤毛の女性が現れる。


 亡霊も年相応に変貌するというのだろうか。幽鬼のようなエルルはマッシュの肩に血に濡れた細い両腕を回した。


『痛い痛い痛いのマッシュ。体が張り裂けそうよ。早く勇者も残りの人間も殺して頂戴』

「分かってるさ。だが一日、待ってろ。今は体が思うように動かねえ」


 不気味な容貌のエルル。だが、マッシュは痩せこけた頰に優しくキスをする。


「お前の為なら何だってしてやるよ。悪魔も人も……神でさえ、なぶり殺してやる」

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