第百四十九章 幽鬼

 白い布が被せられているテーブルの前でセルセウスは儚げな表情でマッシュを見詰めていた。


「戦い、争い……バカバカしいと思わないのか?」

「ああ? 何だ、テメー」

「剣など捨ててしまえ、マッシュ。それは危ない。先端が尖っていて触ったら痛い」


 剣神とは思えない台詞に私は愕然とする。そしてそれはマッシュも同じだったようで、呆れた顔をセルセウスに向けている。


「何当たり前のこと言ってやがんだ、このオッサンは。まさかテメーも俺を知ってるなんて寝言抜かすんじゃねーだろうな?」

「グレてしまったお前にどうせ何を言っても無理だろう。こんな時こそ、これだ」


 セルセウスは勢いよくテーブルクロスを取っ払う。テーブルの上には大きく立派なチョコレートケーキが鎮座していた。


 ――す、すごい豪華! セルセウス、気合い入れたわね!


「丹誠込めて作ったガトーショコラだ。スイーツには荒んだ心を癒す効果がある。……マッシュ。今まで辛いことが沢山あったんだろう?」


 セルセウスはにこやかに笑いながら、テーブルにナイフとフォークを置く。


「さぁ! たんと召し上がれ!」


 こ、これは……きっとセルセウスなりにマッシュを救おうとしているんだわ! セルセウスにしては頑張ってる! けど、こんなことでマッシュの気持ちが変わるのかしら!


 私の懸念は的中した。マッシュは汚いものを見るような目をセルセウスのケーキに向けていた。


「こりゃあクソの固まりかあ?」

「!? クソの固まりではないよ!! ガトーショコラだよ!!」

「ふざけやがって! こんなもんブッ潰してやるぜ!」

「そ、そんな! 噓だろ! お前の為に一生懸命作ったんだ! 一口で良いから食べてくれよ!」

「黙れ!」


 マッシュがイグザシオンを振り上げ、セルセウスが悲鳴を上げる。だがマッシュよりも早く動いた者がいた。


アトミック・スプリットスラッシュ原子分裂斬!」


 凄まじい轟音と衝撃! 狂戦士状態の聖哉が縦一文字に剣を振り下ろすと、ケーキとテーブルは無論、床ごと粉々に粉砕された! 衝撃波で吹き飛ばされながら私とセルセウスは同時に叫ぶ。


「「!! いやお前が潰すんかい!?」」

「目障りかつ戦いの邪魔だ」


 そしてそんな聖哉と私達に対し、マッシュは鼻をヒクつかせていた。


「ふ、ふざけやがって!! 何だ、この茶番は!! お前ら一人残らずバラバラに刻んでやるからな!!」


 ヒィ!! 事態がどんどん悪い方向に進んでる!!


 剣を構えたマッシュの体から黒いオーラが立ち上る。更に体中に刻まれた竜の紋章が光を放ち始めた。


「くくく。見せてやるぜ。これが最強の聖剣イグザシオンを装備することで身に付くスキル――『フルヘイスタ聖天速』だ」


『ドッ』と踏みならす音がしたと思った刹那、充分な距離を取っていた筈の聖哉の目前にマッシュがいた。


「聖哉っ!」


 焦って叫ぶも、狂戦士状態を既に発動していた聖哉は双剣でイグザシオンを受け止めている。交差させた剣は、だが軋む音を立てて、力負けするように聖哉が後退する。万一、イグザシオンで斬られれば傷は再生不能。それでも聖哉はたいして表情を変えてはいなかった。


「なるほど。謎の高速移動もイグザシオンの影響によるものか」

「敵の術式解除と同様、イグザシオンの担い手にのみ与えられるスキルだ。発動すれば脚力が数倍に跳ね上がる」

「ほうほう。脚力をピンポイントで向上させるのだな。覚えておこう」

「覚える? そんな必要はねえなあ。今此処で死んじまうお前はよー!」


 マッシュはイグザシオンを目にも留まらぬ速さで聖哉に叩き付ける。力に任せて滅多打ちするような怒濤の攻撃を双剣で防御し、打ち払う聖哉。それは私にとって不思議な光景だった。かつては実力を一切出すこと無く冒険を終えたマッシュが、狂戦士状態を極限まで高め、イクスフォリアの魔王アルテマイオスすら葬った勇者と互角以上に渡り合っているのだ。


 ロザリーが歯を食い縛るようにして言葉を発する。


「イグザシオンは脚力だけでなく、神竜王の力を何倍にも高めているのでしょう」

「透明化を解除するわ、能力値は高めるわ、何でもありなのかよ、あの剣は!」


 セルセウスが唸る。辺りに鳴り響く、激しい剣戟の音。マッシュの攻撃で聖哉は徐々に後退していた。


 ――こ、これがエルルちゃんの命と引き替えに手にすることが出来る、最強の聖剣イグザシオン! 天獄門を使わずにタナトゥスや魔王を倒せる神器の力なんだわ!


 マッシュが七色に輝くイグザシオンを裂帛の気合いと共に振り下ろす。双剣で受け止めた聖哉だったが、瞬間、片方の刀身が音を立てて打ち砕かれる!


「ゆ、勇者様の剣が!!」

「マジかよ! あの剣だって冥界の業物わざものなのに! こりゃあマズいぞ!!」


 セルセウスもロザリーも慌てふためくが、


「大丈夫。スペアがあるわ」


 私は案外落ち着いていた。聖哉は壊された剣をマッシュに向けて放るや、同時にヘルズ・ファイアを発動。マッシュから安全な距離を取ると、もう片方の傷ついた剣も捨てて、両手を腰の後ろに伸ばす。腕を体の前に持ってきた時には、既に聖哉の手に新しい双剣が握られていた。


ダブル・ウインドブレイド二刀流裂空斬!」


 そして流れるような動作で空気の刃を放つ。しかし、迫り来る空気の歪みを読んだマッシュは体を軽く捻ってかわした。紙一重で避けたように見えたのはマッシュの余裕だったのかも知れない。その証拠ににやりと笑っている。


「勇者ってのはどうやら噓じゃあ無さそうだな。こんな動きが出来る人間は、今まで見たことがねえ」


 その隙に聖哉は再び、マッシュから離れる。ヒットアンドアウェイで慎重に戦闘を進める聖哉を見て、マッシュが何処か楽しげに言う。


「くくく。久々の上物だ。エルルもきっと喜ぶぜ」

「え、エルルちゃんが!? 何のことよ!?」


 ……突然。マッシュの背後から、ぬうっと白い手が現れた。気付けば、薄紅のドレスを着た赤毛の女がいつの間にかマッシュの背後に立っている。


 ――ま、まさか……!


 そして口づけするように顔を近付け、マッシュの耳元で囁く。


『壊してマッシュ。人も神も、勇者も』

「ああ。分かってるぜ。最大の苦痛を与えながらな」


 じゃあ……アレは……エルルちゃんなの!? 


 何故か私とマッシュ以外には見えていない。だが見えてはいても、私は最初それがエルルだと認識出来なかった。現在のマッシュ同様、大人の容貌だったこともあるが、目も窪み、頰は痩けていて幽鬼のようだったからだ。


 いつしかマッシュは憎悪の籠もった目を聖哉に向けていた。


「魔族と人類が死滅するまでエルルの苦痛は続くんだ」

「ふむ。推測するに、エルルを聖剣にしてしまったことを悔いて、それを人類と魔族への逆恨みとしている訳か。愚かな男だ」

「何だと、テメー……!」

「人類が死滅するまで、と言ったな。それは無理だ。何故なら俺がお前を殺すのが先だからだ」

「やってみろよ、勇者」

「無論。それが俺の仕事だ」


 聖哉の構えが先程と変わる。マッシュが聖哉の攻撃に対し、イグザシオンを盾にするよう斜めに構えて身構えた。


オートマティックフェニックス・インフィニ量産型鳳凰自動追撃ティ」


 途端、聖哉の体から炎のオーラが拡散される! オーラは即座に火の鳥となって具現化し、何百何千と渦を巻くようにして、半壊した礼拝堂の上空を舞う!


 ――な、な、な、な、何て数なの!!


 敵の掃討や偵察の為、聖哉はオートマティック・フェニックスを頻繁に使う。だがこんなにも多くの火炎鳥を見たのは初めてだった。


「すげえ魔力だな。久々に血が沸き立つぜ」


 余程、戦闘が好きなのだろう。上空に飛び立つ無数のフェニックスを見てマッシュが楽しげに口元を歪める。だが……数え切れない数のフェニックスは上空で飛散! 一斉に私達の元から離れて何処かに飛んでいく!


「な、何だ、そりゃあ?」


 マッシュが驚き、口をあんぐり開けているが……いやマジで何なの!? 全部、どっかに飛んで行っちゃいましたけど!! 何で出したの、あのフェニックス!?


「お前は俺が殺す。だがそれは今ではない」

「どういう意味だよ?」

「能力は大体分かった。今日はここまで。次に会う時はお前が確実に敗れる時だ」


 聖哉が懐に手をやり、何かを取り出した。それを地面に叩き付けた瞬間、もうもうと濃い煙が立ち籠める!


 ――え、煙幕!?


 煙の中、ぐいと手を引かれる。私の傍で聖哉の声が響く。


「撤退だ。お前達も透明化するぞ。既にイグザシオンの効果は解けている」


 そ、そっか、今なら透明化出来るんだ……ってか、聖哉ってば透明になれるのに煙幕持ってるの!? 用心深っ!!


「け、けど聖哉さん! こんな状態で精神統一なんて!」 

「お前達は何もする必要はない」

「えっ?」

「『インヴィジュア・ラウンド全体同調透明化』」


 突如、セルセウスとロザリーの姿が空間に溶けるように掻き消える! 私も自分の手をかざすが、見ることが出来ない! 


「何で!? 勝手に透明化しちゃったわよ!?」

「俺の技だ。三人全てを透明化した」


 他人を透明にする技!? そ、そうか!! だから聖哉は冥界で私達の透明化チェックをしなかったんだ!! 理由はいつでも自分が代わりに透明に出来るから!! ……ねえ聖哉、仲間って何!?


「リスタ。先程出した門は消せ。透明のまま、ロザリーが移動魔法陣を出した地点に向かう」

「う、うん!」


 そうと決まれば急がなくちゃ……って、アレ? そういえばさっきからマッシュが襲ってこないけど?


「ざっけんじゃねーぞ、このクソ共があああああああああああああ!!」


 突然、煙の向こうからマッシュの叫び声がして私は体を震わせてしまう。


「い、今のは?」

「煙に乗じ、先程出したフェニックスが舞い戻り、マッシュを攪乱しているのだ」

「じゃあその為の……!」

「行くぞ。再度、透明化を解除される前にな」


 透明になった聖哉が私の手をぐいと引いた。小走りしている最中、背後でマッシュが怒り狂って叫んでいた。


「上等だ、クソ勇者!! 既に悪魔達は滅亡寸前!! 忌々しいイグルの結界さえ破壊出来れば、竜人だけが君臨する世界だ!! いいか、次に会った時は女神の目を刳り貫いてテメーの口の中に放り込んでやる!!」

「!! ねえ聖哉、マッシュすっげー怖いこと言ってるよ!?」

「独り言だろう。気にするな」


 絶対に独り言じゃないと思う。だが駆ける度、マッシュの声が遠ざかっていく。最初ナカシ村に来た場所まで辿り着くと私は門を出した。


 声を出してセルセウスとロザリーがいることを確認した後、私達は透明のまま冥界に帰ったのだった。





 ウノ邸の玄関で聖哉は私達の透明化を解除。リビングに向かうや、私とセルセウスは疲労でぐったりして倒れ込んだのだが、聖哉はロザリーをソファに座らせ、斬られた腕を見詰め始めた。一瞬、ロザリーを気に掛けているのかと思ったのだが、


「ふむ。つい先程のことなのに、まるで何年も前に負った傷のようだ。止血は出来ているが再生は不能。クラッシング・ウーンド秘神与傷か――呪いに近いスキルなのかも知れん」


 ただイグザシオンのスキルを冷静に分析しているだけのようだ。ロザリーは聖哉の指示でマッシュに迫り、そして腕を失った……怒っても良さそうなものなのにロザリーはしきりに申し訳なさそうにしていた。


「すいません! 私が未熟なばかりに神竜王を仕留められませんでした!」

「それより、その状態で悪魔の腕を発現できるか?」

「やってみます!」


 ロザリーが悪魔の力を解放する。すると斬られた腕の根本から赤黒いまだらの腕が出現した。だが悪魔の力を解除すると、腕は再び消えてしまう。


「ふむ。戦闘には支障がないようだ」

「はい!」

「生きていて良かったな」

「ゆ、勇者様……っ!」


 ロザリーの頰が赤く染まる。ほ、ホントにそう思ってるの? 何か怪しいわね!


 ぼうっと成り行きを見ていたセルセウスが、ふと気付いたように言う。


「そういや聖哉さん。あんな透明化の技を身に付けてたんすね。どうして俺達には秘密に?」

「俺が透明に出来ると知れば、お前らの修行に身が入らんだろうが。俺がいなくても透明にならねばならん状況は考えられるからな」

「あー、なるほど。けど透明化って意外に使えないっすね。イグザシオンのスキルでバレちゃったし」

「『一般人や雑魚には見えない、もしくは集中しなければ発見されない』――それだけで充分に習得の価値はあった。マッシュとの戦闘では役立たないとしてもな」


 マッシュと聞いて、セルセウスが先程の戦いを思い返すように天井を見詰める。 

「マッシュの奴……聖哉さんのこと、師匠師匠って言ってたのに。ホントさっき見たことが信じられないよ」

「弟子だったのは元の世界の話だ。アイツはただの歪んだ幻。殺すのに躊躇などいらん」


 聖哉はソファから立ち上がると私をちらりと見た。


「オートマティック・フェニックスで大量に魔力を消費した。しばらく仮眠する」


 聖哉の言う大量消費は当てにならない。実際はほんのちょっぴりしか魔力が減っていないことが多いのだ。けれど私も何だか精神的に疲れていたので休息はありがたかった。




 リビングを出て、割り当てられた自室に向かおうとした時、


「……リスタ」


 急に背後から聖哉に呼び止められる。私達以外、誰もいない廊下で二人きり。だがときめくどころではない。聖哉の顔は渋かった。


「二度と幻の為に身を危険に晒すんじゃない」

「やっぱりロザリーのこと心配なんかしてないのね」

「結果として生きていて良かったと思ったのは本当だ。ロザリーにはまだ利用価値がある。出来ればマッシュとの最終決戦でその命を散らして貰いたい」

「ゆ、勇者の台詞じゃないわよ、それ……!」


「フン」と鼻を鳴らすと聖哉は自分の部屋に向かおうとした。今度は逆に、私が聖哉を呼び止める。


「待って! さっきの戦闘中、マッシュと一緒にエルルちゃんが佇んでいるのが見えたの!」

「俺には何も見えなかったが。お前の妄想ではないのか?」

「ま、マッシュだって戦闘中、エルルちゃんと会話してたでしょ? アレはきっとエルルちゃんの意識体よ! 鑑定スキルがパワーアップしたから見えたのかも! とにかくエルルちゃん、『人も神も勇者も壊して』って言ってた!」

「エルルの意識体がイグザシオンに宿り、ゴーストのようにマッシュに取り憑いている――か。眉唾だが、可能性の一つとして覚えておこう」

「エルルちゃんまでどうしてあんなことに……」

「イグザシオンの為に生け贄にされたのだ。想像を絶する苦痛がエルルの性格すら歪ませたのだろう。ともあれ、気にすることはない。この世界に存在する者は全て幻。それが捻曲世界だ」

「聖哉……」

「とにかく、この世界の誰に対しても感情を挟むんじゃない。分かったな」



 

 聖哉と別れた後、私は一人、部屋のベッドに横たわりながら考える。


 ――全て幻、か。


 ラゴスの死体を踏み潰し、罵詈雑言を吐くマッシュ。そして生気のないエルルの顔を思い出し、身震いした。


 ロザリーはともかく……そうよね。確かにあんなのマッシュやエルルちゃんじゃないわ。聖哉の言う通りだ。本当の二人の為にも歪んだ幻を早く消してやらなくちゃ!


 そう割り切ることが出来て、少し気が楽になった。そして私はいつの間にか眠りに落ちていった。



 ……暗闇の中。突如、私を呼ぶ声がした。


「リスたん」


 それはとても懐かしい声で私に語りかけてきた。


「エルルちゃん……?」


 幽鬼のようなエルルではなく、一緒に冒険をした小さくて可愛いエルルのあどけない声だ。そして、


「リスタ。なぁ助けてくれよ、リスタ」


 今度もまた懐かしい声。私の良く知るマッシュが泣きそうな声で私に助けを求めていた。


「苦しいよ、リスタ。助けて。お願いだから助けてくれよ」


 辺りを見渡すも一面の暗闇が広がるのみ。二人の姿はなかった。


 


「……はっ!?」


 私はベッドから飛び起きるようにして目を覚ます。窓の外はまだ暗い。一時間も寝ていないようだ。


 ――ま、全く。何でこんな夢を見るのよ。気持ちの整理はついた筈なのに……。


『……リスたん』


 不意に声が聞こえて私の心臓が大きく跳ねる! 幼いエルルが私の部屋の隅でしゃがみ込んで泣いていた!


「こ、こんな!! これは夢!! いや、幻よ!!」

『リスたん。聞いて。聖哉くんは正しいよ。でもね……』


 涙で濡れそぼった顔を上げて、エルルは私に言う。


『このままじゃあ世界は救われないの』

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