第百四十二章 ロザリーの決意

 人魔共存と呼ばれたイグルの町は、悪魔達の逆心――そして復活したルシファ=クロウを聖哉が倒したことにより崩壊していた。


 聖哉はヘルズ・ファイアでルシファの遺体を燃やし尽くした後も、腕を火炎で覆ったまま悪魔達を見据えている。その迫力とオーラにケオス=マキナやイレイザですら完全に戦意を喪失しているように思えた。私は畳みかけるように叫ぶ。


「アンタ達、よく聞きなさい! もし町の人達に危害を加えようとしたら、あの沢山の炎の鳥が黙っちゃいないからね!」


 そうして聖哉が出したオートマティック・フェニックスが舞っているであろう上空を指さすが、


「!! あらっ!?」


 そこには何もなく、ただ晴れ渡った空が広がっている。


 ええええええ!! あんなにいた火炎鳥は一体何処に!?


 今や聖哉の頭上を数羽飛んでいるだけである。


「ね、ねえ聖哉!! オートマティック・フェニックスは!?」

「自衛の分だけ残し、既に片付けたが?」

「どうでも良い時、大量に出す癖に何で大事な時は仕舞っちゃうの!? 聖哉は大丈夫でも、まだ悪魔は町にいるんだよ!! ニーナちゃんやロザリーのことも考えてあげなきゃダメじゃない!!」


 傍では心配そうな顔のニーナと、それを守るように佇むロザリーがいた。聖哉はちらりと見て、溜め息を吐く。


「……面倒臭いな」

「聖哉っ!?」


 もう一度、溜め息を吐いた後、聖哉はゆっくりと剣を悪魔達に向けた。


「お前達は町から出て行け。一匹残らずだ」


 ざわめく悪魔達。一体の血気盛んな牛頭のデーモンが聖哉の前に躍り出る。


「ふざけるな! この町は俺達の、」


 だがその言葉は唐突に終わり、牛のような頭部が宙を舞う。セルセウスがびくりを体を大きく震わせた。聖哉が何の躊躇もなく悪魔の首を剣ではねたのだ!


「下がらなければ斬り殺すと言ったろう」


 野菜でも切るように平然と悪魔を殺した聖哉に対し、ケオス=マキナがお手上げのポーズを見せる。


「行きましょうー、イレイザ。首が飛ばされる前にー」

「ぐ……!」


 しばらく聖哉を睨んだ後、イレイザもケオス=マキナ同様に踵を返した。元四天王が歩き去るのを追うようにして悪魔達もぞろぞろと後に続いていく。だが、ふと気付いたようにケオス=マキナがロザリーを振り返り、にこりと笑って手を振った。


「じゃあねー、姫! 元気でねー!」


 ロザリーはケオス=マキナと悪魔の集団が視界から消えるまで、憎悪の籠もった目を向けていた。しばらくした後、私はロザリーに尋ねる。


「い、一応、悪魔達は追い払ったけど……ホントにこれで大丈夫かな?」

「町の境界から出てしまえば、移動魔法陣を使う以外、入れない。その魔法陣もイグル内部の人間の許可無くして繋ぐことは不可能だ」

「そっか。なら安心ね」

「ああ、イグルの町の結界は強力かつ万全だ。かつてフラシカや我が忠臣達が尽力し、作ってくれたものなのだから……」


 ロザリーが寂しげに呟いた。やがて遠巻きに様子を見ていた町の人々がロザリーの元へと集まってくる。突然、ロザリーは集まった民衆に深々と頭を下げた。


「私は無能だ。ただ悪魔にとって都合の良いように使われていた。裁判にでもかけて、煮るなり焼くなり好きにしてくれ。死罪も甘んじて受けよう」


 住民達はどうすれば良いか分からないように誰しも顔を見合わせていた。そんな中、ニーナがロザリーをかばうように両手を広げて立ち塞がる。


「もしも……もしもロザリー様がこの町に私達を招いてくださらなければ、皆とうの昔に竜人に殺されています!」


 沈黙の後、


「そうだ……その通りだ」

「ロザリー様がいなければ、うちの子は生まれてくることもなかった……」


 皆、口々にロザリーをかばう言葉を呟き始めた。それでも当のロザリーは首を横に振る。


「駄目だ。生け贄まで差し出したこの無意味な十年間――私はその責を負わねばならぬ」

「ロザリー様。無意味ではありません」

「私のしたことに意味などあるまい。人魔協定は破棄……そして復活させたルシファ=クロウは人類の敵だったのだから」

「いいえ。ロザリー様の人類救済を願う気持ちは奇跡をお呼びになりました。そう、この世界に真の救世主を……」


 ニーナが、血の付いた剣を新しい剣に交換している聖哉に熱い眼差しを向けていた。民衆も聖哉を見て笑顔で頷く。


 そんな光景を見て、私はセルセウスの横でホッと息を吐いた。


「どうやら丸く収まりそうね。暴動でも起きたらどうしようかと思ったけど」

「ああ。皆、人間が出来ているな。俺なら絶対に許さない」

「……アンタは神なのに器がちっちゃいわね」


 セルセウスに呆れた後、聖哉の肩を叩く。


「万一まだ町に悪魔が残っていたら大変だし、オートマティック・フェニックスを放って見張らせておきましょうよ。その方がより安全だし」

「……リスタ」


 突然、聖哉が鋭い目で私を見詰めてきたのでドギマギしてしまう。


「へっ!? なっ、何!?」

「何故お前はこれ程までに捻曲世界の住人に気を遣う? 念を押しておくが、捻曲世界はメルサイスの作った幻の如き世界だ」

「そ、それは分かってるよ!」


 そう、此処は本当のゲアブランデとは違う捻じ曲がった世界。疑り深い聖哉は冥王が教えてくれたことをそのまま信じている訳ではなさそうだが、それでもイクスフォリア救済時、私達自身が捻曲世界を体験している。捻れの原因を除去すれば、ゲアブランデが元通りになるのは疑いようのない事実。私だってそのことを頭では理解している。


「分かっているならどうしてだ? 通常ならば、俺も少なからず町の住人に気を使う。町にいた悪魔達も逃がさずに、この場で全滅させておいたろう。だが、此処は捻曲世界。幻を救う為に自衛がおろそかになり、やられてしまっては喜劇以上に滑稽ではないか」

「いやでも……生きている人が目の前で苦しんでるのを見たら、そう簡単に割り切れないのよ……」


 解せないといった表情の聖哉に私は懇願するように手を合わせる。


「ね、聖哉お願い! オートマティック・フェニックス出して!」

「意味が分からん」

「分からんくても良いから!」


 聖哉は渋々、オートマティック・フェニックスを生み出してくれた。数十羽、大空に羽ばたき町に散らばっていく。その様子を見ていたロザリーが私達に近付き、頭を下げてきた。


「町のことまで考えて頂いて感謝する。……それでアナタ達はこれから?」

「勿論、神竜王を倒しに行くわ! 安心して待っていてちょうだい!」


 私がドンと胸を叩くと、ロザリーを始め、町の人々が沸き立った。頰を紅潮させてロザリーが叫ぶ。


「そうか! もしよろしければ、私が移動魔法陣で案内しよう! 神竜王の本拠地――バハムトロスまで!」


 幹部らしき住人から杖を受け取るや、意気揚々と魔法陣を地面に描こうとしたロザリーだが、聖哉が吐き捨てるように言う。


「おい。俺はたった今、ルシファ戦で魔力を消耗したのだぞ」

「こ、これは大変失礼した! 戦いのすぐ後であったな! 充分な休息が必要だ!」

「休息以前の問題だ。いきなり敵の懐に乗り込むバカが何処にいる。まずは情報収集が基本だろう。そんな浅慮故、悪魔などに騙されるのだ」

「ううっ! 仰る通りだ! 返す言葉もない!」

「ちょ、ちょっと聖哉!!」


 あまりにあんまりな言葉だったが、ロザリーはただ申し訳なさそうに頭を垂れていた。


「そ、それでは勇者様に寝泊まり出来る場を提供させて頂こう。そこで休まれた後で情報収集を、」

「結構だ。捻曲世界よりは幾分マシな世界がある。俺達は今からそこに帰る。……リスタ。冥界への門を出せ」

「な!? ま、待ってくれ!! 情報収集をするのではないのか!?」

「ダメだ。『情報収集をする為の修行』をしてくる」

「!! 情報収集するのにも修業がいるのか!?」


 ロザリーは口をぽかんと開けて絶句しているが……ま、まぁそうよね。聖哉の用心深さって普通の人には理解できないわよね。


 いつの間にかロザリーだけでなく、辺りには人だかりが出来ている。そして聖哉の言葉に何やら不穏な様子を感じたのか、ざわざわとしていた。聖哉が私の肩を突く。


「毎度のことで面倒だ。説明しろ」

「う、うん! えっとね、ロザリー! 私達、今から冥界ってところで修行してくるの! けど安心して! 時間の流れが違うから、長くても二時間程度で戻ってくるわ!」

「冥界……? 時間の流れ?」

「……姫。すいません。少し、こちらへ」


 離れた所で幹部達がロザリーを手招きしていた。何やらボソボソとした話し合いが、人間より聴覚が優れる私の耳に聞こえてくる。


「冥界などと言っておられますが、そんな場所が本当にあるのでしょうか?」

「まさか勇者様は我々を見捨てる気なのでは……!」


 やがて、顔こそニコニコしつつ、ロザリー達は私に近寄って来た。


「その冥界とやらに私達もご一緒して良いだろうか?」


 ――いやメチャメチャ疑われてるし!!


「ど、どうしよ、聖哉!?」

「俺より女神のお前が言う方がうまく治まるかと思ったが、そうでもないな」

「というか、リスタが説明し出してからみんな勘ぐり始めたよな……」

「なっ、何よ、セルセウス!! 私のせいだっての!?」


 とにもかくにも聖哉が同行を許す筈もない。例の如く逃げ帰ることになるかと思ったのだが、


「良いだろう。だが連れて行くのはロザリーだけだ」

「ええっ!! 良いの、聖哉!?」

「この老けロザリーは十年もの間、竜人達と戦っていた。ロザリーからも敵の情報をしっかり聞いておきたい。情報収集の一環だ」

「……ほ、本当にそれだけ?」


 すると聖哉はぼそりと言う。


「神域の勇者もメルサイスが捻曲世界から連れてきた。捻曲世界から来た人間に共通した点や特徴がないか、この際じっくり調べておきたい」


 なるほど。やっぱり聖哉なりの思惑があるのね。そういうことなら反対する訳にはいかないわ……。


「姫様、お気を付けて」

「ああ。すぐに戻る」


 ロザリーが民衆に頷き、私は冥界への門を出す。そうして私とセルセウス、そして捻曲世界のロザリーは聖哉の後に続いて門を潜ったのだった。







 冥界はいつもの濃霧は無かったが、赤い空を見上げてロザリーが驚嘆したように隻眼を大きく見開く。門を出したのはウノ邸の近く。辺りには草原が広がっており、普段は閑散としているのだが、今日はあぜ道を巨大なナメクジのような冥界の者が這いずっていた。


「どう、ロザリー。此処が冥界よ。信用した?」


 しばらく呆気に取られていたロザリーは、私を見て微笑んだ。


「他の者はともかく、私は最初から疑ってなどおりません」

「ならどうして?」

「勇者様の強さの秘密、それを私も知りたかったのです」


 その時、聖哉が私達の間に割って入ってくる。そしてロザリーの顔をじっと眺めると、額に手を当てた。


「熱はないようだな。次は舌を出せ」

「え……こ、こうか?」


 聖哉はまるで医者のようにロザリーを診察し始めた。立ったままのロザリーの手足に触れ、曲げたり伸ばしたりしている。ペタペタと聖哉に触られているその間、ロザリーは顔を真っ赤に染めていた。


「体に変化はないか?」

「ない……いや……熱く火照ってきたようだ……」

「ほう。捻曲世界から出た影響かも知れん。もっと良く調べよう」

「それに下半身も少し、うずいてきた……」

「どこらへんだ?」

「下腹の……更に下の辺り……股ぐらの方だ……」

「ふむ。触っても良いか?」

「!! いや触っちゃ絶対ダメでしょ!! ってかアンタら、さっきから何やってんの!?」


 いてもたってもいられず叫んでしまう。聖哉が呆れたような顔を見せた。


「言ったろう。捻曲世界の者の体を調べている。神域の勇者打倒の為の研究だ」

「それは確かに大事なことかも知れないけど、相手は女の子だし過度なボディタッチはマズいでしょ!」


 聖哉は「フン」と鼻を鳴らすと踵を返した。セルセウスが嬉しそうに背伸びをする。


「やった、ようやく休める! ウノちゃん家でケーキ作ろうっと!」

「あ、アンタってホント気楽で良いわよね……」


 聖哉を追い越し、我先にとウノ邸に猛ダッシュで駆けていくセルセウス。いやどんだけケーキ作りたいのよ、アイツは! 女子か!


 一方、顔を赤らめたままのロザリーが聖哉に訴える。


「ゆ、勇者様! 私も一緒に修行をしても良いだろうか!」

「何故だ?」

「町の人々は私に優しい言葉を掛けてくれた……だが、私は私が許せない! せめてもの詫びに私自身が強くなり、世界を救う役に立ちたい! そうでなければ皆に合わす顔がない!」


 話を聞いていた聖哉がキラリと目を輝かせた。


「お前も神竜王と戦うというのか?」

「とうに捨てた命だ! お望みならば、勇者様の手となり足となり戦おう!」

「ふむ」


 聖哉はロザリーの言葉に頷き、満更でもない顔をしていた。


「ええー!? 普段、仲間なんて『超いらん』とか言うくせに!?」

「捻曲世界のロザリーなら、死んでも一向に構わん。それに玉砕覚悟の特攻は敵にとって少なからず脅威の筈。捨て駒として利用できるかも知れん」

「せ、聖哉!! いくら何でも、」

「ありがたい! 捨て駒で充分だっ!」

「!! ありがたいの!? 怒った方が良いよ!?」


 しかしロザリーは私の言葉など耳に入っていないようだ。嬉しそうに聖哉に尋ねる。


「それで今からどういった修行を為さるのか?」

「まずは魔力を回復すると言ったろう。今日は寝ることにする」


 大きな欠伸をしながら歩き去る聖哉を見て、ロザリーは両手を握りしめて興奮していた。


「寝るのか! すごい、流石だ!」

「い、一体何がすごいのよ。疲れたら皆、眠るでしょ。 ……ねえロザリー、聖哉に良いように使われないよう気を付けなよ? アナタちょっと騙されやすいところがあるから」


 しかしロザリーは恍惚とした顔で独りごちるように呟く。


「圧倒的な力に加え、深謀遠慮! 勇者様は私に無いものを全て持っておられる!」


 うーん。何だか完全に聖哉に入れ込んじゃってるみたいね。元の世界のロザリーはどっちかっていったら聖哉のこと嫌ってたのに。まぁ目の前でルシファ=クロウを鮮やかに倒したんだ。待ちに待った救世主の到来……無理もないわよね。

 

 だがウノ邸に足を進める聖哉の大きな背中を眺めているロザリーの片目が潤んでいるような気がした。


「ああ……! 勇者様っ……!」


 ええっ!! 尊敬してる――だけだよね!?

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