第百四十三章 鬼勇者

 ウノ邸に着くと、聖哉は魔力回復の為にすぐに割り当てられた部屋へと向かった。私は広い玄関でロザリーに待つように言った後、ウノとドゥエに話し掛ける。


「えっと。捻曲世界から女の子一人、連れて来ちゃったんだけど問題なかった?」


 ロザリーのことを告げると、ウノは答えかねたのかドゥエの顔を見た。兄は優しく微笑む。


「聖哉さんの仲間ということなら問題ないよ」

「そう! よかった!」

「彼女にも部屋を貸そう。僕達も捻曲世界を救う為に、出来る限り協力したいからね……」


 感謝した後、ロザリーを二階の部屋に案内する。明日までゆっくり休むように伝えると、ロザリーは謙虚に頭を下げた。


 聖哉も部屋に戻ったことだし、私も自分の部屋で休もうとリビングを横切ったところでウノとドゥエに呼び止められた。紅茶を飲みながらしばらく雑談した後、ウノが私に尋ねる。


「あのロザリーという方――聖哉様が冥界に連れて来られるということは、かなり見所のある人間なのでしょうか?」

「うーん。確かに普通の人よりずっと強いけど……そういうことじゃあないのよね」


 ついでに二人にこれまでのことを話して、悩みを打ち明けてみる。


「……ってことで、聖哉ってば捻曲世界の人達を適当に扱うの。ロザリーのことも捨て駒だってハッキリ言っちゃうし。勇者としてこれで良いのかなあ、って」


 紅茶のカップをテーブルに置くと、ウノも兄同様に優しげな目を私に向けた。

 

「捻曲ゲアブランデに生きる者全ては捻れの原因を取り除けば、元の状態に戻ると冥王様から伺っております。全部無かったことになるのであれば、あまりそこに住む者に心情を挟まない方がよろしいかと」

「そ、そうよね。いや、実際そうなんだけどさぁ、」


 こうしてウノに言われたり、落ち着いて考えてみれば、聖哉は全然間違っていない気がする。それでもあの世界にいる時、人が傷ついたり、死んだりするのを目の当たりにすると心がざわついてしまうのだ。


 私の顔を見て、ドゥエがしきりに頷いていた。


「捻曲世界の者だろうと放っておけない。心が慈愛に満ちていらっしゃるのだろう」

「ええ。幻影にまで感情を注ぐ――素晴らしいことです。それがリスタルテ様が女神たる所以なのでしょう」

「そ、そんなことないって! やだなあ、もう!」


 何となく褒められている気がして気恥ずかしくなる。だが、にこやかに笑っていた兄妹はやがて顔を引き締めた。


「それでも聖哉さんのやっていることは正しい。傍目からは非情に見えようが、結局のところ、ゲアブランデの歪みの原因たる神竜王討伐に向けて全神経を集中しておられる。自ら戦いを避け、幻の人民を見殺しにするのも捻曲世界を元に戻し、ひいてはゲアブランデに住む本来の人民全てを救う為なのだろう」

「あう……」


 言葉に詰まる。ドゥエの話を聞くと、私の考えは何やら独善的かつ小善的で、一方、聖哉は大局を見据えて行動している感じがした。いや、はっきりと言われてはいないが、実際そういうことなのだろう。誰が考えても聖哉が正しいのだ。不意に溜め息が漏れる。


 ――はぁ……ダメね、私。聖哉は人間で私は神なのに。これじゃあ何だか逆みたい。


 何となく凹んだ空気を変えてくれたのは意外にもセルセウスだった。トレイの上にショートケーキを載せ、楽しげに持ってくる。


「よう! 居候させて貰ってるお礼だ! 食べてくれ!」


 テーブルの上に、私のも含めた三人分のケーキを並べる。色鮮やかなフルーツの載ったケーキを見て、ウノが嬉しそうな顔を見せる。


「セルセウス様はお菓子作りがお上手ですね!」

「これが本職だからな!」

「いや本職は剣神でしょ、アンタ……」

「細かいことは良いじゃないか。リスタも食えよ」

「うーん。私はいいや。聖哉かロザリーにあげて」

「二人には既に渡してある。まぁ聖哉さんは眠りの邪魔をしたようで『うるさい、いらん』と、頭部をしこたま殴られたがな」

「殴られたの!?」

「ああ! でもロザリーは喜んでくれたぞ!」


 ニコニコと笑っているが、良く見れば頭にたんこぶがある。『せっかくケーキを作って持って行ったのに、頭部をしこたま殴られる』――とんでもないことなのに、普段もっと酷いことをされているからかセルセウスは気にも留めず笑顔だった。慣れって怖いわね……!


「おいしそうですね! 頂きます!」


 フォークでケーキを一口食べたウノだが、その途端いつものように吐血した。


「ゴフゥッ! おいしいです!」


 ドゥエもまた同じく血を吐きながらセルセウスのケーキを頬張る。


「ガフッ! これはうまいな! オゲエッ!」


 セルセウスが驚いて叫ぶ。


「いや毒入りケーキ食ったみたいになってんぞ!? ホントにおいしいの!?」

「し、仕方ないじゃん。ウノ兄妹はくしゃみする感じで吐血しちゃうんだから……」


 とは言っても二人の鮮血を見て、一層食欲が無くなってしまった私は席を立ち、自分の部屋に向かったのであった。







 翌朝。


 随分早く起きたつもりだったが、リビングには既に聖哉とロザリーがいて何やら話し合っていた。


「神竜王が暮らしていた故郷の村は今どうなっている?」

「ナカシ村のことか。今は廃墟だが……」

「構わん。そこで試してみたいことがある。その他にも神竜王やその側近について知っている情報を全て聞いておきたい」

「私に分かることなら何でも答えよう」


 真剣な表情で聖哉がロザリーに色々、尋ねている。邪魔してはいけないと、私は静かに耳をそばだてる。


「……魔王のみならず、無敵の死神クロスド=タナトゥスをも倒した力は聖剣イグザシオンによるものだ。斬られた者は魔力による回復も自然治癒も一切出来ない」

「!! えええっ、回復不能のスキル!? それじゃあ私の治癒魔法も効かないってこと!?」


 驚愕のあまり、つい叫んでしまう。「いっけね」と思った時、既に聖哉は私に冷ややかな視線を送っていた。


「どちらにせよお前の魔法など、元々あってないようなものだからな」

「!? あってなくはないよ!! ちゃんとあるよ!!」

「それにしても、それが真実ならばイグザシオンは危険極まりない。仮に手負いのまま勝ったとすれば、以降の捻曲世界攻略やメルサイス戦での勝率が大きく下がってしまう。余裕を持って確実かつ完璧、それでいて安全に神竜王を倒さねばならん」


 真剣な表情で腕組みをしながらそう呟く聖哉。回復不能のスキルを持つという聖剣イグザシオンは恐ろしく脅威。しかし全く動じず、神竜王対策に目を光らせる聖哉を見ていると安心感があった。


 更に小一時間程、話した後、聖哉は席を立って、ロザリーを見下ろす。


「よし。それではまず、お前の修行から始めよう」

「ほ、本当か! よろしくお願いする!」


 ロザリーは聖哉に頭を下げた。いやでも、聖哉ってば基本的に自分の修行を最優先するわよね? ってことは……


 いつものようにセルセウスに丸投げするのだろうと思った。しかし、


「庭に出ろ。剣の稽古をしてやろう」

「!! ええーーーーーっ!?」


 聖哉直々の修行!? こ、こんなの今まで見たことないような!?





 ……私的に不安と期待が入り交じる中。ウノ邸の広大な庭で聖哉とロザリーが木刀を持って対峙していた。練習だからか二人共、鎧を脱いで軽装である。


「まずは悪魔の力を解放してみろ」

「だ、だがこの力はもう……」


 ロザリーが逡巡している。イレイザよって操られ、自らの手で人魔協定を破棄してしまったことは記憶に新しい。そもそもロザリーとしては、悪魔の力になど二度とすがりたくなかったのだろう。それでも聖哉は言う。


「その力はお前の長所だ。悪魔が周囲にいなければ操られることもない。もし万が一、操られたとしても俺が何とかしてやる。とにかく解放しろ」

「……分かった」


 聖哉の言葉に安堵したのか、ロザリーは封印を解除する。ロザリーの腕が赤黒く変化する間に私は聖哉に近寄って小声で聞いてみた。


「あのー、聖哉。ちなみに何とかってどうするつもりなの?」

「そうだな。腕を切り落とすとか色々ある」

「!? エグいな、もう!! 冗談よね!?」


 しかし聖哉は変わらぬ表情のまま、ロザリーと向かい合う。いや冗談じゃないっぽい! この人、怖っ!


「それでは始めよう。かかってこい」

「失礼する!」


 互いに木刀をチャンバラのように打ち交わす――そんな修行を想像していた。だが、ロザリーの攻撃を軽くかわした後、聖哉が強烈な突きをロザリーの腹に放った。


「ぐえっ……!」


 ロザリーはうずくまると胃液を吐き出した。だがそんな状態のロザリーに追い打ちをかけるように、聖哉は頭に木刀を振り下ろそうとしている。私は溜まりかねて、ロザリーの前で両手を広げた。


「待って待って待って! 相手は女の子なんだよ! もっと加減してあげてよ!」

「ロザリーは俺が神竜王と戦うまでの盾。その身を削り、出来るだけ奴や奴の部下の体力を減らせるよう、尽力して貰う。その為にある程度強くなって貰わねば困るのでな」

「『盾』とかそんな!!」

「か、構わない……」


 ロザリーが木刀を杖にして、立ち上がる。


「これは私自身が望んだこと……! 続きをやってくれ!」


 ……木刀で打ち付けられ、手足が赤く腫れ上がる。更に容赦のない一撃を頭部に浴び、白く染まった髪の間から鮮血が垂れた。聖哉がセルセウスを修行で過剰に打ちのめしたり、また逆にセルセウスが聖哉に手ひどく復讐したこともあったが、それ以上に聖哉とロザリーの稽古は痛烈なものだった。 


 私はもう二人の修行を直視できない。ふと隣でおののくような呟きが聞こえる。


「うわー、何コレ……! 虐待……?」


 いつの間にか顔面蒼白のセルセウスが私の隣にいた。


「やっぱりアンタもそう思うわよね……!」

「俺にあたるよりもずっと酷い気がするぜ。幻と割り切ってるからって、女に対してよくあんな酷いこと出来るな。鬼だな、あの人」

「た、確かに鬼っていうか魔王っていうか……って、セルセウス。アンタそれ、何持ってんの?」


 セルセウスは大きな樽を抱えていた。中には水がなみなみと入っている。


「さっき聖哉さんが準備しておけって。喉が渇いたら飲むんだろ」

「馬じゃないんだからこんな大量の水、飲むかなあ?」


 苦しげに唸り、悶絶するロザリーを聖哉は見下ろしていた。ダメージが大きく起き上がれないようだ。すると聖哉はセルセウスに歩み寄り、ふんだくるようにして樽を取ると、それを倒れたロザリーにブッ掛けた。


「起きろ。失神している暇などない」


 ――ヒィ!? その為の水!! スパルタの極み!!


 私は虐待を止めようと、ロザリーに駆け寄る。水に濡れたロザリーは、だが、やる気に満ちた顔をしていた。


「ありがたい! これで意識がしっかりとした! 水が五臓六腑に染み渡る!」

「!! ありがたがってる!? 飲んでないから水は内臓には染み渡らないと思うけど!!」

「もっと……もっと続けてくれ!」


 しかし倒れること三度目。ロザリーは完全に意識を失い、水を掛けてもぴくりとも動かなくなった。


「聖哉っ!! やり過ぎだってば!!」

「再三、このロザリーは幻だと言っているだろう。構うことはない」

「けど、意識無くしちゃったよ!! もう無理だって!!」

「フン。ならば、お前の治癒で治しておけ。意識が回復したらまた再開する」


 そう言って聖哉はスタスタと歩き、何処かに行ってしまった。


 私はロザリーを膝枕しながら治癒魔法を発動する。遠慮のない攻撃で顔や体に沢山のアザが出来ていた。


「何でここまで痛めつけるのよ……」

「けど、理には適ってるぜ。聖哉さんはロザリーを盾として使うつもりなんだろ? だから鎧を脱がせて体を打ち付け、防御力のレベルアップを図ってるんじゃないか?」

「それにしたってやり過ぎだよ」


 治癒しながら二人で話していると、いつの間にかロザリーが片目を開けていた。


「心配には及ばぬ。宿願たる神竜王討伐にどういう形であれ、協力出来るのは至上の喜び。それにこの修行の痛みが精神的な苦痛から私を救ってくれる。この瞬間、私は私の犯した愚行を忘れられるのだ」


 町の人間を生け贄に捧げた十年間。ロザリーはそのことを決して許されざる大罪として受け止めているようだった。


「思慮深い勇者様のことだ。おそらく私のこの気持ちすら見越していらっしゃるのではないだろうか」

「ど、どうかな」


 単に聖哉は捻曲世界のロザリーを人間として見ていないだけだと思う。それでもロザリーは聖哉の修行を前向きに受け止めていた。


 ふとロザリーの眼帯が外れかけていることに気付く。一文字の古傷が露わになっていた。剣によって斬られたものだろうか。


「ねえロザリー。前から気になってたんだけど、その目、私の治癒で治せるかも知れないよ?」

「気持ちはありがたいが、これは無理だ。どんな高位のヒーラーでも治すことは出来ない」

「えっ……じゃあアナタの目、ひょっとして!」

「そうだ。神竜王に奪われた」


 眼帯を整えながら、鋭い隻眼を空に向ける。


「神竜王は人間をいたぶりながら殺す。聖剣イグザシオンで私の目を奪った後、奴はすぐ傍で父である戦帝を切り刻んでなぶり殺した。笑いながらな」

「ま、マッシュがそんな……!」


 私が絶句していると、ロザリーは真剣な声で言う。


「この世界と異なる世界から来たというアナタ方の話も少しだけ理解出来てきた。その上で言っておく。神竜王マッシュ=ドラゴナイトは残虐非道な怪物だ。アナタ方が知っている者とはまるで別種だと考えた方が良い」


 そう言いながら、ロザリーは体を起こしてどうにか立ち上がろうとした。


「あの怪物に対抗するには、勇者様の修行を耐え抜き、立派な盾とならねば……!」

「ロザリー! まだ治癒は完全じゃないわ! もうちょっと休んだ方が、」

「いや良い。それより早く修行の続きがしたい」

「ええっ!! あんな修行の続きがしたいの!?」

「勇者様になら何をされても構わない。近くにいるだけで心が満たされる。そうだ……きっと私は、」


 何かを言いかけたロザリーだったが、聖哉がちょうど歩いて戻って来た。


「意識が戻ったか。それでは続きを始める」

「はいっ!」


 こうしてまたもスパルタ修行が始まった。熾烈を極める光景だが、ロザリーは嬉々として受けとめているように思えた。木刀で打たれ、突かれる度、頰を紅潮させる。


「もっと!! もっと突いて!! もっと深く、激しく!! ああああっ!!」

「!! いや、何か変な感じになってない!?」


 スパルタを繰り返す勇者と、恍惚とした表情で滅多打ちにされるロザリー。私はもう色々な意味で心配になるのであった。

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