第百三十九章 闇の魔法弓
イレイザやケオス=マキナと共に町を闊歩するルシファの姿は威風堂々たるものだった。
しばらく後ろを歩いていると、女性の金切り声が私の耳に入ってくる。急いで助けに向かおうとした時、数体の悪魔達が血相を変えてイレイザのもとに駆け寄って来た。
「イレイザ様! デモンズ・ソードの兵士達が町で暴れています!」
「奴らは竜人に体を乗っ取られているのだ。我が兵とて遠慮はいらぬ。犠牲が増える前に殺れ」
「はっ!」
イレイザが命令を下している最中も、私の視線の先には暴動のような混沌とした光景が広がっている。逃げ惑う人々と、どうして良いか分からず狼狽える悪魔の群れ……それを追うのは明らかに挙動のおかしい悪魔兵士達だ。その数は、五……六……いや、もっといる! こ、こんなにも沢山の悪魔兵士が操られてるの!? 一体、いつの間に寄生したのよ!?
「イレイザ様の命令だ! 暴れている悪魔兵士を殺せ!」
先程、指令を受けた悪魔がそう叫んだ。すると右往左往していた悪魔達の顔色が一変する。一体の悪魔が短刀のような鋭い爪でデモンズ・ソードの兵士を斬り付けた。肉が裂け、おびただしい血液が溢れる。肩口から腰に掛けての致命傷だ。だが刹那、その悪魔兵士の傷口から飛び出た小さな竜が悪魔の体を素早く這って、尖った耳の中へ侵入する!
「ぐわあああああああああ!!」
叫び声を上げて倒れ、のたうつように悶絶していた悪魔はやがてゆっくりと立ち上がった。そして先程まで苦しんでいたのが噓だったかのように、口元を歪めてニヤリと笑う。
「ふひひはは……!
――ま、まるで感染! パラドゥラの奴、こうやってどんどん数を増やしてるんだわ!
「聖哉! どうにかしてパラドゥラの本体を探さなきゃ!」
「本体など探す必要はない」
「あ、アンタねえっ! いい加減にしなよ! 神竜王を倒す前にこっちがやられちゃったら終わりなんだよ? 分かってる?」
「分かっていないのはお前だ。本体が何処かにいるのではなく、悪魔達の体に寄生している小さな竜全てが奴自身なのだ。おそらく数十、或いは数百単位で分裂していると推測する。一部を退治したところで、ダメージは少ない」
な、なるほど! 聖哉ってばアイツの技、真似してたから詳しく分析出来るのね……って、
「待って!! 数百体もの悪魔に寄生してるっての!?」
「俺が奴ならそうする」
「そんな……!」
暴徒のように町中で暴れ回っていたパラドゥラに寄生された悪魔兵士達は、やがてルシファ=クロウを囲う人魔の一団に気付き、一斉にそちらに向けて歩み出した。
「り、リスタ! アイツら、こっちに来るぞ!」
覚束ない足取りでヘラヘラ笑いながら近付いてくる不気味な姿に、セルセウスと私は思わず後ずさる。
だが、そんな寄生された悪魔達の前にケオス=マキナが立ち塞がる。身の丈ほどもある大剣を軽く振り下ろし、先頭にいる悪魔兵士を真っ二つに切り裂いた――と同時に傷口から飛び出した小竜がケオス=マキナの口元に向かう!
「危ないっ!」
私は思わず叫んでしまうが……杞憂だった。口腔内に侵入する前に、小竜はケオス=マキナの鋭い歯で頭部を嚙み千切られていた。「ベッ」と頭部を吐き出して、苦い顔をする。
「あー。まずい、まずいわー」
余裕のケオス=マキナだったが、まるで躊躇することなく、後続の悪魔兵士達が行進してくる。
「
ケオス=マキナも流石に頬をポリポリと掻いて、困ったような顔を見せた。
「うーん。流石にこの数は厄介ねー」
一歩ジリッと後退するケオス=マキナ。イレイザは戦闘に備えて身構える。だが、寄生された悪魔達はしばらくすると、皆一様に歩みを止めた。一体の悪魔兵士が口を開く。
「……ひひひ。この中に凄まじい魔力の奴がいるなあ」
そう言われて私は真っ先に聖哉を見た。護身用の為に、体に炎をまとっている聖哉はいかにも強そうである。
――コイツ、聖哉の炎を見てビビッてるんだわ! 本体ごと焼かれたら、たまんないもんね!
「ふんっ! アンタなんかすぐに聖哉がやっつけちゃうんだから!」
しかし私の言葉を完全にスルーして、悪魔は明後日の方向を向いていた。悪魔兵士に寄生したパラドゥラの視線の先にいたのは聖哉ではなく、ルシファ=クロウである。……いや、そっちかよ!!
「ふはひひひひひ! そうか、その悪魔がお前らの希望か! 結界の中に隠れてコソコソ準備していただけはある! 他を圧する強烈なオーラだ!」
感心して叫ぶもその後、またパラドゥラは下卑た笑いを発する。
「だが、どれ程強くても関係ねえな! 俺の分身は、既にこの町にいる大多数の悪魔の体内に侵入しているんだぜ!」
あの口振りだと聖哉の推測通り、数百単位で寄生しているのかも知れない。それでもイレイザは冷静に言う。
「それがどうした。同胞には悪いが、体内にいるお前ごと殺すだけだ」
「ひひっ! 悪魔らしい割り切った考え方だな! けどよ、事が自分の身に降りかかっても、果たしてそんなに冷静でいられるのかねえ?」
「何だと?」
次の瞬間、イレイザに異変が起きた。低い声で苦しげに唸り、六本あるうちの一本腕を腹部に当てる。そして、
「ぐがあっ!」
イレイザの叫びと共に腹が裂け、血に塗れた小竜が顔を覗かせた! 小竜はチロリと赤い舌を出して笑う!
「バカめ! テメーにも寄生してんだよおおおおお!」
「い、一体いつの間に、俺の体内に……!」
「くひははははは! 死にたくなければ俺に従え!」
ま、まるでエイリアンっ! 遠征中? それとも、さっき隙を突いて? 分かんないけど……怖っ! や、やっぱり聖哉にコルク貰おうかしら!
頭の中で女神のプライドとコルク陰部挿入とを天秤に掛けていると、パラドゥラの分身はイレイザの腹の中に引っ込んだ。代わってイレイザが苦悶の表情で部下に向けて喋る。
「構わん……! 俺を……殺せ……!」
その刹那、イレイザの表情が変化した。歪められた口から発される言葉は先程とは打って変わった甲高い声だった。
「おお、殊勝なことだな!! それじゃあこの俺ごとテメーらの大将を殺してみろよ!! けどよー、一匹や二匹やられても痛くも痒くもねーんだよ!! 俺を倒したきゃあ町中にいる分身、一匹残らず殺すこった!! くひひひひ!! そんなことは絶対に不可能だがなああああああ!!」
私はごくりと生唾を飲む。
うううっ! 町を制圧しつつ、同時に悪魔達を人質に取るなんて……パラドゥラ――体は小さくても、とんでもない強敵じゃない! こんな状況、どうしろっていうのよ!
「さぁ、この町を覆う結界を解け!」
イレイザに寄生したパラドゥラが恫喝する。ケオス=マキナが舌打ちし、ロザリーも呼吸を荒くしている。
私は聖哉の様子が気になって背後を振り返った。しかし……そこに聖哉の姿はない。
「あらっ!?」
一瞬、見失ってキョロキョロしてしまう。しばらくして此処から数メートル以上離れた民家の陰で、顔半分だけ出して燃えている聖哉とセルセウスを発見した。慌てて駆け寄り、二人に叫ぶ。
「いやアンタら、こんなとこで何やってんの!?」
「無論、隠れているのだ。炎で体を覆い、完璧な防御をしているとはいえ、それでも万が万一、イレイザのように寄生されては大変だからな」
「そんだけ体、燃えてたらアリ一匹近寄れないわよ!! ねえっ、隠れてないで何とかしなきゃ!!」
「構うことはない。それより人魔連合が十年以上待ち続けた悪魔の手並みを拝見しようではないか」
「え……」
聖哉がアゴをしゃくった先を見て、私はハッと息を呑む。今まで沈黙を保っていたルシファ=クロウが鋭い目をパラドゥラに向けていた。一歩足を進めると、氷のように冷徹な声を出す。
「嘆かわしいことだ。ゲアブランデは、かような雑魚が蔓延る世界となったのか」
「お前……今、何つった? 雑魚? 俺を雑魚って言ったのか? くひはははは! バカが! テメーら魔族の命は今、その雑魚の手に握られてんだよ!」
「錯覚だ。貴様の手には何も握られてなどおらぬ」
ルシファはゆらりと両腕を動かし、弓を引くような所作をした。何も装備していない腕の回りに黒い靄のようなものが現れ、魔法の弓矢が具現化される。
――し、漆黒の魔法弓! あれがルシファ=クロウの特技!
弓の女神ミティス様を彷彿させる優美な仕草で魔法弓を構えた後、ルシファは何とパラドゥラではなく、天に向けて黒き矢を放った。
「お、おいおい! アイツ、何処に向けて撃ってんだよ?」
セルセウスが野次る。目の前の悪魔兵士にではなく、天高く発射された一条の細い矢が空を射抜いた。寄生された悪魔達もそれを見てヘラヘラと笑っているが、私の目は矢によって裂けた雲間から現れたものに釘付けになっていた。
「何よ……アレは……!」
上空に浮かぶのは、巨大な黒い球体! その表面には無数の『目』が付いていて、ギョロギョロと動いている!
「リスタ! あの怪物は何なんだよ! 召喚なのか? ルシファの特技って魔法弓じゃねえのかよ!」
「そ、そんなの分かんないわよ!」
「……きっとアレがルシファの魔法弓なのだろう」
聖哉の呟きに私は言葉を失う。
あ、あの怪物が魔法弓……!?
以前、聖哉が覚えた魔法弓とは明らかに別種! あまりに異様な魔法弓にセルセウスと一緒に驚愕していると、ルシファがぼそりと言葉を発する。
「我が同胞の体より出て行くが良い」
そして、ルシファは腕を体の前で交差させた。
「降り注げ、
途端、空に浮かぶ球体の怪物が光を放ち、爆発したように飛散した。どうにか私の目に映ったのは、上空で無数に分かたれ、拡散された黒い軌道だ。それは凄まじい速度で、誘導弾のように地上にいる悪魔達に降り注ぐ!
「かはっ……!」
黒い軌道に体を貫かれ、イレイザが呻いた。イレイザだけではない。突然の黒い軌道の襲来で町中にいる悪魔達がバタバタと倒れていく。だが、ロザリーやケオス=マキナにその軌道が向かうことはなかった。勿論、私や聖哉、セルセウスにもだ。私はハッと気付いて、聖哉に叫ぶ。
「ひょっとしてパラドゥラが寄生した悪魔達だけを狙ったの!? 一体どうやって!?」
「球体の怪物が町中にいる悪魔の体内をスキャンしたのだろう。そうして全体攻撃の魔法弓で一網打尽にした」
「じゃ、じゃあ、寄生された悪魔達を皆殺しにしたってこと!?」
「いや……」
聖哉が指さす。呻き声と共に倒れたイレイザの口から排出されたのは、体が半分に千切れたパラドゥラだった。咳き込んではいるが、何とイレイザは生きている。そして倒れていた悪魔達も徐々に体を起こし、立ち上がり始めた。
「ど、どうして!? 黒い軌道が体を貫いたのに、何で無事なの!?」
「あの魔法の矢は悪魔に耐性のある闇の力で生成されたのだろう。故に、体を貫通してもイレイザ達は無事だったのだ」
聖哉が物陰で説明する。向こうでは、ルシファが地を這いずる瀕死の小竜に冷たい視線を送っていた。
「我が魔法弓は同胞の体内に寄生していた小竜三百五十一体を一斉排除した」
「お、俺の分身だけを……全て同時に……射抜いた……だと……! こ、こんな……」
パラドゥラが干からびたようになって動かなくなる。そして――訪れる静寂。
しばらくの間、人も悪魔も沈黙していた。だが突如、ケオス=マキナが興奮した声を出す。
「き、奇跡っ! これは奇跡よー!! 素晴らしい、素晴らしい、ああ素晴らしいわー!!」
それが合図だった。町にいる悪魔達は、ドッと歓声を轟かせる。そしてルシファの周りに集まり、口々に讃え始めた。
沸き立つ悪魔達とは逆に私は心底、震えていた。
あ、あのどうしようもない状況を簡単に引っ繰り返した! ルシファ=クロウ――本当に底の知れない怪物だわ!
ふと気付けば聖哉が物陰から出て歩いている。どうやら体を覆う炎は解除したようだ。歓声が渦巻くルシファの一団に近付くと、乾いた拍手の音を響かせた。
「よくやった。褒めてやろう」
「!! 何処から目線!?」
「予想通り、ルシファ=クロウならば神竜王と良い勝負が出来そうだ。今後、俺はルシファを支えながら裏方に徹することにしよう」
「ま、マジで言ってるの!?」
「これで安全に捻曲ゲアブランデの攻略が出来る」
し、信じらんない!! 裏方に徹するとか……もはや勇者じゃなくて、ただのモブキャラ!!
しかし嘆息する私の背後でロザリーが呟く。
「そうだ。それで良い。人類はルシファを支援すれば良いのだ。この伝説級の悪魔なら、きっと神竜王を倒すことが出来る……!」
ロザリーが紅潮した顔で、悪魔達の間をすり抜けてゆく。ロザリーはルシファに近付くと握手の手を差し伸べた。
「改めて……私は人魔連合人類代表ロザリー=ロズガルドだ」
ルシファは握手に応じなかった。ただ冷たい目をロザリーに向けている。それでもロザリーは構うことなく大きな声を出す。
「ルシファ=クロウ! 神竜王の手から人類を救ってくれ!」
ルシファがぴくりと眉を寄せた。ロザリーにではなく、周りの悪魔に尋ねるように呟く。
「先程から気になっていた。この町の人間達……どうやら奴隷という訳でもなさそうだ。何故、魔族が人間などと群れている?」
「人類と悪魔は竜人を滅ぼすべく、互いに協力しているのだ」
そう言ってロザリーが
「理解出来ないのも無理はない。アナタは十年に渡る人魔の歴史を知らぬのだからな」
するとイレイザがロザリーとルシファの間に割り込んだ。
「ロザリー。同族の俺からルシファ様に説明しよう」
「ああ、そうだな。頼む」
イレイザは、かしづきながらルシファに丁寧な言葉を発する。
「十年以上前、神竜王が魔王ゼノスロードを倒して以後……竜族、魔族、人類と三つ巴の戦乱の時代が幕を開けたのです。我々魔族は戦いの中で、デスマグラの邪法やキルカプルの召喚を応用し、従来の魔力を何倍にも高めることに成功しました。しかし、能力を高めたのは人間もまた同じだったのです」
話しながら、イレイザがロザリーを指さした。
「ロズガルド帝国は人体に悪魔の力を宿す方法を編み出しました。そこにいるロザリー=ロズガルドを始め、今は亡き選定魔術師フラシカなど人間の力も侮れない恐るべきものへと変化したのです。こうして人魔が争っている間にも竜族はますます力を増していく。現状を打破すべく、我々は人類と協定を結ぶことにしたのです。互いに力を合わせ、竜族を滅ぼす為の協定を……」
ロザリーがこくりと頷く。そしてイレイザはロザリーの手からテスタメントを受け取ると先程と同じ表情のまま、淡々と語った。
「そう。これがテスタメント――ルシファ様復活までの間、愚かな人間共を欺く、偽りの契約です」
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