第百三十三章 救世主

 しんしんと降り積もる雪の中。目の前の悪魔は敵意のない柔らかな微笑みを浮かべていた。


 ――ケオス=マキナ!! 聖哉がバラバラにした筈なのに!!


 此処は捻んだゲアブランデ。竜人が言っていたように聖哉と私が現れなかったとすれば、ケオス=マキナも生きている。そうは分かっていても、かつて殺した筈の魔物が傍にいるのは不気味でしかなかった。


 剣を抜き、いつでも斬りかかれる体勢の聖哉を見て、ケオス=マキナは赤い舌を出して唇を舐めた。


「まぁ怖いわー。仲良くしましょうよー」 


そんな聖哉とケオス=マキナとの間にフラシカが割って入る。


「ゆ、勇者様! 剣をお納めください! 先程言った通り、我々と悪魔は協力しているのです!」

「そーよ、そーよ、そーなのよー。憎たらしい竜族を倒す為にねー」

「……悪魔など信用出来るものか」


 用心深い聖哉じゃなくとも、私も同じ気持ちだ。セルセウスも聖哉の背後に隠れながら、コクコクと頷いている。


「確かに信じられないのも無理からぬことかも知れません。……ケオス=マキナ。アレは今、お持ちですか?」

「ええ、持ってるわよー」


 ケオス=マキナが胸元から取り出したのは、古びた一枚の紙だった。フラシカがそれを私達に見せるように向ける。中央には魔法陣と血のように赤い文字が書かれていた。


「『悪魔は決して人に危害を加えない。命を懸けてこの盟約を誓う』――古代文字でそう記されております」

「ふふ、これはねー。テスタメント人魔協定と呼ばれるものなの。元魔王軍参謀キルカプル様が作ったのよー」

「き、キルカプルって……!」

「道具屋の店主に化けていたドワーフの魔物か」


 聖哉は顔をしかめる。ヴァルキュレ様の破壊術式ヴァルハラ・ゲートを使ってようやく倒した死神クロスド=タナトゥス! アイツを呼び出した四天王だわ!


「そんな契約書、ますますもって信用出来ん」

「疑い深い勇者さんなのねー。いい? これは魔力の宿りし盟約。万が一、背いて人間を殺したら、その悪魔も死んじゃうのよー」


 確かに凄まじい魔力が盟約から溢れているのを感じる。念の為、私は鑑定スキルを発動し……そして確信する。ケオス=マキナの言ったことに噓はない。『盟約に背けばその悪魔の命は奪われる』とある。最高神ブラーフマ様から渡された召喚リストの文言通り聖哉が呼び出せなかったように、膨大な魔力や神力で作られた契約書はそれ自体が大いなる拘束力を持つのだ。


 ……なのに聖哉はまるで信用していなかった。


「こんなものいくらでも文面を書き換えられる」

「無理なのよー。一度書いた盟約は書き換えられないのー」

「どうせいざとなれば、力ずくで破棄するつもりだろう?」

「この盟約を壊すことは絶対に出来ないわー」

「ほう。ならば、そこに置け」


 地面に置かれた盟約をしばらく眺めた後で、聖哉は皮手袋を付けて両手に取った。


「……ふんっ」


 少し力んだ声を出す。どうやら盟約を破こうと力を入れているようだ。だが薄い紙は微動だにしない。


ステイトバーサーク・フェイズセカンド状態狂戦士・第二段階


 呟くと同時に聖哉の体から、ぶわっと赤黒いオーラが拡散される! ケオス=マキナとフラシカが後ずさった。


「へーえ! これが勇者の力なのねー!」

「凄まじいですな……!」


 二人が驚いている最中も聖哉は紙を破こうと全力を傾けていた。しかし一分間、格闘しても盟約は一ミリも破けない。それでも、


「……マキシマム・インフェルノ爆殺紅蓮獄

「……破壊術式其の一ファースト・ヴァルキュリエシャタード・ブレイク掌握圧壊


 上級火炎魔法に続いて破壊術式を繰り出すが、盟約には傷一つ付かない。


「せ、聖哉! ケオス=マキナの言ってることは本当よ! この盟約は破れないわ!」

「ふふふ。ねー? 何をしたって無理でしょう?」


 楽しそうなケオス=マキナを聖哉が睨む。


「いや、まだだ……! 天獄門を使えば、砕け散るかも知れん……!」

「!? そしたら聖哉も砕け散るじゃん!! 何でそんな必死になってんの!?」


 聖哉的によっぽど悔しかったのだろう。「フン」と鼻を鳴らすとそっぽを向いた。どうやら流石に諦めてくれたようだ。いやまぁ、アホじゃないんだから紙一枚破るのに命まで使わないよね……。


 そんな聖哉を見かねたのか、フラシカが引き攣った笑顔を見せる。


「ゆ、勇者様、論より証拠です! 私達と悪魔は長らく争い無く、暮らしております! それにこの盟約締結の際には賢者達が慎重に議論を重ね、文言を隅から隅まで調べ尽くしました! 魔王級の魔力を持つ者だろうが、この契約を破ることは出来ないのです!」

「何と言われても、俺は信じないからな」

「聖哉! 話が進まないから、この辺で! ……ねえ、フラシカさん! これからロザリーに会わせてくれるのよね?」

「ええ。そのつもりです」


 すると聖哉が舌打ちした。


「ならば早く会わせろ。時間の無駄だ」

「!? いやアナタが盟約のところで長いこと引っ張るから……!!」

「勝手な勇者さんねー。じゃあ姫のところに案内するわよー。付いてきてー」


 ケオス=マキナの後を私達は少し距離を取って歩いた。朽ちそうな木造の家々の周りで、人と悪魔が協力して雪かきをしているのが視界に入る。


 ――ホントに一緒に暮らしてるわ。何だか奇妙な光景ね。


 不意にケオス=マキナが振り返ってセルセウスを眺めた。


「さっきから気になっていたのだけど……アナタはお付きの人なのかしらー?」

「!? 俺も神だけど!!」

「えー? ホントー?」

「ホントだよ! 神気で分かるだろ!」

「へぇー、そーなんだー。神なんだー。よかったねー」

「バカにしてない!? ねえ!?」


 セルセウスと会話しているケオス=マキナを見て、私は聖哉に囁く。


「確かに殺意なんかは感じないわね。セルセウスのこと、小馬鹿にはしてるけど」

「油断するな。リスタ。奴のステータスを透視してみろ」

「えっ?」


 聖哉に言われて私は能力透視を発動した。


 


 ケオス=マキナ

 Lv87

 HP156749 MP8578

 攻撃力145871 防御力142180 素早さ135789 魔力6666 成長度845

 耐性 風・水・火・土

 特殊スキル 魔剣(LvMAX)

 特技 デモニック・カースド魔神呪殺剣

 性格 残忍




「……見たか? 以前の奴よりずいぶん能力値が高い」

「本当だ! 何で?」

「此処は捻れた世界だ。神域の勇者がステイト・バーサークを限界を超えて高めたように、本来は無かった力を手に入れたのだろう」

「一体どうやって……?」

「知るか。とにかくこれから何が起ころうが、誰に会おうが気を緩めるな」

「も、勿論よ!」


 ケオス=マキナの性格は残忍のままである。言われるまでもなく、町にいる悪魔達を警戒するつもりだったが、聖哉は私に厳しい目を向けていた。


「俺の言った意味が本当に分かっているのか? 『誰に会おうが』だ」

「へっ?」

「……着きました」


 聖哉との会話の途中、フラシカが私に指し示したのは廃墟のような掘っ立て小屋だった。


 ――こんな所にロザリーがいるの?


 ロザリーはロズガルドの王女である。かつてのように城にでも住んでいるのだろうと思っていた。


 案内されて小屋の中に入る。中は思ったよりは広く、たき火を囲いながら、煤けた顔の兵士達がたむろしていた。その真ん中に一人の女性がいる。フラシカが、私達が女神と勇者だという説明をしている最中、女は鋭い目で私を睨んでいた。だが、その目は片方だけだ。左目は黒い眼帯で覆われている。


「も、もしかして……アナタがロザリーなの?」

「いかにも私がロザリー=ロズガルドだ」


 確かに声はそのままだった。だが、美しかった蒼髪は真っ白に染まっている。それに薄汚れた鎧に眼帯、くたびれた顔。まるで別人のように思えてしまう。それでも見知った人間に出会えて私は安堵して話し掛けた。


「苦労したのね、ロザリー。随分大人びて見えるわ」

「おかしな口ぶりだな。アナタとは初めて会うが?」

「そ、そっか! ごめんなさい!」

「それに齢三十は充分、大人だと思うがな」

「え……三十才、超えてるの?」


 アレッ!? ロザリーって、もっと若くなかったっけ!?


 私の隣で聖哉が呟く。


「どうやら時間すらも捻れているようだな。それ故に『けロザリー』となっているのだ」

「……誰が『老けロザリー』だ」


 ロザリーが聖哉を睨む。不穏な気配を察知して、フラシカがロザリーに告げる。


「こ、こちらの女神様と勇者様は、あの炎天竜ヒュドラルを倒されたのです!」


 少しを眉根を上げたロザリーだが、やがて「ふう」と大きな溜め息を吐いた。


「どうせなら人類危急存亡の時に来て頂きたかったものだ。今更、勇者と女神になどに用はない」

「き、来たのよ! 私と聖哉はゲアブランデで魔王を倒したの!」

「言っている意味が良く分からないのだが?」

「だから、えっと……このゲアブランデは本当のゲアブランデじゃなくて、」

「此処がゲアブランデでなくて何処だというのだ」


 説明しかねていると、聖哉が片手を伸ばして私を制した。


「無駄だ、リスタ。このロザリーは俺達の知っている女ではない。年も……そして性格も能力値もな」


 聖哉がロザリーを見る目に光が宿っていることに気付く。私も慌ててステータスを透視してみる。




 ロザリー=ロズガルド

 Lv68

 HP127542 MP9865

 攻撃力175415 防御力158644 素早さ165431 魔力857 成長度72

 耐性 火・水・氷・闇・毒・麻痺

 特殊スキル 闇の加護(Lv9)

 特技 暗黒刺突ダーカー・スラスト

 性格 虎視眈々




 ――つ、強い! それに……『闇の加護』? 何だか以前見たロザリーのステータスと全然違う気が!


 私と聖哉が能力透視していることを知っているように、ケオス=マキナはくすくすと含み笑った。


「驚いたー? 姫は私より強いのよー」

「一体どうしてこんな力を……?」

「まぁ『悪魔の恩恵』と言ったところかしらねー」

「悪魔の恩恵?」


 ロザリーが厳しい目を向けると、ケオス=マキナは押し黙った。詳しく知りたかったが、ロザリー的にあまり語りたくない内容のようだ。


「まぁ良い。まずは本当のゲアブランデと、どのくらい時間差があるのか確かめたい」


 聖哉はそう呟くと、ロザリーに尋ねる。


「お前達が魔族と手を組んだのはいつの話だ?」

「神竜王が魔王を倒し、竜族の支配が始まってから三年後だ。それから十年、我々は竜族を滅ぼす為、互いに協力している」

「勇者が現れなかった世界……! 更に十年以上もの時間が経ってるのかよ……!」


 私同様、驚いたセルセウスが背後で呻くような声を上げた。


「我々はただ臆病に逃げ回っているだけではない。この町を拠点に移動魔法陣を展開し、隙を狙いつつ幾多の竜人達を葬ってきた。……無論、我々の被害も甚大だったがな」


 ロザリーが辛い過去を思い出すように、ギリッと歯噛みする。


「神竜王の力は想像を絶する。元魔王軍参謀であるキルカプルが命を賭して召喚した超概念の死神クロスド=タナトゥスですら、神竜王の剣の前に打ち砕かれたのだ」

「!! あのタナトゥスが!?」


 聖哉の手に負えず、神界でヴァルキュレ様の最大奥義・天獄門を使ってようやく倒したタナトゥス!! 神竜王はアイツを自力で倒したっていうの!?


「それでも我々は神竜王を倒さなければならない。その為に長い歳月を掛けて準備をしているのだ」

「じゅ、準備って?」


 私が聞き返したちょうど、その時だった。


「失礼いたします!!」


 人間の兵士が小屋に飛び込んできた。息せき切ってロザリーに報告する。


「ま、ま、魔封岩まふうがんに……魔封岩に、ヒビが入りました!!」


 途端、ロザリーを囲う兵士達が興奮に満ちた顔を見せる。


「つ、遂にヒビが……!」

「我らの悲願は近い!」

「ああ、あと少しで救世主が復活される……!」


 ロザリーは黙ったまま、こくりと大きく一つ頷き、私と聖哉を見た。


「ヒュドラルと手下の竜人達を倒してくれたことには礼を言おう。お陰で復活が早まったようだ」

「は、早まったって?」


 ケオス=マキナが愉悦に満ちた声で笑う。


「十年以上の苦労を得て、ようやく復活するのよー! 前魔王をも超える伝説級の悪魔がね……!」

「!! 伝説級の悪魔!? ろ、ロザリー!! アンタ、そんな危なそうな奴を復活させようとしてるの!?」

「全ては神竜王に対抗する為だ」

「だからって!!」


 途端、ロザリーの片目が私を睨め付ける。


「アナタは竜族がどれほど恐ろしい存在か知らないのだ! 奴らは盲信する聖天使教の教えに従い、人間を残虐に殺す! 私の父ウォルクス=ロズガルドは、生きたまま臓物を抉り取られて殺されたのだ!」

「そんな……! 戦帝が……?」


 激昂した自らを落ち着かせるように、ロザリーは眼帯をいじる。


「もうじき最後の聖戦が始まる。我々、人魔連合軍と竜族との、な」

「じゃ、じゃあ、とにかくその戦いに私と聖哉も参加するわ!」

「神竜王ドラゴナイトの力は、とうに人間が太刀打ち出来るレベルを超えている。勇者とてどうにもなるまい」

「でも、聖哉は狂戦士化も出来て、実際ヒュドラルにだって圧勝、」

「結構。これは十数年に及ぶ、我々の戦いなのだから」


 不意に聖哉が私の肩をぐいと引いた。


「よせ、リスタ。本人がやりたいと言っているのだ」

「だ、だけど……!」


 その神竜王ドラゴナイトこそ捻じ曲がったゲアブランデの原因! 私と聖哉にとっても絶対に倒さなくちゃならない敵なのよ?


 だが、聖哉は私の耳元で囁く。


「神竜王と人魔連合軍――同士討ちでもしてくれれば、しめたものだ」

「!! アンタ、そんな姑息なこと考えてんの!?」

「戦わずに勝つのがベストだと、いつも言っているだろう」

「聖哉は勇者なんだよ!? そんな考え方って……ねえ、セルセウスも何とか言ってよ!!」

「いや、そりゃまぁ、そうっすよね!! 同士討ちになったら楽っすよ!! 俺、大賛成っす!!」

「!? お前……!! いや、お前ら……!!」


 私が不道徳な勇者とクソみたいな男神に呆れている最中、ロザリーは真剣な顔で天井を見詰めていた。


「『悪魔と共に生き残る』――その決断から十余年。私の右腕バトにカルロ爺……仲間は大勢死んだ……。だが、ようやく苦労が報われようとしているのだ……」


 静かに語るロザリーだが、その体から発する迫力に思わず私は唾を飲み込む。仲間も父も殺され、長い歳月、耐え忍んできた思いは一体どれ程なのだろう。私には想像も付かない。


「倒す! 必ず倒す! 残虐にして冷酷、我々人類と魔族の宿敵にして最大の災禍――」


 憎悪を込めて、ロザリーは言葉を続ける。

 

「神竜王マッシュ=ドラゴナイトを……!」


 えっ……マッシュ……?

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