第百三十四章 他人任せ
「あのロザリー……マッシュって?」
「マッシュ=ドラゴナイト。それが神竜王の名だ」
マッシュと聞いて私の脳裏に浮かぶのは、鳶色の髪にバンダナを巻き、いつも元気で明るい男の子の姿だった。
悪魔の本性をさらけ出したように、ケオス=マキナの瞳が獰猛な光を放つ。
「一緒に育ったメスの竜人ですら自分の剣に変え、数え切れない程の悪魔や人間を殺した竜人よ……!」
――一緒に育った竜人!! それってエルルちゃんのことじゃ!? つ、つまり剣は……聖剣イグザシオン!!
何かの間違いであって欲しいという私の願いは打ち砕かれた。もう間違いない! 神竜王はあのマッシュ! そして……何てこと! エルルちゃんはもうこの世には……!
狼狽える私とは逆に、聖哉は落ち着き払った声でロザリーに尋ねる。
「確認だが、そのメスの竜人とやらの名前は『エルル』で間違いないか?」
「ああ。死んだ後も奴らが聖天使と崇めているご神体だ」
私にとっては戦慄と驚愕の事実。それでも聖哉はまるで驚いていなかった。
「予想は出来た。死神タナトゥスや天獄門を二度使ったあの魔王を倒せるとすれば、聖剣イグザシオン以外にはあるまい」
「じゃあ本当にマッシュがエルルちゃんを……」
『殺した』そのセリフが私は恐ろしくてどうしても言えない。頭の中はパニック状態だ。それに、いくらイグザシオンが使えたからってマッシュがあの魔王を倒したっていうの? そもそもイグザシオンって勇者のみが扱える剣じゃなかったっけ?
聖哉が小さく息を吐く。
「この捻曲世界を元に戻すには、マッシュを止めねばならんということだな」
「あ……う、うんっ!」
聖哉の一言に私は大きく頷く。そ、そうよ! 聖哉の言う通りだわ! 倒すんじゃなくて止めてあげなきゃ!
私達は本当のマッシュを知っている。勝ち気なところはあるが素直な良い子だ。だが、私と聖哉が現れなかったゲアブランデで、マッシュは苦難を一身に背負い、おかしくなってしまったのかも知れない。私はそんなマッシュの暴挙を止めてあげたかった。しかし、このことを今、ロザリーに言ったところで意味はないだろう。
「そういう訳なら尚更協力するわ、ロザリー! 私達も一緒に戦うわよ!」
「……先程、断った筈だが?」
「聖哉は強いの! 人魔連合軍の大きな戦力になる筈よ!」
「ヒュドラルを倒したことは確かに賞賛に値する。だがこの十年、我々も幹部クラスの竜人討伐に成功し、その数を半分にまで減らしている。極端な話、ヒュドラル程度の竜人なら私とケオス=マキナが力を合わせれば倒せなくはない」
「ロザリーが? いや、それはいくらなんでも……」
私が知っているロザリーは、向こう見ず聖哉のように大言壮語する『世間知らずな姫』といった感じだった。だが目の前にいる女性から発するオーラに私は息を呑む。
――う、うーん、このロザリーってば確かに凄い迫力! 実際、能力値も人間とは思えないくらいあるし……!
躊躇っている私を尻目に、ロザリーはケオス=マキナの肩に手を乗せた。
「それより魔封岩の様子を見たい」
「ええ。行きましょう、行きましょうー」
「ちょ、ちょっと!? 待ってよ!!」
私達を置いて歩き去ろうとしたので、私は慌ててロザリーの後を追ったのだった。
「……すみません。姫の失礼な振る舞いをお許し下さい」
雪を踏みならして歩くロザリーとケオス=マキナ。少し離れてその後を続く私達に、フラシカが頭を下げてきた。私は苦笑いした後、尋ねる。
「フラシカさん。ロザリーは一体どんな魔物を復活させるつもりなの?」
「ルシファ=クロウ。かつて魔王がその存在を怖れ、強力な闇の力を用いて封印した伝説級の魔物です。特技は魔法弓。ルシファ=クロウの矢は、エイネス平原からグラストラ山まで届いたと言われています」
「そ、そんな危なそうなの復活させてホントに大丈夫なの? 人間に襲い掛かってきたりするんじゃ……」
「確かに復活したルシファ=クロウに今の私達人魔の状況を理解させるのは難しいかも知れません。しかし、いざとなれば
「はぁ……」
聖哉の力を持ってしても傷一つ付かない盟約を、心のよりどころにしているようだ。ふと、セルセウスが「うーん」と唸っていることに気付く。私は小声でセルセウスに囁く。
「やっぱりアンタもおかしいと思うわよね? 魔王が恐れた魔物を復活させるなんてさ」
「いや……っていうか、マッシュって俺が昔、教えたあのチビッ子だろ? それがこの世界を支配する残虐な奴ってのがどうも想像つかなくてな」
「ああ、その話か。そりゃあまぁ、私だってそうよ」
「あのマッシュなら、話し合えば何とかなるんじゃないか?」
「うん。悪い奴に操られてるのかも知れないし、倒すってより私達がマッシュの目を覚まさせてやるって感じね。……ねっ、そうだよね、聖哉!」
私は微笑むが聖哉は無言で歩き続けていた。
「あれ? 聖哉?」
そうこうしている内に、ロザリーが石造りの大きな建物の前で足を止める。みすぼらしいこのイグルの町では立派な建造物だ。入口付近で槍を持った牛頭の悪魔がロザリーに敬礼した。
フラシカに続いて、中に入って驚く。様々な容姿の悪魔達が、全長五メートルはあろうかという黒く巨大な物体を守るように囲っていたからだ。
「あ、アレが魔封岩?」
それは岩と言うより水晶だった。漆黒の表面には細かい亀裂が走っている。まるで卵のように、もうじき中から何かが孵化しそうな感じである。
ロザリーは亀裂を見て、コクリと頷くと傍にいた一体の悪魔に尋ねる。
「復活まで後どのくらいかかる?」
「およそ百程かと」
「そうか。百か。遂にここまできたか」
ケオス=マキナが楽しそうに手を叩いた。
「この様子じゃあ、デモンズ・ソードの遠征が終われば、きっとルシファ=クロウ様の復活が成就するわよー!」
ケオス=マキナの言葉にその場にいた悪魔達から野太い歓声が上がった。魔封岩の周りで色めき立つ悪魔と、ひび割れた魔封岩から発する禍々しいオーラ――私はイヤな予感しかしない。
「あの……やっぱりこんなの復活させない方が良いと思うけど……」
おずおずとロザリーに告げる。すると、辺りの空気が一変し、ロザリーは顔色を変えた。
「ルシファ=クロウ復活は長年に渡る我々、人魔共通の悲願だ!」
「だ、だから、そんなことしなくても聖哉が、」
「えぇい! 勇者などいらんと言っている!」
そして恐ろしい顔付きで私の胸ぐらを掴んできた。
「ひっ!?」
「今更ゴチャゴチャと!! ならば何故、十三年前、人類危急存亡の時に来てくれなかった!! もはや全てが手遅れだ!!」
『来たのよ!』とは言えない。何と言い繕おうが、この捻れたゲアブランデに私と聖哉が現れなかったことは事実なのだ。
「勇者も女神もいらぬ! それに、」
ロザリーは私から手を放すと、隣でオタオタしているセルセウスを指さした。
「あのような普通の人間の戦士など、何の役にも立たん!」
「!? 失礼だな!! 俺は神だ!! 大体いくら能力値が高くたって、お前こそ普通の人間だろ!!」
「……人間はもう止めた」
「あぁん!? 何言ってんだ、この女!!」
食って掛かるセルセウスを無視するように、ロザリーはぼそりと呟く。
「
刹那、掲げたロザリーの右腕は鋭利な爪を持ち、黒と赤が入り乱れる、まだら色の腕に変化する! そこから立ち上るのは――
「!! うおっ!? 邪気だ、怖いっ!!」
何もされていないのに、まるで攻撃でも喰らったようにセルセウスが大きく飛び退いた。そして地面を数回転がった後、匍匐前進で私の背後にそそくさと隠れる。いや、剣神なのにどんだけビビリなのよ!?
ロザリーの隻眼が、醜く変色した自らの腕を眺めていた。どことなく自嘲気味に笑う。
「悪魔の力を人の身に宿す――元魔王軍四天王デスマグラの技の応用だ。竜人に対抗する為、私はこの力を手に入れた」
デスマグラって……一万体ものアンデッドを作ったり、物理攻撃や氷以外の魔法無効の怪物ダークファイラスを作った奴じゃない!
「ロザリー!! アナタ、そんなことして体は平気なの!?」
「さぁな」
「さぁな、って!」
「私の体など、どうでも良い。たとえこの身が闇に堕ちても神竜王を倒す。アナタ達とは覚悟が違うのだ」
凄まれて私は二の句が継げない。周りの悪魔達もロザリー同様、私と聖哉を睨んでいる。ピリピリと、きな臭い雰囲気の立ちこめる広い廃屋で、ケオス=マキナがニコリと微笑んだ。
「もう、姫ったらー。そんなこと言っちゃダメよー。勇者と女神様がせっかく力になろうとしてくれてるのにー」
そして数秒、ロザリーと向かい合う。ハッと何かに気付いたようにロザリーが私に頭を下げてきた。
「失礼した。アナタ達がもっと早くゲアブランデに来てくれていたらと思うと、つい……アナタ方にはアナタ方の事情があったのだろうな」
「え、ええ……まぁ……」
「無礼な行いを許してくれ。アナタ達が貴重な戦力と言うことに疑いはない」
へぇ……ケオス=マキナに諭されて、ちょっと落ち着いたみたい。ホントに人と悪魔の信頼関係が成り立ってるんだわ……。
「女神に勇者よ。我々、人魔連合に協力してくれるか?」
「うん! 喜んで!」
私が安堵してそう言った途端、聖哉がキッと厳しい顔を見せた。そして、
「
言うや、聖哉の体からバサバサバサと火の鳥が十数羽飛び立ち、廃屋の中を徘徊する!
「!! せ、聖哉!? いきなり何で!?」
私のみならずロザリーや悪魔達も仰天して身構えるが、聖哉はさらりと言う。
「此処は寒かったからな。暖かいだろう?」
ロザリーは片方の目を大きく見開き、飛び交う沢山の火の鳥を見詰めていた。
「ま、まぁそうだな……。確かに熱気で暖かくなったような……」
ロザリーは『解せぬ』といった顔だが……私も意味が全く分からない!! 寒かったから、オートマティック・フェニックス!? 一体どういうこと!?
しかし多く語るまでもなく、聖哉はロザリー達に背中を向けた。
「まずはこの町の道具屋や武器屋などを見てみたい。……行くぞ」
「ちょ、ちょっと! 待ってよ、聖哉!」
呆然とした顔付きのロザリーを残し、私とセルセウスは聖哉を追って廃屋を出たのだった。
「……お、おい!! アレは何だ!?」
「炎の魔法鳥か!?」
「あの人、どうしてそんなものを沢山引き連れているんだ!?」
聖哉が歩く度、イグルの町の人々と悪魔が驚いて振り返る。それもその筈。オートマティック・フェニックスが数十羽、バッサバッサと私達の周りや頭上を飛んでいた。私とセルセウスは「オホホ。この鳥、とっても暖かいんですよ」とか、「まぁペットみたいなもので。わはははは」とか訳の分からない言い訳をしながら聖哉の後ろを歩いていた。だが、ようやく
「ね、ねえ、聖哉。そんなに寒いなら道具袋から外套でも出そっか? 確かあったと思うけど……」
「いらん。実際、別に寒くなどない」
「へっ!? じゃあ何で!?」
「オートマティック・フェニックスは自衛の為の手段だ」
「自衛?」
「先程、俺が言った意味がやはり良く理解出来ていないようだな。『誰に会おうが気を緩めるな』と言ったろう。無論、ロザリーに対してもだ」
「ま、まさか……ロザリーが私達を襲うって言うの!?」
「可能性はある。あれほど怒っていたのにケオス=マキナと話した後、あからさまに態度が変わったからな」
「けど、敵意なんかは感じなかったよ?」
「先程ロザリーは悪魔の腕を発現した。しかしステータスには『
「た、確かに! アレって特技とか呪文とかそういう類じゃないのかも……」
「同じように敵意も隠しているのかも知れん。ともかく油断は禁物だ」
直情的な性格のロザリーが私達を欺くなんて考えがたい。しかし、この世界のマッシュやロザリーは私達の知っている二人ではない。
――聖哉の言うことも一理あるわ! もし本当にロザリーがマッシュみたいにおかしくなってるんなら、同じように『止めて』あげなきゃ!
私はそう思っていたのだが、聖哉は氷のような眼差しを空に投げ、きっぱり断言する。
「捻曲ゲアブランデ攻略の障害となるなら、マッシュは無論、ロザリーもブチ殺す」
「!! えええええええええええええええ!? 止めるんじゃないの!?」
「うむ、止める。息の根を確実にな」
「!? 止めるって、息の根だったんかい!!」
とても勇者とは思えない台詞に私は叫んでしまうが、聖哉の顔は真剣そのものだった。逆に激しく睨み返されてしまう。
「お前こそ先程から何を言っているのだ? 冥王の言葉を全て信じた訳ではないが、それでも俺自身、死皇戦で捻曲世界を体験した。此処がメルサイスが作った幻の世界なのは、疑いようのない事実。そしてマッシュがこの世界の捻れの原因ならば殺す――それだけだろうが」
「うっ……」
「本物のマッシュやロザリーの為に必要なことは、この捻じ曲がった幻想世界を一刻も早く砕いてやることだ」
正論にぐうの音も出ずにいると、聖哉が遠い目でロザリー達がいた方角を指さした。
「……そう。アイツら、人魔連合軍がな」
「!! 聖哉がやるんじゃないんだ!?」
「本人達がやりたがっているのだから、任せておけば良かろう。老けロザリーと悪魔共がマッシュを倒してくれれば完璧ではないか」
「じゃ、じゃあ聖哉は一体何すんの?」
「そうだな。『この町を守る』などと適当なことを言っておき、その間にメルサイスに対抗する方法を研究する」
「ってことは、もしかしてまた冥界に帰ったり!?」
「うむ。だがその前に町を散策しておく。たいして得るものはないだろうが、念の為だ」
そうして聖哉は町の中心に向かって歩を進めていく。大きな背中を眺めながら私は溜め息を吐いた。
「はぁ。完全に他人事だなぁ」
するとセルセウスまで不思議そうな顔で私を見てきた。
「でも、考え方として間違ってないと思うぞ? この世界で何が起ころうが放っておきゃあいいんだよ。どうせメルサイスの作った幻なんだから」
「そうかも知れないけど……」
セルセウスに半ば同意しながら、私はどうも腑に落ちない。
――本当にこのまま傍観してて良いのかなあ?
……聖剣イグザシオンを使い、この世界を牛耳る神竜王マッシュ。それに対抗すべく、伝説級の魔物ルシファ=クロウを蘇らせようとしている人魔連合軍。おそらく双方の決戦は近い。
聖哉はまるで我関せずな状態だったが、捻れたゲアブランデは今まさに風雲急を告げようとしていた。
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