第百二十七章 胎動

 冥王ハティエスの放った衝撃的な言葉に、私は叫ぶようにして尋ねる。


「し、し、神界が滅んだって、どういうことですかっ!?」

「創造神にも匹敵する凄まじい暴虐の力によって、三千世界は全て歪められたのである。そしてその爆心地となった神界は、神々もろとも消えたのである」


 ――そ、そんな……!!


「無論、冥界にも多少の余波はあった。神界と冥界、互いの空間が捻れた故、本来なら絶対侵入不可能の冥界に、そち達が足を踏み入れておるのである」

 

 冥界の王は、イシスター様のように千里眼を持っているのだろうか。まるで全てを見通しているかのように淀みなく語った。愕然とする私の隣でセルセウスが地団駄を踏む。


「クソッ!! じゃあ、カフェ・ド・セルセウスも潰れちまったのかよ!!」

「バカ!! そんなことより、アリアにイシスター様にアデネラ様……みんなみんな消えちゃったのよ!!」

「そ、そうか……そうだよな。うううっ……これからどうしよう……!」


 頭を抱えて落ち込むセルセウスの肩に、聖哉が手をやった。


「セルセウス。カフェのことは気にするな」

「せ、聖哉さん? ひょっとして、俺を慰めて……?」

「あれは放っておけば、そのうち経済的にも潰れていた筈だ」

「!! 畳みかけるように酷いこと言わないでくれる!?」


 セルセウスは泣きべそを掻いていたが、今の私には構う余裕などない。神界が滅んだ。私の愛する神々も、帰る故郷も同時に無くなってしまったのだ。


 ――アリアぁ……! イシスター様……!


 絶望的な状況に私とセルセウスは動揺しまくっていた。だが、こんな時でも聖哉は冷静だった。


「リスタ。会ったばかりの奴の話を鵜呑みにするんじゃない」

「りゅ、竜宮院様! 三千世界全てを見通す冥王様の前でそのような口の利き方は!」


 聖哉の暴言にウノポルタが慌てる。それでも聖哉は私とセルセウスを指さし、冥王に厳しい目を向ける。


「神界には『魂の保管庫』があると聞いている。もしも本当に神界が滅びたのならコイツらも消えて無くなっているのではないか?」


 あっ……! そっか! 言われてみれば確かに! 


 冥界の王と名乗る者から、神界が滅んだと聞いて、私もセルセウスもすぐに信じ込んでしまった。だが聖哉の言葉にハッとして、少しの落ち着きを取り戻す。


 聖哉に詰め寄られた冥王は含み笑った。


「語弊があったようであるな。暴虐の力によって神界が歪められ、消え去ったのは事実。しかし正確に言えば、神界は未だ『我々がいる次元とは異なる次元に存在している』のである。魂の保管庫も他次元にあるが故に、そち達は存在しているのである」


 ――異なる次元に存在している!? よく分かんないけど、ってことは……


「じゃあ、もしかしてその歪みってのを直せば、神界は元に戻るんですか!?」


 僅かな希望を感じて叫ぶと、冥王は小さく頷いた。


「神界を含め、歪んだ三千世界全てを元に戻す方法は単純かつ明快。それは、暴虐の神メルサイスを倒すことである」

「な、ならメルサイスは今、何処に!?」


 冥王は静かに目を閉じてから口を開く。


「異世界キルソーサ――いや今は『捻曲キルソーサ』というべきか。メルサイスは、そこにて君臨しているのである」

「捻曲キルソーサ! その異世界に行ってメルサイスを倒せば!」


 きっとアリアやイシスター様も蘇るんだわ!


「しかしながら、捻曲キルソーサに辿り着くことは容易ではないのである。そち達、神々が自由に出せる異世界への神門しんもんも歪みのせいで、現在は正常に作用しないのである」

「あ……!」


 確かに冥王の言う通り、現状、私の出す門はゲアブランデと冥界を行き来できるだけ! これじゃあメルサイスを倒すどころか、異世界キルソーサに行くことだって出来やしない!


「な、何だよ。結局、神界は元に戻らないってことじゃないか……」


 セルセウスが苦々しげに呟くと、冥王は薄ら笑いを浮かべた。


「困難極まりないが、捻曲キルソーサに辿り着く方法はあるのである」

「そ、それって一体!?」

「難度S以上の捻曲世界を三つ、元に戻すことである。そうすれば、三千世界の歪みは緩和され、捻曲キルソーサへの神門は開かれるであろう。救世難度が高いということは、次元間に於いてその世界の持つ役割が大きいということ……全世界の運命を握る鍵である故に」

「難度Sの捻曲世界を三つ、元に戻す……?」

「一つは救世難度S+捻曲ゲアブランデ。二つ目に難度SS+捻曲イクスフォリア。そして最後に難度SSS捻曲ガルヴァオスへの門である。そち達と縁のある世界なら、捻れようが何とか神門を繋げることが出来るのである」


 い、イクスフォリアも捻れちゃってるんだ!? でも、


「さっき門を出しても、イクスフォリアに行けなかったんですけど……」

「今、この中で神門が繋がっているのは、一番難度の低いゲアブランデのみ。まずは捻曲ゲアブランデを救うのである。さすれば捻曲イクスフォリアへの門、その次に捻曲ガルヴァオスの門も開かれよう」

「な、なるほど!」


 うん? でも三つ目のガルヴァオスって異世界、聞いたことないけど……?


 ふと冥王を見ると、セルセウスに視線を送っていた。傍らにある杖でセルセウスを指す。


「剣神セルセウス。そちと縁のある世界がガルヴァオスなのである」

「えっ!! お、俺!?」

「捻曲イクスフォリアを救った後で、そちが前世で暮らした世界――ガルヴァオスへの門を開くが良かろう」

「俺が……人間だった時の世界……!」


 私も驚いたが、セルセウスはもっと魂消たまげたような顔だ。冥王は話を続ける。


「剣神セルセウスと治癒の女神リスタルテが助かったのも、この理由からなのである。端的に言って、そち達はさほど神々しくないからである」

「「えええええええ……!!」」


 ディスられたと思って絶句するが、冥王が言ったのはそういう意味ではなかったようだ。


「そち達は元々は人間。神界で生まれた純粋な神ではない故、歪みに呑み込まれなかったのである」


 ああー、なるほど! そういうことね! バカにされたんじゃなくて、よかった!


 そしてこれまでの冥王ハティエスの話を聞いて、私の心は少し明るくなっていた。


「とんでもなく長い道のりだけど、ちょっとは希望が出てきたわ! まずは捻曲ゲアブランデを救えばいいのよね!」


 だがセルセウスが首を捻る。


「いや、そもそも捻曲世界って何なんだよ?」

「……おそらく死皇戦の時のような感じなのだろう」


 聖哉がポツリと呟いた。イクスフォリアの死皇戦では、メルサイスの力により、『向こう見ず聖哉が魔王を無事に倒した後の世界』が再現されていた。


「要するにアレはこの時の下準備だった訳だ。用意周到な奴だな」


 聖哉が用意周到とか言うとちょっと変な感じだけど……そうか。あれが最初の捻曲世界。メルサイスはイクスフォリアにいる時から既に神界を滅ぼす準備をしていたんだわ。


 聖哉の言葉に冥王が頷く。


「星の数以上に数多ある並行世界に加え、時間軸さえも捻れている世界――それが『捻曲世界』である。捻曲世界はメルサイスにとって都合良く捻れているのであろう」


 私にはもう一つ、気になることがあった。独りごちるように呟く。


「それって神域の勇者が、ステイトバーサーク・フェイズフォース状態狂戦士・第四段階を会得してたのにも関係あるのかなあ……」

「メルサイスの元担当勇者であるか?」

「は、はい! そうです!」


 そんなことまで知っているなんて。冥王ハティエスの千里眼はイシスター様以上なのかも知れない。


「その者は本来なら、存在してはいないのである。かつて、神域の勇者の魂は粉々に砕かれ、消失したのであるから」


 あ、アリアも闘技場で同じ事を言ってたわ!


「だがメルサイスは暴虐の力を用い、『神域の勇者が存在している捻曲世界』から連れてきたのである」


 それってつまり『神域の勇者が生きていて、ゼトに第四段階を教えて貰った世界』から連れて来たってこと!? な、何だか、ややこしいわね!! 頭がこんがらがっちゃいそう!!


 ちらりと聖哉を窺うと、眉間にシワを寄せていた。


「仮に捻れた並行世界が何千、何万と存在しようが、人間が狂戦士化の第四段階など習得できるものなのか? 戦神ゼトは第三段階ですら人間には絶対に不可能だと言っていた。事実、俺はステイト・バーサークの危険性がよく分かっている」

「竜宮院聖哉。そちは素晴らしい才能の持ち主である。だが、神域の勇者は全てを逸脱する程の稀代の才能。そちが『一億人に一人の逸材』ならば神域の勇者は『一億年に一人の傑物』といったところである」

「!! い、一億年に一人!? それってやっぱり、聖哉より上ってことですか!?」

「神域の勇者は神界開闢かいびゃく以来、最強の勇者である。悪いが比較にならんのである」


 マジで!? そんな奴がメルサイスと一緒にいるっての!?


「しかしそれ程の才を持ちながらも、元の世界では狂戦士段階を三つ以上進め、そして魂は崩壊したのである」


 冥王は鋭く細い目を、高い天井へと向けた。


「朕にはメルサイスの無念が分からなくはない。神界に対する怨みもある意味、当然のこと。そして、その怨みの念が暴虐の神の真の力を覚醒させたのであろう。恐るべきは、億兆……いや那由他なゆたとある捻れた世界の中で、『神域の勇者が狂戦士化の後、未だに生きている世界』を見つけ出したこと。凄まじいばかりの執念なのである」


 そして目線を私達に戻し、にやりと笑う。


「メルサイスと共にいる神域の勇者は、人の形はしておるが、混沌とした狂気に魂を完全に犯され、とうに人間では無くなっておる」


 うう……メルサイスを倒すだけでも、とんでもなく大変そうなのに、そんな奴とも戦わなくちゃならないの!?


 不安に駆られて、私は聖哉の傍に近付いた。しかし見上げれば、聖哉はいつも通り淡泊な表情で冥王を見据えている。


「ふむ。それでは、今までお前が長々と喋ってきたことが真実だとしての話になるが……」


 !! この人、これまでの冥王の話、信用してないんだ!?


 疑り深い聖哉の性格に驚いてしまう。聖哉はそう前置きしてから冥王に質問した。


「まず第一に『捻曲世界を元に戻す』とは、具体的にどういうことだ?」

「その世界の捻れの原因を破壊し、正常にするということである」


 捻れの原因と聞いて、私は竜人が言っていたことを思い出した。


「そ、そういえば、捻曲ゲアブランデでは魔王を倒したのは聖哉でなく、神竜王だと言っていました!」

「捻れとは災禍厄難のようなもの。要はそち達がこれまでやってきたように、その世界を支配する諸悪の根源を取り除いてやれば良いのである」

「つまり神竜王を倒せば、ゲアブランデは元に戻る……!」


 やるべきことは分かった。目的も定まった。しかし聖哉はまだ訝しげな目を冥王に向けていた。


「それにしても、ずいぶんと俺達に協力的だな?」

「朕を含め、冥界の者は神界にいる神の力が必要なのである。それ故、神界に元に戻って欲しいと願うのである」


 ウノポルタも私に世話になっていたって言ってたよね? それって、どういうことなんだろ?


「あのー。冥界と神界って、どんな関係なんですか?」

「需要と供給――であるかのう」

「は、はぁ……」


 あまり意味が分からなかったので、もう少し詰めて尋ねたかったのだが、聖哉はそれより捻曲世界攻略に関して聞きたかったらしい。


「ちなみに捻曲世界にいる人間や魔物を殺せばどうなる? 元に戻った時、影響はあるのか?」

「死のうが殺そうが捻れた世界が戻れば生き返る――いや、何も無かったことになるのである」

「ほう、そうか。それが本当なら、安心して誰彼だれかれ構わず殺せるな」


 な、何だかテロリストみたいな物騒な話してるわ……! けど、これってきっと大切な事なのよね!


「そち達の旅は困難につぐ困難、至難につぐ至難の連続であろう。それでもまずは捻れたゲアブランデを救えねば、捻曲キルソーサに辿り着き、メルサイスを討ち、神界を元に戻すなどとうてい叶うまい」


 おもむろに冥王が玉座から立ち上がった。


「さぁさ、朕に見せてたもれ! 神運にて生き残りし二柱の神と、その勇者がどれだけ捻れた世界で藻掻けるのか! メルサイスの暴虐の力に、どこまで立ち向かえるのかを!」


 冥王ハティエスが鋭い爪のある片手を掲げる。それはまるで捻曲ゲアブランデ攻略開始の合図のようだった。しかし……


「断る」


 私の勇者はハッキリとそう言い切った。


「せ、聖哉!?」

「準備もせずに、いきなりそんな捻れた異世界に行けと言われて行けるか」


 ああっ! この台詞、なんだかちょっと懐かしいような!


「現在、俺のレベルは初期化されている。破壊術式の初歩とステイト・バーサークのやり方は覚えているが、その他の特技は全て消えた」

「で、でも狂戦士化はできるんだ! よかったじゃない!」


 魂に刻まれているという破壊術式と狂戦士化が残っていたことに私は喜んだのだが、聖哉は険しい顔だ。


「何を言っている。現在の低い攻撃力が、たとえ二倍三倍になったところで意味などない。根本的にレベルの底上げをしなければ話にならん」

「じゃあ一体どうするの?」


 しばらく黙った後、聖哉は言う。


「今後、冥界を捻曲世界攻略の拠点とする」

「!! マジで!? こんなところが拠点なの!?」


 聖哉の言葉に驚いて叫んでしまう! すると、冥王がぴくりと眉を動かした。


「『こんなところ』であるか?」

「い、いえ、すいません! こんな素敵なところという意味ですわ! オホホホホッ!」


 ヤッベー! 下手なこと言えねえわ!


「俺達の最終目的はメルサイスを倒し、神界を元に戻すことなのだろう? メルサイスは神界を滅ぼす程の力を持っている。そして奴の勇者もまた強力無比。そんな異常な敵に対抗するには、こちらも異常なる方法を持って臨むしかあるまい。つまり、」


 聖哉の目が鋭く尖る。


「此処、冥界でその端緒を見つける。いや見つけなければならない」


 冥王が「くっくっく」と笑い声を上げた。


「捻曲ゲアブランデ攻略よりも、メルサイスとの最終決戦を既に見据えておるのか。流石に思慮深い。そして、その性格こそがそちの長所であるな」


 うわ!! 聖哉の性格まで見通してるんだ!?


「冥界の時間の流れは地上と比べ、どうなっている?」

「神界に準じているのである。つまり異世界との時間差は百分の一である」

「それでは、ゆっくりと滞在できるな」

「くくく。人間と神が冥界で暮らすというのであるか。前代未聞だが、面白いのである」


 冥王は笑うが私は気が気ではない。ちょ、ちょっと!! 本当に冥界で暮らすつもりなの!? 神界みたいに安心できるとこじゃないわよ、絶対!!


 私の予感はすぐに的中する。冥王が私とセルセウスに目を向けた。


「しかし、神にとって此処での暮らしは大変である。場合によっては存在が耐えられなくなる程の辱めを受けることになるのである」

「は、辱め!?」

「おいおい!! 何だよ、それ!!」


 私とセルセウスが血相を変えるが、


「構わん。俺には関係ない」

「「!! いや、ちょっとォォォォォ!?」」


 聖哉の即答に二人同時に絶叫する。すると今まで黙って佇んでいたウノポルタが顔を赤く染めた。


「神が冥界に滞在……! うふふふふ……! それは素晴らしい……ああ、何て素晴らしいことなのでしょう……!」


 悦に入ったように呟くと、舌でぺろりと唇を舐める。


 ――ひいっ!? 何なのよ、一体!?

 

 ……私とセルセウスが尻込みするような不気味な世界、冥界。聖哉が此処を拠点に攻略を始めると知って、私は不安と怖れしか感じないのであった。

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