第百二十六章 冥界

「よ、呼べる!! 聖哉が召喚できるわ!!」


 私は廃屋の中、歓喜に満ちて叫ぶが、セルセウスは眉をひそめる。


「しかし勇者はレベルが1に戻ってるんじゃないか? そんな状態の奴を呼んでもなあ……」

「じゃあ、セルセウス!! この状況なんとか出来る!?」

「うっ、急に胃炎と肺炎と腎炎が一斉に……ごめん、無理」

「!? レベル1でもアンタよりかは千倍頼りになるわい!! いいから竜人が来ないか見張ってなさいよ!!」


 セルセウスを窓際で見張らせ、私は勇者召喚の準備に入る。胸元から召喚用のチョークを取り出し、廃屋の汚い床に魔法陣を描く。


 ……確かに能力値が初期化された聖哉を呼んだところで、どうにもならないかも知れない。それどころか聖哉にだって危険が及ぶ。それでも私は必死に魔法陣を床に描いていた。何より私は聖哉に会いたかったのだ。


 ――こんなんじゃ上位女神、失格よね。


 私が聖哉の名前を読み上げると、薄暗い廃屋が魔法陣から発する光で照らされる。そして……光の中から一人の勇者が召喚された。


「聖哉……!!」


 聖哉を召喚するのは、これで三度目。相変わらず竜宮院聖哉は凛々しいマスクに、モデル並みのスタイルで――って、あれっ!?


 私は聖哉の服装がいつもと違うことに気付く。今まではTシャツや部屋着などを着ていたのに、今回は迷彩のような服で軍人かと見紛うサバイバルな格好である。


「ええっと、聖哉! いきなりだけど、その格好は?」

「ボディアーマー。いわゆる防弾チョッキだ。ちなみにこの下には防刃チョッキも着込んでいる。今までの経験から衣類に限り、神界や異世界に持ち込めると気付いたのだ。故に次の召喚に備え、ボディアーマーを毎日二十四時間、着用していた」

「そ、そんなゴツイの着ながら、ずっと日本で生活してたの!?」

「そうだ。たまに職質はされたがな」


 ず、ずいぶん怪しい人だと思われたでしょうね! いやだけど……うん! この慎重さが頼りになるのよ! レベルはたったの1かも知れないけど安心できるわ!


 聖哉はキョロキョロと辺りを窺い、セルセウスを見て、眉間にシワを寄せた。


「あっ、どうも聖哉さん、お久しぶりです! お元気でしたか?」


 後輩のような口ぶりのセルセウスを無視して、聖哉は私に話し掛ける。


「此処は神界ではないな。見た感じ、異世界のようだ」

「そうなのよ、聖哉!! 実は今、大変な状況で、」


 だが聖哉は私の顔の前に片手を差し出した。


「状況は既に把握している。今まで通り神界でなく、異世界にいきなり俺を召喚したことから『神界に戻れない危機的状況』だろうということが分かる。そして事ここに至った経緯も容易に推測できる」


 流石は聖哉! ボディアーマーの準備に加えて、きっとメルサイスが攻めてきたことまで見越してるんだわ! ふふっ! 何だかまるで名探偵みたいじゃない!


 感心する私に聖哉はジト目を向けていた。


「リスタ。お前はいつも通りヘマをやって最奥神界の神の怒りに触れ、この異世界に飛ばされた――そうだな?」

「!? いや、違うけど!!」

「ならば……セルセウスと一緒に駆け落ちをして、この異世界に来た――そうだな?」

「だから『そうだな?』じゃないよ!! そんな訳ないじゃんか!!」

「む。いや、少し待て。コイツは本当にセルセウスだろうか?」

「「えええっ!?」」


 セルセウスと二人で驚いてしまう。


「俺が召喚されたという事実から、リスタが女神であることはほぼ間違いない。だがこのセルセウスは偽者の可能性がある」

「そ、そんな! 俺、本物ですよ!」

「怪しい。ならば、お前がセルセウスであることを五十字以内で述べろ」

「カフェ・ド・セルセウスの店長! キリコとジョンデの世話もした! 信じてくださいよ!」


 そんなやり取りを聞きながら、私は愕然としていた。


 いや全然、名探偵じゃなかった! そうよ、この人、単に色んな可能性を考えてるだけなのよ! 急激に不安になってきたわっ!


「せ、聖哉、違うの!! 遂にメルサイスが攻めてきたのよ!! 聖哉だって、そのこと心配してたでしょ!?」

「そうか。その場合、お前が無事なのはおかしいと思ったのだが……ふむ。ではこのセルセウスが本物か偽者かは、とりあえず置いておこう」

「さ、さっきからずっと本物だって言ってるのに、全く信じてくれない……!」


 憮然とするセルセウスを無視して聖哉は私に言う。


「リスタ。メルサイス襲来について微細かつ詳細に、それでいて要略し、かいつまんで説明しろ。十秒以内だ」

「む、無茶苦茶言うわね……!」


 セルセウスを窓際で見張らせながら、私は語る。


 ……メルサイスやゼト、そして元勇者と名乗る女に神界が襲われたこと。

 ……気付けば私はセルセウスとゲアブランデにいたこと。

 ……門を出しても帰れずに冥界に繋がってしまうこと。


 十秒以内は無理だったが、私は聖哉に今までのことを出来る限り急いで話した。


「それで今、チェイン・ディストラクションを持った竜人達から隠れてるの!」


 聖哉は警戒しながら窓に近付くと外の様子を窺った。部屋に置いてある朽ちた家具などを扉の前に置いてバリケードを作ってから、再度私に近寄って来る。そして……


 ゴチーン!!


「!? あいたっ!!」


 突然、聖哉は私の頭を殴った!


「とんでもないタイミングで呼びだすな。せっかくボディアーマーを着ていても、竜人に見つかれば即死ではないか」

「ご、ごめんなさい!」

「ほうら、怒られた。だから言っただろ」


 したり顔のセルセウスの頭にも『ゴチーン!!』聖哉の拳が振り下ろされた。


「痛ってぇっ!! 何で俺まで殴るの!?」

「何となくだ。……とにかくリスタ。まずは此処から抜け出すぞ。門を出せ」

「だ、だから今は冥界にしか門が繋がらなくて! そこにも顔が空洞の危ない奴がいて、セルセウスが食べられそうになったの!」

「そうだよ! あそこはマズい!」


 しかし聖哉はまるで顔色を変えない。腰を落とし、窓の外に注意を払いながら言う。


「問題ない。セルセウスが食べられている間に次の対処法を考えれば良い」

「!! 俺が食べられちゃあ、問題あるでしょ!?」

「ともかく、その冥界とやらの方がまだマシかも知れんということだ。冥界にいる奴はチェイン・ディストラクションを持っていないのだろう?」

「あ! そう言われれば確かにそうね!」

「襲われようが食われようが、死ぬ危険がないなら冥界の方が安心出来る」

「ほ、本当に大丈夫なのかよ。俺、イヤだなあ……」


 セルセウスは不満極まりない表情だったが、聖哉の言うことはもっともだった。その時、外の様子を窺っていた聖哉が声のトーンを落とした。


「竜人が一人、近付いてくるぞ。リスタ、急げ」

「わ、分かったわ!」


 竜人が扉の前に来る直前、私達は出した門を潜ったのだった。





「……ほう。此処が冥界か。霧が凄いな」


 聖哉が平然と呟く。どうにか竜人達の追っ手から逃れられたものの、辺りには相変わらずの濃霧が広がっていた。更に、


「じゅるるるるるるるる」


 不気味な舌なめずりが聞こえ、またしても霧の中から顔が空洞の奴がゆっくりと近寄ってくる!


「ま、またアイツだわ!」


 セルセウスの前に躍り出ると、真っ黒な穴からグロテスクな長い舌を出す!


「ヒィッ!? 聖哉さん、助けて!!」


 セルセウスが叫んで、レベル1の聖哉の後ろに回り込む。聖哉は動じずに顔が空洞の者に話し掛けた。


「お前は何が目的なのだ?」

「舐めたい舐めたい神を舐めたいんだ」

「そうか。ならば、好きなだけ舐めるがいい」


 断言するや、聖哉はセルセウスを蹴っ飛ばした! 「ぐわっ!?」と言いながら転がった先には勿論、空洞から舌を伸ばした怪物がいて……


 べろん、べろん、べろべろべろべろべろ。


 セルセウスの顔を舐めまくった。


「オッホォォォォォォォォォ!? たぁすけてえええええええええ!!」

「せ、せ、聖哉!? セルセウス、大丈夫かな!?」

「神は死なん。全く大丈夫だ」

「だ、だけど……うっぷ……え、エグい……!」


 べろべろ、べろん、べろーん、べろべろ、べろべーろ。


 喚きながら、ひっきりなしに舐められるセルセウス。聖哉は腕組みをしながら涼しい顔でそんなセルセウスを眺めていた。


 ……数分後。顔どころか体中、唾液まみれでゲッソリしたセルセウスが出来上がった。生まれたての子鹿のようにプルプルと震えている。


「ねえ、平気? セルセウス?」

「……ぐすっ! ベトベトして……すごく気持ち悪い……ぐすっ!」

「聖哉! セルセウス、泣いてるけど平気みたいよ!」

「うむ。無事で良かったな」

「!? 平気でも無事でもないよ!! ベットベトだよ!!」


 セルセウスは泣きながら怒っていたが、その一方、


「ああ満足だあ満足だあ満足だあ」


 空洞の怪物は長い舌を戻して、嬉しそうな声を上げていた。


「あれ? 舐めるだけなんだ? 確かに竜人と違って、私達を殺そうなんて気はないみたいね」

「うむ。そして同じ言葉を二度三度と繰り返し言ってくれる。聞き逃しても安心だ。ハッキリとは言えんが、コイツは悪い奴ではないかも知れん」

「そ、そうかな……」


 その時だった。


「すみません。ホーズォが大変、失礼いたしました」


 透き通った女性の声が聞こえた。振り返ると、ピンク色の髪を結った女性が佇んでいる。二重まぶたに整った鼻。派手な髪色と眉間に宝石のようなものが埋まっている以外は、普通の美しい女性だ。灰色のドレスの裾を上げ、私と聖哉に頭を下げた。


「リスタルテ様に竜宮院聖哉様ですね。大変お世話になっております」

「えっ!! どうして私達の名前を!?」


 そ、それに『お世話になってる』って? この女の人とは初めて会ったと思うけど……?


 ニコリと微笑むとドレスの胸元から手拭いを取り出した。


「セルセウス様。これで体をお拭き下さい」

「す、すまない」


 セルセウスの名前も知っているようだ。女性は手拭いを差し出した後、顔が空洞の者を振り返る。


「眩い神気に惹かれて粗相をしてしまった……そうよね、ホーズォ?」


 すると顔が空洞の者は恥ずかしそうに頭を掻いた。私は女性に近寄る。


「あ、あの、アナタは?」

「申し遅れました。私はウノポルタ。冥王ハティエス様にアナタ方を六道宮りくどうきゅうに連れてくるよう、言われております」

「冥王ハティエス……?」

「詳しい話は冥王様にお伺いを。それでは私に付いてきてください」


 そう言って歩み出す。私は少し躊躇って、聖哉を見た。


「聖哉! どうしよ? あの子からは悪意は感じないけど……」

「本来ならトレーニングを一通り終え、レベルを上げてから行きたいところだが、それだと冥王とやらに会うのに数日掛かってしまうな」

「知らない人をそんな待たせられないよ! 話も進まないし……色んな意味で!」

「仕方あるまい。警戒しながら進むとしよう」


 ウノポルタという女性の後を私達は歩く。歩きながら、視界がずいぶんクリアになっていることに気付いた。


「あれ? 霧が晴れてる……」

「冥界では霧は昼の間だけ出るのです」

「そーなんだ」


 しかし、霧が晴れて現れたのは血のように赤く染まった空。そして灰色の石畳の上を進む私達を遠巻きに見ているのは、ウネウネと動く植物のような者や巨大な直立する兎、更には目が一つしかない者……。まるで魔物のような者達がこちらを眺め、口々に喋っている。


「あれは神じゃないか?」

「おおおお! 神気、神気だ! ひひひひひ!」

「ああ、しゃぶりつきたいわ……!」


 ――な、何だか物騒なこと言ってますけど!?


 私は怖くなって聖哉の服の裾を掴んだ。ウノポルタが私を振り返る。


「安心してください。敵意は全くございません。冥界の者はむしろ、神々様に好意を抱いております」

「ほ、本当?」


 この異様な空間で、ウノポルタだけは唯一まともそうに思えた。ふとセルセウスが先頭を歩くウノポルタに近寄り、借りていた手拭いを返す。


「先程はありがとう! 助かりましたよ!」


 白い歯を見せて爽やかに笑っている。


「しかし、冥界にこんな素敵なお嬢さんがいるとは!」


 はぁっ!? さっきまで怯えてたと思ったら色目使っちゃって……何よ、コイツ!!


 するとウノポルタが立ち止まり、格好付けモードのセルセウスと向かい合った。ウノポルタは満更でも無さそうに頬を赤らめている。噓!! こんな綺麗な子がセルセウスなんかを気に入っちゃったり!?


 しかし次の瞬間、


「グッボオッ!!」


 ウノポルタは野太い声と共に口から大量の赤い液体を吐き出した! セルセウスの顔が真っ赤に染まる!


「!! アッヒャアアアアアアアアアアア!?」

「す、すいません!!」


 叫ぶセルセウス! 謝るウノポルタ!


「実は私、吐血する癖がありまして」

「いや、それって『癖』って言うかな!? 大丈夫なの!?」


 私はビックリして問うが、ウノポルタは口周りの血を拭いながら微笑む。


「ええ。体は何処も悪くないのです」


 健康なのに吐血するの!? 何だか意味が分かんないわね!!


「うう、唾液の次は血をかけられるとは……」


 もう一度、手拭いを貰って顔を拭く半泣きのセルセウスを、ウノポルタはうっとりとした面持ちで眺めていた。


「ふふふふふふふ。ああ……HPが溢れてきた……」

「えっ!? ウノポルタさん、今なんて!?」

「い、いえ、何でもありませんわ! さぁ、リスタルテ様! 冥王様の所に急ぎましょう!」


 取り繕うにように言うと足を速める。私は聖哉にこっそり耳打ちした。


「ね、ねえ。やっぱり何だか怪しくない?」

「すこぶる怪しい。しかし、今のところセルセウスしか被害に遭っていない。今後もセルセウスを矢面に立たせつつ、様子を見ることにしよう」

「そうね」

「!! オォイ、聞こえてっけど!?」


 セルセウスが叫ぶが例の如くスルーして、私達はウノポルタの後に続いた。やがて、血のように赤い空の下。黒曜石で作られたような巨大な建造物が眼前に現れる。


「此処が冥王ハティエス様が住まえる六道宮です」


 何となく巨大な墓を彷彿とさせてゾッとする。聖哉はしばらく立ち止まって眺めていたが、意を決したように体が水晶で出来たような門番の隣を抜ける。


 中は魔光石の光を発するランプが照らされており、存外明るかった。ウノポルタに続いて歩く通路には、見たこともない飾り物や彫刻、不思議な生物の剥製などが並んでいる。気味が悪かったが、それでも外のように異様な者達がいないのは救いで、あたりはがらんとしていた。


 大きな観音開きの扉の前でウノポルタが足を止める。この中に冥王ハティエスとやらがいるに違いない。


 ――何だか、まるで魔王と対決する時みたい……。


 私の心の準備もままならぬうちに、ウノポルタが扉を開いた。


 灰色の絨毯の先、それは動物の骨で作られたような玉座に腰掛け、本当に異世界の魔王のような風格を漂わせていた。


「……ちこう寄れ」


 少し高音ながらも腹の底に響く声だった。ウノポルタに続いて、おそるおそる歩を進める。


ちんが冥王ハティエス。世界を傍観する者である」


 近付いてみて分かったのだが、すだれの付いた冠を被る冥王ハティエスの顔は、おしろいでも塗ったように真っ白だった。私とセルセウスを交互に見て、満足そうに頷く。


「よくぞ来た。滅びし神界の生き残り、治癒の女神リスタルテと剣神セルセウスよ」


 ――えっ!! ほ、滅び……い、今なんて!?

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