第百二十五章 捻れた世界で
あれから一体、どのくらいの時が過ぎたのだろう。ほんの僅かかも知れないし、数時間は経ったのかも知れない。
破壊の勇者の殺害。元勇者だという女と戦神ゼトの襲来。そして……暴虐の神メルサイス。イシスター様は、アリアは、そして神界は一体どうなってしまったのだろう。これから私はどうなるのだろう。
身震いする程、恐ろしいことがたくさん起きて、私の意識は暗闇の中、救いを求めていた。
女神となった私だが、窮地の際に思い起こす名前はいつも決まっている。それは神界にいる神々ではなく、前世で私が愛した人間の名だった。
――助けて……聖哉!!
心の中で呼びかけるも返事はない。だが代わりに暖かな感触があった。私の顔に触れる厚い胸板、懐かしい匂い。
せ、聖哉!? 聖哉だわ!! そうよ、私がピンチの時はいつも傍にいてくれる!!
私はそれをギュッと強く抱き締め、目を開く。
「聖哉っ!!」
しかし……私の目の前にはヒゲ面マッチョの男神がいて、頬を赤らめていた。
「おいおい、リスタ。あんまり抱きつくなよ。照れるじゃないか」
「!? ……どけや、オラッ!!」
「うおっ!? 痛い!!」
私はセルセウスを力一杯突き飛ばすと、その場にうずくまった。
「オッゲェェェ……!」
「何だ、お前!? 勝手に抱きついてきたり、気持ち悪がったり!!」
「いや待って……ホントにちょっとゲロ出てるから……」
「!! リアルに戻しちゃってるの!? 失礼にも程があるだろ!!」
セルセウスが叫ぶ中、私は軽く頭を横に振った。
バカね、私。召喚してないのに聖哉がいる筈ないじゃない……ってか、此処は一体……?
口の周りのすっぱい唾液を手で拭った後、改めて辺りを見渡して唖然とする。
眼前には見渡す限りの荒野が広がっていた。細かい砂の上に、枯れ草や割れたような岩石が点在している。自然の砂漠とはまた違い、たとえるなら随分昔に大きな爆発でも起きた跡地のよう。遠くの方には人骨のようなものまで散らばっている。
「な、何なのよ、この不気味な場所は? セルセウス!」
「分からん。だが神界じゃないことは確かだ」
意外と落ち着いた声を聞いて振り返ると、セルセウスは腕組みをしたまま足をガクガク震えさせていた。
「邪気が満ちていて、すごく怖い。……リスタ。手を繋いでもいいか?」
「良いわけないじゃん! 自分の右手で左手でも握っておきなさいよ!」
「それだと手を合わせてるだけだろ! 冷たい女神だな!」
「そんなことより、アリアやアデネラ様とか他の神は?」
「俺が起きた時、近くにいたのはお前だけだった。ひょっとすると俺達だけがこの妙な場所に飛ばされたのかもな」
「そんな……!」
私が絶句すると、セルセウスは自らを奮い立たせるように言う。
「ま、まぁそんなに落ち込むなよ! とりあえず、お互い無事だったんだし!」
「違う。違うの。セルセウスと二人っきりとか、マジで死にたい……」
「!? 何なんだ、お前!! さっきから!!」
「とにかく一度、神界に戻りましょう!」
「そ、そうだな。じゃあリスタ、神界への門を出してくれ」
「あれ? セルセウスは自分で出せないの?」
「ああ。出したことは一度もないし、そもそも出し方が分からん」
「はぁ……」
見かけ倒しのマッチョ男神に呆れながら、私は呪文を唱えて神界に通ずる門を出す。その後、緊張しながら、そろりと門を開いた。
「ん? どうした? 何かあるのか?」
「ちょっと待って」
以前イクスフォリアでは、呪縛の玉の影響で扉の中に白い壁が現れ、神界に戻れないことがあった。何となく今回も無事には帰れそうにない雰囲気を感じていたのだが、予想に反して壁は現れない。
「よかった! 戻れそうだわ!」
安心して私とセルセウスは門を潜る。だが、門を抜けた途端、セルセウスが顔色を変えた。
「おい、リスタ。何だか妙じゃないか? 此処、本当に神界か?」
門はいつものように神界の広場に出した。だが周囲には深い霧が立ちこめていて、辺りがよく窺い知れない。
「この霧は一体何なんだ?」
「ひょっとしてメルサイスが何かやったのかも……。知っている神を探して事情を聞きましょ!」
私とセルセウスは前の見えない濃霧の中をゆっくりと歩く。しばらくしてセルセウスが目を細めた。
「誰かいるぞ」
少し離れたところに、白いローブを着て歩いている神の後ろ姿が見える。邪気は感じないし、メルサイスや邪神ではなさそうだ。私とセルセウスはその神に近寄る。
「あのすいません!! メルサイスは……いえ、神界は無事ですか!?」
「……神界ぃ?」
私が尋ねると、それは妙に甲高い声を出して、ゆっくりと振り向いた。
その途端、私は卒倒しそうになる! その者の顔は空洞だった! 大きな真っ黒い穴だけがポッカリと覗いている!
「「ひいっ!?」」
思わずセルセウスと一緒に声を上げてしまう。すると顔の空洞から笑い声が響いた。
「くひゃははははははははは此処は冥界だよう冥界だよう」
「め、冥界!?」
ゆっくりと近付いてくる得体の知れない者! 私は後ずさりながら叫ぶ。
「そ、そうですか!! 失礼しましたっ!!」
そして私とセルセウスは濃霧の中を全力で駆ける。元来た道を辿るようにしばらく走った後で立ち止まると、隣でセルセウスが怒ったように叫んだ。
「オォイ!! やっぱり神界じゃないじゃねえかよ!!」
「そ、そんな筈ない!! 今まで間違えたことなんか一回もないんだから!!」
「けどアイツ、『冥界』とか言ってたぞ!! 何でそんなとこに繫がるんだよ!!」
「知らないわよ……って、待って! 何か聞こえる……」
途端、私達の前に濃霧を裂き、顔が空洞の者が現れる!
「うおっ!! 追いかけて来た!?」
「くひゃはははははくひゃはは神気を神気を感じる感じる感じるなあ」
同じ言葉を繰り返しながら、セルセウスの方に近付いていく!
「えっ! ちょっと、あ、あの、何ですか! ぼ、ぼ、僕に何か用ですか!」
『僕』とか言ってテンパってるセルセウスに顔を近付ける! ぞろり、と空洞から長い舌のようなものが現れた!
「じゅるるるるるるるる良いなあ神は良いなあじゅるるるるるるる」
……べろん。
避ける間もなく、セルセウスの顔が大きな長い舌に舐められる!
「!! ハッヒイイイイイィィィィィィィィ!?」
セルセウスが叫んで、一目散に駆け出した! 私も慌てて後を追う!
「ま、待ってよ!!」
「待ぁてるかああああああああ!! 食われちまう!! 門!! 門だ、リスタ!!」
「ど、何処に出すのよ!?」
「何処でもいい! とにかく此処から逃げるんだ!!」
私はすぐさま門を出して、セルセウスと一緒に飛び込んだのだった。
門を出ると、一面の荒野。私達は先程の荒廃した世界に戻ってきた。
「ま、丸呑みにされるかと思った……!」
セルセウスは、足下にある細かい砂を使って、顔や体に付いたネバネバしたものを拭い始めた。
「ねえ、セルセウス。冥界って何なの?」
「昔、イシスター様に聞いたことがある。どうも神界と邪神界の中間にある世界らしい。俺も詳しくは知らんがな」
「どうして冥界なんかに門が繋がっちゃったんだろ……」
不意に、メルサイスが『神界の歴史が閉じる』と言っていたことを思いだした。
「わ、私、もう一回、門を出してみるわ!!」
イヤな予感を払拭すべく再度、神界への門を出す。しかし、そろりと開くと、やはり濃い霧が広がり、そして……
「じゅるるるるるる」
「!? アイツ、まだいるわ!!」
舌なめずりが聞こえて、私はすぐに門を閉じた。セルセウスみたいに顔を舐められたら、たまったもんじゃない!
神界がダメなら、私が人間だった時の故郷イクスフォリアに門を出そうと試みたが、出来なかった。どうやら今は、冥界とこの荒廃した世界の二カ所しか行き来できないらしい。
「……はぁ。どうしよ」
これから一体どうしたものかと悩んでいると、後ろからセルセウスが話し掛けてきた。
「なぁ、リスタ。お前、何処に向かってるんだ? スタスタ歩いてるけどよ?」
そう言われて気付く。考えながら私は無意識に歩いていた。それは不思議な感覚だった。
「あれ……何だろ、コレ」
初めて此処に来た時は動転していたせいで分からなかった。だが、よくよく考えれば、私は以前この場所に来たことがあるような気がする。
「確か、この先に町があったような……」
「どうして分かるんだよ?」
そう言われても、うまく説明できない。私は砂に足を取られながら歩いた。しばらくして、セルセウスが前方に目を凝らす。遠くの方に町らしきものが見えている。
「おおっ! リスタの言った通りだな!」
本当に町があったことに私自身が驚いていた。だが、駆け寄ってみてガッカリする。ボロボロの店や今にも倒壊しそうな民家が立ち並び、
セルセウスが足下の朽ちた看板を拾って呟く。
「案内の看板か。『エドナの町』と書いてある」
うん? エドナの町……聞いたことがあるような、ないような……。
「り、リスタ! 誰か来るぞ!」
思い出そうとしていると、セルセウスが叫ぶ。前から人影が近付いて来る。だがそれは普通の人間ではない。鎧をまとった巨大なトカゲだった。
「何だ! あの二足歩行のトカゲは?」
「竜人だわ……!」
私は今までに異世界を十回近く救済してきた。だけど竜人が出てきた世界はあの一回だけだった。そう、それは女神になって初めて聖哉を召喚し、臨んだ難度Sの異世界だ。
「『竜人』! それに『エドナの町』! 思い出したわ! 此処はゲアブランデよ!」
「ゲアブランデ?」
「前に聖哉と私が救った異世界よ!」
近付いてくる竜人。だが、敵ではないことが分かっているので私は落ち着いていた。予想通り、竜人は私の前に
「何と神々しい。もしやアナタは女神様……」
「え、ええ、そうです。えっとあの、此処はゲアブランデですよね?」
「仰る通りです」
「やっぱり!」
知っている場所にいるということが分かり、少しだけホッとする。ロズガルド帝国には今もロザリーやマッシュ、エルルがいることだろう。だが、前に来た時のエドナの町とは明らかに様子が違うのが気になった。
「えっと、この荒廃した町の感じは一体? もしかして、新しい魔物が現れたりしたんですか?」
「この町は十数年前の戦いの跡地です。かつて熾烈な戦いが我々竜族と魔王軍との間で繰り広げられました。多数の犠牲を出しましたが魔王は滅び、我々は勝利し、そして世界は救われたのです」
「……はあ?」
この竜人は聖哉と私の手柄を、まるで竜人達がやったことのように言っている。何だか少し腹が立ってくる。
「待ってください! 魔王を倒したのは私が召喚した勇者、竜宮院聖哉ですよ!」
「ゲアブランデに勇者が現れたことはございません。女神様が来られたのも今が初めてです」
「えっ」
「魔王を倒し、世界を救ったのは、偉大なる神竜王ドラゴナイト様でございます」
「神竜王……ドラゴナイト……?」
「神竜王は魔王を倒した後、竜族の聖地バハムトロスにて君臨。全ての竜族を幸福たらしめるべく、ゲアブランデを統治されてございます。ああ、全ては聖天使様の加護あればこそ……」
話がよく飲み込めない。ひょっとしたら、この竜人は少し頭がおかしいのではないだろうか。そもそもエドナは人間達の町。竜人がいるのは何だか妙な感じがする。
疑念を感じながら、よくよく竜人の顔を見て……私はぞくりとしてしまう。ニコニコとしているが、その奥にある黒いものを感じ取ってしまったからだ。
――こ、こういう展開、前にもあったような……!
私の脳裏を過ぎるのは、戦帝が私を神殿に呼び出し、チェイン・ディストラクションで殺そうとした時のこと。そう、竜人の心にあるもの――それは『悪意』だった。
私が一歩後ずさると、竜人は胸元から一冊の本を取り出した。赤い背表紙の付いた分厚い本を開く。
「聖天使教典第六条にはこうあります。『いずれ未来、勇者と女神を名乗る者が現れるかも知れない。しかし、それこそは破壊を呼ぶ者。その時はチェイン・ディストラクションを持って滅せよ』と」
途端、教典のページから、まるで手品のように何倍もの長さのある刀身が現れる! 竜人はそれを素早く構えると、剣を大きく振り回す!
「ひいっ!?」
セルセウスが叫ぶが、既に私は反応していた。セルセウスを押し倒すようにして一撃をかわす。竜人が感心したような声を上げた。
「ほう。勘が良いですねえ」
「こ、こういうの前にも経験してるからね!」
「しかし、勇者と女神を
そして竜人は爬虫類の冷徹な目でセルセウスを睨んだ。
「アナタは勇者ですね?」
「違う!! 俺は剣神……い、いや……カフェの店長だ!!」
私は吃驚する。ゆ、勇者じゃなく神と名乗っても敵扱いされそうだから、部外者を装った!? なんて根性無しなの!!
だが、竜人は裂けた舌をチロリと出した。
「ならば死んで貰いますよ。『カフェの勇者様』……」
「!! 『カフェの店長』だって言ってるのに!?」
「落ち着いて、セルセウス! イクスフォリアと違ってゲアブランデなら、魔物もそこまで強くない筈! 戦ってもきっと勝てるわ!」
「そ、そうか! 強くないのか! どれどれ……」
セルセウスは竜人のステータスを見ているらしい。私も能力透視を発動する。
竜人
Lv41
HP67842 MP0
攻撃力35515 防御力37489……
「!? いや、このトカゲ、メッチャ強いけど!! 俺と能力値ほとんど変わんないんだけど!!」
「ええっ!」
私も驚く。イクスフォリアの獣人を彷彿とさせる凄まじい能力値である。で、でもおかしいわ! 此処はゲアブランデなのに!
この竜人が特別に強いということだろうか。分からない。そしていくら強いと言っても、セルセウスは剣神なのにトカゲ人間レベルってことも理解できない。
「とにかく俺は丸腰で、奴はチェイン何たらを持っている! 一旦、逃げるぞ!」
「……逃がしませんよ?」
剣を大上段に振りかぶり、竜人がセルセウスに飛びかかってくる! だが私は用意していた砂袋を竜人の顔にぶつける。「ぐうっ!」と竜人が唸った。狙い通り、目に入ったらしく苦しげにうずくまる。
「逃げるわよ! セルセウス!」
「お、おう!」
私達は廃墟のようなエドナの町を息を切らしながら駆ける。やがて町の中心部に入ったのだろう。崩れた建物が密集している。私達はそのうち一つの建物の陰に隠れた。
「はぁはぁはぁはぁ……!」
呼吸を整えていると、セルセウスが驚いた顔で聞いてきた。
「リスタ! あの砂袋、いつの間に?」
「町に来る途中、ずっと砂場を歩いてきたでしょ。拾って集めておいたんだ。いざって時の為にね」
「お前……何だか用心深くなってるな。あの勇者みたいだぞ」
聖哉と長く一緒にいたせいで、私も少し慎重さが
「おのれ、邪教徒め! 何処に隠れた? 我ら聖天使教団はデモンズ・ソードにも勇者を騙る者にも屈しない!」
「聖天使教団? もう訳わかんない!」
物陰から、ちらりと窺うと竜人の数が三人に増えている。
――な、仲間がいるの!?
だが建物が多くあるせいで、私達を見つけられないらしい。竜人達は明後日の方向に歩いていった。
「向こうに行ったわ。ふう……これで、しばらく安心ね」
「安心じゃないだろ!! 何だよ、この危険な異世界は!! 救ったなんて嘘じゃねえかよ!」
「嘘じゃない! ホントに救ったの! でもこれは……」
私と聖哉がゲアブランデを救う前に時間が戻ってる? いやむしろ、進んでる? ち、違う……これはもっと違う何か……!
「お、おい、リスタ! あっちにも竜人がいるぞ!」
セルセウスが小声で言う。振り向けば、鎧をまとった先程のとは違い、麻の服を着た竜人が歩いている。
「嘘でしょ! 何体いるのよ!」
「ヤバいぞ! 行こう、リスタ! 一か八か、全力疾走して町を出るんだ!」
「う、うん……いや、ちょっと待って」
私だってこんな危ない場所から、すぐに逃げ出したい。でも、ふと考える。こんな時、聖哉ならどうするだろうか。
「……竜人達は、私達が町にいることを仲間に知らせてる。今、飛び出したら見つかる可能性が高いわ。もうしばらく此処に隠れて様子を見ましょう」
「だ、大丈夫かよ?」
「この建物、無人みたい。中に入るわよ」
私達は傍の廃屋に入る。ドアをゆっくり閉めた後、窓硝子のない窓の下にうずくまった。様子を窺う為である。
「うう……」
私の背後でセルセウスが唸る。
「ど、どうしたの? 怪我でもしたの?」
「いや。緊張とストレスで偏頭痛がする。家に帰ってプチパンケーキが食べたい……」
「!? ありえないくらいに頼りないわね!!」
ああ、もうっ! セルセウスなんかに任せておけない! いざって時は私も戦わなきゃ!
目眩ましの砂袋はもう一つ作ってある。念の為に取り出しておこうと胸元に手を入れた時、砂袋と一緒に一枚の紙がひらりと落ちた。それは聖哉の名前が記された勇者召喚リストだった。
慌ててリストを拾った刹那、私は目を大きく見開いてしまう。召喚リストの下部に文字が現れ、金色に光っていたからだ。
『救世難度S以上を確認。竜宮院聖哉の召喚が可能』
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