第百二十三章 神域の勇者

 セルセウスが言っていたように、その日はまるでお祭り騒ぎだった。


 神界の広場には、最高神の創造の力を用いて作られたという、巨大な円形闘技場がそびえ立っている。数万もの神々を収容できるこの建造物が、たったの数分で完成したと聞くと「やっぱり此処は神界なんだなあ」と感慨深くなる。


 中に入ると、真ん中にある石造りの闘技場を囲う観覧席には既に沢山の神々が腰掛けていた。すり鉢状の巨大闘技場には、統一神界にいる神々の殆どが集まっているようで、足の踏み場もない程に混雑していた。


 私は雑踏をかき分け、事前にアリアに教えられた席まで辿り着く。座ってからようやく一息吐くが、天井が無い為、日差しが直接降り注いでいるのと、闘技場にいる神々の熱気で蒸し蒸しとする。ううっ、暑いなあ……!


 そんな時、背後から威勢の良い声が聞こえた。


「アイスコーヒー、アイスコーヒー。冷たくておいしいアイスコーヒーはいかがっすかー」


 あ、売り子さんだわ! 助かるっ!


「すいません! 一つください!」


 そう言って振り返ると、重そうなコーヒーサーバーを背中に担いだセルセウスが佇んでいた。


「!? いやお前かい!!」

「な、何だよ。大好きなディバイン・カップも間近で見られるし、神貨だって稼げる。一石二鳥だろ?」

「日に日に剣神っぽくなくなってくわね、アンタ……」


 背中のサーバーからコーヒーを注入し、差し出してくる。私は代わりに神貨であるゴッドン硬貨を渡した。


「というか、リスタ。お前、よくこんな良い席取れたな?」

「ああ。アリアが用意してくれたのよ」

「ディヴァイン・カップに出場する神の特典か。ラッキーだったな」


 確かにこんなに混雑しているのに、私がいるのは最前列。試合がよく見えるかぶりつきの席だ。セルセウスが私の隣にコーヒーサーバーを下ろす。


「そろそろ始まるな。少し休憩しよう。隣、いいだろ?」

「ええーーっ! 普通にイヤだけど!」

「両サイド空いてるんだから、いいじゃないかよ!!」


 アリアかアデネラ様が来たら席を譲るという約束で、私は隣にセルセウスを座らせた。ちょうどその時、闘技場に快活な声が響く。


「皆様、本日はようこそお越し下さいました! これより第十回ディヴァイン・カップの開催です! 進行は私、音神ミューザがお送り致します!」


 闘技場の真ん中で猫耳を付けた女神が声を張り上げていた。マイクもないのに、闘技場全体に声が響き渡っているのは音神ミューザ様の力なのだろう。


「それでは第一試合! 西より、盾神エイジス様担当『鉄壁勇者』――守野正人選手の入場です!」

「お、リスタ。勇者の登場だぞ」


 セルセウスが指さした先――闘技場中央に連結した通路の先にある扉が音を立てて開かれた。そこから鎧を着た者が闘技場に歩いてくる。装備している大きな盾に見合わない華奢な男性だった。


「対して東! 封印の女神アリアドア様担当『天撃の勇者』――望月麗美選手の入場です!」

 

 逆サイドの扉から現れた女性は、対して軽装備。私達女神が着ているようなドレスをまとい、手には杖を持っている。アリアが言っていたように魔術師タイプなのだろう。望月麗美は二十代と思しき女性で、腰まである長い鳶色の髪が特徴的だった。それに鼻が高く、美しい顔立ちをしている。


「あの子がアリアの勇者か……」


 闘技場の隅ではアリアと望月麗美、また反対方向では白ひげを蓄えた盾神エイジス様と守野正人が話し合っている。まるで聖哉の世界のボクサーとセコンドのような体裁だ。おそらく試合中も、担当の神が勇者に戦闘の指示を送ったりするのだろう。


 観衆の神々が声援を送る中、やがて担当の神の元を離れた両者は、闘技場中央で向かい合った。守野正人がやや緊張した面持ちなのに比べ、アリアの勇者、望月麗美は不敵な笑みを浮かべていた。


「それでは今より第一試合を開始いたします!!」


 闘技場に響く銅鑼の音。同時に一際大きい声援が木霊する。開始直後、望月麗美は素早いバックステップで守野正人から距離を取った。杖を振りかざすと、麗美の前方に巨大な魔法陣が現れる。


 ――早い! 一瞬で魔法陣を展開するなんて!


 だが相手の守野も魔法陣からの攻撃に備え、既に盾をかざしている。そして次の瞬間、私は目を疑う。かざした盾が増殖し、左右に広がる! 十を超える盾が守野の周りを囲った!


「おおーっと! これは盾神エイジス様直伝の技でしょうか! 分裂した盾で望月選手の魔法攻撃に備えております!」


 麗美が杖を振るうと魔法陣が輝いた。


「……タイダル・ウェーブ極流大波


 巨大な魔法陣から出現したのは大量の水! 勢いを増しつつ、津波のように守野に襲い掛かる!


 凄まじい水流に呑まれたかと思われたが、津波が去った後、守野は先程と同じく盾に囲まれた体勢のまま佇んでいた。どうやらダメージは無いらしい。それでも麗美は既に新しい魔法陣を空中に展開している。


ライトニング・ボール雷轟球


 次に魔法陣から現れたのは、稲光を放つ雷の球体。瞬く間に数十個が形成され、守野に向かって放たれる。着弾すると共に守野の盾がバチバチと音を立てた。だが、守野サイドの盾神エイジス様が白ひげを触りながら快活に笑う。


「水に濡らせてからの雷撃か。じゃが感電など、せんよ。ワシの授けた技、『アブソーブド・シールド妙盾防陣』は物理攻撃は勿論、魔法攻撃すら完全に防御するのじゃ。更に……」


 不意に何かに気付いたように解説の音神が叫んだ。


「な、何ということでしょう! 雷撃が終わってもなお、守野選手の盾は雷を帯びたままです! まるで望月選手の雷を吸収したかのよう!」


 私もごくりと唾を呑む。あの盾は防御するだけじゃない! 聖哉が死皇戦で見せた溜め技みたいに、相手の力を吸収するんだわ!


「もうしばらくは防御に徹しろ。全ての魔法攻撃が終わればカウンターを発動して仕留めるのじゃ」

「了解しました」


 師弟のように守野と盾神が語り合っている。


 ――どうするの、アリア!? 


 私は焦ってアリアの顔色を窺うが、平然そのもの。いつも通りのアリアだ。望月麗美が笑う。


「カウンターか。はたして撃てるのかしらね」 


 そして再度、杖を振りかざす。


「タイダル・ウェーブ」


 ま、また水の魔法!? 効かない上に魔力を吸収されてしまうのに!!


 先程と同じように津波が守野を襲う。だが様子がおかしい。大量の水は闘技場から消えず、守野の周りに大きな水の球体となって残っている。


「……フローティング・バブル隔絶空間


 麗美が杖を持っていない方の手を守野に向けていた。解説の音神が叫ぶ。


「これは風魔法の応用でしょうか! 守野選手、閉じ込められました!」


 守野は今、巨大な水球の中にいた。いくら完全な防御と言っても、中にいる守野は人間だ。


「大丈夫? そのままだと窒息死しちゃうわよ?」


 麗美が笑った直後。守野が溜まらず水中で盾の囲いを解除し、どうにか剣を抜いて水球を切り払う。大量の水が守野と一緒に流れ出た。


「はぁはぁ……」


 そして、息急き切って前を向き、守野は絶句する。自らの前後左右、既に無数の雷の球体に囲まれていたからだ! 守野が盾の技を発動させるより早く、雷の球が体中を直撃する!


「ぐはっ!」


 ヒットと同時に、落雷に遭ったように感電し、その場に倒れる守野。音神が宣言する。


「そ、そこまで!! 勝者はアリアドア様の勇者、望月麗美選手です!!」


 闘技場の観覧席は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。


 こ、これがアリアの勇者! 圧倒的じゃない! 相手だって選ばれた勇者なのに……!


「ねえ、セルセウス! 勇者のバトルって、こんなに早く決着がつくものなの?」

「いや! 戦いは一時間以上に及ぶ時もある! だが今回は力の差が歴然だったからな!」


 セルセウスが興奮しながら言う。


「それにしてもアリア殿は凄い! 『封印解除』の能力はその者にとって秘められた力を解放させられる! 望月麗美を超一流の天地雷鳴士にしたのもアリア殿の力だ! まさに勇者召喚にうってつけの女神だな!」


 セルセウスのみならず、闘技場にいる神々も盛り上がっていた。私の背後からもこんな声が聞こえる。


「流石はアリア様ね! あんな凄い勇者を育てるなんて!」

「今回もヴァルキュレ様の勇者とアリア様の勇者の一騎打ちになるだろうな!」


 そんな言葉を耳にして、やがて私は席を立った。セルセウスが驚いた顔を見せる。


「お、おい。どこ行くんだ、リスタ? 次はヴァルキュレ様の勇者の試合だぞ?」

「いいや。どうせ勝つだろうし。私、決勝戦だけ見るよ。アリアが此処に来たら、よろしく言っておいてね」

「えっ、マジかよ! コーヒーだってまだ残ってるのに!」

「それマズいから捨てといて」

「!! 作った俺に失礼じゃない!?」


 叫ぶセルセウスに手を振って、私は闘技場を出たのだった。






 広場に出てから、改めて巨大な円形闘技場を眺めた。少し離れたこの位置まで神々のざわめきが聞こえてくる。闘技場はディヴァイン・カップが終わればすぐに撤去されるらしい。創造神の力で作られたものなので、消し去るのだって一瞬だ。そして次回の開催は、また千年後。


 私は一人、先程の試合を思い返してみる。確かにもの凄い試合だった。これからも勇者達による超絶バトルが繰り広げられるのだろう。異世界を救う女神として、しっかり見学して勉強するべきなのかも知れない。けど……だけど……


 ――はーあ。聖哉が出場してたらなあ……。


 深い溜め息が出る。とどのつまり、私は悔しかったのだ。だから闘技場を出た。確かに能力透視で見たヴァルキュレ様の勇者の能力値は凄まじい。アリアの勇者も恐るべき魔力の持ち主だ。それでも聖哉がステイト・バーサーク状態狂戦士を発動させれば勝機は充分にある。もっと言うなら、聖哉の能力はあの二人とはまた違うベクトルの凄さなのだ。


 ――他の神も聖哉の戦い振りを見たら、きっと感嘆の声をあげるのに!


 そんなことを考えながら、ふて腐れた気分で歩いていると、闘技場から少し離れた場所にプレハブのような特設会場があるのに気付いた。


「あら……何かしらコレ?」


 看板には『歴代勇者記念館』と書かれている。


 へーえ。こんなのまで作られてるんだ。記念館ってくらいだから、今までディヴァイン・カップで優勝した勇者が見られたりするのかな? 


 スルーしようとしたが立ち止まる。試合を見ない分、せめて過去にどんな勇者がいたのかチェックしておこうと思い、私は記念館に足を踏み入れた。






 現在試合中ということもあって中は閑散としていた。闘技場は開催の二日前から出来ていたし、この記念館もその時、同時に作られたのだろう。本来なら試合が始まる前に見ておくべきものなのかも知れない。


「……いらっしゃいなの」


 背後から声がして振り向くが、姿はない。だが視線を下に向けると、着物姿の小さな少女がいた。


「ら、ラスティ様!?」

「リスタ。久し振りなの」


 以前、聖哉に変化の術を教えた変化の神ラスティ様が佇んでいた。幼児かと見紛う程に身長が低く、あどけない感じのする女神だが、数万年以上もの時を生きているらしい。普段は隠遁神山にいる筈だが……


「どうしてこんなところに?」

「じゃんけんで負けたなの。それで、この特設会場の受付をさせられたなの」

「そ、そうなんですか。いや、じゃんけんて……!」

「誰も来なくて暇してたなの。ちょうどいいなの。説明してあげるなの」


 そうしてラスティ様は私を手招きして歩き出した。まるで美術館のように絵画がズラッと並んだ通路に案内される。


「これがレジェンド勇者達の肖像画なの。ディヴァイン・カップの優勝者はもちろん、何度も異世界を救った伝説の勇者達も飾られているなの」

「へぇー」

「この記念館は普段は最奥神界の管轄なの。だけど、ディヴァイン・カップの開催中は特別に此処に移設しているなの」

「それにしても、凄い数ですね……!」


 数十もの男女の肖像画を見て驚く私に、ラスティ様が得意げに言う。


「ちなみにディヴァイン・カップが始まったのは一万年前なの」

「そ、そんな長いことやってるんですか!?」

「まぁ人間の世界だと、たった百年前ってことになるなの。その間、沢山の勇者召喚が行われたなの。この肖像画の勇者の中には、既に人間を止めて、男神や女神になっている者もいるなの」

「はー。なるほど」

「それじゃあ、ゆっくり見れば良いなの」


 一人になった私は肖像画を眺めながら歩く。絵の下部にはプレートがあり、その勇者の名前と称号が書かれていた。



『進撃の勇者』塚本昭彦

『熱血勇者』火谷剛毅

『猛烈勇者』倫明星

『会心の勇者』榎木光恵

『敏捷勇者』御手洗隼人

『幸運勇者』四葉京子



 い、色んな称号の勇者がいるのね! 


 聖哉なら勿論『慎重勇者』だよね……なんて思いながら、付けられた称号が面白くて、私は隅から隅まで見ながら歩いていた。


 やがて端まで行き着いて、


「ん? 何コレ?」


 声が自然に漏れてしまう。一番端には額縁はあるが、肖像画は無い。しかし下部にはプレートが付いており、そこにはこう書かれていた。




『神域の勇者』




 不思議だった。称号はあるのに額縁は空。まるで元々あったのが取り外されたかのよう。プレートには名前もないし……い、いや……よく見ると消されたような跡がある?


 目を凝らしていると、ちょうどラスティ様が小走りでやって来た。


「えっと、ラスティ様。この額縁って、」

「リスタ! 大変なの!」


 ラスティ様は興奮した様子で私に水晶玉を見せてくる。そこには闘技場の映像が映されていた。


「ヴァルキュレ様の勇者とアリアの勇者が対戦するみたいなの!」

「ええっ!! こんなに早く!?」

「ブロックが同じだったみたいなの! ヴァルキュレ様は今まで五人以上ものレジェンド勇者を育てられたなの! そして、その次がアリア! この試合は因縁の対決! 事実上の決定戦なの!」


 ヴァルキュレ様は統一神界最強の女神だが、アリアだって三百以上の異世界を救済してきたベテラン中のベテラン女神だ。勝負はどう転ぶか分からない。


「もうこの記念館は閉めるなの! こんな凄い試合、私だって生で見たいなの!」

「ちょ、ちょっとラスティ様!?」


 ラスティ様は水晶玉を投げ捨てると、脱兎の如く駆け出した。


 ええーっ、戸締まりしなくていいのかな!? で、でも私もこの試合くらいはしっかり見ておかなきゃ!!


「待ってください! 私も行きます!」


 私はラスティ様を追いかけるようにして、再び闘技場へと向かったのだった。






「さあさあ! 開始早々、大変なマッチメイクとなりました! 既に闘技場中央では『天撃の勇者』望月麗美選手が、『破壊の勇者』イーサン=シフォー選手の登場を今か今かと待っております!」


 音神ミューザ様が声を張り上げている。


 最前列の席に戻るとセルセウスとアデネラ様が少し離れて座っていた。私はその間に急いで腰を下ろす。


「おお、リスタ! ようやく来たな!」

「ち、ちょうど、よ、よかったな。い、今、始まるところだ」


 セコンドではアリアが望月麗美に指示を飛ばしていた。


「麗美、落ち着いてね! シミュレーション通り、安全な距離を保つのよ! いくら攻撃力が高くても触れさせなければ勝機はないわ!」

「ええ、任せて。絶対に近付かせない。一歩たりともね」


 イーサンの姿はまだ見えない。だが逆サイドには既にヴァルキュレ様がスタンバイしていた。アリアと麗美の会話を聞いて、声を上げて笑う。


「ハッハハ! 色んな対策を練ってきたみてーだな! だが、どう足掻いたって、アタシの勇者には勝てねーよ!」

「勝負はやってみるまで分かりません!」


 アリアが怒ったような顔を見せている。う、うわ。こんなアリア、あんまり見たことないわ。因縁の対決ってホントなんだ……。


「それでは『破壊の勇者』イーサン=シフォー選手の入場です!」


 割れんばかりの歓声に包まれて、闘技場へと繋がる通路の扉が開かれる。私を含め、全ての神達の視線が扉の奥へと注がれた。


 しかし……しばらく経っても破壊の勇者は出てこなかった。


「何だ?」

「どうした? トラブルか?」


 ヴァルキュレ様も眉間にシワを寄せている。


「全く何やってんだ、イーサンの野郎。小便でもしてやがんのか?」


 神々がざわつき始めた時、弧を描くようにして扉の中から何かが闘技場に投げられた。それは『ゴッ』と鈍い音を立てて、石畳の闘技場をゴロゴロと転がる。


 ――え……。


 最前列の席にいたせいで、私はソレをはっきりと視認することが出来た。一度ならず二度三度と見て、網膜にハッキリと焼き付いている。にも拘わらず、その状況を心で受け止めることが出来ない。あまりにも唐突な出来事が起これば叫ぶ前に、呆気に取られてどうしようもなくなるのは人も神も同じだ。


 闘技場を転がったのは、ヴァルキュレ様の勇者イーサン=シフォーの苦痛に歪んだ生首だった。

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