第百二十章 別れ

 魔王城から戻ると、ターマインの空は綺麗に晴れ渡っていた。アルテマイオスを倒したことでイクスフォリアを覆っていた邪気が消え去ったのだろう。


 王宮には多数の兵士が整列していて、私達が喋るのを今か今かと待っているようだった。


「……魔王アルテマイオスは、竜宮院聖哉が討伐した」


 ジョンデが厳かに宣言する。兵士達は一瞬、顔を見合わせた後で、歓喜の雄叫びを上げた。


「勇者様が魔王を倒したぞ!!」

「イクスフォリアは救われたんだ!!」


 大きな歓声と終わらない賞賛に包まれながらも、私の心は塞いでいた。愛想笑いを浮かべていると、ふと騒いでいた兵士達が静かになる。カーミラ王妃が護衛の兵士と共に歩いてきた。聖哉に深々と一礼し、感謝の言葉を述べた後、私の手を握る。


「本当によくやってくれたね」


 笑顔の王妃は、気付いたように辺りを見回した。


「キリコは?」

「き、キリちゃんは……」


 ……魔力の失われたアルテマイオスの死体が塵になると同時にキリコの姿も消え、後には私があげた花のペンダントだけが残った。魔王城で散々泣き喚き、涙は出し尽くした筈なのにまた目頭が熱くなる。王妃はそんな私を抱きしめてくれた。


「そうかい。辛かったね」


 私は女神であることを忘れ、前世の母親の胸で泣きじゃくったのだった。

 


 

 その後、王宮の庭で祝宴が開かれた。ターマインの民衆も呼んでの無礼講だ。侍女に葡萄酒を勧められ、私は普段、飲まないお酒をグビグビと飲んだ。


「ねえ。もっと、ちょうだいよ……」

「あ、あの女神様。これで六杯目ですよね? 少し控えられた方が、」

「うっるさいわねー!! 樽ごと寄越しなさいよおっ!!」

「ヒイッ!? オッサンみたい!!」


 キリコのことがあって、悪酔いしてしまったらしい。足がふらつく。近くで聖哉とジョンデが語らっているようだ。私はボーッとした頭で二人の会話を聞く。


「それにしても本当に全部、お前一人でやっちまったなあ。せっかく軍神に連撃剣を教わったってのによ」

「フン。これから使う機会はいくらでもあるだろう」

「まぁ確かにな。魔王軍残党の処理に、各地の復興。明日からは仕事が山積みだ」


 遠くではしゃぐ兵士を眺めながら、ジョンデは言う。


「それでも、これから時間を掛けてイクスフォリアは立ち直っていくだろうさ」

「そして、お前もこれから時間を掛けて、より腐っていくのだろうな」

「!? うるせえわ!!」


 聖哉に叫んだ後、しばらくしてジョンデは目を伏せた。


「アンデッドの俺がこうして生き長らえるとはな。我ながら、こんな想像をしてしまうよ。『キリコの代わりに俺が死ねばよかったのに』などと、埒のあかない想像をな……」


『ジョンデ。そんなことは言っちゃあダメよ』――話を聞きながら、私はそう思ったのだが、


「うむ。そうだな。そちらの方が断然、良かった」


 聖哉はバッサリ言い切った。い、いやそんなハッキリと……!


 頭を抱えて落ち込むジョンデに聖哉は続けて言う。


「それより、どうする? 俺がいるうちに、スケルトンにでも体を移し替えておくか?」

「い、いや、この体には愛着がある。このままで良い」

「そうか。ならば、お前にコレを渡しておこう」


 聖哉はジョンデに木で出来た小箱のような物を渡した。真ん中にはボタンのような物が数個付いている。


「何だ、コレは?」

「お前の体に巻き付いている土蛇に仕込んだ爆薬の起爆装置だ。脳がアンデッドに浸食され、もうダメだと思ったらこのボタンを押して死ね」

「お、おう、そうか。お前なりの歪んだ優しさだな。一応、礼を言っておく」

「礼などいらん。ちなみにお前が前後不覚に陥り、ボタンを押せない時を考慮し、スペアの起爆装置を王妃に渡してある」


 聖哉が向こうで酒を飲んでいる王妃を指さす。聖哉が起爆装置を見せると、王妃も何処からか起爆装置を取り出し、掲げて笑った。


「持ってるよー!」


 すると、その周りにいた兵士や侍女達も次々と起爆装置を取り出した。


「俺達も持っています!!」

「私もです!!」

「僕も!!」


 言葉を失うジョンデに聖哉は告げる。


「万が一のことを考え、このように信頼のおける兵士達や侍女達にも持たせてある」

「!! いや、そんな色んな人に渡すのやめてくんねえ!? 誤爆したらどうすんの!?」


 ジョンデが焦るのを見て、


「あははははっ!」


 私の口から笑い声が漏れた。私に気付いたジョンデが一人でやって来る。


「全くあの勇者は、本当に……!」

「まぁでも聖哉らしくていいんじゃない?」

「そうかも知れませんけど……だ、大丈夫かな、マジで? いきなり爆死したりしないよな、俺……」

「聖哉のことだから大丈夫よ。どうせ起爆させるまで、長ったらしい手順があるんじゃない?」

「ああ! 言われてみれば確かに!」


 お互いに笑った後、ジョンデが私の顔を見詰めながら、ぼそりと言う。


「……王妃にあのことを言わなくていいんですか?」


 もちろん私の前世がティアナ姫だったことを、だろう。私は遠くで兵士達と楽しげに語らう王妃を眺めた。


「アリアが言ってたんだけどね。生まれ変わった人間に前世の記憶がないのは、全てを忘れて新しい人生を始める為なんだって。それがきっと世界の正しい有様なのよ」

「姫……」

「あっ。私、忘れないよ? 王妃のこともジョンデのことも……もちろんキリちゃんのこともね。けど、私がティアナ姫だったことは、わざわざ王妃に言う必要はないと思う」

「そう……ですか」


 私は沈んだ顔を見せたジョンデを睨む。


「って言うかさあ、ジョンデ! 敬語やめてくんない? 何か変な感じだから!」

「い、いや、しかし、そういう訳には!」


 畏れ多そうに手をブンブンと振るジョンデに、私は意地悪な笑みを見せた。


「あのさ。今まで言ってなかったけど……ジョンデ。アンタ、獣皇隊の入隊試験で魚人にボコボコにされたこと、あったでしょ?」

「えええっ!! 何故それを!?」

「アレね、実は私なの」

「……は?」


 しばらく沈黙した後、


「こ、この糞女神があああああああああ!!」


 ジョンデは激怒して追いかけてきた。私は笑いながらジョンデから逃げたのだった。





「……リスタ。準備が出来たら行くぞ」


 聖哉が私にそう言ってきた時、日は暮れ始めていた。


「もう行くのかい。もっとゆっくりしていけばいいのに……」


 王妃が名残惜しそうな顔を私に見せた。祝宴はこのまま夜通し行われるだろうし、一晩くらいはターマインで過ごしても良いと思う。だが、聖哉は早く帰りたがっているようだ。魔王を倒した今、もはやイクスフォリアに滞在する意味はないと思っているのだろう。逆にこの数時間、聖哉が何も言わず祝宴に付き合っていたのは、キリコがいなくなって落ち込む私の気持ちを考慮してくれたのかも知れなかった。


 私が帰る旨を伝えると王妃はにこりと笑う。


「まぁ……実際のところ、そこまで寂しい気はしないけどね」


 ターマインの外れを指さす。遙か向こう、城壁の近くに佇む、呑気そうな大タルテの姿が見えた。


「ターマインには守護女神様がいるから」

「あはは……あんまり役に立たないみたいですけどね、聖哉いわく」


 それでもカーミラ王妃は、大タルテを見詰めながら昔を懐かしむように目を細めた。


「私に縁のある人はね。いつも人形を残してくれるんだ」


 前世の私は小さい時、王妃に手作りの人形をあげたことがあった。あの人形はグランドレオンに壊されてしまったけれど……。


「今度はずいぶんと大きい人形をくれるんだね」

「えっ?」


 王妃が笑う。ひょっとしたら王妃は全て分かってるんじゃ……ふと、そんな気がした。


 私に近寄るとギュッと抱きしめる。


「またターマインにおいで……いつでもいいから……」

「うん……」


 王妃と離れ、門を出す。そして、私と聖哉は神界への門を潜った。


 途中で振り返ると、笑顔の王妃とジョンデ、そして兵士達の後ろ、遙か向こうで大タルテが無邪気そうに手を振っていた。






 私と聖哉が神界の広場に出た途端、


「リスタ!!」


 アリアが駆け寄って来る。周りにはアデネラ様とセルセウスの姿も見える。更に、変化の神ラスティ様、幽神ネフィテト様など、統一神界の見知った神々の顔もあった。


 私が黙って親指を立てると、先程のターマインの再現。兵士達が祝ってくれたように、神々が口々に私と聖哉を褒め称えた。


 そんな中、アデネラ様が私の肩を突く。


「り、リスタ。こ、これでお前も、じょ、上位女神の仲間入りだな」

「えっ! 上位女神? わ、私が?」

「当然よ、リスタ! アナタは難度SS世界を救ったんだから!」


 アリアに言われても実感が全然湧かない。実際、イクスフォリア救済は100%聖哉の力。私はただ、傍にいただけなのだから。


 素直に喜べなくて戸惑う私にセルセウスが笑顔を見せる。


「それにしても、世界が救われて良かったな! キリコとジョンデも喜んでたろ?」

「……セルセウス。えっとね、」

「うん?」


 言いかけて私は少し黙った。その後、気分を変えてニコリと微笑む。


「そうね! 二人とも凄く喜んでたわ!」

「そうか! またバイトに来てくれないかなあ!」

「ええ。いつの日か、きっと……」

「なら、キリコのエプロン、洗濯しておいてやらないとな!」


 セルセウスがもう着られることのないエプロンを手に取り、厨房の後ろに駆けて行くのを、私は泣きそうな気持ちで眺めていた。





 その後、私は一人、イシスター様の部屋に向かった。イクスフォリア救済完了を報告する為である。


 部屋に入るとイシスター様は神妙な面持ちで私を見詰めてきた。


「リスタルテ。難度SSイクスフォリア救済、誠に大儀でした。そして……」


 イシスター様は深く頭を下げる。


「許してください。ずっと、アナタに真実を隠していた私を」


 私は笑顔で首を横に振った。


「聖哉でさえ真実を知った後、セレモニク戦で倒れたくらいです。世界とキリコの板挟み――私なんかが知っていたら、とても耐えられなかったと思います。そして、結果も変わらなかった。だから……これでいいんです」


 一礼して、部屋を出ようとした時。イシスター様が私に話し掛けてきた。


「行くのですか」

「はい」

「リスタルテ。しかし……」


 近未来が予知できるイシスター様はこれから先、私の取る行動が読めるのだろう。それでも私はきっぱりと言う。


「だって私は竜宮院聖哉の担当女神ですから!」


 



 イシスター様の部屋を出ると、聖哉が通路の壁にもたれて佇んでいた。


「リスタ。門を出せ。もう一度、イクスフォリアに戻る」

「いいけど、それって?」

「うっかり忘れていたことがあった。賢者の村のジジィが魔王を倒した後、来いと言っていたことを思い出したのだ」

「あ。そう言えば、そうだったね」

「たいした用ではない。一人で大丈夫だ。すぐに戻る」

「うん」


 私はいつものように言われるまま、門を出す。場所は賢者の村から少し離れたところに指定した。


 聖哉は門を潜ろうとする。だが、後に続こうとした私に気付くと門を閉めた。


「おい。お前は何をしている?」

「……聖哉に付いていく」

「一人で平気だと言っただろうが」


 私はジッと聖哉の顔を見詰める。


「聖哉が『うっかり忘れた』なんて絶対にないよね? きっと、わざと忘れたよね? 一度、神界に戻ったのは私を置いて一人で行く為だよね?」


 図星だったのだろう。聖哉があからさまに眉間にシワを寄せた。私は得意げに笑う。


「へっへー! ゲアブランデの時みたいに騙されないわよ!」

「面倒臭い女だ」


 聖哉は「ふう」と溜め息を吐いた。


「イクスフォリアは救った。これ以上は蛇足だ」

「その蛇足ってやつの内容、教えてくれる?」

「……賢者の村のジジィ。アイツの正体が邪神の可能性がある」

「へえ。根拠は?」

「イメルという名の村人は賢者の村には存在しない。イシスターの水晶玉で見聞きし、村人全員の名前は把握済みだ」

「流石、聖哉。目ざといわね」

「根拠はまだある。魔王が最後に『神気が吸収される』と言いながら眺めていたのも賢者の村がある方角だ」

「なるほどね」

「邪神はおそらく意識体のみの存在。そして水晶玉を通じ、或いは対象の精神世界へ介入し、魔王やイクスフォリアの幹部達に指示を送っていたと推測する」

「そして、アルテマイオスが死んだことで邪神は強大な力を得た……」

「そうだ。つまり、今までのように単なる意識体ではなくなったということだ。俺やお前のことを殺せるようになっているかも知れない。奴の能力は未知数。戦闘になれば、殺される可能性が高い」

「なら、どうして聖哉は行くの?」

「けじめのようなものだ」

「準備は?」


 しばらく考えて、聖哉は呟く。


ノット・アット・オール全然出来ていない

「聖哉らしくないね」

「だがアイツだけは倒さなければ気が済まん」

「そっか。そうだね。私も同じ気持ちだよ……」


 聖哉はいつも通り淡泊な表情だった。普段、何を考えてるのか分からない聖哉だが、この時ばかりは気持ちが手に取るように分かった。


「お前は来なくていい」


 そう言われても私は聖哉の後ろに、くっつく。聖哉が私を睨んだ。


「来るな」

「やだ」

「来るな」

「やだ」

「殴るぞ?」

「いいよ」

「来るな」

「やだ」


 聖哉は、げんこつを振り上げる。それでも私は頭をかばいも、目を閉じたりもしなかった。やがて聖哉は振り上げた拳をそっと下ろした。私は笑う。


「助けて貰ったり、バカにされたり、好きになったり、嫌になったり、もうよく分かんなくなってたんだけど……やっぱり私とアンタは一蓮托生なのよ」

「腐れ縁だ」

「そうかもね」


 私は聖哉にキリコが付けていた花のペンダントを見せた。


「ねえ、コレ、私が持っていても良い?」

「お前がキリコにやったんだろう。お前の物だ」

「あのね。神界で聖哉が作ってくれたおもちゃ、キリちゃん喜んでたよ」


 照れくさそうにそっぽを向いた聖哉に続けて言う。


「かけがえのない大切な時間を、神界で過ごさせてくれてありがとう」


 しばらくの沈黙の後。聖哉がぽつりと呟く。


「……行くか」

「うん」


 再び、門を開く。異常なほど用心深い聖哉が、今回はゴーレムを生成しないのは、連れて行っても無駄だと悟っているからだろう。


 二人で門を抜けた後、視界に映る賢者の村まで一緒に歩く。隣にいる聖哉の手と私の手が触れ合った。自分でも不思議なくらい自然に、私は聖哉と手を繋いだ。いつもなら振り払われるのに、聖哉はそのまま私と手を繋いでいてくれた。


 私達は少しだけ仲良く進む。


 もう二度と生きては戻れないかも知れない場所に、準備もなく……。


 それでもキリコの運命を弄んだ邪神を許す訳にはいかなかった。

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