第百十六章 覚醒と覚悟

 ナプーン様がエタってから、数日が過ぎた。


 死亡フラグが背中に重くのしかかる私とは裏腹に、その日も神界は穏やかな快晴だった。少し離れたところではジョンデとキリコが木刀を素振りしており、カフェのガーデンテーブルではアリアとアデネラ様がセルセウスの持ってきた紅茶を飲みながら談笑している。


 平和な日常。しかし、不意にアリアが動きを硬くした。私は辺りの空気が張り詰めるのを感じる。


「どうしたの、アリア?」


 近付いて尋ねると、アリアは真剣な瞳を向けてきた。


「リスタ。イシスター様からアナタに伝言よ。今すぐ部屋に来るように、って」

「う、うん! 分かった!」


 私はすぐに神殿のイシスター様の部屋に駆ける。胸が激しく鼓動していた。


 大きく扉を開くと、イシスター様は普段の穏和な表情を改め、厳かに私に語りかけた。


「イクスフォリアの魔王アルテマイオスが覚醒しました」


 ――うっ! つ、遂に……!


『このタイミングでのイシスター様からの呼び出し』――無論、そうであるかもという予感はあった。それでも私の緊張感はMAX状態だ。 


「今まで自身を靄で覆っていた魔王が、一時的にその存在を露わにしたのです。まるで私に見られていることを感知して、自らの目覚めを知らせるように……」

「わ、わ、私、このことを聖哉に伝えてきますっ!」

「竜宮院聖哉なら、今、広場にいるようですね」


 私はイシスター様にお礼を言ってから、部屋を飛び出した。




 

 イシスター様が千里眼で教えてくれた通り、聖哉は広場にいて見知らぬ男神と話していた。


「……いや、ワイは酒の神やからなあ。そういう話は分からへんわ」


 でっぷり太った酒の神に何かを尋ねている様子だったが、今は緊急事態。私は会話に割り込む。


「聖哉!! イシスター様から連絡!! 遂に魔王が覚醒したようよ!!」

「そうか」


 酒の神はポリポリと頬を指で掻く。


「何や大変そうやなあ。ほなワイは、このへんで……」


 酒の神が去った後、私は早速、聖哉にイクスフォリアへの門を出そうかと提案する。しかし聖哉は首を静かに横に振った。


「もうしばらく待て」

「アレ!? 行かないの!?」


 驚いた。流石に魔王が覚醒したと聞けば、すぐにでも出発すると思っていたからだ。


「そ、そっか。うん、ならもう少し……」


 それでも聖哉がまだ準備が出来ていないなら、私は良いと言うまで待つつもりだったのだが……


「勇者。『しばらく』とは、一体どのくらいだ?」


 真剣な声が響く。振り返るとジョンデとキリコが佇んでいる。どうやら私達の会話を聞いていたらしい。


「ど、どうしたのよ、ジョンデ。怖い顔して?」


 ジョンデは私を制止するように手を向けた後、聖哉に話し掛ける。


「これまでの戦いぶりを見て、お前の腰の重さはそれなりに理解しているつもりだ。前回の失敗はイクスフォリアを早く救いたいが故、焦って行動した結果だとも聞いている。それでも、あえて言わせて貰う。近頃のお前はただ意味もなく神界で時間を浪費しているように思える」

「せ、聖哉が目的もなく神界にいる訳ないじゃんか!!」


「そうだよね!」と聖哉を振り返る。しかし聖哉は無言だった。


「先程だってそうだ。魂がどうとか、まるで雑談のような感じで酒の神と喋っていた。俺にはあれが魔王を倒すのに必要な会話だとは思えない」


 聖哉の性格から「うるさい、黙れ」などと一蹴したり、ジョンデの頭に紅茶をかけるかと思い、ヒヤヒヤした。なのに聖哉はジョンデの視線を避けるようにして背を向ける。


「……準備が出来れば、こちらから声を掛ける」


 意外にも、そう言い残して立ち去ってしまう。ジョンデが「チッ」と舌打ちした。そんな中、キリコがポツリと呟く。


「聖哉さん……何かを待っているような気がします」

「『何か』? キリちゃん、それって一体?」

「分かりません。でも私、そんな気がするんです」


 こういう時のキリコの勘は鋭い。だがキリコと同じく、聖哉が何を待っているのか、私にもよく分からなかった。







 次の日。


 セルセウスのカフェに行くと、アリアが目を大きく開いて私を見た。


「リスタ……!! あ、アナタ、まだ神界にいたの……!?」

「うん。聖哉が準備が出来てないっていうのよ」


「あはは」と笑う私にアリアは血相を変えて近付いてくる。


「そ、そんな!! てっきり、もう出発したと思っていたのに!!」

「アリア……?」


 赤く染まったアリアの顔は、怒りを孕んでいるような気がして恐怖を覚えた。ハッと気付いたようにアリアは笑顔を繕う。


「ご、ごめんなさい。今回はいつもより随分長いのね……いや……それもそうよね。だって魔王戦だもの」


 慌ててそう言った後、気まずそうに何処かに立ち去ってしまった。


 あんなアリアを見たのは初めてな気がする。少し狼狽えていると、背後からキリコが私の背中をチョンチョンと突く。


「リスタさん。あの……アリアさんのことなんですけど……」

「ま、まぁそりゃそうよね! 魔王が覚醒したのにまだ神界にいるなんて知ったら、怒って当然よ!」

「いえ。そうではなくて、昨日の話なんです」

「ん? それって?」

「昨日、リスタさんがカフェの椅子に座っていた時、アリアさんがさっきみたいな怖い顔で、後ろからリスタさんに近付いて行ったんです。そして胸元から何かを取り出そうとしているのを見てしまったんです……」

「ええっ!?」

「わ、私、何だか怖くなって、運んでいたティーカップを落としてしまいました! 音がしたのを聞いてリスタさんが振り返ると、アリアさんは焦った顔をして、そのまま立ち去ったんです!」


 ――う、嘘……!! 何よ、それ!? アリア、私に何をしようとしてたのよ!?


「このこと、言おうか言うまいか迷ったんです。アリアさんがリスタさんに変なことをする訳ないですし……」

「そ、そりゃあそうよ! アリアは私の姉さんみたいなものなの! 小さい頃からずーーーっと面倒見て貰ってるし!」

「ですよね! きっと私の気のせいですよね!」

「うんうん! 何かの間違いよ!」


 ……そうは言ったが『死亡フラグ』に加えて『不審なアリアの行動』。私の心はたまらなくモヤモヤとした。


 居ても立ってもいられなくて、アデネラ様に意見を求めようと思い、席を立つ。ちょうどセルセウスが、テーブルに一人でいるアデネラ様にコーヒーを運んでいるところだった。


 私が近付くと、何故だか二人は顔をしかめた。


「り、リスタ。こ、こんなことを言うのは、き、気が引けるが、」

「えっ、何ですか?」

「え、えーと……や、やっぱり、いい。や、やめておく……」

「!? 一体どういうことですか!?」


 叫ぶが、私から目を逸らすアデネラ様。すると隣のセルセウスが、


「ゴホッ、ゲホッ!」


 急に咳き込みだした。


「セルセウス!?」

「な、何でもない! 俺は調理があるから! ……オウフッ!」


 口元に手を当て、逃げるようにして去っていく。


 ――二人とも何なの、あの態度は……って、えええええええええええ!?


 見れば広場にいる神々が妙な顔で私をジッと見詰めている! そして私と目が合うと気まずそうにして目を伏せる! 異様な雰囲気に私の背筋は凍りついた。


 こ、コレは一体!? 私の身に何が起こっているというの!?


 そんな中、体に鎖を巻き付けた神界最強の破壊神が通り掛かった。私は藁をもすがる思いで、ヴァルキュレ様のもとに走る。


「ヴァルキュレ様!! 助けてください!! 変なんです!! 神々が私を見て、妙な顔をするんです!!」


 するとヴァルキュレ様は眉間にシワを寄せた。


「変で妙なのはお前だ、リスタルテ。……ったく、今日は流石に乳も揉む気が失せやがるぜ」

「い、一体どういうことですか!? 教えてください!!」

「他の神が言えねーなら、アタシがハッキリ言ってやる。いいか、リスタルテ……」


 そしてヴァルキュレ様は私をビシッと指さした。


「くっせぇんだよ、お前は!!」

「!! はああああああああああっ!?」


 く、臭いって……体臭のこと!? ってことは、匂いがキツいからみんなして私を避けてたの!? ……ひっでぇな、オイ!!


「普段からほんのり臭ってたが、今日はまた一段と臭え!! 風呂くらい入れ!!」

「し、失礼な!! 私、ちゃんと毎日、入ってます!!」


 イクスフォリアではまともに入浴出来ない分、神界ではいつも念入りに体を洗っている……っていうか、待って待って!! ついさっきも寝覚めにシャワー浴びたばかりじゃない!! なのにもう臭いが!? ……た、体臭ってそんなもの!? いやいや、いくら何でもおかしすぎるって!!


 その時、背後から騒がしい声が聞こえた。


「キリコ! は、放しなさい!」

「だ、ダメです、アリアさん! リスタさんに危害を加えないでくださいっ!」


 振り向いて……驚いてしまう! アリアの放つ神気に顔を背けながらも、キリコがアリアの腕を握って、ジタバタとしているのだ!


「ああっ!」


 叫んだアリアの手から落ちて地面に転がった物を見て、私は総毛立つ! それはドクロマークの付いた小瓶だった!


 ヴァルキュレ様が小瓶を手に取って、まじまじと眺める。


「アリア。まさかテメー、こりゃあ……」


 アリアは観念したようにぽつりと言う。


「遂に……バレてしまったようね……」


 う、嘘でしょ!? まさか、ひょっとして、毒薬とか!? 


「そ、その小瓶、何なのよアリア!?」


 恐れながら尋ねると、思いも寄らない返事が返ってきた。


「これは『ヤガテ・クサクナール』――臭いの神オクシャーレが作った香水よ」

「ヤガテ・クサク……いや何よ、ソレ!?」

「体臭を何百倍にも強める強烈な成分を含んでいるの。リスタ。私は今まで隙を見ては、これをアナタに振りかけていたのよ」

「!! アリア、どうして私にそんな酷いことすんの!?」


 じゃあゲアブランデやイクスフォリアで『臭い』とか『すっぱい』とか言われ続けてきたのは、アリアのせいだったの!?


「これの凄いところはね。振りかけても、すぐには効果が出ないところなの。更に、振りかける回数によって悪臭発生までの時間を調節することも出来るのよ」

「いやだから何でそんなものを私に振りかけ、」


 言いかけて気付く。いつしかアリアは涙ぐんでいた。


「……アリア?」

「水晶玉で見たでしょう? 一年前の魔王戦、私はアルテマイオスに丸呑みにされて、一巻の終わり。我ながら涙が出るほど情けないわ」


 私の隣ではキリコが思いついたように言う。


「アリアさん……ひょっとして、リスタさんが魔物に食べられないように?」


 涙をこぼしながら、アリアはキリコに笑いかける。


「そうよ。リスタには私と同じ思いをして欲しくなかったの……」


 た、確かに豚の獣人ブノゲオスは、すっぱい臭いがする私を『腐った変なもの』と罵って、食べなかった! あの時はハラワタが煮えくり返ったけれど……そっか……ヤガテ・クサクナールのお陰で私、助かったんだ!


「そ、そういうことなら直接、私に言ってくれたらよかったのに!」

「だって……『やがて臭くなる』と知ったらリスタ、嫌がるでしょう?」

「うん。そりゃあまぁ絶対、確実に嫌がると思うけど……」


 私は泣いているアリアの肩に手をのせた。


「でも嬉しいわよ! アリアは私のこと、気遣ってくれたんだもん!」

「リスタ……!」

「ヤガテ・クサクナール……これからは自分で振りかけるわ!」


 するとアリアは泣きながら、私に抱きついてきた。


「リスタ! お願い! イクスフォリアを救って!」

「任せて! 私、頑張るから!」


 抱き合う私達を見て、ヴァルキュレ様が豪快な笑い声を上げた。そして私の背中を力強く、バンと叩く。


「よーし!! 頑張れよ、体臭の女神!!」

「!! 治癒の女神ですけど!?」


 私がツッコむのを見て、キリコは楽しそうに笑うのだった。


 




 その日の夜も、私はいつものようにセルセウスに借りた部屋で、キリコと一緒にベッドで寝ていた。


「リスタさん……」


 暗くした部屋の中、急に隣のキリコが話し掛けてきた。


「ど、どうしたの、キリちゃん? ひょっとして私、臭い? おっかしいな! もっと後で匂いが発生するように、調整した筈なんだけど!」

「違います」

「じゃ、じゃあガチの体臭!? ちょっとマジで!?」

「いえ。匂いの話じゃありません」


 キリコはくすくすと笑う。


「私……リスタさんと一緒にいると、毎日すっごく楽しいです!!」

「そ、そう?」

「ジョンデさんは早くイクスフォリアを救って欲しいみたいです。私も勿論、同じ気持ちなんですけど……でも一方で、こんな楽しい日々がずっと続けばいいなぁ、って思います」


 少し口をつぐんで、キリコは照れたように頭を掻いた。


「不謹慎……ですよね……?」

「うぅん。私だってそうだよ。このままいつまでも幸せに暮らしたい」


 それは紛うことなき本心だった。


「リスタさん。私がバラクダ大陸で落ち込んでいた時『良い子には素敵な未来が待ってる』って言ってくれましたよね?」


 キリコは私の手を握る。機械なのに、キリコの手はいつも暖かく思える。


「私、リスタさんがいつまでも元気で楽しくいてくれたら、それが一番幸せです!」

「キリちゃん……!」


 胸が熱くなる。それと同時に恥ずかしい気持ちにもなった。


 キリちゃんってば、いつも自分のことより、他人のことを気にしてる。なのに、私は女神なのに自分のことばっかり心配して……。


 ふと。心に浮かんできた考えがあった。


 私もキリコと一緒で、心の何処かで魔王戦を避けていた。行けば『自分が殺されるかも知れない』という恐怖があった。でも……もしも聖哉が私の気持ちを見透かしているとしたら? だとしたら『聖哉が待っているもの』は、きっと……!

 






 翌日。私は一人、イシスター様の部屋に向かった。


「イシスター様。お願いがあります」


 大女神を前に、ハッキリとそう告げる。


「魔王アルテマイオスとの戦いで、聖哉はまたヴァルキュレ様の最終破壊術式『ヴァルハラ・ゲート天獄門』を使うかも知れません。その時、私はオーダー神界特別措置法施行して聖哉を救います。たとえそれで最奥神界から更なる罰を受けることになっても……」


 しばらく黙った後、真剣な表情でイシスター様は、こくりと頷いた。


「アナタの覚悟は伝わりました。万が一、その時が来れば、私もアナタのオーダーを許可しようと思います」

「ありがとうございます」


 そして私は背筋を伸ばし、イシスター様に宣言する。


「命を賭けてでも、アルテマイオスを倒し、イクスフォリアを救います!」

「命を賭けて……ですか……」

「はい! 私は女神! 世界を救うのに命は惜しくありません!」

「リスタルテ……」

「もちろん、進んで死ぬつもりはありません! セレモニクに呪われた時、聖哉は私に言いましたから! 『簡単に諦めるな。最後の瞬間まで抗い続けろ』と!」


 一晩中、悩んで得た自分の覚悟を言葉に出してみる。恐怖は消え去り、何だか晴れ晴れとした気分になっていた。


 私はイシスター様に、にこりと微笑むと、深く頭を下げてから部屋を出たのだった。






 カフェ・ド・セルセウスでは、聖哉がガーデンテーブルの椅子に座り、腕を組んで目を閉じていた。近付きがたい雰囲気を醸し出しているが、私は迷わず歩を進めていく。


「聖哉。準備はまだ?」

「……行く時が来れば、こちらから声を掛けると言ったろう」


 一つ深呼吸した後、聖哉に対して声を張り上げる。


「私、もう覚悟は出来てるよ! どんな運命でも受け入れる!」


 途端、聖哉が私を見詰めてきた。しばらくしてから、その視線が私の背後にも注がれていることに気付く。


 振り返ると、私の後ろにはジョンデとキリコがいた。二人とも真剣な表情を聖哉に向けている。


「勇者! 覚悟なら、俺もとうに出来ている!」

「わ、私もです!」

 

 少し黙った後、次に聖哉は睨むような目を私に向けた。それでも私は勇者の強い眼差しに負けない。固まった意志を言葉に変えて、聖哉にぶつける。


「聖哉! 魔王を倒しましょう! あの時、救えなかったイクスフォリアを救うのよ!」 

「聖哉さん!」

「勇者!」


 ――アルテマイオスを倒して、カーミラ王妃やキリちゃんが安心して暮らせる平和なイクスフォリアを取り戻す! そう、その為にたとえ、この身が朽ち果てるとしても……!


「行きましょう、竜宮院聖哉! 百年後、二百年後のイクスフォリアの為に!」


 ……やがて聖哉がすっくと立ち上がった。キリコとジョンデ、そして私を順番に見た後、鋭い視線を神界の空に投げる。


レディ・パーフェクトリー準備は完全に整った


 ……ぞくり、とした。


 前回ゲアブランデの魔王戦で、聖哉はその台詞を言わなかった。


 だが、今回。言った後で確実に敵を打ち倒してきた台詞を、聖哉は言ってのけたのだった。

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