第百章 確定した未来
クロノア様とイシスター様に深く感謝した後、私は聖哉と一緒に最奥神界から出た。『時の停止した部屋』の扉を開き、通路を歩くと窓の外には星が輝いている。
「今日はもう遅い。明日こそはイクスフォリアに向かうぞ」
「……うん」
言いたいことは沢山ある筈なのに言葉が出てこない。そうこうしているうちに聖哉は召喚の間に行ってしまった。
――もうちょっと聖哉と一緒にいたかったのにな……。
一人になった私は、ともかくアリアの部屋に行って無事を伝えた。それから神殿を出てカフェ・ド・セルセウスに向かう。
テーブルに座っていたセルセウスにジョンデ、そしてキリコが私を見て、駆け寄ってきた。
「おおっ! リスタ!」
「女神! 無事だったか!」
「リスタさん! よかった!」
「ごめんね。心配かけて。もう大丈夫よ」
キリコを抱きしめていると、ジョンデが尋ねてくる。
「それであの勇者は?」
「召喚の間に戻ったわ。明日、イクスフォリアに向かうって」
「聖哉さんもリスタさんも、もうちょっと休んだ方がいいんじゃ……」
「うぅん。いいの。私のせいで出発が遅れちゃったし」
セルセウスがコーヒーとケーキを持ってきてくれた。しばらく雑談した後で、私は神殿の自室に戻った。
ベッドに寝転がって、目を閉じる。色んなことがあったせいか、体はクタクタに疲れていた。
――聖哉も疲れただろうな。病み上がりなのに、また無理させちゃった。
私には聖哉が普段、何を思い、何を考えているのかよく分からない。でも今回のことで、聖哉だって人並みに傷ついているのだと分かった。いや、本人はまるで気にしていないつもりでも、心の奥の方は傷ついていたのだ。だから……倒れた。
私はキリコに言われるまで聖哉の精神疲労に気付かなかった。機械である筈のキリコが、聖哉のことを私より理解しているのは、サポートする女神として恥ずかしいことだと思った。
――これからは聖哉のこと、もっと気に掛けてあげなきゃ……。あ、あとそういえばネメシィル様って、おじいちゃんのままで良かったのかな? うん、まぁいいか。ほっときゃ元に戻るよね……。
そんなことを考えているうちに、私は眠ってしまった。
気付けば、周り全てが暗闇の中、私は一人ぽつんと佇んでいる。
あ、あれ? さっきまで部屋にいた筈なのに……これって、また夢?
辺りを窺うと、少し離れた場所に誰かいることに気付いて、ギクリとする。
――まさか、セレモニク!? 呪いは解けた筈なのに!!
目を凝らして見ると、周りの闇と同じような漆黒のローブに身を包んでいる。背格好や雰囲気はセレモニクと違う気がした。
「初めまして。女神リスタルテ」
それはハスキーな女の声で話しかけてきた。顔は深く被ったフードのせいで見えなくて不気味だったが、セレモニクではないと分かり、私は少し安心する。
しかし、
「たいしたものだね。
全てを近くで見ていたような女の言葉に、私の背筋は凍り付いた。
「な、何なの、アナタは一体……?」
「ああ、安心するといい。私は神も勇者も殺せない。ただ世界を歪ませることしか出来ない非力な存在だ。だがいつかこの力が、宇宙を正しい姿に変換出来ると信じているよ」
女は乾いた声で笑った後、踵を返した。
「待って!」
私は女を追おうとする。しかし突然、強烈な風が吹いてきて、前に進めない。風で目を細めながら、どうにか女の様子を窺う。いつの間にか、女はローブを脱ぎ捨てていた。
黒、白、赤、青、金……様々な色の毛髪が折り重なるように混じり合っている。強風で棚引く髪の毛の間から見えるのは、黒い翼。刹那、イクスフォリアで何度か聞いたことのある魔物の名前が私の脳裏を過ぎった。
――まだら髪の悪魔……!!
立ち去ろうとした悪魔は、だが、ふと足を止めた。私の方を振り向きもせずに言う。
「君の召喚した勇者は素晴らしい勇者だ。力もあり、深謀遠慮に長けている。だが、それでも……竜宮院聖哉は大切な者をもう一度失う。これは予言ではない。確定した未来だ」
「そ、それってどういう……」
聞き返そうとした次の瞬間、その姿は暗闇に同化するように消えてしまった。
……目を開くとランプの薄明かりだけが、ほの明るく私の部屋を照らしている。頭を少し傾けて見れば、窓の外は真っ暗。まだ深夜なのだろう。
今のは、夢? いや……違う! まだら髪の悪魔が、セレモニクのように私の精神世界に入り込んできたんだ! け、けど、私が神界にいるのにそんなことが出来るなんて……?
色々、思考を巡らせようとするが、体が重いことに気付く。顔だけ動かしてみれば、被っている毛布のお腹の辺りが膨らんでいる。
――な、何……?
意を決し、思い切って毛布をめくる。するとそこには――
「オオオオオオオオオ……」
目鼻が潰れた血塗れの女の顔! 何と、セレモニクが私の上にのし掛かっていた!
「!! ギャアアアアアアアッ!?」
「お前は死んでいないお前は死んでいないお前は死んでいないお前は死んでいないお前は死んでいないお前は死んでいない」
呪詛のように言葉を吐くセレモニクの体は透けており、天井が透過して見えている!
こ、こ、これは、ゴースト!? 死んだ筈のセレモニクが霊体化して復活したというの!? こ、こんなことって……!!
ありえない状況! 同時に私の中で、ある確信が生まれる!
――そうか……! これはきっとアイツの力……! あれが……まだら髪の悪魔こそが、イクスフォリアに巣くう邪神なんだわ……!
私の目前、セレモニクのゴーストが歯のない口腔を開いていた。
「お前の体内に侵入し……もう一度、
「ううっ!」
セレモニクの腕が黒い靄のようになり、それが私の口から体内に入ろうとしていた! 手で防御しようとしても、すり抜けて私の唇に近付いてくる!
――も、もうダメ……っ!
ゴースト相手に為す術もなく、諦めかけたその時。
「……
聞き慣れた平淡な声が部屋に響く! 同時に、セレモニクの体に鎖が巻き付いた!
「聖哉っ!?」
「……万が一、時の神の力を借りて過去に戻ったとして、それでもセレモニクの件が片付かないことも考えてあった」
す、凄いっ!! 流石は聖哉!! で、でもこの声は一体どこから聞こえてくるの!?
鎖を辿ると、ベッドの下から出ていることに気付く。しばらくすると聖哉がベッドの下の隙間から、のそりと這い出てきた!
「うええええええっ!? 何で、そんな所から出てくんの!?」
「こんなこともあろうかと、お前が眠る前からずっとベッドの下で息を殺していたのだ」
「!! 都市伝説ですか!?」
な、何よ、この気持ち悪いような、嬉しいような、不気味なような、頼もしいような複雑さはっ!?
聖哉は鎖でがんじがらめにしたセレモニクを見ながら言う。
「ふむ。ゲアブランデで出会った死神クロスド=タナトゥスに近い存在らしい……いや、邪神の力でそれに近い存在に変化した、というべきか。故に現況、対ゴースト用の破壊術式『アストラル・ブレイク』が作用している訳だが、」
分析をしている途中、鎖で縛られたセレモニクがピクリと動いた。
「オオオオオオオオオオオオ……!」
セレモニクの怨嗟に満ちた唸り声が響く! すると部屋中から腐敗したような腕が何十本……いや何百本と現れる!
「ひええええええっ!? 何よ、コレ!?」
セレモニクの足下からも出現した数本の腕が伸長し、聖哉の鎖を掴んで引き千切る!
「そ、そんな! アストラル・ブレイクが破られた!」
気付けば、部屋には蛇のように蠢く何百本もの腕! そして、鎖から解き放たれ、自由となったセレモニクが私に近付いてくる!
「ころすころすころすころすころすころすころすころす」
――ゴースト化したせいで怨念のパワーが増幅してる!! この部屋はもうセレモニクの呪いのテリトリーなんだわ!! こ、こんなの一体どうしたら……!?
悪夢のような空間で、救いを求めて聖哉を見る。だが、聖哉は普段通り、冷静な態度で言う。
「先程まではセレモニクの存在が消失し、呪いだけが残っていた状態。だが、邪神の力によりセレモニク本体がゴースト化して存在している今なら対処は出来る」
「た、対処って……!?」
「お前のベッドの下に隠れる前に、この部屋の周りに六個の結界石を設置。対象であるセレモニクの髪の毛も入手。更に、セレモニクが取り憑いているリスタから半径500メートル以内の場所で破邪の剣舞を三時間行っている」
「それって……まさか……!!」
聖哉が鞘からプラチナソードを抜いた。プラチナソードはまるで剣自体が発光しているように、普段より数倍眩く輝いている!
「
途端、部屋中が光に包まれ、蠢いていた無数の腕が光の波動に押し流されるように消え去っていく!
――グランドレオンを倒す為にイシスター様から授けられた秘儀を……このタイミングで使うなんて……!!
光の波動によってセレモニクの霊体も朽ちていく! 肉が剥がれ、アンデッドのような姿となったセレモニクは、それでもゆっくりと私の方に近付いてくる!
「こ……ろす……ころすころすころすころすころすころすころすころす」
「ひっ……!」
な、な、何て執念なの!!
恐ろしくて体が震える! しかし……瞬間、セレモニクの霊体に鎖が巻き付いた! 最初は足、それから胴、首に! 気付けば、聖哉の手からだけでなく、部屋中の壁や床からも破壊の鎖が伸びている!
聖哉が射るような視線をセレモニクに向けていた。
「
ヒィッ!? こっちも何だか、もの凄い!!
部屋を覆い尽くすような鎖が「ころすころす」と呪詛のように唱えていたセレモニクの口を含む頭部にさえ巻き付いてゆく! いや、顔どころか体中に幾重にも巻き付き……やがて、まるで繭のようになってしまった!
鎖でグルグル巻きにされたセレモニクを睨みながら、聖哉が自分の腕から出ている鎖を『グッ』と引く! すると、膨れあがった繭が収縮する! 握り潰すような音と共に、鎖の間からドス黒い邪気が飛散した!
……聖哉の破壊の鎖が全て消えた後、セレモニクの姿はもう何処にもなかった。
「た……倒したの? 今度こそ?」
「うむ。おそらくな」
私は腰が抜けて床に座り込んでしまう。しばらくして、呼吸を整えた後、どうにか聖哉に話しかける。
「で、でもビックリした……。六芒星破邪を使うなんて。私、そんな技があったことすら忘れてたよ……」
「グランドレオン戦で使えなかったとはいえ、邪神の加護を断つのに有効な手段だ。常に頭に中にあった」
「そうなんだ……。あっ、でも触媒に使ったセレモニク本体の髪の毛! それって一体いつ何処で手に入れたの?」
「お前と一緒にセレモニクの死体を確かめに行った時に入手していた」
「ええっ!! じゃあ、あの時から六芒星破邪の発動を考えていたの!?」
「念の為だ」
聖哉は私と話しながらも、セレモニクがいた空間を睨んでいたが、やがて小さく頷いた。
「完全に消滅したように思う。それでも、しばらくの間はお前の経過観察を続けよう」
ふと気付いて聖哉に尋ねてみる。
「ねえ。それって、これから私の傍にいてくれるってこと? 夜とか添い寝してくれたりするの?」
すると聖哉は呟く。
「……やはり、もう大丈夫だ。セレモニクは確実に消滅した」
「!! あれっ!? さっきと言ってること違うくない!? ホラ、そこはもうちょっと慎重にさあ、」
「黙れ。うるさい。寝ろ」
「ぎゃふっ!?」
私の顔に枕が叩き付けられる。
「何すんのよっ!!」と枕を取って叫んだ時には、既に聖哉はドアノブを回して部屋から出て行くところだった。
「あっ! 待って!」
しかし聖哉は振り向きもせず、スタスタと通路を歩き……私は部屋の中、一人、取り残される。
ああ、もうっ! ちゃんとお礼言いたかったのに! 枕なんかぶつけるから、変な感じになっちゃったじゃない!
……聖哉がいなくなった後、ベッドに腰掛け、改めてセレモニクとの戦いを振り返ってみた。
私にかけられたセレモニクの呪いは、イシスター様も匙を投げた強烈無比な呪いだった。それを聖哉は、時を遡り、セレモニクを錯覚させるという離れ業で覆した。それでも恐るべきセレモニクの執念は、邪神の力を得て、ゴースト化して復活。再度私を襲う。なのに聖哉は、それすら見越していて、今度は六芒星破邪を使って倒してしまう。
――本当に何て凄い勇者なんだろ……。
聖哉が起こした奇跡の連続に、畏敬の念さえ感じた私だったが、
『それでも……竜宮院聖哉は大切な者をもう一度失う。これは予言ではない。確定した未来だ』
不意に邪神の言葉が頭を過ぎった。
あれは、間違いなく私に向けて言った言葉だろう。つまり邪神は、イクスフォリアを救う前に、私の命が消えると言いたいのだ。
そう。魔王に殺されたティアナ姫のように、再び……。
私はギュッと拳を握り締める。
な、何が確定した未来よ! 聖哉はきっと助けてくれる! それに……バカにしないで! 私だって女神よ! もし万が一、イクスフォリアを救う途中で死ぬとしても、後悔なんかないわ!
聖哉に助けられ、気分が高揚していたせいもあり、その時、私は確かにそう思っていた。
この先の未来。私の想像を遙かに上回る恐ろしい出来事が待ち受けているとは、思いもせずに……。
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