第九十九章 神と人と
「ねえ、聖哉! 何処に行くのよ?」
聖哉は無言で私とイシスター様を引っ張るようにして歩き続ける。神殿の三階に辿り着いた時、遂にイシスター様が口を開いた。
「……竜宮院聖哉。もしや、最奥神界を巻き込むつもりですか?」
「そうだ。時の神とやらに力を発揮して貰う。多少の危険は伴うだろうが、もうこれしか方法はない」
あ……!! ひょっとして、聖哉……時の神クロノア様の力で私を呪いにかかる前に戻して救おうと!? で、でも!!
「時空の
イシスター様の言葉にも、聖哉は振り返りもせず歩く。
「バアさんは時の神を俺に会わせてくれればそれでいい」
聖哉は三階廊下の奥まった場所にある扉の前で立ち止まる。最奥神界へと通ずる『時の停止した部屋』だ。アリアから聞いて存在は知っていようが、聖哉がこの部屋に入るのは初めての筈。聖哉はイシスター様に扉を開く呪文を唱えさせた後、先を歩かせた。
神々の魂が陳列された棚を通り過ぎると、やがて目前に大きな絵画が現れる。曲がりくねった道が、崖の上にある神殿へと繋がっている神秘的な絵。この絵こそが最奥神界の入口なのだ。
絵を前にしてイシスター様が真剣な表情で聖哉を振り返った。
「竜宮院聖哉。気を付けてください。かつて、ある神が最奥神界に申し出た願いが決裂したことがあります。そして、そのことが
――神界統一戦争……。
以前、戦神ゼトもそのことについて語っていた。私が女神として神界に生まれたのは、百年前。おそらくそれ以前にあったことなのだろう。でも『戦争』……平和な統一神界でそんなことがあったなんて、何だか信じられない。
イシスター様は聖哉に念を押していた。
「とにかく最奥神界の神の機嫌をくれぐれも損ねないようにしてください」
「大丈夫だ。うまくやる」
絵の中に入った後、道なりに歩く。神殿の石段前につくと、イシスター様は足を止め、その場に
「最奥神界に
するとゆっくりと神殿の扉が開かれた。
……以前、私の罰を軽減してくれた時は、お声のみでその姿を現されることはなかった。だが、眩い光と共に時の女神クロノア様が扉の中から現れる。
「な、何て……綺麗……!」
自分の置かれている大変な状況も忘れて、その姿に見とれてしまう。
統一神界にいる女神達が普段封印されている白き翼を背にし、神々しいオーラを放っている。きらびやかなドレスに身を包み、長い髪を後ろで一つに束ねた時の神クロノア様は、私が今まで見たどの女神よりも高貴で美しかった。
「イシスターのご指名とあって出てきました」
にっこり微笑みながら、クロノア様はこちらに歩んでくる。そして私を見て、同情に満ちた顔をした。
「リスタルテ……可哀想に。酷い呪いね。私の力で呪われる前の状態に時間を戻してあげたいのだけれど、」
そこまで言った時、
「……ダメだ」
辺りに低い声が木霊した。クロノア様は肩をすくめる。
「うるさいのがいるのよね」
「……時を戻すのは、神の理に反する」
その威厳ある声には聞き覚えがある。理の神ネメシィル様だ。以前、私の治癒の力を戻す時も、最後まで渋っていた。私にとっては『厳格で頑固な神』というイメージだ。でも、きっとこの神の許可がないとクロノア様は動けないのだろう。
皆が押し黙る中、聖哉はクロノア様に語りかける。
「構わん。放っておけばいい」
!! いや何様なのよ!?
聖哉の声はネメシィル様に聞こえてしまったらしい。怒号のような声を発する。
「人間が! 口の利き方を心得よ! 我は理の神ネメシィルなるぞ!」
そして、大きく音を立てて最奥神殿の扉が開かれた! そこから出てきたのは、
「お、おっきい……!」
何と身の丈五メートルはある巨躯の男神だった。顎ひげを蓄えた凛々しい顔付きに、彫像のような体つき。セルセウスの千倍は威厳と威圧感があるように思える。
理の神ネメシィル様は、ずしん、ずしん、と足音を響かせながら聖哉の目前まで歩いてくる!
「わ、わわっ!! 聖哉!! 謝った方がいいんじゃ!?」
だが謝らず、ただネメシィル様を見据える聖哉の頭上から声が轟く。
「我の決定こそ、最奥神界の決定! 時空の改変は禁忌! リスタルテの時間を戻させることなど出来ん!」
あまりの迫力に私は震え、そしてイシスター様でさえ、固くなっている。それでも聖哉は相変わらず表情一つ変えなかった。
「呪いにかけられる前に時間を戻せとは言っていない。一年前の魔王アルテマイオスとの決戦――俺とリスタはそれをただ近くで見学するだけだ」
ええっ!! 一年前に戻り、魔王戦を見る!? そ、それと私の呪いを解くのと一体何の関係があるのよ!?
私には聖哉の意図するところがまるで掴めなかったが、イシスター様はハタと膝を打った。
「なるほど。竜宮院聖哉。確かにそれなら時空改竄を起こさず、リスタルテを呪いから救うことが出来るかも知れません」
「ど、どういう事なんですか?」
私はイシスター様に尋ねるが、
「お前は詳しく知る必要はない」
聖哉にぴしゃりと一蹴される。いや、何でだよ! 私のことなのに!
ネメシィル様は聖哉を睨み付けながら言う。
「それならばイシスターに頼み、水晶玉で過去の様子を見ればよかろう」
「いや。直接、過去に戻り、至近距離で見なければ意味がない」
「過去に戻った時、お前達の姿が魔王や魔物、もしくは第三者に認識されれば、
「そうならないよう、変化の術で魔物に変化していく。更に充分なスペースがあれば、
「……その必要はないわ」
二人の話を聞いていたクロノア様は、マントのような物を私と聖哉に差し出してきた。
「
こ、これなら私達の存在が認識されない! やっぱりクロノア様は優しいわ!
「魔王戦を窺うだけなら何の問題もないわよね。それじゃあ、今からリスタと竜宮院聖哉を一年前のイクスフォリアに送るわ」
クロノア様は、私と聖哉に向けて片手を伸ばそうとする。
だが、その時。
「待て。我はまだ許可していない」
私と聖哉の前にネメシィル様の巨体が立ち塞がる。聖哉がネメシィル様を睨んだ。
「時の神が良いと言っているだろう。どけ。リスタには、もうあまり時間がない」
「口に気を付けろと言ったろうが、小僧!!」
最奥神界を揺るがす怒声が響いた!
「あまり我を愚弄するな……!! 捻り潰すぞ!!」
ハラハラして聖哉を見たその刹那。私は背筋は凍り付く!
……聖哉が鞘から剣を抜いていたからだ!
「竜宮院聖哉!! いけません!!」
私より先に、イシスター様が大声で叫ぶ。
だが……聖哉は剣を構えているだけで動きはしなかった。
「……何だ?」
ネメシィル様が訝しげに呟く。そして、私は気付く。
聖哉の持っている剣から発散された赤黒いオーラがネメシィル様を覆っている! ネメシィル様は、シワが増え、たるみ始めた自らの腕の変化に気付いた!
「わ、我の肉体が……? 何だ、その剣は……?」
――ま、まさか、この剣は……! 神から神気を奪い、弱らせるホーリーパワー・ドレインソード……!
聖哉がネメシィル様に告げる。
「リスタ・ババアソードだ」
「!? 言うなよ、その別名!!」
私は叫ぶが、聖哉はネメシィル様に語りかける。
「理の神ネメシィル。ジジイになりたくなければ条件を呑め」
「……貴様!!」
ネメシィル様が鬼の形相で聖哉を見る……が、そこにもう聖哉はいない! 禍々しいオーラを発する剣をかざしたまま、ネメシィル様から充分な距離を取っている!
「ふざけおって、人間が!! その『リスタ・ババアソード』とやら……へし折ってくれるわ!!」
あの……大変な状況ですけどネメシィル様、あんまりその剣の名前、言わないでください! 恥ずかしいんで!
ネメシィル様は聖哉に対して身を屈め、攻撃体勢を取る! 聖哉はネメシィル様に剣を向け続ける! 構わず、聖哉に突進するネメシィル様! そして次の瞬間、目を疑うような光景が!
しゅる、しゅる、しゅる、しゅる……。
聖哉に近付くにつれ、猿からヒトへの進化絵を逆行するような勢いで、ネメシィル様の体が小さくなっていく!
「え……えええええええ!?」
ようやく聖哉の目の前に辿り着いた時……ネメシィル様は小柄なヨボヨボの老人と化していた。
私は勿論、クロノア様もイシスター様も言葉を失う。そんな中、聖哉は小さくなったネメシィル様に改めて聞く。
「今から俺とリスタは過去に行くが……構わないな?」
するとネメシィル様はプルプル震えながら、にこりと微笑んだ。
「うん。いいよォ、別に」
「!! おじいちゃんになって性格が穏和になった!? ネメシィル様!! タイム・パラドックスはいいんですか!?」
「タイム……はて? 何じゃったかのう。全然わからん。腰、痛い」
地面に座り込んでしまったネメシィル様。呆然とする私達。その隣で聖哉は赤い刀身の剣を眺めていた。
「うむ。良い剣だ。やはり役に立った」
少しの沈黙の後、
「ぶっ……!」
クロノア様が堪えきれなくなったかのように吹き出した。更に、
「あっははははははは!!」
クロノア様と同調するように、神殿から中性的な声が響く!
――こ、この声は……最高神ブラーフマ様!!
最奥神界ナンバー1の創造の神は相変わらず姿を見せない。ただ楽しそうな声が辺りに木霊している。
「久し振りに笑わせて貰ったよ。理の神ネメシィルの許可も出たことだし、過去に戻って魔王戦とやらを見てくればいい」
よ、よし! 最高神もOKしてくれたわ!
「ただ竜宮院聖哉。一つ誤解のないよう言っておくよ。もし仮に、人間である君とリスタルテとの立場が逆だったら、我々は決して動かなかっただろう。リスタルテは女神。統一神界に住む神は我々の子だからね」
つまり『人間なら、どのような苦境であっても見捨てる』ということだろうか。飄々としているが、冷たい言葉だと思った。だが聖哉はブラーフマ様の言葉に対し、「フン」と鼻を鳴らしただけで何も言い返さなかった。ただクロノア様に近付いて、耳元で何やら囁いている。
「……分かった。そのタイミングね。それじゃあ、これよりアナタ達を一年前のイクスフォリアの魔王城に送るわ」
私は聖哉と共に
「いい、リスタルテ。十分間よ。十分経てば強制的に最奥神界へと戻すから」
「わ、分かりました!」
「竜宮院聖哉。リスタルテをよろしくお願いします」
イシスター様に聖哉が僅かに頷いた。クロノア様が私と聖哉に片手を向けてくる。
「用意はいいわね? いくわよ……」
そして、私達の周りの空間は歪む。視界に映るクロノア様とイシスター様の姿が段々と遠くなっていった……。
ふと気付けば私と聖哉は薄暗がりの中にいた。辺りは邪気と血の臭いが満ちている。
――こ、此処は魔王城……? うう……何て嫌な感覚……!
突然、聖哉が私の腕を引いた。二人で傍にあった石柱の陰に隠れる。私達の声や姿や気配は、第三者には感覚出来ないらしいが、それでも念の為に身を隠すのは聖哉らしい慎重さだった。
石柱から様子を覗き見る。私達から離れた所では、最終形態となり、醜悪な怪物の姿に成り果てたイクスフォリアの魔王アルテマイオスが、天に四本の腕をかざしていた。
「力が……邪悪な力が漲ってくる! これが邪神の力か! 今からイクスフォリアを魔界に変えてくれる!」
勇者を殺し、邪神の加護を得たのだろう。アルテマイオスは高笑いをしながら、魔王の間から出て行った。しばらく周りの様子を窺った後、聖哉はそろりと魔王がいた場所に近付いていく。私も無言で聖哉の後を追った。
急に聖哉がジェスチャーして、私の動きを止めさせる。前方に何かが倒れているようだ。
――あ、あれって……もしかして……!!
聖哉は一人でそこに近付いていき、しばらくした後で帰ってくる。
「自業自得で向こう見ずなバカが死んでいる」
「そ、それって、」
「うむ。昔の俺だ。心臓を抉られ、頭部を潰されていた」
自分の死体を見た後も、まるで他人事のように聖哉は平然とそう言っていた。
「それよりリスタ。どうだ? お前の体に変化はあるか?」
「へ、変化って……うぷっ……吐き気はするけど……!」
「そういうことではない。ふむ……おかしいな。アリアから聞いていた話によれば、魔王はティアナ姫を殺害し、腹の子供を食べた直後に俺を殺したらしいが……」
聖哉はふと気付いたように頷いた。
「すると……そうか。まだ生きているのか」
「えっ?」
その時。暗闇の向こうから、か細い声が聞こえきて、私は心臓が止まりそうになる。
「な、何、今の声!? 他に誰かいるの!?」
「あっちだ」
おそるおそる聖哉に付いていく。そして私は息を呑んだ。
「聖哉ぁ……どこ……どこ?」
私の目の前には血塗れのティアナ姫が倒れていた! 腹部から大量の血を流し、目や口からも出血している!
――そ、そんな……!! お腹を引き裂かれ、子供を食べられて……それでも私は……ティアナ姫はまだ生きて……!?
「暗いよ……痛いよ……怖いよ……」
哀れだった。もはや目も見えていないのだろう。過去の私は体を痙攣させながら、暗闇の中、刻一刻と迫る死の恐怖と戦っていた。
「聖哉……痛いよ……苦しいよ……聖哉ぁ……」
――ううっ!
見ていられなくて、ティアナ姫から目を背ける。そして聖哉を振り向いた時、私は吃驚する。
聖哉がクロノア様に貰ったマントを脱ぎ捨てていたからだ。
「せ、聖哉!? ティアナ姫に姿を見られちゃうよ!? タイム・パラドックスが……!!」
「もはや、この女の死は決定事項。俺達に気付いても死人に口なし。パラドックスは起こらない」
そして聖哉はティアナ姫に近付いていく。
「……ティアナ。此処だ」
聖哉の声を聞いたティアナ姫は、苦痛の表情を少しだけ緩めた。
「聖哉……? 聖哉なの?」
「ああ、そうだ」
「聖哉ぁ……よかったぁ……」
聖哉は黙ってティアナ姫の手を取った。
「ねえ、私……死ぬのかな?」
「そうだな。だが、死は生まれてくる前の状態に戻るだけだ。怖くはない」
「そっか……」
「俺もすぐに行く。また会おう」
そうして。ティアナ姫は動かなくなった。
……いつの間にか、私の目から涙が零れ落ちていた。
慎重な聖哉のことだ。少しでもタイム・パラドックスが起こる可能性のある事柄なら避けて通りたかった筈。
――でも……それでも……死の淵で苦しむティアナ姫を放っておけなかったんだ……!
涙で滲んだ目で聖哉とティアナ姫を見ていた、その時。私の体から『ぶわっ』と邪気が拡散した!
えっ!! こ、これは!?
今まで私の体を覆っていた邪気が離れた所で形を作っていく! そして、現れた目鼻の潰れたセレモニクが、手探りしながら、よたよたと事切れたばかりのティアナ姫に近寄っていく!
「おおおおおおおおお……女神の魂は天に召された! 死んだ死んだ女神は死んだ! 呪いは成就した成就した成就した……」
セレモニクは満足げに呟くと、辺りの闇に溶けるように忽然と姿を消した。
……聖哉が無言で、呆然と立ち尽くす私を見詰めていた。
「邪気が消えた。どうやら上手くいったようだな」
「セレモニクの呪いが解けた……? 一体どうして?」
「リスタと同じ魂を持つティアナ姫が殺された後、魂が天に召される瞬間をセレモニクの呪い本体に感覚させたのだ。狙い通り、セレモニクは錯覚し、呪いが解けた」
「そ、そういうことだったんだ……!」
「万が一、お前に宿る呪い本体が最奥神界で俺達の会話を聞くことが出来た場合、この策が露見する恐れがあった。だからお前には詳しく言わなかったのだ」
クロノア様の時の魔法が切れて、私達が最奥神界に戻るまで後数分。その間に私は聖哉に言う。
「聖哉……ありがとうね」
「礼はいらん。今回、お前が呪われたのは俺のせいでもあると言ったろう」
「違う。違うの。ティアナ姫を……看取ってくれてありがとう」
「より近くでセレモニクに、お前が死んだと錯覚させたかっただけだ。それに、」
くずおれたティアナ姫の遺体をちらりと見た後で言う。
「この状態だ。俺の言葉など届いていたかどうかも分からん」
「……そんなことない」
「何故分かる?」
「だって……だって私は……すごく嬉しかったから……!」
泣きながら言うと、少し黙った後で聖哉は呟く。
「そうか。ならば、そうだな」
やがて私達の周りの空間が歪む。時間が来たのだろう。私達は一年前の魔王城から最奥神界へと戻ったのだった。
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