第九十二章 別件
数珠や指輪などを身に付け、また壺を小脇に抱えながら、私は複雑な気持ちでカフェに戻った。早速、アリアに愚痴をこぼす。
「あんな修行でホントに呪い封じ出来るのかなあ。そもそも修行っていうかショッピングだったような気がするんだけど」
「うーん。やっぱりバルドゥルって噂通りの神みたいね。ま、まぁ、どちらにせよ、呪い封じは『念の為の習得』だった訳でしょう?」
「そりゃあ私もそのつもりだったんだけどさー。お小遣い殆ど、はたいたんだから、ちょっとくらい目に見えるような変化がないと虚しいわよ……」
ぼやく私をアリアは目を細めながら見詰めていた。
「でも、リスタ。アナタ、体から神気が溢れてるわよ?」
「えっ、嘘!? ホント!?」
同時に背後から明るい声が聞こえる。
「すごいです、リスタさん! さっきより眩しくて神々しいです!」
振り向けばキリコがコーヒーを載せたトレイを持ちながら興奮していた。
驚きつつ、私は壺と数珠を眺める。
――この神具、本当に効果あるんだ……!
出費が全くの無駄ではないと知り、少し安心した。私はキリコに差し出されたコーヒーカップを笑顔で受け取る。
「ありがとう、キリちゃん!」
「はいっ!」
元気に返事をするキリコがエプロン姿なのに気付く。どうやら本格的にセルセウスに働かされているらしい。
「それでどう、セルセウスは? イヤなこと、されてない?」
キリコに尋ねたその時だった。
「何だ、これはああああああああ!!」
ジョンデの絶叫が聞こえた。見ると離れたテーブルでセルセウスとジョンデが真剣な顔で向かい合っている。
や、やっぱり、あの二人……気が合わないんじゃないかって思ってたのよね!
私は急いで、二人のもとへと向かった。
「ちょっと! ケンカはやめなさいよ!」
しかし、どうも様子がおかしい。ジョンデは食べかけのケーキの皿を手に持ったまま、熱い視線をセルセウスに送っていた。
「こんなうまいものは今まで一度も食べたことがない!!」
「ほ、ホント? 俺の作ったケーキ、そんなにおいしい?」
「うまいなんてもんじゃない! アンタは天才だ!」
愕然とするセルセウスの手をジョンデが握り締める。
「こんな素晴らしいものを食べさせて貰って何もしない訳にはいかん! 俺にも手伝いをさせてくれ! まずは皿でも洗おうか?」
「あっ、じゃあお願いしようかな……」
呆然とジョンデを見送るセルセウスに、今度はキリコが話しかける。
「セルセウスさん。この食器の配置は此処でいいですか?」
「ああ、うん。そこで全然問題ないよ……」
ジョンデとキリコが去った後も、セルセウスは魂が抜けたようにその場に立ち尽くしていた。
私はセルセウスに近付いて、肩を叩く。
「よかったわね、セルセウス! 良いバイトが見つかって!」
そして振り向いたセルセウスを見て驚く。何とセルセウスは滂沱の涙を流していた!
「!! いやアンタ、何で泣いてんの!?」
「うううっ! モンスターだと見かけで判断した俺が間違っていた! アイツら、何て気持ちの良い奴らなんだ! ぐすっ!」
「だからって、泣くことないじゃんか……」
しばらく男泣きした後、セルセウスは涙を手で拭う。
「『ずっと此処に居てくれていい』――アイツらにはお前からそう伝えておいてくれ」
微笑みながら私はアリアのいるテーブルへと戻った。
「アリア! あの三人、仲良くやってるみたいね!」
「ええ。意外と気が合うようね。よかったわ」
私と一緒にしばらく笑い合った後、アリアはふと、何事かを思い出したような顔をした。
「ところでリスタ。聖哉なんだけど、さっきイシスター様の部屋に行った後で一旦、此処に戻ってきたの。その時、私に魂のことについて聞いてきたのよ」
「魂?」
どうやら聖哉はアリアに、生まれ変わりのことや人間の魂の成り立ちなどを尋ねていたらしい。
アリアは不思議そうに語る。
「今までそんなことに興味なんてなかった筈なのに。それで、私も魂について知っている限り教えたつもりだけど……あまり満足はしなかったみたい。『まぁいい。とにかくセレモニク用の修行を開始する』って言ってから立ち去ったの」
聖哉が魂のことを知りたがっていた? 一体、何の為に? イシスター様に呼び出されたことと関係あるの?
「そ、それで聖哉は今どこで修行してるの?」
「えぇと、確か『ステイト・バーサーク』だっけ? それをもっと高めるって言って、それで……」
「ステイト・バーサークを高める、ですって!?」
――まさか!! 絶対に無理だと言われた
「私、ちょっと様子、見てくる!! アリア、この壺、持ってて!!」
「ちょっとリスタ!? 話は最後まで……って、重っ!? この壺、結構重たいわ!!」
よろけるアリアを残し、私は再度、神緑の森に向けて駆け出した。狂戦士状態の段階向上を狙っているなら、戦神ゼトのいる帰らずの井戸に行ったに違いない。
夕暮れ時の神緑の森――その奥まった場所に進めば、木々が血のように赤く照らされ、神界にあるまじき不気味な雰囲気を醸し出していた。何とか日が落ちるまでに帰りたいと願いながら、私は帰らずの井戸を目指す。
その途中、聞き覚えのある声に呼び止められた。
「あら、これはリスタさん。ご機嫌麗しゅうでございます。今日はどちらへ?」
言いながら矢をつがえた弓を下ろす。かつて全裸で聖哉を襲おうとした変態女神――もとい、弓の女神ミティス様は、あれが夢であったかのように清楚で可憐な笑みを顔に湛えていた。
「ええっと、これから帰らずの井戸に行かなくちゃならなくて……」
「そうでございますか」とアゴに指を当てたミティス様は、自らこう申し出てきた。
「森の中、一人では寂しいでしょう? よかったら私がお供するでございます」
「い、いいんですか? なら、お願いしちゃおうかなあ!」
帰らずの井戸に近付くほど森は更に、おどろおどろしくなっていく。もし日が落ちれば視界も悪くなるだろうし、そんな時、森に詳しい付き添いがいるのは心強い。ミティス様は男を見ると見境なく襲ってくる変態女神だが、女性には無害なのでその点は安心だ。私はミティス様の申し出を快諾したのだった。
イクスフォリアでの冒険の話などをしながら、私はミティス様と並んで森を歩いた。
一人で歩くと長く感じる道中も、二人で話しながら行くとあっという間である。やがて、不気味な古井戸が見えてきた。
「あっ、帰らずの井戸!」
私は井戸に駆け寄ると、井戸の底へと通じる縄ばしごを下り始める。
「私も一緒に下りるでございます」
そう言って、ミティス様も付いてきてくれたのだが……
「あれれ!? こ、こんな!! どうして!?」
井戸の底に下りた私は驚愕していた。
以前、聖哉が修行した時、井戸の中は広大な空間だった。しかし今は、私とミティス様、二人がいるので精一杯の狭い空間。単なる枯れ果てた井戸の底にはゼトの姿もない。まるで狐につままれたような感覚だ。
――ぜ、ゼトが消えちゃった!?
一体これはどういうことなのだろう。引っ越し? それとも……?
色んな考えが頭の中に渦巻いたが、
「……リスタさん」
突然、ミティス様に呼ばれ、振り返る。その途端、私の思考は停止した。
「!? な、な、な……!!」
ミティス様はいつの間にかドレスを脱いで、真っ裸になっていた!
「ちょっとォォォ!? 何でいきなり服、脱いでるんですか!?」
意味が分からず叫ぶと、ミティス様は薄暗がりの中、私ににじり寄ってきた。
「毎日毎日、たった一人、森で弓の修行……男神との触れ合いなど全く無い日々の中……私は最近、こう思うようになったのでございます……」
そして、トロンとした目を私に向ける。
「もう、女神でも別にいいかな、と……」
「!! 冗談ですよね!?」
戦慄する――と、同時にミティス様が私に抱きついてくる!
「さぁ、リスタさん!! 此処で一緒に愛し合うのでございます!!」
「わ、わ、私、そっちの趣味ないですからああああああああああ!!」
だが、聞いていない! 呼吸を荒くしながら、私のドレスを剥ぎ取ろうとする!
な、何て力!! そして何て性欲なの!!
「アヒャヒャ!! ガチ百合の世界にようこそおおおおおおおおお!!」
ヒイッ!? 笑い方と顔が怖い!! それから『ガチ百合』って何!? ダメだ、この女神、やっぱり変態、ってかもう呪われてるとしか思えないレベル……あっ!!
押し倒され、馬乗りされつつ、私はあることに気付き――手首から取った数珠をミティス様に向けた。
「へ、ヘイヘーイ!! ヘイヘイヘイヘーイ!!」
「呪われし性欲よ、消えたまえ!」と念じながら、私は叫ぶ! 壺はアリアに預けたが、体中にバルドゥルから買った数珠や指輪が沢山付いている! 何らかの効果はある筈だ!
しかしミティス様は、ヘイヘイと叫ぶ私を眺め、頬を染めて親指を噛んだ。
「まぁ……そんなに興奮して……! 満更イヤそうでもないでございますね……!」
「ヘイヘ……違うわ!!」
それでもいくら叫んでも何も起きない。恍惚としたミティス様の顔が私の顔へと近付いてくる。
泣きそうになった、その時。
『バサバサバサ』
沢山の細長くて白いものが私の顔の上に落ちてくる。ミティス様はそれが自分の毛だと分かった瞬間、顔色を変えた。
「これは……わ、私の頭髪……でございますか!?」
驚きつつ頭をさするミティス様に、私は厳しい視線を送る。
「い、今のは軽くハゲさせただけ! でもこれ以上、妙なことしようとすれば完全なスキンヘッドにしますよ!」
ミティス様も流石に女神。己の外見は大事なようだ。すぐさま私から飛び退いた。
「か、勘弁!! スキンは嫌でございます!!」
……井戸から縄ばしごを上がって出た後、私達は距離を取って歩いた。
「もう嫌ですわ、リスタさんったら。さっきのは、ほんの冗談でございますのに……」
嘘っ! 私が髪の毛落とさなかったら、本気で襲ってたくせに!
「それにしてもリスタさん。ビックリしたでございます。いつの間にか『脱毛の女神』になったのでございますね」
「違います!! もうミティス様は黙っていてください!!」
神緑の森から帰った後で、私は神殿にある勇者召喚の間に向かっていた。
疲労困憊で戻ったカフェで、アリアから聖哉がアデネラ様と召喚の間で修行していることを教えられたのだ。
……何のことはない、私の早とちりだった。バーサークの修行と聞いて、ゼトのところだと思ってしまったが、そうではなく、聖哉はアデネラ様と修行することで狂戦士状態のまま、剣技に磨きをかけるつもりだったらしい。
――ああ、何て無駄足……。
肩を落としながら、召喚の間の扉を開く。
「む……リスタ。勝手に入ってくるな。修行中だ」
髪の毛と瞳を赤く染めた狂戦士状態の聖哉は、アデネラ様との剣の打ち合いを止めて睨んできたが、疲れの溜まっていた私は構わず呟いてしまう。
「いつも通り、此処で修行してたんだね……」
聖哉は、フンと鼻を鳴らした。
「圧倒的な攻撃力で、呪いなど発動する前に倒してやる」
言い終わると聖哉は再度、剣を構える。何も言わずともアデネラ様も既に聖哉の動きを察知、戦闘態勢を取っていた。
「ステイトバーサーク・フェイズ2.7……!」
聖哉のその言葉に、私の体に重く覆い被さっていた疲労が吹き飛んだ。
――フェイズ2.7!? グランドレオン戦も、オクセリオと戦った時でも、段階は2.6までが最大だった!! その段階を更に少し上げたというの!?
しかし、驚いたのはそれだけではない。バーサーク状態で、神剣と化したアデネラ様の両手のガードを崩した後、聖哉は大きくプラチナソードを振りかぶった。
「
耳をつんざく轟音と共に召喚の間の床が爆裂する! 同時に巻き起こった衝撃波で私は弾き飛ばされた! その後、どうにか身を起こすと、直撃した床は大きく陥没! 更にその余波で床の至る所に亀裂が走っている!
「何て威力……!! ってか、聖哉!! アデネラ様は!?」
「無論、加減はしている。本気で当てるつもりはない」
聖哉が示した指の先を見ると、宙高く跳躍してアトミック・スプリットスラッシュをかわしたアデネラ様が下りてくる。
ああ、よかった……アデネラ様が無事で! それにしても凄い威力ね! まぁ通常のアトミック・スプリットスラッシュだけでも凄いのに、それをバーサークで攻撃力を数倍に高めてから放つんだから当然……
「ま、待って!! バーサーク状態なら、スキルや技は使えないんじゃなかったっけ!? ゼトは同時にやるのは不可能って言ってたじゃない!!」
「いや。コツを掴めば不可能ではない」
し、信じられない!! 一体、何なの、この勇者は!? いつもいつも『不可能』って言われたことをあっさり覆してしまう!!
吃驚していると聖哉は事も無げに言う。
「ご飯を食べながら本を読む感覚だ。行儀は悪いが、出来なくはない」
!! そんな感じなんだ!? それなら私でも出来そうだけど……い、いや天才の言うことだから実際は難しいんでしょうね……!!
「ひひひひひひひひひ。か、完璧だ。聖哉は、ま、また強くなった」
天才勇者に畏敬の念を持っていたのは私だけではない。アデネラ様も満足そうに笑っていた。
「き、強力な呪いほど、発動に、じ、時間や厄介な条件を要する。の、呪いなど、わ、私と聖哉のような、そ、速攻タイプには、い、意味がない」
アデネラ様の言葉に頷くと、聖哉は剣を鞘に収める。
「うむ。『ステイトバーサーク・フェイズ2.7』と『バーサーク中の技の同時発動』。怨皇セレモニクの対策はこれで充分だろう」
「おおっ! なら、もうレディ・パーフェクトリーなのね!」
しかし聖哉はジト目を私に向ける。
「リスタ。お前は今、呪い封じの修行をしているらしいな?」
「あ、うん。一応、習得は出来たけど……」
「言っておくが、お前の出る幕など一切ない」
「い、いやでもホラ、万が一の為ってことよ! 聖哉もよく言ってるでしょ! 念の為の準備は必要だ、って!」
「何を言っている。『万が一で念の為』なのが、このアデネラとの修行だ。既にラドラル大陸南沿岸部には堅固な要塞を築いてある。怨皇セレモニクはそこで完全に食い止めるつもりだ。そして、それが万一、難しいとなれば、今見せたステイトバーサーク2.7と技の同時発動を用い、速攻で対象を叩く」
射ぬくような双眸と、体から漲る自信を目の当たりして、私はゴクリと唾を呑んだ。
ほ、ホントに出る幕なんて無さそうだわ! せっかくお小遣い、はたいたのに……!
脱力しながら聖哉に聞いてみる。
「……じゃあ、早速イクスフォリアに行く?」
しかし聖哉の返事は予想外だった。
「いや。もう一日二日、神界に滞在したい」
「へ? レディ・パーフェクトリーなんじゃないの?」
「怨皇セレモニクに対応する準備は完全に整った。だが……」
聖哉は私の顔をちらりと見た。何かを言いかけた気がしたが、そっぽを向く。
「まだ別件が残っている」
「別件?」
相変わらず多くを語らず、聖哉は踵を返すと一人、召喚の間を出て行った。
――何だろ? イシスター様に呼び出されたこと……それにアリアが言ってた話と関係あるのかなあ……?
『敵に対抗する準備は整っているにも拘わらず神界に残る』――何やらいつもと違う感じがした。だが、数日の滞在は元々、想定内だったし、私達はもう少しの間、神界で過ごすことにしたのだった。
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