第九十三章 無命の大地

 神界滞在三日目の朝。私はキリコに会う為、カフェ・ド・セルセウスへ足を向けた。


 普段、アリア達と雑談しているパラソル付きテーブルの向こうには、キッチンを兼ねた小さな建物があり、ジョンデとキリコはそこで休んでいた。


「キリちゃん。入るよー?」


 キリコに割り当てられた部屋に入る。狭い室内、キリコは部屋隅でシーツを被っていた。


「あ、ごめん! 寝てたの? ってか、キリちゃんって眠るんだね?」


 するとキリコは恥ずかしそうに頭を掻く。


「いえ、全然眠くはないんですけど、セルセウスさんが『頑張って働いた後は寝なきゃあダメだ』と言うもので……」


 ええー……どうしてロボットを寝かしつけようとするの? セルセウスって、やっぱりすごいバカなのね……!


「ゴメンね、キリちゃん。あのバカには私から言っておくから」


 しかしキリコはブンブンと頭を振った。


「いいんです! 私、セルセウスさんには感謝してます! それに、人間みたいに扱って貰えるのって、何だかとっても嬉しいんです!」

「そ、そう?」


 まぁ本人がいいって言ってるなら、別にいいか……。


「じゃあ、キリちゃん。ちょっとこっちに来て?」


 私はキリコを部屋にある鏡台の前に座らせた。


「女の子だもんね。ちょっとくらいオシャレしないと」


 そして用意していた花のペンダントをキリコの胸に付ける。


「こ、これは?」

「キリちゃんがターマインで育てていたお花! 枯れる前に一輪だけ取ってパウチしておいたんだ! プレゼントよ!」


 しばらく呆然としていたキリコは、やがて私の手を握り、ブンブンと上下に振った。


「ありがとうございます、リスタさん!! 大切にします!!」


 思った通り、キリコは喜んでくれた。胸に付けた桃色の花のアクセサリーは、キリング・マシンとしての見た目の殺伐さを和らげた気がする。


 私は満足げに鏡越しのキリコを眺めていたが、キリコも隣に映っている私を見ているようだった。


「リスタさんって本当にきれいです!!」

「えー。そんなことないよー」


 謙遜したが、テンションは密かに上がる。普段、聖哉にけちょんけちょんに扱われているせいで、私は褒め言葉にめっぽう弱くなっていた。


 改めて自分の顔を眺めてみる。


 ――そうよね? そうだよね? 私ってやっぱり綺麗なのよね? 女神だもんね? なのに聖哉はどうして私の魅力に気付かないのかしら!


 きれい、きれい、うふふ、私はきれい……ナルシスト気味にウットリとしていたのだが、不意に鏡に映った私の口角が下がっていることに気付く。


「え……?」


 そして心なしか、ほうれい線もクッキリと。


「は……?」


 更に額や目尻には無数の小じわが出現! 美しい金髪も見る見るうちに白くなっていく!


「な、な、な、何よコレェ!?」

「り、リスタさんっ!? きゅ、急におばあさんみたいになりましたよ!?」


 二人で驚いていると、すぐ隣から落ち着いた声がした。


「うむ。急激に老け込んだな。凄いパワーだ」

「はああああああああああ!?」


 見ると、聖哉が赤い刀身の剣を私に向けていた! そして、その剣から発散された赤黒い邪気が私を覆っている!


「お前の仕業かああああああああ!?」

「この剣の力だ。以前、獣人から買っておいた邪神のお守りと、生気を吸い取る剣。それらを合成して作った」


 聖哉が剣を私から遠ざけると、私の顔のシワも無くなる。そして近付けると、私はまたもシワだらけのおばあさんになった。


「!! 老けたり、若くなったりするんだけど!? やめてくんない!?」

「不思議な剣だ。鑑定してみるか」


 私は鼻をヒクつかせながら、聖哉と同じように鑑定スキルを発動する。



『ホーリーパワー・ドレインソード――神から発する神気を吸収する剣ね! 近付けただけで神様は老け込み、弱ってしまうわ!』



 私は小刻みに震えながら叫ぶ。


「何なのよ、この使いどころの全く無さそうな剣は!!」 

「『ホーリーパワー・ドレインソード』か。長い名称だ。これからは『リスタ・ババアソード』と呼ぶことにしよう」

「!? さっきからふざけんなよ、お前!!」

「ふざけてなどいない。プラチナソードに代わる剣を開発しているのだ。どうせイクスフォリアでは、魔王を倒せる威力のある武器など既に失われているだろうからな」

「こんな失敗作で魔王に勝てる訳ないじゃん!!」

「失敗とは限らん。いずれ役に立つかも知れん。出来ればスペアも作っておきたい」

「二個も三個もいらんわ、こんなもん!!」


 不気味な剣を道具袋に仕舞う聖哉に軽蔑の眼差しを向ける。


「ってかアンタ、コレを作る為にわざわざ延長して滞在したの!?」 

「いや。今のは『別件の別件』だ」


 意味分かんない!! 一体どれだけ別件があるのよ!? 


「本来の『別件』の方はあまり進んでいない。だからと言って、あまり神界に長居しても仕方がない。滞在は今日までとする。準備をしておけ」


 それだけ言うと、聖哉は部屋を出て行ってしまった。


「何なのよ、もう!!」


 突然おばあさんにされたり、準備をしろと急かされたりして、憤懣やるかたない私だったが、キリコは嬉しそうに話しかけてくる。


「聖哉さんはリスタさんのことが大好きなんですね!」

「は、はあっ!?」

「二人が仲が良いと私は何だか嬉しいのです!」


 今のを見て、仲が良いって……どういうこと!? うーん。キリちゃんってば、やっぱりロボットね。男女のことなんて分かんないか……。



 気を取り直して身支度を済ませた後、ジョンデとセルセウスにイクスフォリアに戻る旨を伝えた。とりわけセルセウスは話を聞くと、名残惜しそうな顔をした。


「また神界に来た時はいつでも寄ってくれ」

「ああ。こちらこそ世話になったな」


 ジョンデと熱く握手を交わしてから、セルセウスはキリコを振り返る。


「キリコもありがとうな。お前のお陰でウチの店が繁盛した」

「い、いえ! 私なんか!」


『モンスターがコーヒーを運んでくるカフェがある』――神界にそんな噂が飛び交い、カフェ・ド・セルセウスはこの二日間、少しだけ賑やかになったのだ。


 セルセウスはいつになく真面目な顔で二人を見詰めていた。


「今まで俺は偏見で物事を見ていた。だが、ジョンデ、キリコ。お前達に出会って俺は変わることが出来た。そもそも剣神としても今までの俺は……ぐっはおおおおおっ!?」


 突如、真剣に語っていたセルセウスが吹き飛んだ! 数メートル先で無様に引っ繰り返り、口から泡を吹いている!


「せ、セルセウス!?」

「セルセウスさんっ!?」


 ジョンデとキリコが叫ぶ。そして、先程までセルセウスが立っていた場所で、聖哉が蹴り上げた足を元に戻していた。失神したセルセウスを指さして、ジョンデが叫ぶ。


「いや、何でいきなり蹴るんだよ!?」

「くだらない話が長引きそうだったからな。早めに処置しておいた」

「そんな理由であんな思い切り蹴るの!? ひっでえな!!」


 聖哉はジョンデに構わず、私に話しかける。


「もう準備は出来たようだな。では、戻るぞ」

「わ、分かったわ……」


 私も蹴られたらイヤなので黙って門を出していると、アリアとアデネラ様が見送りにきてくれた。


「聖哉、リスタ。頑張ってね」

「うん! ありがとう、アリア!」


 私はバルドゥルから買った指輪などの神具をアリアに渡す。


「ま、まぁ、心配ないだろう。せ、聖哉は、格段に、つ、強くなった。も、もはや敵う者など、どの世界にも、そ、そうはいない……」


 アデネラ様に笑顔で頷いた後、聖哉を振り返る。


「それじゃあ、聖哉。とりあえずターマインに行く?」

「いや。ラドラル南沿岸部に作ってある要塞のメンテナンスをしたい」

「ガルバノの近くね。分かったわ」


 だが、その時。ジョンデが珍しく申し訳なさそうな顔で聖哉に尋ねてきた。


「すまないが一つ頼みがある。機皇に支配されていた北の地バラクダ大陸を見に行くことは出来ないか?」

「何故だ?」

「キリング・マシン達に支配されていたとはいえ、ひょっとすればターマインのようにまだ生き残っている人間がいるかも知れん」

「ふむ……」


 聖哉は思案するように少し黙っていたが、


「聖哉さん……! で、出来れば私もバラクダ大陸の様子が知りたいです……!」


 キリコにも言われて、聖哉は静かにこくりと頷いた。冷徹なところはあるが、聖哉とて勇者。助かる命が残っているなら救いたいと思っている筈だ。そしてそれは私も同じ気持ちである。


 だが、行ったことのない土地に門を出す時はイシスター様の許可が必要だ。


「リスタ。私がイシスター様にお尋ねするわ」


 話を聞いていたアリアが目を瞑って、イシスター様と会話する。しばらくしてアリアは目を開いた。


「今、イシスター様にバラクダ大陸に門を出す許可は頂いたわ。だけど……」


 アリアが神妙な顔で言う。


「イシスター様は、バラクダ大陸に生き残っている人間はおそらくもういない、って……」


 アリアの言葉に私達は息を呑むが、それでも聖哉は言う。


「邪神のせいでイシスターの千里眼は弱まっているのだろう? 100%確実に生存者がいないとは限らん。実際この目で確かめるまでは、な」

「そ、そうよね! 聖哉の言う通りよ! 行きましょう!」


 ジョンデもキリコも頷く。その後、聖哉が土蛇を門から侵入させ、周囲の安全を確保してから私達は門を潜ったのだった。

 




 門を開いた刹那、眼前に広がった光景に私も、またジョンデもキリコも言葉を無くしていた。


 辺りは見渡す限りの焼け野原。至る所に散らばる人骨は数体ではなく、優に百を超えている。


 ――な、なんて酷い……! これじゃあ、やっぱり生きてる人間なんて……!


 そんな中、聖哉だけは普段と変わらず淡々と言葉を発する。


「まぁ、望み薄だが一応、生存者がいるか探査しよう。酷いのはこの地域だけかも知れんしな」


 そして聖哉は膝を付いて、地面に手を当てた。どうやら探索用の土蛇を生み出しているらしい。ジョンデが聖哉に尋ねる。


「ラドラルほどではないが、バラクダ大陸もそれなりに広大だ。全ての地域を調べるには時間が掛かるんじゃあないか?」


 だが瞬間、聖哉を中心にして円状に地面が隆起する。そしてその隆起は水面に落とした小石の波紋が広がるように、凄まじい速度で聖哉から遠ざかってゆく。


「土の神との修行で、移動速度が大幅に向上した土蛇の生成にも成功している。大陸全土の状況把握にそこまで時間は要しないだろう」


 聖哉は目を閉じる。どうやら放った無数の土蛇の目とリンクさせて、状況を見ているようだ。


 時折、聖哉は機械のように簡潔に状況を報告してきた。


「……西方、半径30キロメートル以内、全て、死体だらけ」

「……北方も同様。生存者無し」


 今、聖哉の目には私達には見えない凄惨な光景が映っている筈だ。


「ねえ、聖哉。大丈夫? 辛くない?」

「うむ。沢山の土蛇と視界を共有するのは神経を使う。だが特に問題はない」

「は、はぁ。そーですか……」


 多数の人骨を見ても、全く動揺していないようだ。加えて、私の心配とは全く違うところを気に掛けている。それより私は、集中する聖哉の後ろでキリコがうなだれていることに気付いた。


 私が話し掛ける前にジョンデがキリコの肩に手を当てる。


「平気か、キリコ?」

「お父様――いえ機皇オクセリオは、私の本当の両親はもう死んでいると言っていました。つまりこの土地に両親の亡骸がある、ということなのでしょうか?」


 そう言われ、ジョンデは明らかに狼狽した。


「そ、そうとは限らん! きっとまだ生き残っている人間もいる! その中に、お前の両親がいるさ!」

「そうだったら良いのですが……」


 うつむいたままのキリコに私は近寄る。そして膝を折って、キリコと同じ目線になった。


「ねえ、キリちゃん。キリちゃんはすごく良い子よ。そして、良い子には必ず、素敵な未来が待ってるの」

「素敵な未来、ですか?」

「ええ、そうよ」


 ジョンデが私に同調してくれる。


「ああ、そうだな! ひょっとしたらキリコが人間になる方法だって見つかるかも知れないぞ!」

「わ、私が人間に?」

「希望はあるわ!」

「ほ、本当ですか? も、もし、そうだったら……嬉しいなあ……!」


 そしてキリコは明るい声を出した。


「ありがとうございます! 何だか私、元気が出てきました!」


 しかしその時。聖哉が振り向きもせず、冷たい声を発する。


「いくら良いことをし続けても生涯、報われずに死んでゆく者もいる。そして悪事を重ねても裁かれず、のうのうと暮らす悪党もいる。未来など、どうなるか分かりはしない」


 それを聞いてジョンデが声を荒げた。


「いや何なんだよ、お前はァ!!」


 ホントにそうよ! せっかく頑張ってキリちゃんのテンションを上げてたのに!


 聖哉は首だけ振り向いて、キリコに冷たい目を向けていた。


「キリコ。お前は機械だ。人間になれるかも知れんなどと、過度な期待を持つんじゃない」


 流石に私も我慢出来なかった。


「酷いよ、聖哉!! どうしてそういうこと言うの!?」

「期待させておいて何もなかった時の落胆は大きい。お前はその時、責任を取れるのか?」

「そ、それは……」

「出来ない約束などするな」


 そして聖哉は私に背中を向けたまま、立ち上がった。


「リスタ。門を出せ。此処にはもう用はない」

「え……! そ、それって、まさか……!」

「バラクダ大陸全土の状況を把握した。イシスターの言う通り、生存者はゼロだ。キリング・マシンの残党は未だ大陸の至る所に点在しているがな」

「ま、待てよ! いくら何でもこの短時間でそれは早計だろ! 見落しだってあるかも知れん!」

「見落としなどない。俺の調査は確実かつ完璧だ。生存者は一人たりともいなかった」


 今までの経験上、聖哉の言葉が真実だということはジョンデも分かるのだろう。皆が重く押し黙る中、キリコが口を開く。


「やっぱり、お父様もお母様も亡くなっていたんですね……」

「まぁ最初から分かっていたことだ。この生存者確認は念の為かつ、形式化なものだからな。第一、お前の両親が生きていたところで、お前には顔も分かるまい?」

「そ、そう……ですよね……」


 そして聖哉はキリコから私に視線を変えた。


「時間の無駄だったな。ではリスタ。本来の予定通り、要塞に出向くぞ」

「せ、聖哉! ちょっとはキリちゃんの気持ちを考えてあげてよ!」

「俺の仕事は世界を救うことだ」

「い、いいんです、リスタさん! 次の場所に向かいましょう! そ、それに私……もう此処にはいたくないです……」

「キリちゃん……」


 ジョンデが忌々しげに足下の土を蹴り上げた。口には出さないが『こんなことならバラクダ大陸の探査など頼むんじゃなかった』と思っているのかも知れない。


 塞いだ気持ちで私達はラドラル大陸南沿岸部に向かったのだった。

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