第七十三章 反逆の怪物
翌日。
愚者の塔一階の私の部屋に、馬の獣人がやってきた。
「拷問は試してみたか?」
「ウオ」
「それで、どうだ?」
「ウオ~」
肩を落として見せると、馬の獣人は察したように頷く。
「あれを苦しがらせることは今まで誰にも出来なかった。焦ることはない」
そうして私の部屋を出て行った。
塔の最上階。監禁場所にて私がリンゴを差し出すと、カーミラ王妃は首を捻った。
「……今日も拷問はしないのかい」
「ウオ!」
ニコニコと微笑んだ……つもりだが、魚人なのでうまく笑えているかどうか自信はない。
「一体、何を企んでるんだろうね、この魚は」
そう言いながらも王妃は毒味せずにリンゴにかじりついてくれた。昨日よりは私に対する警戒心を解いてくれたのかも知れない。
聖哉に『何もするな』と言われて、その通りにするのは
「……まだ、あるのかい」
「ウオ?」
「だから……その……果物だよ」
王妃が少し、照れながら言ったのが嬉しくて、私は土蛇が変化した魚の口からオレンジと新たなリンゴを取り出す。そして王妃の手に渡そうとして、
「ウオッ!?」
椅子の脚につまづいて、こけた。立ち上がろうとして、今度は机に頭をぶつける。
「何やってんだい。ドジな魚だねえ」
転がった果物のホコリを払いながら、王妃は遂に声を上げて笑った。
「アッハッハッハ! アンタを見てたら、何だか急に娘を思い出したよ!」
!! ええええっ!? 魚人を見て思い出したの!? ま、まぁその感覚はある意味、凄く正しいのかも知れないけれど!!
「アンタみたいにドジでね。回復魔法以外、何にも出来ない子だった。あ、でもツッコミは得意だったね。その切れ味鋭いツッコミで、家臣や町の者からは『カミソリ・ツッコミ王女』って呼ばれていたよ」
……私、周りからバカにされてません!?
しかし王妃は少し沈んだ口調になって話す。
「まぁその『カミソリ・ツッコミ』だけど、勇者様と魔王を倒しに行ったっきり帰ってきやしなかった。何でも、魔王にやられて死んじまったんだとさ……」
「……ウオ」
私はちらりと王妃の顔を窺った。ひょっとしたら泣いているのでは――と思ったが、王妃はあろうことか片方の口角を上げ、笑みを浮かべていた。
「私は全然、信じちゃいないけどね! あの子は悪運が強いんだ! 未だに何処かでのほほんと暮らしてるんじゃないかって踏んでるんだよ!」
そして「アッハッハ」と快活に笑う。
――うん……まぁ……半分当たりですけどね……。
何にせよ王妃が思ったより元気なのは私にとって嬉しいことだった。
果物を食べた後、私は王妃の肩を揉んであげる。初めは嫌がっていたが、やがて受け入れてくれた。ベッドの上で全身マッサージしてあげると、そのまま眠ってしまった。
私は王妃に毛布を掛けた後、自分の部屋に戻る。
一人になれば気になるのは、やはり聖哉のことだった。
――聖哉……大丈夫かな? アイツのことだから、うまくやってるよね、きっと。
更に翌日。
聖哉のことを思うとソワソワするが、気にしたところで仕方がない。私は私のやるべきことをしよう。そう思い、パンを持って螺旋階段を上る。
扉の鍵を開けてから王妃の部屋に入り、パンと果物を差し出した。
腹ごしらえが終わった後、王妃は今日も私に尋ねる。
「……拷問は?」
私は手と首を振った。
「ウオウオ」
「そうかい」
王妃は私に心を開いてくれたのだろう。こんな話もしてくれた。
「私は別に生まれつき痛みを感じなかった訳じゃあないんだ。だが不思議なもんで魔王が世界を征服した後、何をされても痛みを感じなくなった。拷問だってへっちゃらだ。私はね、これを神様がくれた贈り物だと思っているよ」
……イクスフォリアが魔王アルテマイオスの手に落ちたのはたった一年前。なのにターマインはこの有様だ。自分を除いた王族は皆殺し、家臣は玩具になり、民は食料にされた。きっと地獄より辛い一年間だったことは想像に難くない。
神の贈り物と言っているが、これは一種の心的症状かも知れない。受けた心の傷の為に、王妃は痛覚が鈍くなってしまったのではないだろうか。
それでも王妃は、やせ細った体から意気のある声を出す。
「きっとね、『拷問なんかに屈するな』って神様が私に言ってくれてるんだよ」
まさにその時だった。
「……そりゃあ随分としょぼくれた神もいたもんだな」
不意に野太い声! 私も王妃もギクリとして、その方を見る!
――う、嘘でしょ……!!
扉の傍には、グランドレオンが仁王立ちしていた!
「魔王を倒す力でなく、拷問に耐える力を与えてくれた、か。役に立たねえカスみてえな神だ。もしそんな神がいたらの話だが」
「グランドレオン……!」
王妃が顔色を変えて、獣人の王を睨む。
い、一体いつの間に!? まるで気配を感じなかった!!
だが途端、辺り一面に凶悪なオーラが発散される。どうやら自在にオーラや気配を操れるらしい。
私に近付こうとして、グランドレオンは、顔を僅かにしかめ、足を止めた。馬の獣人が言っていた通り、魚人の臭いが嫌いらしい。
「おい、魚人。話は聞いてると思うが、俺が良いって言うまでこのババアを食うんじゃあねえぞ」
「う、ウオ」
「俺ぁ、このババアの惨めな泣き顔見るまで殺さねえって決めてんだ」
「フン。泣き真似でもしたら、さっさと殺してくれるのかね?」
余裕の表情の王妃が気に入らないらしく、グランドレオンは胸ぐらを掴む。王妃の体が軽々と宙に浮いた。
「黙れ、ドカスが。俺はテメーのその態度が気に入らねえ。皮と骨だけのくせに、命乞いもしねえその態度がな」
乱暴に手を放すと王妃はその場にくずおれた。
「魚人。俺にこのババアの哀れな泣き面を拝ませてみろ。そうしたら俺はお前らの種族を見直してやる。王宮にも入れて、テメーを戦闘部隊に抜擢し、俺の側近にしてやろう」
「ウオ……」
「また様子を見にくるぜ」
そしてグランドレオンは部屋から出て行った。
――ほ、本当に出て行ったのかしら……。
私も聖哉のように、慎重に扉から数度、覗いて確認してみたが姿はない。
ホッとして振り返ると、王妃が私に針を差し出してきた。
「ウオ?」
「ホラ。お前のボスの言いつけだ。そろそろ本気で拷問を始めたらどうだい。そうでないとお前にも危害が及ぶよ」
「ウオウオ!」
それでも私は首を横に振る。流石に王妃が驚いた。
「グランドレオンに言われたのに、まだ断るってのかい!」
もはや呆れたような顔をした後、王妃は私に顔を近付ける。
「お前は見所のある獣人だから教えておいてやるよ。いいかい。グランドレオンはああ言っていたが、獣皇隊の戦闘部隊になんか絶対に入らないことだ。お前の死期を早めるだけだよ」
「ウオ?」
「グランドレオンが、どうして魔王が征服したこの世界で、更に精鋭を集めた獣皇隊なんか作ってるか分かるかい? 奴は野心家だ。魔王アルテマイオスを殺して、この世界の真の帝王になろうとしてるのさ」
――なっ!? そ、そんなことって!!
「私には分かる。グランドレオンには確かにその力がある。『世界を統べる器』って言うのかね。優秀な部下を作るつもりが、アルテマイオスはとんでもない怪物を作っちまったのさ」
急激に不安になってきた。王宮配備の戦闘部隊は聖哉が所属している隊である。
――だ、大丈夫なの……聖哉……!
グランドレオンは単純にステータス値がとんでもなく高いだけでなく、底知れない何かを持っている。それはカーミラ王妃が言う通り、魔王アルテマイオスにも引けを取らない『器の力』なのかも知れなかった。
そして遂にこの日がやってきた。今日は聖哉との約束の日である。夕刻までに聖哉は六芒星破邪を最終段階まで進めている筈であった。
聖哉に言われたより少し早い時刻。私は王宮の中庭に向かった。
相変わらず人気の少ない中庭の更に奥まった所の草むらに向かうと、
『ズボッ』。私はケイブ・アロングの穴に落ちた。
「……リスタ。随分と早いな」
普段と変わらぬ様子の聖哉を見て、安心する。
「聖哉! よかった! 私、アンタに何かあったんじゃないかって!」
「何を言っている。王宮内の
「そ、そう……。でもね! グランドレオンはオーラも気配も消せるのよ! 後は剣舞を行えば終わるんだろうけど、それまで決して気を抜かずに……」
「そんなことはお前に言われるまでもなく当然、把握している。何の問題もない」
そして聖哉はバカを見るような目つきで私を見た。
「問題はいつも、リスタ。お前だ」
「わ、私っ!?」
「そうだ。今から行う『破邪の剣舞』は地下10メートルのケイブ・アロングにて行う。通常、何の問題もない筈だ。お前の存在を除けば……」
「ど、どういう意味よ?」
「イシスターが言っていた。邪神の力が発動している現況、お前は神界へ帰る門は出せない。それでも、門を使ったターマイン内での移動は可能だと。つまり、お前の出す門は俺のケイブ・アロングの中に侵入することが出来る」
聖哉は鷹のような目を向ける。
「今、この差し迫ったタイミングでお前を呼んだのも、このことについて釘を刺す為だ。最後の最後で、くだらないことで邪魔されたくはないからな」
「何よ、それ!!」
「念の為にもう一度、言っておく。六芒星破邪の秘儀はグランドレオンを確実に葬る唯一無二の手段だ。だが、第三者に見られた瞬間、その聖なるエネルギーは飛散してしまう。そして同じ敵に対しては二度と使うことは出来ない。失敗は決して許されないのだ」
「そんなの分かってるってば!!」
「最後にもう一言」
「まだあるの!? しつっこいなあ!!」
「俺は今回、何よりも六芒星破邪を優先する。以上だ」
「あーそう!! そういえば、私もアンタに言っておくことがあったわ!! 私の体にいる魚って、目が見えてたりしないよね!? いっつもアンタに私の行動、見られてると思うとイライラするんだけど!!」
「そんな仕様にはしていない。お前のプライベートなどに興味はないからな。だが、」
聖哉が指をパチンと鳴らすと、私の股から魚がボトボトボトボトボトボトボトと、十五匹くらい落ちた。
「!! どんだけ魚、入れてんだよ!?」
「気になるなら返して貰おう。いくらお前でも後三時間くらいは平気だろうしな。まぁ、それでも念の為、防御用の魚は一匹残してあるが」
「全部取っ払ってくれて結構よ!!」
「ダメだ。それは残す。お前の為ではなく、俺自身の為にな」
……ケイブ・アロングから出た私は聖哉を振り返らず、ズカズカと王宮の庭を歩いた。塔の階段をムシャクシャした気分で上る。
――ああ、もうイライラするっ! 何よ! こんな時までバカにして! 邪魔なんかする訳ないじゃない!
そう。あとたった三時間。それだけ待てば、六芒星破邪は何の問題もなく完成する筈だった。
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