第七十二章 愚者の塔

 カラスの獣人と共に王宮に向かう聖哉の後を、私はひょこひょこと付いていった。


 近付いてみるとターマイン王宮は、魔王軍の攻撃を受けた跡もそのままに荒廃した様相だった。鎧をまとった獣人の門番の隣をすり抜け、手入れのされていない王宮の庭を歩く。


 ――私って、人間だった時、此処で暮らしてた……のよね?


 雑草の生い茂った庭を見渡すが、当然のように何も思い出さない。巨大な王宮を目の前にしても何の感慨もなかった。


 イシスター様やアリアがあんなに心配していたものだから、てっきり魂が反応して苦しくなったり、泣けてきたらどうしようと身構えていたのだが、肩すかしを食らったような気分だった。また、それと同時に安心もした。万が一、記憶が戻り、感傷的になれば行動に支障が出る。そうなればまたしても聖哉の足を引っ張ることになりかねないからだ。


 そんなことを考えていると、聖哉がカラス獣人と一緒に王宮内に入っていく。慌てて後を追おうとすると、


「おい。お前はこっちだ」

「う、ウオ?」


 いつの間にか背後にいた、のっぽの馬の獣人が私の腕を引いた。


 ――ええっ!? 私も王宮に行くんじゃないの!?


「ウオッ! ウオウオウオッ!」


 魚人は喋れないので、王宮と自分を交互に指さしながらジェスチャーしてみた。馬の獣人は私の意図を汲んだようで、ヒヒンと軽くいなないた後、言う。


「お前は確かに入隊試験に合格した」

「ウオ!」


『そうですとも!』と私は頷く。


「お前は獣皇隊の一員だ」

「ウオ!」

「お前は強い」

「ウオ!」

「だが、お前は……魚くさい」

「ウオッ!?」

「グランドレオン様は魚くさい魚人が嫌いなのだ。悪いが、お前を王宮内に入れることは出来ん」


 いやちょっと、何よソレええええええ!!


「それでも、お前は試験に合格した強者。よって重要な任務を与える」


 そして馬の獣人は、王宮から離れた位置にそびえる塔を指さした。


「『愚者の塔』だ。今から一緒に頂上に向かう」





 塔の中に入り、見上げてみると螺旋階段がぐるぐると上まで続いている。外観通り、かなり高い塔である。本来はターマイン王宮を外敵から守る為の見張り塔だったのではないかと私は推測した。


「此処をお前の住処にしてくれていい」


 一階の端にある小部屋を紹介された。扉を開けてみると、人一人がくつろぐには十分なスペースが確保されており、机や椅子、簡易ベッドなども用意されている。


 その後、馬の獣人は長い螺旋階段を上り始めた。もくもくと黙って階段を進む獣人に付いていく。流石は獣人、体力があるのだろう。私の足が棒になりかけた時、ようやく螺旋階段が終わった。


 塔の頂上は、手摺りが付けられただけの吹きさらしだった。しかし中央に木の扉が備え付けられた四角い建物がある。見張り役が交代しつつ、休憩する場所だったのだろうか。馬の獣人は懐から鍵を取り出して、扉の蝶番に差し込みながら私に聞く。


「何故、この塔を愚者の塔と呼ぶか分かるか?」

「ウオ?」

「此処には愚者がいるからだ。痛覚のない愚者が、な」


 扉が開かれると、薄暗く狭い部屋の中に老女がうずくまるようにして座っていた。手首には手錠、足には鉄球を付けられている。ボロをまとい、罪人のような格好をしているが、くたびれた顔には僅かながら威厳を漂わせているようにも思えた。


「これが旧ターマイン王国の王妃カーミラだ」


 馬の獣人の言葉に私の目は大きく見開かれる。


 王妃!? い、生きてたんだ!! てっきり王族は皆殺しにされたものだと思っていたのに!!


 ……実際はもっと若いのかも知れない。だが痩せて、シワだらけの顔の上には、沢山の白髪。カーミラ王妃は六十代くらいの老女に見えた。


「王宮にいた人間で唯一、この女だけはグランドレオン様に生かされている。面倒なことに、な。塔から飛び降りて自殺でもしてくれれば俺としては助かるんだが」


 馬の獣人のぼやきを聞いた王妃が吐き捨てるように言う。


「自害なんてしないよ。一応わたしゃ聖職者だからね」


 やつれているが、言葉には気概が感じられた。馬の獣人は相手にせず、私に近くの台を見せた。そこには針や焼きごて等のおどろおどろしい道具が並べられている。


「拷問は一通りやった。だがコイツは何をやっても痛がらないんだ」


 そして私の肩に手を乗せる。


「いいか。お前の仕事は、この女を痛めつけることだ」

「う、ウオ?」

「コイツが痛がる素振りを見せたら、俺を呼べ。グランドレオン様はきっとお喜びになられるだろう」


 じゃ、じゃあ私ってば拷問係な訳!? 何てイヤな仕事なのよ……。


 私の心の葛藤など知らず、馬の獣人は楽しげに言う。


「まぁ色々やってみろ。だが決して殺すんじゃないぞ。飯も日に一度は食わせてやれ」


 簡単な説明だけすると、馬の獣人は踵を返し、扉を開けて出て行った。


 そして今。狭い空間に魚人の私と、前ターマイン王国の王妃だけが残された。


 ――こ、この人が、私が人間だった時の母親……!?


 まじまじと見詰めてみるが、まるで何も思い出せない。魂の記憶とは脳の記憶とは別種。いくら思い出そうとしても思い出せるものではないのだ。


「……何見てんだよ、この魚は」


 不意に王妃が眉間にシワを寄せて私を睨んでいることに気付いた。足に鉄球が付いているが、のそりのそりと私に近付いて来る。


「何か言いたいことでもあんのかい?」

「う……ウオウオ!」


 私は首をぶんぶんと横に振った。王妃は更に顔をしかめる。


「ああ、魚くさい、魚くさいね。そうか、これは新手の拷問だね」


 !? いや、そういう訳ではないんですけど!!


「ウオウオ言うだけで他の言葉を喋りもしない。本当に気持ち悪い獣人だよ」


 鼻をつまみながら王妃は私を睨み付ける。


「ホラ。ぼーっと突っ立ってないで、飯を持ってきな。私は腹が減ってるんだ」

「ウオ?」


 ご、ご飯? それって何処にあるんだろ? えーと……


 すると凄い剣幕で叫ぶ。


「飯は一階のアンタの部屋に置いてあるよ! さっさとおし! モタモタしてるとアンタを食べちまうよ!」

「ウオオオッ!?」


 私は逃げるようにしてして王妃の部屋を飛び出した。


 ――た、たくましいわね……! 拷問までされてるのに、あの態度……! な、何だか想像してた母親と全然違うわ……!





 自分に割り当てられた一階の部屋に戻ると、机の上にパンが一つ置かれてあった。


 一日たったこれだけ、か。そりゃあお腹が減る筈だわね。ってか私もちょっとお腹すいたなあ……。


 ふと、パンの隣にホコリ避けの布が被せられた籠があることに気付く。


 あ! これってきっと私の食事だよね!


 だが、布を取って、私は絶句する。


 ……そこには焼き焦げた人間の両腕が入っていた。


 !! ギャアアアアアア!? 食べられるかああああ、こんなもん!! ……ってことは、ええええ……私ってば、しばらくご飯抜きですか!? そ、そんなあ……。


 落胆して、ベッドに腰を下ろす。大きな溜め息が漏れた。


 はーあ……聖哉とも離ればなれになっちゃったし、こんなことなら強情ぶらずにケイブ・アロングで、おとなしく待ってた方がよかったかな? ……い、いや! そんなことでどうするの! 私は女神! 今度こそ冒険の役に立つってところを見せるチャンスじゃない! そうよ! 私にだっていろいろ出来ることはある筈! たとえばこっそり辺りを探索して道を覚えるとか、珍しいアイテムが落ちていないか探してみるとか……!


 そんなこと考えていたら、不意に、


 ――ボトッ。


 私の股から魚が床に落ちた。


「!! ウオッ!?」


 驚いていると、魚は土砂に戻り、散らばるようにして床に文字を描き始める。



『念の為に言っておく。余計なことを考えるな。お前は何もしなくていい』



 ……聖哉からの『土魔法メッセージ』を私は冷めた気分で眺めていた。


 わ、私が何かしでかさないように、こんなメッセージを……はいはい! あー、そーですか! これまた準備のよろしいことで!


 やがて文字が消え、新たなメッセージが出現する。



『夕刻、王宮の庭に来い。以上』



 そして土砂は合わさり、またも魚の姿になった。そして、私の股の辺りに『ズボンッ』と飛び込んでくる!


「いっやあああんっ!!」


 妙な感触に思わず叫んでしまった。


 あ、危ない! 誰もいなくてよかった! で、でも魚は一体、何処に消えたの? まさか変なところに入ったんじゃあないでしょうね……?


 お股の辺りを『何処ですか?』と、ポンポン叩くと、


 ――ボトッ。


 新しい魚が落ちてきた。


 !! オィィィ!? また別なの出ましたけど!? こ、今度は一体、何よ!?


 すると魚は私の方を見ながら、口を大きく開く。


「ゲェ」


 何と魚の口からリンゴのような果物が吐き出された!


 ――は? 何コレ……って、そうか! 食べられない物が食事に出されることを見越して、聖哉があらかじめ用意してくれてたんだ!


 慎重勇者の思慮深さにちょっとだけ感謝したのだが、


「ゲェ」


 続けてオレンジのような果物を吐き出した魚を見て、白目になる。


 ――こ、この出し方……どーにかならないのかしら……。


 ……その後、魚は人間の腕にバギバギかじりついて、私が食べたようにしてくれました。





 パンを持って、螺旋階段を上り、塔の天辺にある部屋の扉を開く。


「ずいぶん遅かったね」


 王妃はイライラした口調だった。


「う、ウオ……」


 私は早速、王妃にパンを差し出した。訝しげにそれを受け取るや、すぐにかぶりつく。あっと言う間に平らげてしまった。


「フン。それでどうするんだい? 拷問でも始めるかい? 指に針を刺すか、腹に焼き印でも押すか……まぁ意味のないことだけどね。聞いただろ? 私は痛みを感じないのさ」


 王妃は皮肉ぶった笑みを見せていた。言われて私は王妃の腕を眺めてみる。


 火傷の痕。切り傷。打ち身のようなアザまである。服の下にも無数にあるであろう拷問の傷を想像し、心が痛んだ。


 強がってはいるが、一体今までどれほどの酷い仕打ちをされてきたのだろう。グランドレオンは凶悪だ。普通の人間なら死んだ方がマシだと思えるようなことをされたに違いない。


 ……私には人間の時の記憶はない。だが単純に目の前の老女が哀れだった。女神としての私の神性が反応していた。


 気付けば、私は王妃の手を撫でていた。


「な、何だい、この魚は」

「ウオ……」

「まさか私に同情してんのかい。獣人のくせに」


 王妃は私の腕を取っ払うと、少し気まずそうにそっぽを向いた。


「……変わった獣人だね」


 ちょっと閃いたことがあって、私はポンポンと下腹を叩く。


 股から魚をボトリと落とすと、王妃がたまげて、後ずさった。


「!! あ、アンタ、何してんだい!? 急に魚なんか産んで!!」


 だが、床に落ちた魚は、


「ゲェ」


 オレンジを吐き出した。私はそれを王妃に渡す。


「ウオウオ!」

「わ、私にくれるのかい……ってか、食えるのかい……コレ……」


 私はオレンジを剥いて、毒味に一房食べてから王妃に渡す。


「ウオ! ウオウオ!」


 おそるおそるオレンジを食べてから、


「……本当に変わった獣人だね」


 王妃はほんの少しだけ笑った。笑うと険が取れて、王妃らしい高貴な顔になった。


 だが、ちょうどその時。高い塔の天辺まで届いた叫び声に王妃は顔を引き締め、私はビクッと体を震わせた。


 ――な、何よ、今の? 人間の悲鳴のような……!


 王妃はゆっくりと鉄格子のある窓まで近付いていく。


「また人間の処刑だ」


 そして何の感情もない淡々とした声で言う。


「グランドレオンは処刑場がよく見えるこの塔に私を閉じこめたのさ。あの怪物は、あの手この手で私を追い込み、痛めつけ、泣かそうとする」


 王妃カーミラは乾いた声で笑った。


「無駄だよ。涙なんか、とっくに枯れ果てちまったんだ」






 夕刻になったので、土魔法のメッセージで言われたように私は王宮の庭に行ってみた。


 庭にはまったく人影はなかった。キョロキョロするが、犬の獣人の聖哉もいない。


 少し早かったかしら、と庭の隅の草むらに歩み寄った時、


『ズボオッ!』


 足下が急に崩れ、私は落下する!


「ウオーーー!?」


 尻餅をついて見上げるとケイブ・アロングの中、人間に戻った聖哉が私を見下ろしていた。


「うむ。落ちた瞬間も『ウオ』と叫んだな。咄嗟の声も魚人になっている。その点は誉めてやろう」

「ってかアンタ、もうちょっと優しく誘導しなさいよ!!」


 聖哉に女神の姿に戻して貰った後で尋ねる。


「……それでどうなのよ、そっちの首尾は?」

「どうもこうも、今まで他の獣人と格闘稽古の合間をぬって、王宮内外の下調べをしただけだ。本格的に動くのは明日から。それより……」


 聖哉は私に鋭い目を向ける。


「現在、お前が配置されている塔には重要犯罪人が収容されているらしいな?」


 げ! もう知ってるんだ! 情報、早っ!


『それってば、私が人間だった時の母親なのよ』と言おうとすると、


「そいつが誰かは知らんし、知りたいとも思わん。いいか、リスタ。お前もその人物には必要以上には関わるな。ボロが出るおそれがある。とにかくお前は何もするな」

「土魔法メッセ、見たわよ。何にもしないわよ。しつこいなあ」

「ひとつ、格言を教えてやる。『動かないリスタは良いリスタ』――覚えておけ」

「『便りのないのは良い便り』みたいに言ってんじゃないわよ! ホント失礼ね、アンタって人は!」

「お前には、何度も口酸っぱく言っておかないと不安だからな」


 そして聖哉は冷たい目を私に向ける。


「とはいえ、此処はグランドレオンの住処。怪しまれるリスクを最小限に抑える為、会うのは次で最後にする。今日より三日後の同時刻、此処に来い。俺はそれまでに確実かつ完璧に六芒星破邪を最終段階まで進めておく。以上だ」





 業務連絡のようなあっさりした会話が終わった後、変化&土蛇地上探査してから、私達は別々に土中より浮上する。


 聖哉と別れて、私は一人、塔の部屋に戻るとベッドに体を横たえた。


 ――はぁ……やっぱり聖哉ってば、私のこと、特に心配してないみたい。ゲアブランデの時は何だかんだで気に掛けてくれてたのにな……い、いや、もうこんなこと考えるのはよしましょう! 私と聖哉は『召喚した女神と、召喚された勇者』! それだけの関係なんだから!


 六芒星破邪の成功だけを考えようと、気持ちを新たにしてから、私は眠りについたのだった。

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