第七十四章 おかあさん

 ムシャクシャしながらも階段を上り、王妃の部屋に向かった。


 王妃は一日に、パン一つのみ。貧相な食事を可哀想に思い、私は夕食分に果物をあげるようにしていたのだ。


 リンゴを片手に、そっと扉を開く。王妃はベッドで横になっていた。


「ウオウオ?」


 呼びかけてみるが、深い寝息を立てている。私は果物を机に置いて、王妃の手を取った。


 ――もうすぐ……もうすぐよ。いけ好かない勇者だけど、それでもアイツは六芒星破邪を絶対に成功させる。そしたらターマインは救われるわ。こんな塔なんかすぐに出られるからね……。


 その時、ふと。


 ――あら……何かしら?


 私は王妃が右手に何かを握っていることに気付いた。


 気になったので、熟睡している王妃の指をゆっくり開いて、握っていたものを取り出す。


 それは、小さな人形だった。手作りのマスコットみたいな、女の子の人形だ。随分と昔に作られたのだろう。痛み、黒ずんでいる。いや、仮に汚れていなかったとしても、あまり良い出来映えではない。顔や髪の毛の作りが雑で、おせじにも上手いとは言えない手作り感あふれる人形だ。


 しかし、何気に引っくり返した背中を見て……私は喫驚する。



 『おかあさんへ  ティアナ』



 そんな文字が黒い糸で縫い合わせてあった。 


 ――こ、これって、もしかして私が……!?


 その時。手に持っていた筈の人形が消えた。


「……ババアめ。バカみてえに安心して寝てやがるな。こんなことは今までなかった」

「ウオッ!?」 


 低い声に背筋が凍る! 振り向くと、巨躯の獣人の王――グランドレオンが背後で、私から奪った人形を持って佇んでいる!


「悪りぃな。テメーを脅かすつもりはねえ。ただ少しばかり気になったもんでな。昨日のババアのテメーを見る目……ありゃあ、これまでの獣人に向ける目じゃなかった。実際、今もテメーが傍にいるってのに熟睡してやがる」


 私達の騒ぎで王妃はようやく目を覚ました。グランドレオンを見て、表情を固くし、身構えるが、


「ああっ……!」


 急に頓狂な声を出して、自らの右手を見詰める。そこに握られているべき物は、グランドレオンの手中にあった。


「何だ、ババア。こりゃあテメーの私物か? こんなもん、今まで何処に隠し持っていやがった? ベッドの下か?」

「あ、アンタにゃ関係ないだろ! 返しておくれよ!」


 普段、飄々としている王妃が血相を変えて叫んでいる。尋常でない様子をグランドレオンも察知したらしい。より一層、人形を凝視する。


「この人形に何かあんのか?」


 そしてグランドレオンは人形の背中に目をやった。


「『ティアナ』……確かテメーの娘だったな。すると、そうか。コレは娘の贈り物か」

「か、返しておくれ……!」


 王妃はグランドレオンの胸元まで歩み寄っていた。図体の大きいグランドレオンに手を伸ばして、人形を取り返そうとする。


「返して! 返しておくれよ!」

「ウザってえんだよ、ドカスが!」


 咆吼のような怒声と共に、人形を持っていない方の手で王妃を押す。それだけで王妃は吹き飛び、床に倒れ込んだ。


「ウオッ!」


 私は咄嗟に王妃に駆け寄った。上体を起こして背中をさするが、王妃は私のことなど眼中にないように、ただただグランドレオンを見詰めていた。


「お願いだ……返しておくれよ……」


 哀れな呟きを聞いて、グランドレオンが床に唾を吐いた。


「死んだ娘の物が、そんなに大事か?」

「ティアナは……ティアナは死んじゃあいない!」

「ああ? 何言ってんだ、ドカスババア。とっくに知ってんだろうが。テメーの娘はアルテマイオスに、体かっさばかれて惨めに死んだ。こんな具合にな」


 グランドレオンが、人形を持つ手に力を入れる。王妃の体がビクッと大きく震えた。


「やめて……おくれ……!」


 だが次の瞬間、ブチブチと繊維が引き裂かれる音! 上半身と下半身が別たれた人形をグランドレオンは無造作に床に投げ捨てた!


「ティアナ……!」


 王妃が振り絞るような声を出した。


 ……私は歯を食い縛りながら、グランドレオンの暴挙を眺めていた。無論、止めに入りたかったが、私にそんな力はない。王妃のように弾き飛ばされるのがオチだ。だから、せめて、王妃を支えるように背後から抱きついていた。


「ううっ……! ティアナ……ティアナ……!」


 その時――『ぽたり』。


 王妃の肩に回した私の腕に何かが落ちる。


 ――ええっ……! そ、そんな……! 王妃が……!


 拷問にも屈しなかった王妃の両目から涙が絶え間なく溢れていた。


「おいおいおい……! 泣きやがった……泣きやがったぜ……! 一年間、何をしても泣かなかったババアが! そんなにこの汚ねえ人形が大事だったのかよ?」


 グランドレオン同様、私も合点がいかない。人間だった時の私があげた人形が、王妃の心の支えだった? で、でも、どうしてそこまで、この人形を……?



 私は無惨に引き裂かれ、足下に転がった人形を眺める。『理由を知りたい』という思いが、知らず知らずのうちに私に鑑定スキルを発動させていた。


 


『幼いティアナ姫が王妃の為に作った人形――【注意】更に詳細を知りたいですか?』

 



 ――ちゅ、【注意】!? 何よ、コレ!?


 一瞬、躊躇したが、詳細が分かるなら知りたいに決まっている。私は頭の中で『知りたい』と願った。


 その途端。目眩のように頭がクラリとする。



 ……塔の最上階に居た筈の私は、白黒映画のような灰色の光景の中にいた。高そうな家具が配置された寝室に、


「おかあさん! おかあさんっ!」


 白いドレスを着た五歳くらいの女の子が飛び込んできて、私の足下を元気に走り抜ける。その先に佇むのは同じくドレスをまとい、張りのある顔をしたカーミラ王妃だ。


「ティアナ! 走るんじゃない! 行儀が悪いよ!」


 たしなめられて、幼い私は頭を下げ、悲しそうな顔をする。


「だって、これ……おかあさんに見せたかったんだもん……」

「何だい。それは」

「人形……ティアナが作ったんだ」


 受け取ろうとして、王妃はティアナ姫の手が傷だらけであることに気付く。


「こんなに怪我して。アンタは不器用なんだから無理することないのに」

「だって、おかあさん、お仕事が忙しくてなかなか会えないでしょ」


 そしてティアナ姫はニコリと微笑む。


「だから、コレを私だと思って持っていて!」


 幼いティアナ姫は人形の手足を動かして、おどけて見せた。


「ほらね! ずっとずっと一緒にいるよ! 離れていても、ティアナは、おかあさんと、ずぅーっと一緒にいるよ!」

「ったく。このちんちくりんは……」


 人形を受け取った後、王妃は幼い私の頭を撫でて、にこりと微笑む。


「ありがとうね。大事にするよ」




 ……ハッと気付けば、灰色の世界は姿を消し、目の前には山のようなグランドレオンの巨体。怪物は私が抱きかかえている王妃を睨んでいた。


「死んだ娘の持ち物を壊されたのが、そんなに悲しいのか? 全く、人間ってのは意味が分かんねえな」


 グランドレオンは王妃に歩み寄ると、髪の毛を掴み、凶悪な獅子の顔を近付けた。


「だが……いいぞ! 俺はテメーのその惨めな面が見たかったんだ! 死んだ、死んだ! 娘も、王も家臣も民も、テメーの大事だった者は何もかもが死んだ! いいか、ババア! この世界にゃあ、もう希望なんかねえ!」


 髪の毛から手を離すと、王妃はその場にくずおれた。


「長い間の胸の支えが取れたような気分だぜ。これでターマインは完全に獣人に屈服した……」


 グランドレオンは満足げに言う。


「これから処刑場でお前の首を落とす」


 ――う、嘘でしょ!?


「ウ……ウオウオウオッ!」


 もう我慢出来なかった。私はグランドレオンの前に立ち塞がり、処刑を阻止しようとした。だが、グランドレオンは親しげに私の肩に手をやる。


「おう。勿論、テメーのこたぁ忘れちゃいねえ。やるじゃねえか。まずはババアの心を開くことに専念したって訳だな。そうしてババアの弱みを引き出した。誉めてやるぜ。約束通りテメーを王宮に入れてやる」


 ――ち、違う! 私、そんなつもりじゃ……!


 私を払いのけようとグランドレオンが手を突き出した。私への攻撃だと思ったのだろう。刹那、私の体から土蛇が変化した魚が現れて、牙を剥いた。だが、グランドレオンは一笑に付す。


「褒美は後だ。今はババアの処刑が先だ」


 そして私をスルーするや、王妃の腕を乱暴に取って、引きずるように扉へ向かう。聖哉がくれた魚は私を襲う者から自動的に守るのみ。グランドレオンが私への攻撃意志がないのを知ると、体に戻っていった。


 ――だ、ダメ! このままじゃ王妃が殺されちゃう! グランドレオンを止めなきゃ!


 すぐさま追いかけようと、閉まった扉を開く。長く続く螺旋階段を見下ろすが、もうグランドレオンの姿はない。


 ――そんな!? こんな長い階段、一体どうやって降りたのよ!?


 私は焦りながら、螺旋階段を駆け下りる。慌てすぎて、下りている最中、足がもつれて階段を転がった。


 うううっ! な、何よ、コレ! 何でこんなタイミングで、こんなことが起こるのよ! 聖哉と会ってから、まだ一時間程しか経っていない! 破邪の剣舞は半分も進んでいない筈なのに!





 ようやく塔から出て辺りを見渡すも、グランドレオンと王妃の姿はない。


 ――処刑場! 塔から見た感じだと……あっちの方角だわ!


 私の勘は当たっていた。なぜなら私が向かう方向に、多数の獣人が会話しながら足を進めているからだ。


「いまから王妃の処刑を始めるらしいぜ」

「何だ。まだ生きてたのか、あのババア」


 急ぎたいのに多くの獣人が私の前にいて、思うように走ることが出来ない。


「ウオウオウオ!」


 私の叫びに前にいる獣人達がイラついた様子で振り返った。


「ああ、何だこの魚人は?」

「食っちまうぞ、コラ」


 睨まれても、なじられても、なりふり構わず、間をすり抜け、前を目指す。


 みじめにかけずり回り続け、ようやくグランドレオンの背中が見えた。部下に王妃を担がせて、その先を悠々と歩いている。


 ――よ、よかった! やっと追いついたわ!


 だが、その瞬間。私の足は止まった。


 な……何やってるの、私!? 走って追いついて……それからどうするの!? バカじゃないの!? 私なんかがグランドレオンを止められる訳ないじゃない!!


 気付けば、足下には砂利。荒れ地にはりつけ用の柱が横一列に立ち並び、また別の位置には断頭台も置かれている。グランドレオンは既に処刑場に到着していた。


 ――こんな状況、私じゃあ、もうどうにもならない!! 聖哉っ!!


 しかし、私の頭の中。聖哉の声が木霊する。



『俺は今回、何よりも六芒星破邪を優先する』



 だ、ダメよ!! また私は聖哉の足を引っ張るの!? 聖哉を呼ぶのは絶対にダメっ! それにイシスター様も言っていたじゃない! グランドレオンとの直接戦闘は絶対に避けるように、って! 


 後悔の念が怒濤どとうのように押し寄せてくる。


 全部……全部、私のせいだ! 寝ている王妃の手から人形を取らなければ、グランドレオンは気付かなかったかも知れない! そもそも聖哉の言う通り、王妃と必要以上に仲良くならなければ、こんなことにはなっていなかったのに……!

 

 今さら悔やんでも遅いのに、後悔せずにはいられなかった。絶え間ない悔悟の行き着く先はやはり頼りになる勇者だった。


 い、いや……ひょっとしたら聖哉なら、この状況でも何とかしてくれるんじゃ? そうよ! グランドレオンとの直接戦闘だって、いつもみたいなありえない慎重さできっと何とか……!


『せ、聖哉は、か、勝てないだろう』


 だが、今度はアデネラ様の言葉が脳裏を過ぎる。戦神ゼトに教わった『狂戦士状態』――仮にそれを人間には到達不可能だという『フェイズ・セカンド第二段階』にまで高められたとしても、直接戦闘ではグランドレオンを倒せない。この状況で聖哉に助けを求めても意味はない。グランドレオンを倒し、ターマインを救うには六芒星破邪の成功が絶対条件。つまり……つまり……

 

 ――ごめんなさい、カーミラ王妃……! 許して……! 私はアナタを救えない……!


 目もうつろな王妃を獣人が、つまらない荷物のように引きずっていく。そして、その先に血糊ちのりで黒ずんだ刃を掲げる断頭台が見えた。


 もはや全てを諦めた王妃の疲れた横顔と、幼い私から人形を受け取った時の優しい笑顔が対比的ながらも重なった。


 ――おかあさん……っ!!






 ……私がケイブ・アロングの中に侵入した刹那、『バチッ』という耳をつんざく激しい音と共に、洞窟内が一瞬、激しく明滅する。空間に満ちていた神気が雲散霧消したのだろう。


 剣舞中だった聖哉は動きを止め、プラチナソードを地面に突き刺した。


「……リスタ。お前は自分が何をしたか、分かっているのか?」


 指を鳴らし、私の変化の術を解除した後、侮蔑の眼差しを向ける。


「グランドレオンを確実に倒す為にやってきた苦労――その全てが今この瞬間、水泡に帰した」

「あ、あのね……お、王妃がさぁ、今からね……グランドレオンに処刑されちゃうんだよ……」


 聖哉は無言だった。私はどんな顔をして良いか分からず、また、どんな言い方をすれば良いかも分からず、情けない愛想笑いを浮かべていた。


「あは……あははは……。も、もうウンザリだよね? 一体、どれだけ足を引っ張れば気が済むんだろね? 『私は女神、聖哉は人間』……そう決意したつもりだったのにね? でもね……自分でも、どうしたら良いのか分かんないんだよ……」


 私は救いを求めるように聖哉に近付き、胸に頭を押しつける。


「大嫌いでいい。いくら殴ってくれても、蹴ってくれてもいい。だから、お願い……お願いだから……王妃を助けて……」


 私は一体、何を言っているんだろう。六芒星破邪の成功なくして、聖哉はグランドレオンを倒せない。なのに王妃を助けて欲しいなんて虫が良いを通り越して無茶苦茶だ。


 でも……それでも……


「記憶は無くしても……女神になった今でも……たった一人のお母さんだから……!」


 涙がボロボロと零れ落ちた。祈りにも似た思いで、私は人間の勇者に懇願する。


「お母さんを……お母さんを助けてください……! お願い……します……!」


 しばらくの沈黙の後、聖哉が口を開いた。


「お前は女神で、俺はお前に召喚された勇者。それ以上でもそれ以下でもない――お前は確か神界でそう言っていたな?」


 頭の上から響いた皮肉に体が震える。


「ごめんなさい……! ごめんなさい……!」


 謝った途端、聖哉は私の肩を掴み、『ドン』と突き放した。


「うう……! うううううっ……!」


 それは『物言わぬ否定』。聖哉に体を離されるのと同時に、私の魂までもが遠く離されたような気がして、辛くて悲しくて嗚咽が止まらなかった。


 だけど……違った。


 カチャリと金属音。涙に濡れた顔をゆっくり上げると、聖哉は腰の鞘にプラチナソードを装備していた。


「お前の言う通りだ」

「聖……哉……?」

「好きも嫌いも是も非もない。『王妃を救う』――それが俺を召喚した女神の意志だと言うのなら、俺はお前の意志に沿う」


 勇者は大きく息を吐き出した後、ごきりと拳を鳴らす。


「所詮、実力でアレに勝てないようでは、この世界の魔王も倒せまい」


 そして、決意に満ちた鋭い目を私に向けた。


「行くぞ、リスタ。王妃を救い、グランドレオンを倒す」

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