第五十九章 げんこつと約束

 途中、数体の獣人と遭遇するも聖哉の火炎魔法で事なきを得て、私達は廃屋の床下から希望の灯火へと通ずる階段を下りていた。


 ブノゲオスから逃れられたのは良いが、希望の灯火での暴動を回想すると、気持ちが塞いだ。ブノゲオスも倒せず、解放した奴隷は私の後ろを歩く女性ただ一人……手ぶらよりはマシだろうが、またしてもブラットや民衆の逆上が予想された。


 階段が終わり、現れた扉の蝶番を鳴らす。扉が開かれると、魔光石に照らされた広大な空間の下、希望の灯火の人々が一斉に私達に目をやった。ブラットとその仲間らしき若者達が歩み寄ってくる。


 ブラットは私達の眼前までくると、聖哉を睨み付けた。


「それで……ブノゲオスは倒したのか?」

「いや。倒せなかった」


 聖哉の即答に、ギリッと歯噛みする音。その後、ブラットは奴隷の女性を一瞥した。


「他の奴隷達は?」

「残りは町の外に売られてしまった。解放出来たのはこの女だけだ」

「ああ……そうかい……」


 途端、聖哉の胸元をブラットが掴み、顔を近付け、激しく凄む。


「それでよく、勇者などと名乗れるものだな……!」


 私が何か言う前に、助けた女性がフォローを入れる。


「やめてよ! この人は私を助けてくれたんだよ?」


 するとブラットは突き飛ばすようにして、聖哉の胸元から手を放した。


「ああ、そうだな。ブノゲオスも倒せず、奴隷をたった一人だけ連れて戻ってきた。最高に頼りになる素晴らしい勇者だよ、コイツは」

「ちょ、ちょっと! そんな言い方ないでしょ! 聖哉だって頑張ったんだから!」


 あまりの言い分に我慢出来なくなって叫ぶが、ブラットの周りにいた若者達も聖哉を見下すような視線を送っていた。


「ってか見ろよ、コイツの頭の傷」

「ブノゲオスに散々やられて、命からがら逃げ帰って来たって訳か」


 いつの間にか、辺りには希望の灯火の民衆が集まっていた。老若男女が若者達に同調する。


「本当に情けない勇者だな!」

「この役立たずが!」


 またもや聖哉への罵倒が始まった。緊迫してゆく雰囲気に私は気が気でなかったが、聖哉はただ黙って静観していた。


 やがてブラットが吐き捨てるように言う。


「おい。今からもう一度、奴隷市場に行け。そして今度こそブノゲオスを倒してくるんだ」


 しかし聖哉は首を横に振った。


「ダメだ。準備がある」

「行け……」

「断る」


 瞬間、ブラットの目が鋭く尖った。腕を大きく引くや、


「世界をこんなにしたテメーに! 断る権利なんざねえんだよ!」


 聖哉に殴りかかろうとした、その時だった。


『ゴスーン!!』


 耳朶を振るわせる凄まじい音が聞こえた。そして、


「ぱぴっぷ……?」


 今の今までドスの効いた声で悪態をついていたブラットが、うつろな目で情けない声を口から出した! それもその筈! 見れば、聖哉の拳がブラットの脳天に突き刺さっているではないか!


「うるさい」


 聖哉が呟くと同時にブラットは口から泡を吐いて、その場にくずおれた!


 ――な、な、な、な、な……!


 目の前で起こった光景に、私は鼻をヒクヒク、口をパクパクさせていた。


「「「何いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!?」」」


 まるで私の気持ちを代弁するかのように、ブラットの周りにいた若者達が一斉に叫ぶ!


「こ、こ、こ、この野郎!!」

「お、お前、今、一体何をしたと思ってんだ!?」

「世界も救えず、ブノゲオスも倒せず、そ、そしてあろうことか、ブラット様に暴力だと!?」


 だが聖哉は悪びれもなく言う。


「うるさい奴には、げんこつだ」


 そして聖哉はブラットの仲間の前に立った。


「お前達もうるさい」


 そして、拳を頭上に掲げるや、


 ゴスーン!!


「ぐわっふ!?」

「て、テメー、何してくれて、」

「お前も、げんこつだ」


 ゴスーン!!


「もぺっ!?」

 

 ゴスーン、ゴスーン、ゴスーン!!


 勇者の尋常ならざる腕力で、若者達は次々と泡を吹いて地面に倒れ伏す!


 暴行を見ていられなくなったのだろう。年配の女性達が聖哉の前に立ちふさがる。彼女達は以前、私を罵り、アリアのこともバカにした女性達だった。


「あ、アンタ、よくもこんな!」

「そうよ! アンタが世界を救わなかったのが、そもそもの元凶だってのにさあ!」

「開き直ってんじゃあないわよ!」


 ――ど、どうするの、聖哉!! 流石に一般女性に、げんこつなんか出来る筈が……!!


 そう思った刹那、


 ゴスーン!!


 凄まじい音! 同時に私は目を疑う! 


 勇者の拳がおばさんの脳天に、めり込んでいるではないか!


「あっへえっ……!?」


 哀れな声と共に口から泡を吐き、倒れるおばさん!


「せ、せ、せ、聖哉あっ!! いくら何でも、やりすぎよ!!」

「そ、そうだよ!? アタシ達は女だよ!?」

「それがどうした」


 ゴスーン!!


「うっひぃ……!?」


 倒れる年輩の女性! 私の顔から血の気が引く!


 ――と、と、と、とんでもない男だわ! ぶっちゃけ最初はちょっと気分がよかった! でも……引く! ここまでくると、もう引きまくりよっ!


 暴行の最中、またしても新たな声がした。


「やめろおっ! 母ちゃんに何すんだあっ!」


 それは年端もいかない男の子であった。聖哉にげんこつを喰らい、倒れた女性の中にこの子の母がいたらしい。


「このバカ勇者! バカ勇者めっ!」


 聖哉をポコポコと殴り、悪態を吐く子供! 


 ――や、やめてよ、聖哉!? 流石にそんなことはしないよね!? 私、知ってるんだからね!! アンタって、ホントは優しいもんね!?


 だが、


 ゴスーン!!


「ふぁっふ……!?」


 その子の脳天にも、勇者の拳が振り落とされる! 白目をむいて倒れた子供に、勇者は吐き捨てるように言う。


「悪い子にも、げんこつだ」


 !! お、お子様まで容赦なく無く殴りよったァァァァァァァ!? なまはげ!? なまはげなの、この勇者は!? ってか、大丈夫なの、コレ!? 色んな意味で!!


 戦慄する私! 騒然とする希望の灯火! そして勇者は拳をゴキゴキと鳴らす!


「もう面倒だ。横一列に並べ。お前達全員に、げんこつを与える」


 聖哉の前にいた四十代程の男性は、慌てて弁解する。


「お、俺は何も言ってないぜ! そ、そうさ! 他の奴はお前のこと、悪く言ってたけど、」

「黙れ」


 ゴスーン!!


「わ、わたしゃ、アンタのこと、実は前からずっと格好いいと思っていて、」

「うるさい」


 ゴスーン!!


「お、お願いします! 助けてくださ、」

「ダメだ。げんこつだ」


 ゴスーン!!


 言い訳する民衆! めり込む拳!


 私は流石にもう、居ても立っても居られなかった。


「聖哉あああああっ!! ストップ!! げんこつ、ストーーーーップ!!」


 だが、


 ゴスーン!!


「!! おっほうっ……!?」


 強烈な拳が私の脳天にも突き刺さった! 白目になって意識を失いかけるが、何とか踏みとどまる!


「お、お、オイィィィィィィィ!? お前、何で私まで殴った!?」


 だが聖哉は謝る素振りすら見せず、それどころか敵を見るような眼差しを私に向けていた。


「……リスタ」

「えっ!? な、な、何よ!?」


 あまり感情を表さない聖哉だが、この時ばかりは顔を真っ赤に紅潮させていた。


「俺は今……猛烈に反省している。神界でお前に気を許し、召喚の間に入れたのがそもそもの間違いだった。だからこのように準備も適当なまま、難度SS世界に挑むことになってしまったのだ……」


 ひいっ!? め、メチャメチャ怒っていらっしゃる!? まさか、この民衆への『げんこつラッシュ』も私への怒りが、そもそもの原因なのではっ!?


「当初の予定では、統一神界でレベルをMAXまで上げ、更にアリアに頼んでいた神との修行を行い、新たな特技を身に付けてから出発する手筈だったのだ……」


 ピリピリと、きな臭い雰囲気が漂う! 私はとにかく謝っておくことにした!


「ご、ごめんっ! ごめんなさい、聖哉っ……!」


 真摯に深く頭を下げると聖哉は言う。


「いや、リスタ。お前が悪いのではない。これは俺のせいだ」

「せ、聖哉……!!」


 よかった! やっぱり優しい! どうにか許してくれたんだわ! そ、そりゃあそうよね! だって私達は運命の赤い糸で繋がれて……って、げええええええっ!?


 だが勇者は、鬼のような顔で歯を食い縛っていた!


「そう……これは全て俺の甘さのせいだ……! お前のような『人外じんがい』に心を許した俺の、な……!」

「!! 『人外』って私のことですかっ!?」

「お前の他に誰がいる……?」


 向けられた視線は、かつてゲアブランデで私を見ていた絶対零度の目つきだった。


「い、いやいやいやいや!! 待って!! 待ってよ!! 思い出して、聖哉!! 私達は前世からの深い絆で結ばれた……」

「黙れ。大体、前世、恋仲だからと言って今世もそうなる必要は全くない。それにお前は女神で俺は人間。もはやそういう関係になることは絶対にない」

「う、嘘でしょ!? 嘘だと言って!!」

「一応、お前との過去の腐れ縁があるから、この世界の救済は続ける。だが、勘違いするな。それは愛などではない。義務だ」

「く、くされえん……! ぎ、ぎむ……!」


 ま、またまたまた! そんなこと言って、魂の奥底では私のこと大切に思ってるくせに! 知ってるんだからね!


 私は聖哉の本当の気持ちを調べる為、鑑定スキルを発動する。




 ★リスタのドキドキ恋鑑定★

 ◎彼とアナタの愛情度は? 『2点』 

 ◎彼氏にとってアナタは? 『雑草以下』

 ◎一言アドバイス! 『完全に冷え切っちゃってるわ。修復は不可能に近いわね。別れ話は、お早めに!』




 !? うっわああああああああああああああああ!! 雑草以下になった上に完全に冷え切っちゃってるうううううううううううう!?


 あまりのショックに私は震えながら聖哉に近付いた。


「や、やだ……! こんなの、やだ……! せっかくいい感じだったのに……!」

「寄るな」

「思い出して!! あの仲の良かった栄光の日々を!!」

「人生最大の黒歴史だ。そして、寄るなと言っている。それ以上近寄ると、げんこつでは済まさんぞ」

「いやじゃああああああっ!! 聖哉は私のもんなんじゃあああああっ!!」


 抱き締めようと飛びかかった瞬間、


「……あっぶうっ!?」


 聖哉の右ストレートが私の頬に食い込んだ! そのまま間髪入れず、みぞおちに膝蹴りがめり込む!


「ぐっほおっ!?」


 更に、強烈なエルボーが私の右乳に突き刺さる!


「おっぱああああああああっ!?」


 殴られ、蹴られ、エルボーで乳を潰される――脅威の三連コンボで私は地面に倒れ伏した。


「うぐうううう……ひっぐ……あうううううう……!」


 悶絶する私の隣には、げんこつの衝撃からどうにか立ち直ったブラットがいた。


「な、何てヤバい野郎だ……! 仲間にまで、こんな暴力を振るうとは……! お、おい、女神! 大丈夫か!」


 あまりの暴行にブラットは、私に同情しているようだった。だが、


 ――こ、この乳の痛み……!! ふふふ……懐かしいじゃない……!! そして……調子が出てきたじゃあないの!! いいわ……ペコペコしてるより、よっぽどいい……!! それでこそ一億人に一人の逸材!! 難度Sゲアブランデを救った慎重かつ傍若無人な勇者、竜宮院聖哉よ!! くくくくく……ははははは……


「ウワーーーーッハッハッハッハッハ!!」

「!! いや、何であんなことされて大笑いしてんの!? この女神もヤッベぇな!?」


 ブラットが私から後ずさる。そして聖哉は希望の灯火の住民を睨む。


「さぁ……げんこつの続きだ」

「ひいいいいいいいっ!?」


 絶望する民衆。だが、その時であった。


「……勇者様。もうおやめください」


 幼いが、しっかりとした声が辺りに響く。


 私も含めた皆の視線の先には、地下にこの集落を形成した土魔法の使い手、アイヒがいた。


 俯き加減でアイヒは語る。


「彼らだって分かっているのです。本当に悪いのは魔王であり、アナタではないということを。それでも仲間を殺された……家族を失った……その怒りの矛先をアナタに向けなければ気が済まないのです」

「あ、アイヒ様……!」


 誰かが震える声でそう呟いた。気付けば、中には涙を流す者もいる。


「それに、勇者様。アナタは確かに誓われたのです。覚えていらっしゃらないでしょうが、この私にも確かに約束を……」


 きらきら輝く天井の魔光石を眺めながらアイヒは言う。


「『魔王を倒し、俺はこの世界を救う』――と。で、でも……アナタ様は魔王に敗れ、そ、そして兄様も一緒に……こ、殺されて……」


 涙がぽたぽたと地面に落ちる。今まで大人ぶっていたアイヒは、年相応の幼子のように泣きじゃくり始めた。


「ううっ……! 兄様……! 兄様ぁっ……!」

「アイヒちゃん……!」


 私を含め、希望の灯火の民は、為す術もなくアイヒのすすり泣きを聞いていた。そんな中、勇者が呆れたような声を出す。


「魔王を倒す約束か。全くバカな奴だ。一時の感情や勢いで、そのような誓いをするから、こんなことになる。誓いには、慎重に練り上げた計画に基づく完璧かつ確実な勝算が必要なのだ」

「いや……だから、あの……お前が誓ったんだが……!」


 ブラットは恐る恐る、そう告げたが、


「知らん。それは俺であって俺ではないのだからな。そして、魔王の実力も分からぬ今、この世界を救うなどと、俺は軽率にお前達に誓えない」


 誰しも内心分かっていた現実を突き付けられ、辺りの雰囲気が暗く沈んだ。


 重苦しい空気の下、聖哉は泣いているアイヒに近付いていく。


「だが……それでも確実に一つ、誓えることはある」


 そして聖哉はアイヒに対し、手を振り上げた。


「せ、聖哉!? ダメよ!! その子は何も悪くないわ!!」


 私同様、民衆も叫ぶ。


「やめろ!! アイヒ様には手を出すな!!」

「そうだ!! 殴るなら私を殴りなよ!!」


 勇者の大きな手が振り下ろされる。「ひっ」と小さく息を呑み、アイヒが目を瞑った。


 しかし。聖哉はアイヒの頭に手を乗せただけだった。鋭い視線をアイヒに送りつつ、言葉を発する。


「アイヒ。今日より初めて、本当の約束をしよう」

「本当の……約束……?」


 おそるおそるアイヒが尋ねる。その途端、勇者の体から立ち上るオーラ。発散されたその覇気に希望の灯火の民は皆、殴られた怒りすら忘れ、ただただ勇者を眺めていた。


「この町は必ず、ブノゲオスの支配下から解放する」

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