第五十八章 終わった世界
いくら女神は不死身とはいえ、丸呑みにされるなどして体が完全に消失すれば、神界まで強制送還されてしまう!
「じょ、冗談でしょ……?」
だがブノゲオスは私のいる牢の鍵を開け、ズカズカと中に入ってくる!
「や、やめろ、ブノゲオス……!」
隣の牢から聖哉が苦しげに声を出す。だが、ブノゲオスは構うことなく私の腕を取って、無理矢理立たせると、顔を胸元へ近付けた。興奮した荒い息が私の胸にかかる。
「い、いや……! やめて……!」
恐怖に震える私を、ブノゲオスは品性の欠片もない顔で見詰めていた。だが、不意にその表情が曇る。
「あれ、あれえ? この女神……何だか、すっぱい臭いがするなあ?」
「……え!?」
「ダメだあ、コレ。腐ってるぞお。食うのはやめておこう」
「ちょ、ちょっと!? 冗談でしょ!?」
ブノゲオスが手を離し、私はその場にくずおれる。隣から聖哉の弾んだ声が聞こえる。
「女神様! 腐っていてよかったな!」
まるで聖哉に相づちを打つようにブノゲオスが言う。
「俺は美食家だからなあ。腐った変なものは食いたくねえんだあ」
先程まで恐怖に怯えていた筈の私は、今、別の理由でプルプルと震えていた。
「誰が『腐った変なもの』だ、てめええええええええ!! わたしゃ、女神やぞ!! 訂正しろ、コラァァァァァァァ!!」
「何と言われても、臭いものは臭いんだあ」
「臭かねえわ!! 食えよ!! 試しにちょっと食ってみろや、オラァァァァァ!!」
食べられた方がマシな程の屈辱に怒髪天を衝くが、そんな私をスルーして、ブノゲオスは後ろにいる女性に歩み寄る。
「やっぱりこっちにしておこう」
「なっ!? アンタ、食べるのは私が先でしょうが!?」
憤り、間に立つ私をドンと突き飛ばして、ブノゲオスは女を連れて牢から出ると、鍵を閉めた。そして私と聖哉の前で見せびらかすように、女性のアゴを太い指でしゃくり上げる。
「白くて、おいしそうな肌をしてるだろお? 奴隷にするのはもったいねえもんなあ」
アゴを触っていたブノゲオスがの手が止まり、黒い爪のある人差し指を女の頬に突き刺した。
「……っ!」
小さく叫んだ女性の頬から、赤い血が
「うめえ。やっぱり、うめえなあ。こりゃあ上玉だあ。本当はゆっくり食べたいけど、他の獣人に見つかると、示しがつかないからなあ。仕方ない。此処で食べるとするかあ」
バカにされ怒り心頭だった私だが、目の前で人間が食べられるという状況に流石に青ざめる。そして、それは隣の牢にいる聖哉も同じだった。
「よせ、ブノゲオス……! その女性に手を出すんじゃない……!」
鉄格子をガシャガシャと揺らす勇者を見て、ブノゲオスは楽しそうに笑った。
「ダメだよお。コイツは今から食べるんだあ。お前らはそこでこの女が食べられるのを見ていればいいんだあ」
「や、やめなさい、ブノゲオス!」
私も鉄格子を揺らすが、聖哉にさえ破れない鉄格子を私がどうこう出来る訳はない。
ブノゲオスは私達の抵抗する様子を楽しげに見ていた。
「無駄だあ。その鉄格子は俺ですら破るのに一苦労なんだあ。お前達に壊せる筈はねえよう」
「くっ……!」
私は拳を鉄格子に打ち付ける。ブノゲオスが「なんだあ?」と興味深そうに私に視線を送っていた。
「何で……何でこんなことに……!! いつもの聖哉だったら……慎重な聖哉だったら……こんなことに、なっていないのに……!!」
恨み節が口をついて、つい出てしまった。
「……女神様」
気付けば隣で聖哉が私を眺めている。
「ご、ごめん。アナタは悪くない。悪いのは私よ。元はと言えば、私のせいでアナタは記憶を失い、こんな状況になったんだから……」
「女神様。俺は記憶を無くしているらしいが……記憶の戻った俺なら、この女性を救えるのか?」
正直、性格が変わっただけでこの窮地を乗り越えられるとは思わない。にも拘わらず、別の次元の期待感はある。
ありえないくらい慎重かつ冷静沈着、先見性に富んだあの勇者なら、どんな状況からでも引っ繰り返してくれるんじゃないかという期待感が……!
私は静かに頷いた。
「ええ。その可能性はあるわ。前回のイクスフォリアでの失敗を糧にして、それ程までにアナタは精神的に強くなるの」
「……そうか」
途端、隣の牢から、先程よりもっと激しく鉄格子を打つ音が!
「えっ……!?」
見ると、聖哉が鉄格子に頭をぶつけている!
「せ、聖哉っ!?」
ブノゲオスも聖哉の奇行に面食らっていた。
「ああん? 何やってんだあ、お前?」
何度も何回も鉄格子に叩き付けた額からは、激しく流血している! それでも聖哉は頭突きを止めない!
「この女性が救えるなら……俺の身など、どうなろうと構わん」
「だ、だからってそんな方法で! 無茶だってば!」
「大丈夫だ。元の世界にいた時、映らなくなったテレビをこうして直したことがある」
「!? 聖哉はテレビじゃないじゃんか!!」
ホントにムチャクチャ……だけど、この聖哉はこの聖哉なりに必死だった。それがヒシヒシと伝わってきて、私は胸が痛くなる。
……一体、何度、頭を叩き付けたろうか。聖哉の行動を楽しそうに見ていたブノゲオスだったが、やがて退屈そうに欠伸をした。
「じゃあ、そろそろ頂くとするかなあ」
そして奴隷の女性を見て、舌なめずりする。
絶望が大挙として押し寄せる最中。
「……いいの。私のことは……別にいいのよ」
不意に声がした。ブノゲオスに捕らえられている女性の声だった。
「食べられるのは怖い。けど、その痛みに耐えれば、私はようやく地獄から抜け出せるのよ……」
「あ、アナタ、何を言って?」
今から食われて殺されるというのに、それでも女性は私に優しく微笑みかけた。
「だって……この世界は、もうとっくに終わってるんだから……」
諦観した声が辺りに木霊した、その時。
『バギバギバギ』!!
隣の牢から、何かが粉砕されるような音がした。
「な、なんだあ?」
ブノゲオスと同様、私も聖哉のいた牢を見て……驚愕する! 何と、強固な鉄格子が崩れ落ちている! そして頭部を血塗れにした聖哉がそこから、ゆらりと這い出てくる!
「一体……何度繰り返す……? あの時、悟った筈だ。これでは世界は救えない……と」
先程よりもトーンが下がった低い声に心臓がトクンと一つ、鼓動した!
――ま、まさか……!? うぅん、間違いないわ!! だって、同じ人物なのに周りの空気がピンと張り詰めたよう……!!
念の為、能力透視を発動し、聖哉のステータスを確かめる!
《状態:正常》
よ、よっし!! やっぱりそうだ!! 遂に混乱が治ったんだ!! 慎重勇者の復活よっ!!
聖哉は血に濡れた髪をかき上げ、「ふぅ」と小さく息を吐くと、ブノゲオスの目前まで歩み寄る。
「なんだあ、お前? どうやってあの鉄格子を壊したんだあ?」
至近距離でブノゲオスと対峙する聖哉を目の当たりにして、私はハラハラする。
復活したのは嬉しい!! だけど、性格が変わったからといって、能力値まで変わる訳じゃあない!! 今の聖哉の状態でブノゲオスを倒すのは不可能なのに!?
不思議そうに聖哉を見ているブノゲオスの太ももに、スッと自分の血の付いた手を当てる。途端、ブノゲオスの顔色が変わった。
「て、てめええええ!? 小汚い手でこのブノゲオス様の体に触れやがったなあああああ!?」
「触れるだけではない。破壊する」
「……あ?」
突然、『ゴシャッ』! 果実を地面に叩き落としたような音と共に、ブノゲオスの太ももが裂け、そこから黒い血液が溢れ出る!
「あ……ああ……? あああああああああああああ!!」
最初、何事が起こったのか認識出来なかったブノゲオスの顔が苦痛に歪んでいく! 叫び、うずくまり、片膝を付いたブノゲオスの頭上から、聖哉の冷淡な声が響く!
「
――ヴァルキュレ様の破壊術式……!! お、思い出したんだ!? そして……そうか!! これは防御力無視の破壊技!! だからレベルの高いブノゲオスにも作用し、強固な鉄格子ですら破壊出来たんだわ!!
ブノゲオスがうずくまっている間に、聖哉は私の牢の鉄格子も破壊する。私が牢から抜け出し、近寄ろうとすると、
「リスタ。来るな。下がっていろ」
聖哉が手で私に合図した。ようやく、ちゃんと名前で呼ばれ、私のテンションは密かに上がるが、
「よ、よ、よ、よくも……!!」
負傷した足を押さえ、ブノゲオスが立ち上がる。
「たかが人間の分際でええええええええええええええええええええ!!」
ブノゲオスがその本性を現す。目を充血させ、牙を剥き出し、獰猛な顔で聖哉を睨む。だが聖哉は全く動じていない。
「たかが人間、だと? 先程までと同じとは思わないことだな」
言うや、聖哉の体から発生した炎が、私と奴隷の女性を守るように渦巻いた!
「今よりお前に見せてやろう。天上の破壊神から教わった究極の絶技を」
「面白れえ……面白れえよ、この糞野郎があああああああ!! こいよ!! 返り討ちにしてやるよおおおおおおおおお!!」
……今、私と聖哉、そして聖哉に手を引かれた奴隷の女性は息を弾ませ、一目散に階段を駆け上がっていた。
「階段が終われば……確か、右。そうすれば、この地下牢から逃げられるわ……」
奴隷の女性にナビされながら、走る聖哉に尋ねる。
「に、逃げるんだ……? あれだけ啖呵、切っておいて……?」
「うむ。実際、破壊術式はあの技しか思い出せていない。先程はかなり危ういところだった」
「そうだったんだ……」
「まさかあの流れで逃げるとは思うまい。仮にすぐに気付いて追ってこようとしたところで、奴の足にはダメージを与えてある。他の獣人達さえ振り切れば、問題なく逃げ切れるだろう」
「あっ! で、でも聖哉! この場から逃げたところで統一神界には帰れないの! 魔導具の力で神界への門が出せないのよ!」
「向こう見ずだった時の記憶も合わさっている。故に現況は把握済みだ。神界に帰れないのならば、地下集落『希望の灯火』に戻り、そこで準備を行う」
「じゅ、準備? それって一体?」
「無論、奴を倒す為の準備だ」
――し、神界での修行なしで、あのブノゲオスを倒す!? で、でも……!!
研ぎ澄まされた凛々しい横顔を見て、私は思う。
何よ、何なの、この安心感は!! そうよ!! やっぱり竜宮院聖哉はこうでなくっちゃ!! これでこそ、私の最愛のダーリンよ!!
感極まって、片方の聖哉の腕に、自分の腕を絡めようとした。だが、聖哉は私の手を『バシッ』と振り払った。
「おい。馴れ馴れしく俺に触るんじゃない」
「えっ……?」
あ、あれっ……? 記憶は戻った筈なのに……? て、照れてるのかな? そうだよね、きっと……?
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