第五十六章 希望の灯火

 ルーク神父に続いて床の下に入ると、土を固めて作られたような階段があった。地下へ向かい、数歩進むと上の方で音がして、開いていた床が自動的に閉まっていく。更に、私達が歩いた後の階段が消えていく。


「これは、ひょっとして……魔法?」

「はい。アイヒ様の土魔法です。地下への出入口はこの廃屋以外にも町中に数カ所あるのですが、仮に入口を見つけられたとしても、このように獣人達が入って来られない仕組みになっております」


 そのアイヒという魔法使いは土魔法を応用し、地下に人間達の住む集落を作っているのだろう。土魔法は高度に熟達すれば広大な地下空間を作り出すことも出来る魔法である。しかしそれには万に一人というような類い希なる才能が必要だ。


 口に出さずとも私の顔を見て察したのだろう。ルーク神父が笑った。


「アイヒ様は伝説の魔法使いコルト様の妹ですから」


 コルト――確か前回イクスフォリア攻略の際、聖哉と一緒に魔王討伐に加わっていた魔術師だ。そして彼もまた前世の私達と共に、魔王の餌食となった……。


 階段の横の壁は一定の間隔をおいて、光が灯っていた。ランプやたいまつとは違い、土の中に埋め込まれた石が発光しているようだ。光を発する魔力を込めた『魔光石』なのだろうと私は推測した。


 長い階段を下りながら、聖哉が神父に尋ねる。


「しかし、どうしてこうまでして地下に籠もる? その土魔法とやらを上手く使えば、町から出ることも出来るのではないか?」

「いいえ。私達はガルバノから出ることは出来ません。『呪縛の玉』――この魔導具をブノゲオスが持っている限り、町の外に出た人間は灰になってしまうのです。もっとも、この町から出られたところでイクスフォリアには人間が安心して暮らせる場所などありませんが……」

「あっ!! ひょっとして私達が統一神界へ戻れないのも、その魔導具のせいなんじゃ!?」


 神界への門内部に現れた壁の話をすると、ルーク神父は、「おそらく」と頷いた。


「呪縛の玉を持つ獣魔ブノゲオスは、魔王が世界を我がものにし、邪神の恩恵を得た後で新たに生み出された怪物で、私達が住むこのラドラル大陸を支配する獣皇じゅうこうグランドレオンの配下なのです」


 神父が言った言葉に私は喫驚する。


「ち、ちょっと待って! ブノゲオスってのが、この大陸のボスなんじゃないの?」

「ブノゲオスはこの町を治めているだけ。大陸を支配しているのは獣皇じゅうこうグランドレオン。ブノゲオスを軽く凌ぐと言われる怪物です」


 ブノゲオスのステータスですら、ゲアブランデの四天王を上回る、とんでもない能力値!! なのに更にその上がいるっていうの!?


 私の気も知らず、聖哉が拳でドンと胸を叩く。


「うむ。相手にとって不足はない」

「おお! 流石は選ばれし勇者殿! なんと頼もしい!」


 神父は嬉しそうだが……いや、あの、ごめんなさい。この勇者、口だけなんです。今のままじゃ、ブノゲオスにも余裕で負けます、はい、間違いなく……。




「……さぁ、着きましたぞ」


 ようやく長い地下階段は終わった。目の前には大きな観音開きの扉が見える。


 秘密の合図のようなものだろうか。神父が蝶番を五回、不規則なリズムで打ち付けると、扉は音を立てて開かれた。


「うわあ……!」


 扉の中を見た私は感嘆の声を漏らす。


 そこは地下とは思えぬ広大さ。高い天井に備え付けられた無数の魔光石に照らされて、民家が軒を連ねている。遠くには青々とした作物の育つ畑も見える。


 聖哉も感心し、頷いていた。


「ほう。すごいな。地下にもう一つ町があるようだ」 

「畑を作り、慎ましいながらも自給自足して生活しております。魔光石のみの光しかないので、あまり健康な作物は育ちませんが……」


 神父が私達を連れてやって来ることを、前もって聞いていたのだろう。目の前には老若男女、数十人が横一列に並んでいた。


 私は住人達に笑顔で手を振ってみるが、反応はない。


「あ、あれっ?」


 ゲアブランデでは民衆は女神と勇者に対し、尊敬の念を持っていた。しかし、此処にいる者達は皆、睨み付けるような眼差しを私達に向けている。


 少し居心地の悪さを感じた時、群衆の中から鋼の鎧をまとった若者が私達に向かって歩いてきた。短髪で鋭い目の男だった。


「こちらが私達の集落『希望の灯火リトルライト』のリーダー、ブラット様で、」


 神父が紹介しているのに、ブラットは立ち止まらず、聖哉の前までズカズカと歩み寄ると、いきなり胸ぐらを掴んだ。ドスの効いた声を出す。


「その顔……やはり間違いねえ!! テメー、まだ生きてやがったのか!!」

「な、何なのよ、いきなりアンタは!?」

 

 私だけでなく、ルーク神父も慌てて叫ぶ。


「一体どうしたのです、ブラット様!?」


 ブラットは聖哉を睨み付けたまま、神父に対し、声を荒げた。


「神父!! アンタ、知らねえのか!? コイツは一年前、魔王討伐に失敗した勇者だ!!」

「な……!?」


 絶句するルーク神父。ブラットは憎々しげに話し続ける。


「コルト様もターマイン王国のティアナ姫も魔王に殺されたと聞く! だがコイツだけは逃げ出して、何処かに隠れていた!! そして今更、のこのこ現れたって訳だ!!」


 そう……私はティアナ姫から生まれ変わって女神になり、時の流れの遅い神界で百年を過ごした。だから水晶玉で見たティアナ姫とは外見が全く違う。でも聖哉にとっては、たった一年前の出来事。顔や容姿は殆ど変わっていない。つまり以前、聖哉に会った人からしてみれば、一目瞭然なのだ。


 ブラットは聖哉を激しく突き飛ばす。


「せ、聖哉!?」


 倒された聖哉に駆け寄るが、背後で様子を窺っていた民衆が、口々に声を荒げ始めた。


「ほ、本当だ! 俺も一年前に見たことがあるぞ! そいつは前勇者だ!」

「そうよ! 『俺に任せろ』などと大きな口を叩いていたわ! だけど結局、魔王に破れ、イクスフォリアは滅ぼされた!」

「お前のせいだ! お前のせいで俺の家族は皆、死んだんだ!」


 集落にいた、ほぼ全ての民が聖哉に対し、罵詈雑言をぶつけ始めた。ふと、気付けば私達は棍棒や農具を持った民衆に囲まれている。


 ――こ、こんな!? 異常なステータスの魔物だけでなく、イクスフォリアに住む人間も私達に敵意を持っているの!? こ、これが難度SS!! どうするの、聖哉!?


 しかし聖哉は落ち着き払った様子で私を振り返る。


「おい、女神様。此処にいる人達の言っていることは事実なのか? 俺はかつて、この世界に来たことがあるのか?」


 隠したところで仕方がない。私は真実を告げる。


「ええ……アナタがイクスフォリアに来たのは二度目。そして前回のアナタはこの世界を救うことに失敗したの……」

「そうか……」


 途端、聖哉は地面にひれ伏した。


 ――ええええええええっ!?

 

 それは私にとって思いもよらない光景! 傍若無人な聖哉が何と、民衆に土下座をしている! さらには、苦渋に満ちた声を出す!


「すまなかった。許してくれ」


 い、イヤだ! な、何だか、すごくイヤだよ! 聖哉が土下座なんて!! やってることは立派かも知れない……けど……だけど……こんな聖哉見たくない!!


 突然の謝罪に聖哉を囲っていた人々は一瞬、沈黙したが、やがて一人の男がわなわなと震え出した。


「ふ、ふざけんな!! 頭一つ下げて済む問題じゃあねえんだよ!!」

「コルト様やティアナ姫はお前に殺されたようなもんだ!!」

「そうだ、そうだ!!」


 誰かが聖哉に石を投げた。石はかわそうともしない聖哉の頭に当たる。それを皮切りに、希望の灯火の人々は聖哉に殴りかかった。


「ちょ、ちょっと!? やめて!! やめてよ!!」

「うるせえ!!」


 私は暴挙を止めようとしたが、誰かに押されて、地面に倒れる。


「やめてったら!! 聖哉に酷いことしないで!!」


 叫ぶが暴力は止まらない。年配の女達がオロオロする私に冷ややかな目を向けていた。


「ふん。何が女神よ。私達人間とたいして変わらないじゃない」

「前回いた赤毛の女神もクズだったわ。何でも魔王に食べられたとか。情けないったら、ありゃあしない」

「アリアのこと悪く言わないでよっ!!」

 

 睨むと、更に凄い形相で睨み返される。


「アンタらが、だらしないせいで、この世界は滅んだんじゃないのさ……!」


 そして彼女達は私にじりじりと迫った。


 ――う、うわっ!! 私も殴られるの!? 


 怖じ気づく私の前に、どうにか身を起こした勇者が立ちふさがった。


「やめてくれ。悪いのは俺だ」

「せ、聖哉……!!」

「ブロードキャストさんは悪くない」


 !! いや、誰だよ、それ!? もう、リスタルテが見えないくらいの距離まで遠ざかってっけど!? 一体いつになったら名前、覚えてくれるの!?


 しかし、そんなことより、私をかばったことが更に民衆の怒りを買ったらしく、聖哉はまたも殴打され始めた。聖哉のレベルは50。防御力が高いのでそこまでのダメージはない筈……それでも私は居たたまれない。


 ――何で!? どうして世界を救いに来たのに、こんな目に遭わなきゃならないの!?


 涙が出そうになった、その時。


「やめてください」

 

 高く、凛とした声が響き、民衆の手がピタリと止まる。


 皆の視線の先には、年端もいかない少女が佇んでいた。他の人々同様、貧しい身なりだが細い腕には装飾品が付けられている。


「アイヒ様……!」


 誰かがぼそりとそう呟く。


「皆さん。やめてください。コルト兄様はそんなことを望んではおりません」


 土魔法でこの集落を作ったという魔法使いアイヒは、私の想像よりも遥かに若かった。見た感じ、六、七歳だろうか。エルルよりも更に小さな女の子の声ひとつで、集落で起きた暴動は治まっていく。


「あ、ありがとう……」


 私はアイヒに礼を言うが、少女の目もまた冷ややかだった。


「女神様に勇者様。来てくださったことに感謝は致します。ですが期待はしておりません。魔王アルテマイオスを倒せる者など、いるはずがないのですから」


 ――魔王……アルテマイオス……!


 イクスフォリアの魔王の名を聞いた時、何とも言えない嫌な感覚が全身を駆け抜けた。前世、魔王に殺された私の魂が反応したのかも知れない。


「もはやこの世界を救うことなど、不可能なのです」


 暴動を治めるとアイヒは踵を返し、私達の元を去った。民衆も唾を吐いたり、舌打ちしたりしつつ、立ち去っていく。


 残されたのはボロボロの聖哉と私、そしてルーク神父とブラットだった。


 ブラットが私を睨む。


「おい、女神。確か『ブロードキャスト』と言ったな?」

「いえ、リスタルテです……」

「何でもいい。アンタは本当に魔王を倒し、この世界を救うつもりなのか?」

「そのつもり……でしたけど……」

「ならアンタは何が出来る?」


「治癒」と言いたいところだが、その力は今は封印されている。


「……鑑定なら」


 するとブラットは呆れ顔を見せた。


「そんなの俺でも出来るぜ。他には何も出来ねえのか?」

「つ、翼があるわ。空を飛べるの」


 リスタ・ウイングならイシスター様に許可を頂ければ発現出来る……!


オーダー!!神界特別措置法施行


 私は声を張り上げる。だが、何も起こらない。


 ……はい。やっぱりダメでした。イシスター様とも音信不通でした。帰れないくらいだから最初からダメだと思ってました。


「全く使えねえじゃねえかよ」


 ブラットの視線が突き刺さり、私は語調を強めた。


「し、死なない! 女神は死なないわ!」

「不死身だと? 本当か?」


 ブラットは私にではなく、隣のルーク神父に尋ねる。神父はこくりと頷く。


「伝承では女神は死なないと言われております。このお方の言われることは本当でしょう」

「ほう」


 へんっ! どうよ? ちょっとは見直した? あっ……で、でも、よく考えたら、敵がチェイン・ディストラクションを持っていたら殺されちゃうし……それにイクスフォリアじゃあ狼男もブノゲオスも、持っている訳だし……


 私は正直に言っておくことにした。


「やっぱり、たまに死にます」

「!! たまに死ぬってどういうこと!? それじゃ不死身じゃないだろ!?」


 ブラットは叫んだが、やがて溜め息の後、頭をボリボリと掻く。


「たまに死ぬ女神に、前回失敗した勇者か。こりゃあ、お笑いぐさだ。天はやはりイクスフォリアを救う気などないらしい」


 そしてブラットは私達に冷たい視線を向ける。


「だが、来た以上はそれなりの役には立って貰うぜ。仮にも魔王を倒そうっていうんだ。部下のブノゲオスくらいは倒せるよな?」

「そ、それは……」


 ゲアブランデで魔人と化した戦帝を倒した時の聖哉のレベルはMAXだった。同程度のステータスを誇るブノゲオスを倒すには、現状のレベル50では絶対に不可能。だが、


「わかった。倒してくる」


 今まで黙って話を聞いていたのだろう。痛めつけられた体を起こし、聖哉はハッキリとそう言った。


「ブノゲオスは、町の外れに人間を売り買い出来る市場を作り、そこで奴隷を育てている。ブノゲオスを倒し、そいつらを解放してこい」


 本当にブノゲオスと戦うかどうかは別として、とにかく、この場所からは早めに出た方がよさそうだ。だが、そうは言っても、地上は地上でステータス値の高い敵の巣窟である。


「せ、せめて準備くらいさせてよ!」


 私はブラットにそう訴えた。希望の灯火を出るにしても、武器や防具は身に付けておきたい。


 ブラットは鼻を鳴らすと、ルーク神父の肩を叩き、そのまま何処かへ歩き去った。残されたルーク神父は優しい顔付きで、少し離れたところでゴザの上に座っている男を指さす。


「あそこが道具屋です」


 ゲアブランデの時のように、前もってイシスター様はイクスフォリアの通貨を私に渡してくれていた。私は懐からお金の入った小袋を取り出して、道具屋に向かう……が、ゴザの上に並べられている道具は、光を発する魔光石や農具ばかり。日常生活に必要なものしか陳列されていない。聖哉の混乱を治せるようなアイテムを期待したが、薬草や毒消し草すらない有様だった。


「ルーク神父。道具屋の他に、武器屋や防具屋はないの?」

「残念ながらありません。此処では充分な物資が手に入らないのです」


 アリアが言った通りだった。征服されたイクスフォリアではまともな装備が揃いそうにない。


 肩を落とす私の横で、しゃがれた声がした。


「おい、アンタ。職は変えないのかい? 変えたければ、俺が変えてやるぜ?」


 前歯のほとんどない老年の男性だった。ルーク神父が紹介してくれる。


「こちらはエンゾ。希望の灯火の『洗礼者』です。洗礼者に頼めば、今の職から転職することが出来ます」


 聖哉が腑に落ちない顔をしていた。


「職? 俺の職業は勇者ではないのか?」


 エンゾが首を横に振る。


「この世界じゃあ勇者という職業はねえよ。……どれどれ。えぇと……アンタの職は『魔法戦士』。それも『火炎系の魔法戦士』だな」


 ゲアブランデの時の聖哉は色々な系統の呪文を覚えていたが、やはりベースとなるのは炎の魔法らしい。今回もフェニックス・ドライブやフェニックス・スラストなど前回同様、強力な炎系魔法剣を既に習得している。


 エンゾがにやりと笑った。


「魔法使いと戦士……二つの職が合わさった上級職――『魔法戦士』か。流石、勇者っていうだけはある。だが、もし仮に魔法剣士をやめれば、代わりに違うタイプの職を二つ選べるが……どうするね?」

 

 私としては他にどんな職があるのか尋ねたかったが、


「いや、職はこのままで構わない」


 聖哉は即答する。慎重な時の聖哉なら事細かく聞いて、吟味したかも知れないが……まぁ私としても、現況、職を変えないことに賛成である。魔法戦士は上級職。それに代わる職などそうそうある筈もないし、それに急に職を変えれば、慣れるのに時間が掛かるかも知れない。今の私達にそんな余裕はない。


「よし。それでは出発しよう」


 逸る気持ちの聖哉は、希望の灯火の出口まで我先にと歩く。扉に近付いた時、ルーク神父が何か思い出したように「少し、お待ちを」と言って、小走りした。その後、鞘を抱えて戻って来る。


「この剣をお持ちください。サビていますが、無いよりはマシでしょう」

「あ、ありがとうございます!」

「ご武運を……」


 私は礼を言って、神父に手を振った。


 ふと、隣を見ると、聖哉が顔を輝かせ、サビた剣を大きく掲げている。


「うむ。これで120%勝てる」

「いや……そんな『エクスカリバー手に入れた!』みたいな自信持たないでよ……。その剣、サビてるよ……?」

ガナビー・オーケー何とかなる

「それじゃなくて、レディ・パーフェクトリーが聞きたいんだけど……」

「何だ、それは?」

「ハァ……」


 押し潰されそうな巨大な不安を背負いつつ、私は希望の灯火を後にしたのだった……。

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