神スロ

柚緒駆

神スロ

 落下していた。頭を下にして、薄暗い何も無い空間を。何処まで落ちるのだろうか。恐怖は無い。ただ困惑していた。何故こんな所に。僕は確か、そう確かあの女に胸を刺されたはずではなかったか。だが痛みは感じない。血も出ていないようだ。この身に一体何が起きているのだろう。

「誰かいるのか」

 突然聞こえたその声に、周囲を見回す。落下していた。3メートルほど離れて、頭の禿げあがったサラリーマン風の男が、同じように落ちていた。サラリーマンも困惑している様だった。

「ここは一体何だ。私はどうしてここに居る」

 そんな事をかれても、僕にわかる訳がない。答えられないでいると、もう1つの声が反対方向から聞こえた。

「ここはきっと天国よ。ねえそうでしょう」

 振り返ると、セーラー服を着た高校生くらいの少女が落下していた。彼女は困惑してはいなかった。本当にここが天国だと思っているらしい。

「何故天国だと思うのかね」

 サラリーマンは尋ねた。少女は答える。

「だって私、死んだんだもの」

 その溌剌はつらつとした明るい声に、サラリーマンは愕然とした。だが僕にはそれ程の驚きはなかった。思い当たる節があったからだ。

「死んだ……そんな、馬鹿な」

 顔を蒼白にするサラリーマンを横目に、僕は少女に語り掛けた。

「君が死んだのは、間違いないの」

「ええそうよ。通過する急行電車の前に飛び込んだの。助かりっこないわ」

「自殺しただと!」サラリーマンは激しく反応した。「何故そんな馬鹿な事を」

「馬鹿な事じゃないわ」少女は反撥はんぱつした。「私にはこれしかなかったの」

「そんなはずがあるか。自分の命より大事な物なんてこの世に無いんだぞ。嗚呼、親御さんがどれだけ悲しんでいる事か」

「勝手な事言わないで、何も知らないくせに。うちの親は私が死んだって悲しんだりしないわ」

「子供が死んで悲しまない親なんて居るものか」

「私が学校でいじめられてる時に、話を聞かずに休ませてもくれなかった親よ。私がレイプされて妊娠した時も、世間体の為に勝手に示談にした親よ。悲しむなんて有り得ない、悲しんで欲しいとも思わない」

 少女の剣幕に、サラリーマンは絶句した。

「そういう家庭もあるんじゃないですかね」別に少女の味方をしたかった訳ではない。ただ、僕は素直にそう思ったのだ。「全ての親が子供を愛してるなんて、有り得ないですよ」

 サラリーマンは胸を押さえ、苦し気な、絞り出す様な声を出した。

「私にはね、娘が居るんだよ。15年前に女房に先立たれてから、男手一つで育てて来た娘が」

「……娘さん、可愛い?」

 少女の言葉にはしかし、あざけりの響きは無かった。純粋に知りたかったのかもしれない。

「ああ、可愛い。可愛くてたまらない。いや、顔は決して美人じゃないかもしれない。でも可愛いんだ。いとしいんだ。これまで辛い事もあった、苦しい事もあった、だが娘が居たから、居てくれたから、乗り越えられた。私にとっては生き甲斐なんだ。宝物なんだ。私の全てなんだよ。その娘がもし、君の様な目に遭っていたらと考えると、それだけで胸が苦しい。壊れてしまいそうになるほど哀しい」その時サラリーマンは、はっと顔を上げた。「そうだ、娘だ。娘の結婚が決まって、私は酒を飲んだんだ。嬉しくてがぶ飲みした。そうしたら急に気が遠くなって、気付いたらここに」

「血圧は高かったのですか」

 僕のその問いに対し、サラリーマンはうなずいた。

「あ、ああ。血圧の薬をもらっていた。だが最近飲み忘れが多くて、今日は飲んだんだったか」

「なら脳卒中でも起こしたのかもしれませんね」

 サラリーマンは眼を大きく見開き、驚きの表情を浮かべた。

「じゃあ、本当に、私は本当に死んだというのか」

「その可能性は少なからずあります」

「あなた、お医者さんみたい」

 少女の言葉に、僕の首は縦に振られた。

「医者だからね」

「あなたも死んだのよね。お医者さんが何で死んだの」

 ひどい事を言う女の子だ。医者だって人間だ、死ぬときには死ぬ。そう思ったが、今そんな事を言っても始まらない。

「7年ほど付き合った女が居てね。でも結婚が決まったから別れようとしたんだ。そうしたら刺された」

 少女は眉をひそめ、息を呑んだ。

「最低。くずじゃん」

 本当に酷い事を言う女の子だ。医者だって人間だ、中には人間の屑くらい居る。

「それにしても」別に話題を変えたかった訳ではない。ただ延々と落下し続けるこの状況に、いい加減嫌気いやけが差して来たのだ。「僕らはいつまで落ち続けるんでしょうか」

 僕は自らの行き先に顔を向けた。サラリーマンと少女も顔を向けた。その時、中空に巨大な長方形の闇が浮かび上がった。洞穴の様に見える。どうやらそこへ向かって落ちているらしい。

「あそこに落ちるの」

 少女が不安げに言った。

「何が起こるんだ」

 サラリーマンが僕の方を見た。

「さあ、神のみぞ知る、でしょうね」

 僕たち3人が闇の中に飛び込んだとき、天上はるか彼方で、巨大な何かが回り出す音が世界にとどろいた。



 リールの回転が止まった。真横に【地震】【台風】【テロ】、左斜めに【台風】【台風】【噴火】、右斜めに【津波】【台風】【戦争】が並んだ。

「左斜めが少し惜しかったですね。でもまあ今回はハズレです。こういう事もございます」

 悪魔はそう言いながら、おしぼりを差し出した。

なぐさめなど要らぬ。平穏が悪い事ではあるまい」神は不満げにおしぼりを受け取ると、両手をごしごしと拭いた。「それにコインが溜まる一方だ。少しは消費しなくてはなるまい」

 神が投げて寄越したおしぼりを使い魔に渡すと、悪魔は小さく苦笑した。

「それにつきましては、レートの設定に問題がございますとしか。死者の魂1つに付きコイン1枚というのは如何いかがなものでしょう。せめて魂100で1枚くらいにすべきでは」

「その手には乗らん。レートを上げればお前の取り分が増えるだけであろうが」

「そのようなつもりは決して。ただ人間はあまりに増えすぎました。生者の絶対数が増えれば死者の数も増えるは必定ひつじょう、このままではコインは際限なく増えて参ります。いかに神様の御手みてが無限の広さをお持ちだとはいえ、無駄にわずらわせる事はございますまい」

「たわけが。命の価値を下げよと申すか。それは神の価値を下げよと言うに等しいのだぞ」

 神は忌々いまいまし気にコインを3枚放り込むと、スロットマシンのスタートレバーを叩いた。リールが回転する。

「されど今、人間の命の価値は事実として下がっております。人間は権利ばかりを主張し、己の命の価値が下がっている事に気付こうとも致しません。遠い異国で人の命を軽んじる事が、己の命を安くしているという当たり前の事から目をそむけております。それはすなわち、神の価値を下げている事に他ならないのではございますまいか。そんな人間どもに、神様が御手を煩わせる価値がございましょうや」

 悪魔は力強く、しかし静かに呟いた。神は反駁はんばくする。

「そうなるであろう事はわかっておった。ゆえに、ほんの2千年ほど前に、何人かの救世主を世界中にばらいておいたのだ」

「確かに。しかしその救世主たちの伝えた言葉は、後の世の者たちに都合の良い様に改変され、今では原典とは似ても似つかぬ聖典が幅をかせてございます。今や救世主の言葉は、敵を殲滅せんめつする為の免罪符と化してはございませんか」

「むう」

 神は腹立たし気に鼻にしわを寄せると、叩き付けるようにスロットのストップボタンを連打した。悪魔は言う。

「神をないがしろにする者たちには、罰が与えられねばなりません」

 リールの回転が止まる。その途端、スロットマシンは高らかにファンファーレを吹き鳴らした。天界に響き渡るラッパの音。そしてマシンはコインを吐き出す。じゃらじゃらと、じゃらじゃらと、壊れたかの様に延々コインが吐き出される。命のコインが。悪魔は微笑み、神は沈黙する。

 果たして、どんな厄災が揃ったのだろうか。

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神スロ 柚緒駆 @yuzuo

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