第17話 右の鼓膜

「さて……拷問室に連れて行くか」


 左の方の鼓膜だけに、空気の振動が伝わる。

 俺の右耳にだけ音を聞かせて、右の鼓膜だけをピンポイントで破損させる。『鳴鏡止水』の存在は知っていたが、ここまで正確に能力の調整が出来るとは思っていなかった。だから、『鳴鏡止水』は無視していたのに。


「んじゃ、俺が運びますよぉ」


 嫌な笑みが張り付いた男が、俺の方に近づいてくる。窓ガラスを通った逆光のせいで顔はよく見えないが、男の口は笑みを浮かべているように見える。だが、そんな事はどうでもいい。手錠をかけられたら、逃げられるものも逃げられなくなる。しかし、都合よく策も浮かばないため、とりあえず時間を稼がなければならない。


「っ…………! 俺を確保するには……上の了承が必要なんじゃねぇか……?」

「現状トップの許可を取るのは、また後でいいじゃん。時間稼ぎが見え見えだよん」


 え?


 おかしくないか?


「はい」


 男が手錠を手に取る。そして、俺の手首に掛けようとする、が、


「させっ、かっ……!」


 右の手の甲で男の腕をはじき、同時に後ろに跳びはねる。しかし、


「懲りないな」


 首に金属の冷たい感触。花宮が持っている刀だ。


「粘り強いのが……売りだよっ……!」

「そうか。ただあまり粘りすぎると、腕が消えるぞ」


 そうですか……


「四肢欠損させるなら……上に許可取りなよ……」

「そんなもの、必要ない」


 その言葉と同時に、花宮が刀を振りかぶる。しかし、それは途中で止まった。


「零線は、俺が殺したよ」

「…………! なんだ――」


 語尾を言わせる前に、刀を右手で弾き、隙を突いて手錠をかけようとしていた男に蹴りを食らわせる。蹴りを食らった男は白髪を靡かせながら後ろに跳んでいき、窓側の壁にぶつかった。


「しまった!」


 後ろに待機していた警備員がこちらに銃口を向けてきた。しかし、もう間に合わない。


「つっ……!」


 窓ガラスを割って建物を強引に出る。窓ガラスの破片が腕や足等に刺さるが、一々気にしていられない。


「飛び降りやがった!」

「とりあえず、俺が時間を稼ぎますから、花宮さんは下に降りてください。今度は仕留めたいでしょぉ?」

「そうだな、一分間だけ頼む。何なら二、三分稼ぎます」


 後ろでそんな会話が聞こえた。右耳だけであんな遠くで話している声が聞こえるとは思えない。落ちても大丈夫だと思ってはいても、走馬灯のようなものは起こるのだろう。

 そして、俺の背中が地面――黒いマットに弾かれた。


「ぐっ……はっ……!」


 やわらかいマットとはいえ、衝撃は小さなものでは無いようだ。傷口一つ残さずに痛みが突き刺さってきた。


「うわっ……! すごい傷! 大丈夫!?」


 瞬間移動で、車両の上にあるマットに跳び乗った木南が、俺に声をかけた。


「大丈夫じゃあないな……運べる?」

「それに関しては大丈夫だよ。というか、急がなきゃだね」


 そう言ってから、木南は俺の体を担ぎ上げて道路に飛び降りた。見た目は華奢で小さな女の子なのに、片腕で担ぎ上げられると、なんとなく負けた気分になる。そして、楽々空いた左手で扉を開き、後部座席に俺を座らせてくれた。

 せっかく休めるというのに、疲れと痛みがどっと降ってきて、俺は歯を食いしばった。傷一つ一つが元気に痛覚を刺激する中、俺の隣に座っていたらしい女性の方が声をかけてきた。


「大丈夫ですか? 覚えているか分かりませんが、私は美龍白亜です」


 何か見た事あるかと思ったら、


「洗脳されかけた人ですね」

「それ、貴方が言いますか」


 そう言葉を交わした後、二人で笑い合う。しかし、


「ちっ……! もう、敵が来た! 準備しろ!」


 笑い声が途切れた。


「警備員は大分上の方におびき寄せたはずです! 早すぎませんか!?」

「飛び降りてきたんだよ!」


 飛び降りた、って……どんな頑丈な体してんだよ! と考えて、俺は前方に立っている襲撃者に目を向けた。もう沈みかけている太陽の光を受けて、堂々と仁王立ちをしている男。

 その姿は、忘れるはずも無い人物だった。


「零……線……!?」


 男はこちらに向かって駆け出した。

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