第2話

改めて考えてみると、自宅に部の人間を連れていくのは初めてだ。

克也でさえ家に招いたことが無い。

部活終了後まだみんな着替えも終わらない中、素早く帰り支度を終えた村上は待ちきれずに槙に近づいた。

気が付いた槙が、克也を振り返って申し訳なさそうに口を開く。


「あ、克也。今日俺、村上先輩と約束があるから一緒に帰れないや」


克也は村上と槙を交互に見た。


「そうなんだ?うん、分かった。あ、槙、さっき言ったことやってみろよな?」

「うん、明日また見てよ」


穏やかな笑顔で話す克也と、それに応える槙の間には独特の空気がある。

絆、と言ったらカッコよすぎるだろうか。

そういう村上も、いつも一緒に行動している凱斗との間に同じような雰囲気があると自負している。

だからという訳ではないが、“今日は一緒に帰れない”と凱斗に話した時、まるで浮気でもするような妙な後ろめたさを感じてしまった。

慌てて“須藤に用があって”と言い訳めいた口ぶりになった自分に苦笑する。


「槙?どうしたんですか、めずらしい」


凱斗も、今まで接点のなかった槙と村上が結びつかないようだ。

訝しげに見る凱斗に、ちょっとな……と却って含みを持たせるような返事をして、またもや失敗したと額を押さえた。

当の凱斗は意に介していない様子ではあったのだが。

どいつもこいつも、なんで同じ部の後輩に用があるっていうだけで、こんなに不思議そうな目で見るんだよ?

村上はなんとなく居心地の悪い気分で、自宅に案内してくれる槙の隣を歩いた。

校門から坂を下りきって駅に向かう道すがら、ずっと黙ったまま歩いていた槙が不意にククッと笑った。


「先輩、緊張してます?」

「へっ?」


突然話しかけられて妙に上ずった声を出してしまった村上は、思わず口元を押さえた。

その様子を見て、槙はさも可笑しそうに腹を抱えた。


「いや、だって先輩、ずっと黙ったままだし、なんだかぎこちないですよ?」


笑いをこらえて片目をつむる槙の顔に、村上は自分がずいぶん気を張っていたことに気が付いた。


「それは俺のセリフだよ、須藤。猪瀬とか山本の前と俺の前とじゃあ、全然態度が違うじゃないか」

「それは当たり前ですよ。だって先輩ですし、そもそも今までそんなに話したこと無かったんですから」


コイツ、根っからの体育会系なんだ。

でも運動は高校に入ってからやり始めたんじゃなかったっけ?

ずいぶん上下関係に厳しい考え方をする奴だなあ。

最初から人懐こく自分を慕ってきた凱斗とは、ずいぶん性格が違うようだ。

村上はため息をついた。


「すみません、気ぃ遣わせていますよね。俺ずっと合気道やってたんで、目上の人に馴れ馴れしくするのが苦手なんです」


申し訳なさそうに槙は頭を下げた。

そうか、それなら話は分かる。

武道はそういうところが特に厳しいからな。


「なんだ、陸上じゃなくてそっちの方やってたのか」

「これでも結構いいところまで行ったんですよ。父が亡くなって、辞めてしまったんですけどね」

「そうか……」


父親をあんな形で亡くして、やはり相当のダメージだったんだな。

こうして突然訪問しようとしている自分が、なんだか図々しく無神経な人間のような気がしてきた。

かといって、今更行くのを辞めるというのもおかしな気がして、村上は唇をギュッと結んだ。


「先輩、結構分かりやすいですね。今ちょっと後悔しているでしょう?俺、全然大丈夫ですから」


少し苦笑いが混じった笑顔で、槙が顔を覗き込んでくる。

村上は思わず目を逸らした。

須藤卓の息子。

ずっと会ってみたいと思っていた奴。

1年半も近くに居ながら全く気付かず、今まで全然意識したことなんか無かったのに、息子だって分かった途端気になってしょうがねぇ……。

槙は再び黙り込んで黙々と歩いていく。

しかしその口元には、さっきまで無かった笑みが浮かんでいた。


「それにしても、猪瀬も凱斗も変な顔してたな。俺たち、そんなに一緒にいるのが不思議なのかね」

「そうでしょうね、今までほとんど付き合いは無かったですし。それが急にですから、俺もビックリですよ」


全く、本当にハッキリ言うんだな。

村上は苦笑する。


「あ、すみません。いい意味で、ですよ?村上先輩は俺、尊敬していますし、先輩が父を慕ってくださるのも嬉しいんです。だからこうして家にも来ていただくんです。父のおかげで俺まで親しくしてもらえるみたいで、そういう意味でビックリですから」


熱を帯びた風が吹き抜け、二人の髪を揺らしていく。

乱れた前髪を掻き上げながら、槙は緩く微笑みながら村上を見た。

実際その笑顔を向けられると、嬉しいと言うよりも妙にソワソワとした気分になった。

今度は村上が黙りこくって、黙々と歩く。

そんな村上の様子を見ながら、槙はフウっとひとつ息を吐いた。


                  

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