第2話
「おい、須藤。ちょっとこっち来いや」
練習が済んで克也と槙が連れ立って帰宅しようとしたとき、選抜メンバーに選ばれなかった3年生が突然道を塞いだ。
目の前に立ちはだかる3人に克也は驚いて挙動不審になったが、槙は表情ひとつ変えず3人の後をついていく。
オマエはついてくるなと制されて、克也はその場に呆然と残された。
しかし。
あれ?選抜された俺が呼び出し食らうならともかく、何故槙なんだ?
克也は不思議に思って、慌てて後を追いかけた。
体育館の裏側まで来ると、3人は壁を背にした槙を取り囲むかのように立ちはだかった。
「オマエなんだよ、あの態度」
腕組みをしながら顎をしゃくるようにして凄んできたのは、いつも村上に追いつけずタイムが伸びなかった長距離の木崎だ。
村上さえいなければ俺が……というセリフを何度聞いたか分からない。
「まだ2年だもんな、オマエ。もっと頑張れば来年もあるってことだしな」
わざと下から覗き込むように睨み付けてきたのは、槙と同じくスプリンターの友井だ。
槇が入部したとき一緒に頑張ろうなと話しかけてくれたのに、一気にタイムを縮めてきた槇にいつしか冷たく当たるようになっていた。
「もう頑張ったって後が無い俺たちなんか、馬鹿にしてるってことかな?ん?」
嫌味なほど爽やかな笑顔で言い放ったのは、やはりスプリンターに3年間をささげてきた森本だ。
実力はあるはずなのに、気分によってタイムのばらつきが目立つ。
練習では克也よりも断然いいタイムを叩きだすくせに、本番で崩れて結果を残せないタイプだ。
どいつもこいつも一癖あるが、今まではそれなりに何とか調和をとってやってきたのだ。
3人ににじり寄られているところを、追いかけてきた克也が見つけた。
「ちょ……、先輩、何やってんですか!」
慌てて黒い塊に駆け寄っていく。
「猪瀬っ、来るんじゃねぇよっ」
「それとも、猪瀬も俺らのこと笑いに来たのかな~?」
3年は次々に克也にも怒号を浴びせる。
囲まれている槇の顔は見えないが、3対1じゃあ分が悪い。
「克也、俺は大丈夫だから。あっちで待っててよ」
奥の方から槙の声がした。
「お、余裕ですねえ、さすが須藤君」
ニヤニヤ笑いながら言い放った木崎の顔の醜さに、克也は小さく舌打ちした。
くそっ、コイツらとことん嫌な奴に成り下がっちまって……っ。
克也は構わず輪の中に押し入ろうとした。
と、突然。
「克也っ!あっち行ってろって言ってんだろ?!」
聞いたことのない鋭い怒声が響いた。
今の、槙の声か?
のんびりとした穏やかな口調とは打って変わって、驚くほど骨太で凄味がある声色だ。
3年も、突然豹変した槙の声にギョッとしたようだ。
「槙……っ!」
チラリと見えた表情にドキッとする。
あの目だ。
いつもスタートラインで見せる、獣の様な目。
しかし次の瞬間にはいつもの槙に戻って、アイコンタクトで訴えてくる。
克也はもうその場を離れるしかなかった。
その姿が見えなくなったことを確認して、槙は3人を無表情で見回した。
さっきの声が堪(こた)えたのか、小心者の友井は多少怖気づいている。
「さて……、話の続きをしてくださいよ」
いつもの穏やかさとは似て非なる、もの静かな声色。
それが逆に何を考えているのか図りかねて不気味だ。
「だから、あの態度は何だって言ってんだよっ。これ見よがしに頑張ろうなんて言いやがって」
「オマエ陸上を始めてから、たかだか1年ちょっとだよな。中学からずっとやってきた俺らの気持ちなんか分かんねぇよな?結局オマエは真剣じゃないってことだろ」
木崎は威勢よく怒鳴り、森本は相変わらず嫌味な笑顔だ。
槙はまるで下らない音楽でも聴いているかのような顔をしている。
実際足元では何かのリズムをとっている。
「おい、何とか言えよっ」
勢い余って、木崎が槙の胸ぐらを掴もうとしたその時。
一瞬早くその手首を、恐ろしく強い力が制した。
「手ぇ出しちゃぁ、いけないんじゃないですかね、先輩」
手首を掴んだまま、目を伏せて低い声でつぶやく。
そのままゆっくり顔を上げて、槙は鋭い視線で木崎の目を見据えた。
それはナイフのようなオーラを放って、木崎の戦意を切り裂いた。
「お話しだけで、お願いしますよ」
「う……っ」
焦りを隠しきれない顔で、木崎は手首を掴んでいる槇の手を思い切り振り払った。友井はすでに逃げ腰だ。
「俺はただ、頑張ろうって言っただけですよ?誰のことだって馬鹿にしちゃいませんよ。ただ……」
口元に、残酷なほど冷たい笑みが浮かぶ。
「そう思ってしまう先輩方は、残念ですね」
ゆっくり森本の方にも居直る。
張り付いていた笑顔が凍って、森本ももう何も言えない様子だ。
「俺はいつだって真剣ですよ?“たかだか”1年でここまで来ましたから」
槙が一歩近づくと、森本は一歩後退する。
構わず素早く近づいて、気の毒そうな顔で森本の顔を覗きこむ。
「中学から頑張っていらした先輩の気持ちは、想像しかできませんね。申し訳ありませんが」
森本の喉がヒクッと鳴った。
「えっと、話はこれだけでしょうか。俺、帰っていいですか?」
体育館の壁に立てかけていたカバンを手に取って、槙は気怠そうに言った。
もう誰もそれを止めようとはしない。
「あ、友井先輩」
思い出したように振り返る。
後ろを向いている友井はビクッと肩をとがらせた。
「俺、入部当初友井先輩に可愛がってもらって本当に嬉しかったですよ。なかなか言う機会が無いから、せっかくなんで今言っときます」
友井の背中が一瞬強張った。
それじゃあ、と言って颯爽と槙はその場を後にした。
体育館脇の通路を抜けたところに、克也が不安を隠せずイライラした表情で立っている。
槙はフッと笑って克也の元に走った。
「槙!オマエ、大丈夫か?!」
「んー、怖かったよ。先輩たち怒り狂ってたからね。でも克也が来てくれたから、俺ちょっと落ち着けたよ。ありがとな」
相変わらずのんびりした口調だ。
見たところ、暴行を受けた様子もない。
いくらなんでも、そこまで大事(おおごと)にはしないだろうとは思っていたけれど。
克也はホッとすると同時に、ふと思い出した。
「あ、オマエあんな声出せるんだな。驚いたよ」
「あ、あれねぇ、俺もびっくりしたよ、自分の声じゃなかったみたいでさ」
お互い顔を見合わせて、フフッと笑う。
「なあ、腹減っちゃったんだけど。コンビニでおにぎり買っていい?」
照れたように槙は腹を擦っている。
いつもの槇だ。
確かに“いつもの槙”なのだ。
しかし克也には、もう一人の槙が見えたような、そんな気がしていた。
どうやってあの3人を黙らせてきたのだろう。
興味があったが、敢えて聞き出そうとしなかった。
聞いてもきっとはぐらかされる。
何故かそんな気がして、克也は槙の柔らかな横顔を訝しげに見るのだった。
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