第2話

 それから三日間、私は何人もの痴呆症患者を尾行した。

 そして気づいた。彼らは、皆一様に湖畔の老人ホームに向かって行った。

 血縁や友人関係、全く関係のない全員が、一人の例外もなく老人ホームに入り込んで行った。

 さすがに可笑しいと、私は入り込んだ老人が出てくるのを待ってみたが、二時間経っても出てこない。

 若い頃ならいざ知らず、この季節、この歳になって外に居続けるのは、身体的に限界があった。

 やむなく諦めたが、中途半端に不思議に関わってしまい、どうしても胸のつかえが取れない。その老人ホームが気になった私は、後日、痴呆症老人のフリをして、老人ホームに入り込むことにした。


 翌日、私は再び湖畔の老人ホーム、『アーカム』に出向いた。戦々恐々しながら受付に会うと、受付の女性は一礼して、無言で私をホームの奥に案内した。あまりに淡白な対応に、この老人ホームのセキュリティを心配しつつ、奥に進んで行く。


 美しい松が植えられた、小さな庭園が窓の向こうに見える。

 遠くには、太陽光に照らされちかちかと輝く湖。

 調査の為に来たのだが、思いがけず心の休息を得ることができた。こんな綺麗な場所ならば、痴呆症患者が集まるのも無理はないか、と得心した。

 小綺麗なホームの廊下を進み、行き止まりまでやって来た。『寄り合い所』とマジックペンで書かれたネームプレートが下げられた部屋があった。談話室のような役割の部屋だと解釈し、ゆっくりとその扉を開けた。


 そこは、想像していたサロンのような空間ではなかった。

 丁度、私が勤める大学の、教室のような部屋であった。

 横長の机と腰掛け椅子が並んでいる。

 そこに、無表情の人たちが一堂に会していた。私が尾行していた痴呆症患者も、ちらほらと伺えた。

 彼らは勤勉な学生のように、真っ直ぐに部屋の奥の教卓を見据えていた。不気味なほど静かな空間にたじろぎ、空いた席に大人しく着席した。


 しじまが寄り合い所を支配して数分、寄り合い所の、私が入ってきた扉から、一人の男性が入ってきた。

 ここに居る、大多数とは違い、カッチリした背広を着込んだ清潔な男性だった。

 彼は教卓の前に立ち、こほんと咳払いを一つ、落ち着いた口調で話し始めた。


 彼が語ったのは、胡散臭いオカルト話だった。

 海面上昇によって、海が人間の生活圏に近づいたことで、深海に潜んでいた生命体が人間の生活圏に溶け込んでいったこと。ベビーブームと呼ばれる時期––––1947年から、1949年の間に起きた出生率が大幅に増えた時期だ––––は、その生命体が人間の女性を犯して、大量に子を孕ませたことによって生まれたということ。

 オカルト雑誌のゴシップ記事のような、くだらない、読者を楽しませるためだけ内容。家政学とは言え、学問に身を置く徒として、その内容は一笑に付す以外の選択肢を選ぶことは出来ない代物だった。


 しかし、悍ましいことに、心の奥には、そのオカルトに寒気を感じている自分が居るのに気づいた。

 ただのオカルトにしては、やけにデータが取れ過ぎているからかもしれない。内容はくだらないが、整合生が取れているのだ。

 それに、話しを聞く聴衆の態度も、私に言い知れぬスリルをかき立てた。彼らは相も変わらず無表情だったが、話しを聞きながら、うんうんと顎を引き、演説に心酔しているようだった。

 自分には相容れない話しに同調している他人たち。私は、カルト宗教の集会に放り込まれたような気分になった。


 不気味な演説は、約一時間続いた。

 知らず知らずのうちに話しに聞き入っていた私は、唐突に打ち切られた講演に驚いた。

 演説者は部屋を出て、寄り合い所には再び静寂に包まれた。帰っていいものか、と推量し、周囲の様子を伺うも、誰も席を立とうとしなかった。

 仕方なく座に戻り、聴衆の様子を観察すること数分、再び男性が戻ってきた。しかし、入ってきたのは男性だけではなかった。


 何人もの若い女性が、娼婦のような劣情を催す格好で入室し、聴衆者それぞれの前に並んだ。

 彼女たちは腕を振り、腰を振り、思いつかんばかりの淫らな動きで聴衆者を誘った。当然、私も。

 突然現れて、しかもほとんど枯れた老人である聴衆者に、淫行を誘う。

 これが誰の差し金なのかはわからないが、正気の沙汰とは思えなかった。演説者の男性に抗議するため立ち上がる。その時、部屋の中の異常に気づいた。


 とっくに精液も枯れたような老人たちが、たちどころに立ち上がり、娼婦たちと性交を始めだしたのだ。

 お互い無表情のまま、接吻を交わし、恋人通しのように交わるのだ。性器をねぶり、乳房を揉みしだき、肢体に所構わず口付ける、痴呆たち。

 唖然、口を開け、私はまさしく唖然としていた。


 やがて前戯を終え、一組の男女が陰茎を女性器に挿入した。

 肉と肉がぶつかる、扇情的な音が聞こえた。六十を過ぎた老体とは思えない、力強い性交。お互いの表情が淫楽に歪み、あたかも情熱的な性交に見える。

 ああ、しかしその行為の野蛮さと言ったら! 愛情の欠片も感じられず、ただ子を孕ませるためだけの行為に見えた。

 性交、という言葉より、交配、交尾という言葉が良く似合うと思った。


 どうしてそこまで激しい交配を行えるのか。

 気になった私は、老人の身体を、よくよく観察してみた。

 すると、筋肉が盛り上がり、顔がふくよかになっているのがわかった。

 筋肉質な身体とは対照的に、肌は青く、ざらざらしている。

 口からはよだれと思しき体液がこぼれだしている。

 驚くべきは、その目だ。白目の部分が全く見えず、青ずんだ黒目が眼球を支配し、くりくりと動き回り、飛び出ていた。

 その姿は、ぎりぎりの状態で人間の形を保っていたが、私の頭には、彼らを表現する別の言葉が浮かんでいた。


 半魚人。

 がっしりとした体つきと、青緑の肌の色、動物的な交配。

 同時に、演説者の男が言っていたことが、脳裏をよぎる。

 海面上昇に伴い、深海からやってきた生命体。かつて、地上に現れ、人間の女を孕ませ、子を成そうとした生命体。

 今、私の目の前で、男性の話しと全く同じことが行われていると直感した。男性の話しは、嘘ではなかったのだ。


 乱れる身体、半魚人の陰茎によがる娼婦、粘着質の体液をまき散らしながらひたすら交尾を続ける、痴呆の老人だった者。

 各々の体液が混じりあい、吐き気を催す、どこか淫靡いんびな匂いが部屋に充満している。

 邪な神に捧げる、忌むべき儀式のような光景だった。この世に存在する、神への冒涜をかき集めたような光景。私はその情景に、いつの間にか魅せられていた。


 やがて、突っ立ていた私の手を、娼婦の一人が取った。

 彼女は自身の肢体に私の手をあてがい、交配に誘った。

 途端、耄碌したはずの私の身体が、若い頃のようなときめきに満ちていった。 ときめき、などと綺麗な言葉を遣うべきではないかもしれない。

 この感情は、ただの欲だ。

 性欲を越えた、私の中の種族の繁栄させたい、繁殖させたいという類いの、欲望だ。

 その感情は、娼婦のしなやかな肉付きを見るたび増幅し、程なく私の理性を追い払ってしまった。

 強引に娼婦の身体を引き寄せ、私の子を繁殖させるための行為を始めた。

 交配を、行った。


 


 

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