女の園(三)

(なぜあの女は朕の気分を悪くさせるのか……)

 出会った時から、あの調子である。

 曹憲という女は、まるで曹操の分身である。

 父の曹操の意志を実行するために使わされたような女である。

 しかも、それが曹操の孫を生ませると吐き気を催すような作業のためなのだから始末に終えない。

(同じ姉妹とはいえ、こうも違うとは)

 曹憲、曹節、曹華。

 父も母も同じ姉妹なのである。

 人というのは不思議なものだと感傷的な気分になるのは雨のせいであろうか。

(そういえば……)

 不意に、劉協は曹節のことを思い出した。

 空が晴れれば畑を耕している。

 夜になれば外に出て蝋燭の炎で書を読む。

 雨の日はいったい何をやっているのであろうか。

 劉協は曹節の部屋へと向かった。

 部屋に着くと侍女たちが出迎えた。曹節はいないという。

「あの方は厨房におられます」

「厨房?」

 劉協はおもわずつぶやいた。

 曹節の侍女たちは、劉協以上に己の主のことを知らないのである。

 劉協が厨房にやってくると、曹節がいた。料理人たちに料理をつくらせていたが、劉協の姿を見つけると雨の日特有の沈んだ空気を霧散させるような爽やかな笑みをうかべた。

「陛下。こんな場所にやってこられるとは」

「そなたこそどうした? 腹でも減ったのか?」

「今度、女たちを呼んでともに遊ぼうと思ったのですが、どのような料理でもてなそうか考えていたところでございます」

「夏侯惇と蔡文姫か」

「その二人ではございません。女同士集まって文芸の話をしようかと」

「ほう」

「いかなる文芸がもっとも優れているか論を戦わせようというところでございます」

「それはまた風情のある話だ。誰がくるのか?」

「姉の清河長公主、王異、辛憲英の三名でございます」

「その三名とそなたが親しいとは聞いたことがない」

「姉の清河長公主はさておき、王異と辛憲英の両名とは面識がございません。この両名は蔡文姫どのの紹介でございます。くわしくは知りませんが、たいへんな烈女であるとは聞いております。なにぶん蔡文姫どのはまだ身体が回復していない様子なので」

 そう言って曹節は暗い顔をした。

 蔡文姫は、伏皇后の手によって口にするのもはばかられるほどのひどい目にあった。

 具体的な内容は、言えない。

 人の所業とは思えない、とだけしか言えない。

 そのことを思い出すと劉協は身震いがする。

 いつの間に皇后の心のなかに化け物が住みついたのだろうか……。

「しかし、文学の話は双六とは違う。どれが一番優れているかは判別のしようがないではないか」

「ですから審判を呼ぼうと思っております」

「誰を呼ぶつもりだ?」

「司馬徽という人物で、号を『水鏡』といいます」

「聞いたことがないが、有名な人物か?」

「もともと荊州に住む隠者で、当時荊州を支配していた劉表には仕えず畑を耕しながら暮らしたそうです。その後、父上に仕官するよう求められましたがそれを断り、その代わりに都に学校を開いて民衆に学問を教えているのです」

「名士なのか」

「荊州にいた頃は臥龍鳳雛を育てたといいます。そのうちの臥龍は諸葛亮といい、いまは蜀の劉備に仕えていると聞いております」

 諸葛亮の名は劉協も聞いたことがあった。

 たいへんな手腕の持ち主で、かつては戦闘一本槍だった劉備軍の軍政をひとりで取り仕切っているという。劉備が蜀を建国できたのも諸葛亮のおかげといっても過言ではない。

「そのような人物が審判なら、きっと公平に裁いてくれることであろう」

「楽しみですわ。陛下もご一緒にいかがですか?」

「う、うむ……。そうだな」

 劉協は視線をそらした。

「しかし、せっかくの女の集まりに男が顔を出して楽しい雰囲気をぶち壊すのは気が引ける」

「それでは陛下は司馬徽の弟子ということにしてはいかがでしょう?」

「朕が、か!?」

「陛下がお姿をお見せになっては、さすがに女たちも恐縮するでしょう。そこで陛下は身分をかくして庶民として会に参加するという趣向はいかがでしょう? 姉も陛下のことを存じませぬゆえ」

「なるほど。それは面白いかもしれぬ」

 最初は興味なかった劉協も身を乗り出してきた。

「皇帝である朕が一介の書生として会に出席するわけか。それは風変わりな考えだ。しかし、そうなると前もって司馬徽に知らせなければ……」

「陛下がそのおつもりならば、手筈はすべて私が整えさせていただきます」

 曹節は微笑んだ。

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