翼の産声
艦体を貫く長い長い
そこに生きる人と草木の
「今日もツルガは健在なり、っと……第二の故郷だ、無事でいてもらわにゃ困るぜ」
上陸準備を整え、パンパンに膨らんだ
いつも通り手で断りながらも、ミウトは軍服のポケットをまさぐった。自分は吸わないが、手馴れた手つきでオイルライターを取り出し、頬を寄せるジョシュアのくわえタバコに火をつけてやる。
以前はいつも、こうして気を遣っては、煙を吹かす兄に笑われたものだ。
「ふーっ、今朝のニュース見たか?」
「うん。
「当然だ、お互いガチンコで殺し合ってんだ……戦争だからな」
「そんなだからどっちも狭度が浅くなって、それでも衝突は避けられないって」
オヤシマ朝廷の
狭界の海を漂うツルガとアギキタ、両地は今……文字通り島同士の衝突という危機に
「海兵達も言ってたけどさ、やっぱお姫さんが嫁げば丸く納まってたんじゃねぇの?」
ツルガとアギキタは共に、同じ狭度に浮かぶ同規模の島。狭界の海をただ、波に任せて漂うしかなく……全ての島がそうであるように、衝突の危機を前に、まずは
「ツルガ公は民の反対を押し切り、アギキタの狭度を深め、自分達が浮くことを選んだ」
「あっちはだって、不能とはいえお姫さんを嫁に
「次期領主、ナルヒコ様の存在は揺ぎないものになる筈だった。それが」
一時は政略結婚で丸く収まる筈だった。アギキタ側が突如、差し出されたシズル=ツルガを突き返してくるまでは。
そして、開戦。少しでも敵国の人口を減らし、狭度ゼロへと近づける不毛な争いのはじまり。
「あっちも必死、こっちも必死だ。お、何だありゃ? かーっ、あの辺りは俺等の町だぜ」
近付くツルガの地は、出発したころに比べて、あちこちで森が焼けていた。
「攻撃されたんだろ。僕等がしたように、相手だって……そりゃ、戦争だってわかってるけど。避ける努力の末に開かれた
――真に命を賭けるべきは。そして、命を賭したのは。
気付けばミウトは手すりを両手に、
「そ、そういやさ。お前、戦場の海にお姫さんを見たって、昨日言ってたよな?」
「え? あ、うん。確かにあれは、殿下だった」
全身を合金の装甲で包み、腰に
昔ジョシュアと二人でこっそり覗き込んだ、大人の世界。本や映像でしか見た事のない、女性の下着姿が鮮明に
ミウトは初めて見た。
「あっ、こんな所にいた。ミウト! ジョシュア君も」
見知った声に何故か、ミウトの
「ほら、上陸したら王宮でしょ? 襟元! もう、だらしない。
手首にはめればもう、眼前に迫る故郷へと自分の
「サヤコ、俺は? 俺も久々にママンに会うんだ、だらしない格好はいけないよな」
「あら、良かったじゃない。おば様もきっと喜ぶわ。あ、一本貰える?」
言うが早いか、サヤコはジョシュアの手が握る最後の一本をするりと抜いた。それを
「ね、ミウト。キョウヤさんがね、昇進祝いしてくれるって……いつものお店。来るでしょ?」
向けられる瞳が、来なさいと言っている。首を縦に振る以外を許さない、いつもの表情が微笑んでいた。ミウトは黙って頷くと、再度ライターに火をつけた。
限られたツルガの領土は、その面積は田畑を除く大半が森。草木でさえ狭流の力で、島を支えている。人と植物以外に
ミウトは今その、本来ならばありえぬ生い立ちの姫君に踊らされているらしく、慣れぬ王宮を彷徨っていた。
「何をしている、少年。こっちだ」
場違いに思える空気を、凛とした声が震わせた。それはミウトの鼓膜を揺さ振り、振り返らせる。
無機質な軍服でさえ、ドレスのように着こなす姿がそこにはあった。ついてこいとばかりに、カナデが
「あっ、あのっ、お、おはようございます、中尉」
「うん、おはよう」
突き放すような冷たさはないのに、どこか近寄り
カナデは左右の手に三つずつ、合計六つの
「私の
それが誇りですらあるかのように、カナデが袖を少しまくってみせる。軍の頂点に立つ、絶対戦力たる
その一つをカナデは、指でなぞって目を細めた。
「これはあの方の……君の兄上の物だ。ナンバ曹長に無理を言って、譲って貰った」
細い手首に辛うじて引っ掛かる、大き目の
「やあ、二人とも。こっちだ……久しぶりだね、ミウト。待っていたよ。
白衣を着た金髪の長身が、王宮の広い
それは、王宮の広大な庭園の
「多少散らかっているがね。ささ、入った入った……既にもう、お待ちかねだよ」
薄い笑みが彫りの深い顔を
「ジェラルドさん、お待ちかねって。あの、僕等はいったい。まさか」
「そのまさかだ、少年。先日言った通り、殿下のわがままに付き合うことにな――」
薄暗い建物の中へと、一歩を踏み入れた瞬間。カナデが息を飲む気配がミウトに伝わった。
鉢植えと武具が散乱する、まるで乱雑な子供部屋のような室内に、天窓から差し込む常明の光。その明かりが照らす吹き抜けの中央に、真っ赤な翼が静かに浮かんでいた。
「勝手に塗ってしまったけど、中尉のパーソナルカラーは二つ名の通り赤でいいんだよね?」
ジェラルドの言葉をもう、カナデは聞いてはいなかった。まるで
ミウトが説明を求めてジェラルドを見詰めるより早く、カナデが総髪を揺らして振り返った。
「ハインツ
「ククク、まあでも私はこの国の人間じゃないからね。
カナデの表情が、心なしか明るい。薄暗い室内に差し込む
ミウトもただ、静かに吊るされ佇む、一領の
「あ、あの、ジェラルドさん……中尉は」
「タクトもそうだった。
命を乗せて海を飛ぶ、我が身の一部にして全てだから。そう言ってジェラルドが目を細める。ミウトはそう言われれば、心なしか
「綺麗。こんなに軽そうなのに、抑えるべきを抑えた装甲。それに、この翼」
鎖に吊るされ、だらりとぶらさがる深紅の
無論、先日見た羽撃く純白の翼とも違う。
「この国の連中は保守的過ぎるんだ……こうすれば格闘性能は格段に上がる、旋回性能だって。形状の都合から、
「制御が難しいと聞いていますが」
「そ、これも試作型だけど……中尉、君の
自分の作品を誇りながら、ジェラルドも手で触れ、その感触に満足気に呟く。二人の熱意に反して、ミウトは常識外れの
「ジェラルドさん、これ……前後逆に付け間違えたとかは――いや、前に兄さんが言ってた」
「不勉強な奴じゃな。見た目に反して、中身がこうも似ないとはの」
不意に、
不能の姫君、シズル=ツルガ。
「あっ、あの……じゃあこれは」
「前進翼。最近になって研究され始めた翼の形状なんだけど、これがまた制御が難しくてね。ああでも、私の造ったこれは……まあ、やっぱり難しいんだけども。でも三重のフィング・バイ・ワイヤ・システムで、カナード翼のない形に私はまとめてみたんだが。見てくれ、ミウト」
「ジェラルド、その話は後じゃ。それより」
静かに目線で、熱弁を振るうジェラルドを制すると。シズルは新型の
「ヒツガヤ中尉、タカナシ准尉、両名ともに殿下の命により参上いたしました」
「それは
敬礼に身を正すカナデと、腰に手を当てゆるりと佇むシズル。
二人の交わす言葉が雰囲気を引き締めてゆく。苦笑するジェラルドに、気付けばミウトは隠れるように寄り添っていた。
二人は共に、ミウトにとっては雲の上の存在だが、合わせ鏡のように対照的に感じられた。凍れる炎のようなカナデと、沸々とした
「二人とも、今日からわらわの
「それはツルガ
「ふむ、まあ手続きはおいおい。わらわが頼めば嫌とは言わんじゃろ、おんしの父上は」
「……軍は、我々は殿下の玩具ではありません。お
無礼は平に
「元気のよいことよ、のうジェラルド? 流石はタクトと
「しかし殿下、私も
「何じゃ、ここまで来て尻込みかや? ……わらわとてもう飛べる、ぬしのお
「当然です! なにせこの私が! あ、いや、しかしあの男が、ヒツガヤ元帥がなんと仰るか――」
「聞くまでもなかろう、ハインツ上級技官。中尉も無礼が過ぎる、身をわきまえよ!」
振り向けば研究室の入口に、一人の巨漢が立っていた。口髭をたくわえた
「ハインツ上級技官、ツルガは
「ヒ、ヒツガヤ元帥っ!
男はジェラルドの言葉を遮るように、手に持っていた
「なんてことを……私の
「工房では、貴様の考案した
それだけ吐き捨てると、男は踵を返す。その背を思わず、ミウトは
「ジェラルドさんは、兄の戦友でした。一緒に、海を飛んでた、
「口の利き方に気をつけたまえ。英雄の弟とて、軍では
にべもない言葉で、事実だった。出来損ないの
「まあ、良いではないか。そうじゃ、ホウゼン。この二人、わらわにちっくと貸さぬか?」
軍の
「恐れながら殿下、あのような
「なんじゃ、ぬしも判で押したようなことを言う。わらわが戦場に出ては駄目か?」
「何もあのような、はしたない姿を晒さずとも。飛べずとも、殿下には殿下にしかできぬ、民へ……ツルガへなすべき責任が」
「嫌じゃ」
揺るがず退かぬ、その
「この花一輪……名もなき草まで全て、
それが自分にはないと、無言でシズルは手にした花でホウゼンを
「確かに先日は急いでおった故、あのような格好になったがの。もうわらわにも翼がある……父上も心配するから、こうして
「……
「元帥、それでも僕は……自分は
「母様を捨てた男らしい物言い! 父様っ、
突如、紅蓮の
「既に親子ではない、口を慎め中尉。
「そうとも、もはや父でも子でもない。だが、一人の
まるで
「貴方の
「海を飛ぶだけが、
「ならば私がこれで飛びます……飛んで見せます! ホウゼンッ、貴方はもう怖くて飛べぬのだ! 違うかっ!」
その問に答えず、ホウゼンは去った。言葉に代って、叩き付けるように閉められた扉の音が、残されたミウトの肌を震わせる。
いきりたつカナデの横では、シズルが退屈そうに花をもてあそんでいた。
「
「なっ……殿下は我々
「わらわが飛ぶは、全ての民のため。不能の姫が
「……今日は、先日の件で抗議と、それとお断りに参上したのですが」
嵐が去った後にまだ、つむじ風が
「殿下が飛ぶというなら、例え
「感謝を、中尉。まあ、正直必要ないのじゃが……これで父上も安心しようぞ。の、ミウト?」
既にもう、自分もカナデに並んで、シズルと飛ぶ。それが決まってしまった瞬間を、ミウトは呆然と迎え、ただ頷くしかなかった。
何故、自分なのか?
その答が背中にしかないような気がして、今はそれでも構わないとミウトは自分に言い聞かせた。
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