翼の産声

 艦体を貫く長い長い飛行甲板ひこうかんぱん。その向かう先に今、巨大な森がそびえていた。列島国家オヤシマに連なる島が一つ、ツルガ公国。ミウトのふるさとであり、守るべき母国。

 そこに生きる人と草木の狭流力フィングによって、今日もツルガの地は狭度を保って狭界の海を漂っていた。その巨大な、しかし世界のほんの一部でしかない、失われし大地の欠片……一面樹木と田畑に覆われたその中に、常明の天から身を隠すように、よるべない者同士い民が暮している。


「今日もツルガは健在なり、っと……第二の故郷だ、無事でいてもらわにゃ困るぜ」


 上陸準備を整え、パンパンに膨らんだ袋鞄ふくろかばんの紐を肩にかつぐと、ジョシュアがミウトに並んだ。静かに凪いだ海が、混血児のくすんだ金髪を揺らす。彼は無言で官給品かんきゅうひんの煙草を取り出すと、最後の一本をミウトに向けてくる。

 いつも通り手で断りながらも、ミウトは軍服のポケットをまさぐった。自分は吸わないが、手馴れた手つきでオイルライターを取り出し、頬を寄せるジョシュアのくわえタバコに火をつけてやる。

 以前はいつも、こうして気を遣っては、煙を吹かす兄に笑われたものだ。


「ふーっ、今朝のニュース見たか?」

「うん。停戦交渉ていせんこうしょう、また上手くいかなかったみたいだね」

「当然だ、お互いガチンコで殺し合ってんだ……戦争だからな」

「そんなだからどっちも狭度が浅くなって、それでも衝突は避けられないって」


 オヤシマ朝廷の度重たびかさなるとりなしにも関わらず、ツルガ公国とアギキタ領の停戦交渉は難航していた。両国は共に滅亡、共倒れの危機に際してなお、戦争という愚挙ぐきょで解決を図ろうとしている。

 狭界の海を漂うツルガとアギキタ、両地は今……文字通り島同士の衝突という危機にひんしていた。民は狭流の力を通わせ、島を安定させるので精一杯。艦船かんせんとは桁違いの質量を波に逆らわせることはできない。


「海兵達も言ってたけどさ、やっぱお姫さんが嫁げば丸く納まってたんじゃねぇの?」


 紫煙しえんを吐き出し、手すりに身体を預けてジョシュアが天を仰ぐ。

 ツルガとアギキタは共に、同じ狭度に浮かぶ同規模の島。狭界の海をただ、波に任せて漂うしかなく……全ての島がそうであるように、衝突の危機を前に、まずは穏便おんびんな回避方法を模索もさくした。

 すなわち、どちらかが浮いて、どちらかが沈み、擦れ違う。それが世界で頻発ひんぱつする、余りにも条理じょうりで、しかし日常的な滅びに抗う唯一の手段。だが、沈むはよしとしても、浮かぶは、これも破滅への一歩……天は常に頭上に明るく広がり、その光で全てを飲み込もうとしている。


「ツルガ公は民の反対を押し切り、アギキタの狭度を深め、自分達が浮くことを選んだ」

「あっちはだって、不能とはいえお姫さんを嫁にもらえば格は上、国の将来は磐石ばんじゃくって感じでよ」

「次期領主、ナルヒコ様の存在は揺ぎないものになる筈だった。それが」


 一時は政略結婚で丸く収まる筈だった。アギキタ側が突如、差し出されたシズル=ツルガを突き返してくるまでは。婚約こんやく破棄はきされ、全てが白紙に戻った時……両地の距離は近付き、いよいよ衝突は不可避なところまできていた。

 そして、開戦。少しでも敵国の人口を減らし、狭度ゼロへと近づける不毛な争いのはじまり。


「あっちも必死、こっちも必死だ。お、何だありゃ? かーっ、あの辺りは俺等の町だぜ」


 近付くツルガの地は、出発したころに比べて、あちこちで森が焼けていた。


「攻撃されたんだろ。僕等がしたように、相手だって……そりゃ、戦争だってわかってるけど。避ける努力の末に開かれた戦端せんたんでも、でも、命を賭けるのは国の民じゃない筈なんだ。どっちの島も同じさ、本当は」


 ――真に命を賭けるべきは。そして、命を賭したのは。

 気付けばミウトは手すりを両手に、熱弁ねつべんを振るっていた。まるで自分に言い訳をするように。呆気あっけに取られてタバコを口から落としそうになったジョシュアは、慌ててそれをくわえなおす。


「そ、そういやさ。お前、戦場の海にお姫さんを見たって、昨日言ってたよな?」

「え? あ、うん。確かにあれは、殿下だった」


 全身を合金の装甲で包み、腰に武装架パイロンの並ぶ銀翼を生やした狭流導線甲冑ワイヤードアーマー……騎兵達が狭流の力を込めて、この海を飛ぶための鎧。だが、シズルは違った。不能の姫君の姿を思い出し、ミウトは顔が火照ほてるのを感じて口ごもる。

 昔ジョシュアと二人でこっそり覗き込んだ、大人の世界。本や映像でしか見た事のない、女性の下着姿が鮮明に脳裏のうりに蘇る。黒いタイツと、それを吊るベルトが繋がる同じ色のコルセット。精緻なレースに飾られたそこから背に生えた、真っ白な羽根。

 ミウトは初めて見た。狭流導線甲冑ワイヤードアーマーに頼らず飛ぶ者も、白い肌の美しさも。たおやかな銀髪を靡かせ、悠々ゆうゆうと羽撃く華麗かれいな母国の姫君が、まぶたの裏に彫り込まれていた。


「あっ、こんな所にいた。ミウト! ジョシュア君も」


 見知った声に何故か、ミウトの鼓動こどうがった。急いで脳裏に浮かぶ半裸を振り払う。しかしそれは色濃く刻まれ、イメージはなかなか薄まらない。あせりながらも振り向くミウトに、大股で歩いてきたのはサヤコだった。


「ほら、上陸したら王宮でしょ? 襟元! もう、だらしない。狭流環フィグリングもさっさとつける!」


 口煩くちうるさく詰め寄るなり、サヤコはミウトの軍服へ手を滑らせる。第一ボタンを閉められ、僅かに首元が息苦しい。その事を口に出さず、ミウトは黙って袖やら裾やらをいじられながら、ポケットから自分の狭流環フィグリングを取り出した。騎兵ゆえに、出撃中は外していた母国との繋がり。

 手首にはめればもう、眼前に迫る故郷へと自分の狭流力フィングが伝わる。自分があの島の民であるという、その実感が心身に満ちる。自分が支えるふるさとが、確かにある。


「サヤコ、俺は? 俺も久々にママンに会うんだ、だらしない格好はいけないよな」

「あら、良かったじゃない。おば様もきっと喜ぶわ。あ、一本貰える?」


 言うが早いか、サヤコはジョシュアの手が握る最後の一本をするりと抜いた。それをつぼみのような唇がくわえるのを見て、タバコの残骸ざんがいを握り潰すや、ジョシュアは慌てて全てのポケットを引っくり返す。


「ね、ミウト。キョウヤさんがね、昇進祝いしてくれるって……いつものお店。来るでしょ?」


 向けられる瞳が、来なさいと言っている。首を縦に振る以外を許さない、いつもの表情が微笑んでいた。ミウトは黙って頷くと、再度ライターに火をつけた。






 限られたツルガの領土は、その面積は田畑を除く大半が森。草木でさえ狭流の力で、島を支えている。人と植物以外に狭流力フィングを持つものはなく、狭流力フィングを持たぬ生物はこの世界に絶えて久しかった……本来ならば。

 ミウトは今その、本来ならばありえぬ生い立ちの姫君に踊らされているらしく、慣れぬ王宮を彷徨っていた。女官にょかん文官ぶんかん達と擦れ違うたび、軍服姿の自分へと視線が突き刺さる。オヤシマにあって朝廷より自治を認められた、ツルガ公国。そのまつりごとの中心でミウトは途方に暮れた。


「何をしている、少年。こっちだ」


 場違いに思える空気を、凛とした声が震わせた。それはミウトの鼓膜を揺さ振り、振り返らせる。

 無機質な軍服でさえ、ドレスのように着こなす姿がそこにはあった。ついてこいとばかりに、カナデがきびすを返す。今日も彼女の背に、一心同体の<焔音ほむらね>が鎮座ちんざしていた。


「あっ、あのっ、お、おはようございます、中尉」

「うん、おはよう」


 突き放すような冷たさはないのに、どこか近寄りがたい。数歩後を歩くミウトは、挨拶の次に交わすべき言葉を捜しながら……ふと、カフスの下に見え隠れする、カナデの両の手首に目を凝らした。カナデも視線に気付いて歩調をゆるめ、自然と二人は肩を並べる。

 カナデは左右の手に三つずつ、合計六つの狭流環フィグリングをつけていた。亡き兄よりもその数は多い。


「私の狭流力フィングは強い。誰よりも。だから、この地に注ぐ量もまた、それに見合うものになる」


 それが誇りですらあるかのように、カナデが袖を少しまくってみせる。軍の頂点に立つ、絶対戦力たる翔騎士シュヴァリアーとは思えない、少女の細腕に狭流環フィグリングが踊っていた。ぶつかり合って小さな音がリンと鳴る。

 その一つをカナデは、指でなぞって目を細めた。


「これはあの方の……君の兄上の物だ。ナンバ曹長に無理を言って、譲って貰った」


 細い手首に辛うじて引っ掛かる、大き目の狭流環フィグリングにはミウトも見覚えがあった。兄タクトが普段、両手につけていた二つの狭流環フィグリング。その一つが今、カナデの手首で故郷を支えている。確か、兄の遺品いひんである二つの狭流環フィグリングは、二人の戦友せんゆうが分かち合った筈で。その一人が、翼を捨てたキョウヤで、もう一人が。


「やあ、二人とも。こっちだ……久しぶりだね、ミウト。待っていたよ。創剣カノンを、鞘を持つ君をずっとね」


 白衣を着た金髪の長身が、王宮の広い庭園ていえんへと続く廊下に立っていた。






 それは、王宮の広大な庭園の片隅かたすみに、まるで大きな物置小屋のようにたたずんでいた。粗末だがしっかりとした造りの三階建てを、ミウトはまじまじと見上げる。その建物はまるで、周囲のみやびな風景に無理矢理溶け込むように、全体がツタで覆われていた。


「多少散らかっているがね。ささ、入った入った……既にもう、お待ちかねだよ」


 薄い笑みが彫りの深い顔をいろどる。小さな丸眼鏡まるめがねを輝かせて、男はガチャガチャと扉を開いた。どこか気弱な印象を見る者に抱かせる、異狭人いきょうじんの金髪が揺れる。


「ジェラルドさん、お待ちかねって。あの、僕等はいったい。まさか」

「そのまさかだ、少年。先日言った通り、殿下のわがままに付き合うことにな――」


 薄暗い建物の中へと、一歩を踏み入れた瞬間。カナデが息を飲む気配がミウトに伝わった。かたわらで兄の親友、ジェラルド=ハインツが得意気にクククと笑う。

 鉢植えと武具が散乱する、まるで乱雑な子供部屋のような室内に、天窓から差し込む常明の光。その明かりが照らす吹き抜けの中央に、真っ赤な翼が静かに浮かんでいた。


「勝手に塗ってしまったけど、中尉のパーソナルカラーは二つ名の通り赤でいいんだよね?」


 ジェラルドの言葉をもう、カナデは聞いてはいなかった。まるで玩具おもちゃを見つけた幼子のように、足早に光射す中へと駆け寄る。転がる機械や計測器、削り出しのパーツ群、色とりどりの草花を避けながら。

 ミウトが説明を求めてジェラルドを見詰めるより早く、カナデが総髪を揺らして振り返った。


「ハインツ上級技官じょうきゅうぎかん、これは……オヤシマの各地では、まだ実用化されたという話は」

「ククク、まあでも私はこの国の人間じゃないからね。深州エウロパ各国では研究が進んでるよ」


 カナデの表情が、心なしか明るい。薄暗い室内に差し込む陽光ようこうの中、まるで歳相応としそうおうのようにはしゃいでるとすらミウトには感じられる。白衣のポケットに手を入れ、アレコレ喋るジェラルドの声も聞いているのかいないのか。そんなカナデの反応がしかし、ジェラルドには心底嬉しいらしく。顔をにやつかせながらミウトを連れ立って歩き出した。

 ミウトもただ、静かに吊るされ佇む、一領の狭流導線甲冑ワイヤードアーマーに近付いた。


「あ、あの、ジェラルドさん……中尉は」

「タクトもそうだった。翔騎士シュヴァリアーはみんな、翼に魅了みりょうされているんだ」


 命を乗せて海を飛ぶ、我が身の一部にして全てだから。そう言ってジェラルドが目を細める。ミウトはそう言われれば、心なしかはなやいでいるカナデに、亡き兄の面影を重ねずにはいられない。


「綺麗。こんなに軽そうなのに、抑えるべきを抑えた装甲。それに、この翼」


 鎖に吊るされ、だらりとぶらさがる深紅の狭流導線甲冑ワイヤードアーマー。その腰部に展開された特異とくいな翼を、カナデはいとしげに撫でてゆく。ぱっと見ミウトにはそれは、まるで何かの冗談のような……普段、軍で運用されている物とは真逆まぎゃくの、作り間違えたかのように見えた。

 無論、先日見た羽撃く純白の翼とも違う。


「この国の連中は保守的過ぎるんだ……こうすれば格闘性能は格段に上がる、旋回性能だって。形状の都合から、武装架パイロンに装備する破剣トゥピードは逆向きになるけど。翼自体が今までからすれば、逆向きだからね」

「制御が難しいと聞いていますが」

「そ、これも試作型だけど……中尉、君の狭流力フィングとセンスならと私も期待しているんだ」


 自分の作品を誇りながら、ジェラルドも手で触れ、その感触に満足気に呟く。二人の熱意に反して、ミウトは常識外れの狭流導線甲冑ワイヤードアーマーに言葉を失っていた。

 前進翼ぜんしんよく――紅蓮の翼は一般的な物とは違い、大きく前へと伸びていた。


「ジェラルドさん、これ……前後逆に付け間違えたとかは――いや、前に兄さんが言ってた」

「不勉強な奴じゃな。見た目に反して、中身がこうも似ないとはの」


 不意に、典雅てんがな響きが部屋の奥からミウトに向けられた。その声の主は手に一輪の花をいらいながら、陽だまりの中へと歩み出てくる。今日は簡素かんそな白いドレスを纏っていたが、まるで翔騎士シュヴァリアーのように、背に剣を……剣状の鉄塊を背負っている。余りに長過ぎて、その切っ先は歩くたびに床を引掻ひっかいた。

 不能の姫君、シズル=ツルガ。

 不敵ふてきな、品定めをするような視線が発せられて、ミウトは全身をくまなく精査せいさされてゆく。それに気付いたカナデが、一瞬だけ眉をひそめるのをミウトは感じながら、ただただ身を正して硬直するしかない。


「あっ、あの……じゃあこれは」

「前進翼。最近になって研究され始めた翼の形状なんだけど、これがまた制御が難しくてね。ああでも、私の造ったこれは……まあ、やっぱり難しいんだけども。でも三重のフィング・バイ・ワイヤ・システムで、カナード翼のない形に私はまとめてみたんだが。見てくれ、ミウト」

「ジェラルド、その話は後じゃ。それより」


 静かに目線で、熱弁を振るうジェラルドを制すると。シズルは新型の狭流導線甲冑ワイヤードアーマーを前にカナデへと並ぶ。見えない空気が密度を増して、緊張が満ちてゆくのをミウトは感じた。二人は今、互いを見据みすえて無言で相対あいたいする。


「ヒツガヤ中尉、タカナシ准尉、両名ともに殿下の命により参上いたしました」

「それは重畳ちょうじょう……御苦労じゃ」


 敬礼に身を正すカナデと、腰に手を当てゆるりと佇むシズル。

 二人の交わす言葉が雰囲気を引き締めてゆく。苦笑するジェラルドに、気付けばミウトは隠れるように寄り添っていた。

 二人は共に、ミウトにとっては雲の上の存在だが、合わせ鏡のように対照的に感じられた。凍れる炎のようなカナデと、沸々とした清水しみずのごときシズル。どちらも近寄り難く、それでいて見守るミウトをけてゆく。


「二人とも、今日からわらわの近衛このえ……まあ、親衛隊しんえいたいみたいなものじゃな、その任を」

「それはツルガ鎮台ちんだいを通した、正式な辞令でありましょうか? 殿下」

「ふむ、まあ手続きはおいおい。わらわが頼めば嫌とは言わんじゃろ、おんしの父上は」

「……軍は、我々は殿下の玩具ではありません。おたわむれも程々に願います」


 無礼は平に御容赦ごようしゃを、と結んでカナデは、定型句でシズルを斬り捨てる。しかし当のシズルは、それが当然の反応と察してか、愉快そうにのどを鳴らすだけだった。


「元気のよいことよ、のうジェラルド? 流石はタクトと双璧そうへきをなした、紅蓮の翔騎士シュヴァリアーじゃ」

「しかし殿下、私も外様とざまでして、その、軍とは余り。殿下の剣や翼のことで」

「何じゃ、ここまで来て尻込みかや? ……わらわとてもう飛べる、ぬしのおかげでの」

「当然です! なにせこの私が! あ、いや、しかしあの男が、ヒツガヤ元帥がなんと仰るか――」


 狼狽ろうばいするジェラルドが頭をボリボリと掻き毟り、その手にミウトが兄の形見の、なつかしい

狭流環フィグリングを見た時。不意に扉が開かれ、外の光が差し込んだ。それが縁取る、大きな影。


「聞くまでもなかろう、ハインツ上級技官。中尉も無礼が過ぎる、身をわきまえよ!」


 薄闇うすやみが震えて、厳粛な怒声にミウトの肌が粟立った。

 振り向けば研究室の入口に、一人の巨漢が立っていた。口髭をたくわえた壮年そうねんの、見るも逞しい姿が軍服を内側から盛り上げている。胸に勲章くんしょうをずらり並べた男が、鋭い眼光がんこうで一同を見渡していた。


「ハインツ上級技官、ツルガは異狭いきょう客人きゃくじんに、道楽で玩具を造らせる余裕はないのだがな?」

「ヒ、ヒツガヤ元帥っ! 翔騎士シュヴァリアー破剣騎兵ファイター狭流力フィング次第では、前進翼は――」


 男はジェラルドの言葉を遮るように、手に持っていた破剣トゥピードを放り捨てる。慌ててジェラルドは駆け出すと、男の足元に滑り込んでそれを拾い上げた。まるで我が子を抱くように。


「なんてことを……私の傑作けっさくを。私の、私の」

「工房では、貴様の考案した破剣トゥピードは作れぬそうだ。デリケート過ぎる……皆が皆、狭流力フィングに優れた破剣騎兵ファイターと思って貰っては困る。いかにも技術屋の考えそうなことだ。その妙な狭流導線ワイヤード

甲冑アーマーもしかり」


 それだけ吐き捨てると、男は踵を返す。その背を思わず、ミウトはた言葉で射抜いぬいてしまった。相手が軍の実質的なトップ、ホウゼン=ヒツガヤ元帥だとわかっていてさえ。言わずにはいれない言葉が口を突いて出、それを兄が言わせてるのだと背の空鞘に言い聞かせる。


「ジェラルドさんは、兄の戦友でした。一緒に、海を飛んでた、破剣騎兵ファイターだったんです」

「口の利き方に気をつけたまえ。英雄の弟とて、軍では一兵卒いっぺいそつに過ぎぬ」


 にべもない言葉で、事実だった。出来損ないの烙印らくいんを押された自分の作品を抱く、ジェラルドを見詰める視界がかすむ。ミウトの世界が悔しさににじんだ。


「まあ、良いではないか。そうじゃ、ホウゼン。この二人、わらわにちっくと貸さぬか?」


 軍の重鎮じゅうちんも、場の重い空気も、シズルは意に返さなかった。不敵な微笑びしょうたたえたまま、さも当然のように言い放つ。既に研究室を出たホウゼンが、陽光の中で振り返った。


「恐れながら殿下、あのような奇行きこうはもうお止めくださいますよう……ツルガ公も心配しておられます。生い立ちに関わらず殿下には、詩や音楽で民に存在を示していただきたく」

「なんじゃ、ぬしも判で押したようなことを言う。わらわが戦場に出ては駄目か?」

「何もあのような、はしたない姿を晒さずとも。飛べずとも、殿下には殿下にしかできぬ、民へ……ツルガへなすべき責任が」

「嫌じゃ」


 揺るがず退かぬ、その選択肢せんたくしさえ念頭ねんとうにない声だった。


「この花一輪……名もなき草まで全て、狭流力フィングでツルガの地を支えておるのじゃ」


 それが自分にはないと、無言でシズルは手にした花でホウゼンをす。


「確かに先日は急いでおった故、あのような格好になったがの。もうわらわにも翼がある……父上も心配するから、こうして護衛ごえいの者を見繕みつくろったのじゃ。エースのカナデと、ジェラルドの推薦でミウトと。よいな?」

「……狭流力フィングなくば、力なき者なりに生きる。どうしてそれができぬのです、殿下」


 苦々にがにがしい言葉がホウゼンからこぼれた。泰然たいぜんとした態度を崩さぬシズルとを、ミウトは交互に見て言葉をつむぐ。強いいきどおりを瞳に灯す、ジェラルドとカナデにも気付かずに。


「元帥、それでも僕は……自分は翔騎士シュヴァリアーに憧れております! だから、多分殿下も――」

「母様を捨てた男らしい物言い! 父様っ、狭流力フィングなくば、生き方は選べないと仰るか」


 突如、紅蓮の翔騎士シュヴァリアーえた。先程まで唇を噛み締め、新たな鎧に身を寄せていたカナデ。彼女ははじめて、ホウゼンの娘の顔を覗かせる。


「既に親子ではない、口を慎め中尉。狭流力フィングに恵まれし者として、言動には気をつけぬか」

「そうとも、もはや父でも子でもない。だが、一人の翔騎士シュヴァリアーとして元帥、同じ翔騎士シュヴァリアー五月雨さみだれ翔騎士シュヴァリアーだった貴方あなたに問う」


 まるで決壊けっかいしたかのように、カナデは叫び続けた。


「貴方の創剣カノンはどうされました? 狭流導線甲冑ワイヤードアーマーは? 海を、存在を示すべき場所を捨てたのは貴方ではありませんか。翔騎士シュヴァリアーが飛ばず……誇りをお忘れかっ!」

「海を飛ぶだけが、いくさに剣を振るうだけが翔騎士シュヴァリアーではないと知れ。中尉……ハインツ、貴様もだ。兵が振るう破剣トゥピード、身に纏う狭流導線甲冑ワイヤードアーマー。全て、命を乗せるものよ。それを、気侭きままな好奇心であのような。前進翼なぞ机上の空論、飛べぬよ」

「ならば私がこれで飛びます……飛んで見せます! ホウゼンッ、貴方はもう怖くて飛べぬのだ! 違うかっ!」


 その問に答えず、ホウゼンは去った。言葉に代って、叩き付けるように閉められた扉の音が、残されたミウトの肌を震わせる。

 いきりたつカナデの横では、シズルが退屈そうに花をもてあそんでいた。


翔騎士シュヴァリアーの誇り、のう……まあよい、そんなものはどうでもよかろ?」

「なっ……殿下は我々翔騎士シュヴァリアーを」

「わらわが飛ぶは、全ての民のため。不能の姫が異形いぎょうの翼で、狭流力フィングに頼らず戦場を駆ける……どうじゃ? 民に、何よりこのツルガに、狭界に……わらわの存在、重く刻まれよう?」

「……今日は、先日の件で抗議と、それとお断りに参上したのですが」


 嵐が去った後にまだ、つむじ風が渦巻うずまいていた。ミウトは双方、どちらの意もめてしまい、ただ黙って拳を握る。


「殿下が飛ぶというなら、例え時化しけに荒れた海でもお守りしましょう。翔騎士シュヴァリアーの誇りに賭けて」

「感謝を、中尉。まあ、正直必要ないのじゃが……これで父上も安心しようぞ。の、ミウト?」


 既にもう、自分もカナデに並んで、シズルと飛ぶ。それが決まってしまった瞬間を、ミウトは呆然と迎え、ただ頷くしかなかった。

 何故、自分なのか?

 その答が背中にしかないような気がして、今はそれでも構わないとミウトは自分に言い聞かせた。

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