2-3

 この星に、フランクフルトという街は二つある。ドリッテ――母なる星ミレニアムアースから数えて三番目、と付くのも一緒。だから大きな方をドリッテ・フランクフルト・アム・マインと呼ぶ。

 ダンは、何かと細かい車掌の言葉を、ぼんやりと思い出していた。

 ここはその、普段はフランクフルトと呼べば意味の通じる街の、駅前にある小さな古物商。親切なギリウスは駅を通じて、貴金属の類を換金できる店を紹介してくれたのだった。


「ふむ……まあ、五万ギルといったところだが」


 金のロザリオを手にとり、そこに飾られた宝石の一つ一つを精査し終えて。初老の店主は眼鏡を外すと、眉間を揉みながらそう告げた。

 店主の言葉にアナエルは、落ち着かない様子で周囲を見渡すダンを見上げる。


「だ、そうだ。どうなのだ? 少年、五万ギルというのは」

「大金ですよ! 僕の故郷じゃ、フィレンツェじゃ服なんて山ほど買えます」

「よし、じゃあそれで手を打とう。御主人、その値でお願いするよ」


 小さな身体でカウンターによじ登るように顔を出して。アナエルは横柄とも思える程に堂々と、店主に取引の承諾を告げた。白髪の目立つ頭をかきながら、店主は訝しげな視線で応える。

 無理もない、若いダンと、さらに若い――幼いとさえ思えるアナエルが今、大金を手にしようとしているから。身なりに不釣合いな、宝石の塊を換金して。

 しかも、アナエルの格好が格好なだけに……店主はなかなか、奥に鎮座する金庫へと振り向こうとしない。修道女がロザリオを売るなど、なかなかに穏やかならざる光景だから。


「お嬢さん、たしかに五万ギルで買い取っても損のない品だがね」


 店主は取引に難色を示しだした。


「少し、事情を説明して貰えないかね? そう、ワシの信仰心が納得するような事情を」


 もっともなことだとダンは思った。話を聞く素振りをみせる、その好意的な態度には感謝すら感じる。ここがつまり勝負どころだと察したダンにしかし、


「ふむ……では少年、任せたぞ」


 と言ってアナエルはカウンターから身を離す。

 彼女は物珍しそうに、店内を物色しながら歩き始めた。掴みどころのない小さな背中を見送り、店主はじっとダンを見詰める。

 意を決して、ダンは本音をぶつけてみた。言葉を飾る必要も、事実を偽る必要もないから。


「お金を必要としている女性がいるんです!」


 口に出してみてダンは、しまったと表現の稚拙ちせつさを呪った。店主のかげる顔色が、無言で悪印象を語っていた。

 女の為に金がいる――そう聞こえたのだ。


「あっ、ええと、あの……守りたい、幸せになって欲しい人がいるんです」


 店主の深い溜息。彼がきらびやかなロザリオから手を放す。


「そのロザリオの持ち主です。でも、今ちょっと困った事になっていて。本当は本人も手放したくはないんです。毎日祈りを欠かさない、そんな人で、だから」


 思うように上手く気持ちが伝わらない。言葉を重ねれば重ねるほど、相手の不審を買ってしまう……もどかしさは募る。


「御主人、ロザリオは祈りの象徴だ。だが、祈りそのものではないよ。これもそれも同じ」


 不意に振り返った、真紅の瞳が店主を見詰める。手には棚から取った売り物のロザリオ。簡素な十字をかたどっただけのそれを手に、アナエルは簡潔に語った。


煉罪れんざいつぐない終えた信徒がいるのだが、人はパンのみで生きるにあらず……毎日の下着にも困るありさまでね。楽園への旅路で、泣く泣くそれを手放そうと――」

「それを早く言わんかっ!」


 店主の態度が一変した。彼はすぐさま振り向き、金庫を開けて紙幣を数え始める。

 ダンがあえて伏せていたことを、アナエルはあっさりと暴露した。その事実は祝福を集めることよりも、羨望と妬みを呼ぶことが多かったから。だが今は――幸運にも前者だった。


「アナエル、ちょっと軽率じゃないですか。おじいさんも煉罪人れんざいにんなんですよ?」

「そうかい? 天使はしかし、嘘をつくことができない生き物なのだよ。それに少年、汝の言葉では誤解の連鎖を深めるだけだしね。真実こそ一番の利なのさ」


 やれやれと溜息をつくダン。彼にとって、この世界にとってアナエルはあまりに純真で素直すぎる。


「坊や、五万ギルだ。これ以上は聞かないが、これ以上も出せない。いいね?」


 再び二人に向き直った店主は、カウンターに紙幣を揃えて提示する。初めて見る大金に思わず、生唾を飲み込むダン。


「あっ、ありがとうございます!」

「ただし、誰もがワシのように祝福するとは思わないことだ。特にお嬢さん」

「ご忠告に感謝を、御主人。汝の償いの日々に、幸多からんことを」


 両手を合わせて指をからめ、アナエルが俯き祈る。その姿に店主は破顔一笑。


「ワシの代では無理だろうが、この数字なら……可愛い孫はもしや、とな」


 そう言って店主は袖をめくる。もうすぐ三桁を切る刑期を、彼は誇らしげに叩きながら……豪快に腹を揺すって笑った。


「善良な市民として、敬虔な信徒として暮らしてるつもりでもの。商売に熱が篭れば、こうして無知な客から買い叩いてしまう事もある。因果なもんじゃよ」

「御主人、主は汝の生き方を強欲とはみなさないと思うよ。汝が得るのは富ではなく糧だ」


 断定的なアナエルの言葉に、気を悪くした様子もない店主。

 こうして無事、二人は現金を得る事に成功したが……店主が嬉しそうに手にする黄金のロザリオが、店の奥へとしまわれてゆくのが、ダンにはやはり心苦しい。


「あっ、あのっ! これは……これはおいくらですかっ!?」


 気付けばダンは、祈りをほどいたアナエルの手を握って。それを振り向く店主に突きつけていた。

 アナエルの手には、小さなロザリオが鈍く輝いていた。

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