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 ギリウスが手配してくれた途中下車証は不思議なもので、改札の駅員に見せれば光の文字が浮かび上がる。それを翳して先を歩くアナエルを、ダンはよたよたと追いかけた。

 ダンの両手には、午前中で買いだした大量の衣類。無論、大半がリーチェの為のもので、アナエルは箱一つ持とうとしない。彼女がしたことといえば、適正サイズの服やら下着やらを、あれこれ選んだだけ。妙に入念に時間を掛けて。


「遅いぞ少年。なんじは私を干物ひものにするつもりかね? 渇きを感じる……昼の主菜が魚であれば、しろワインを試してみるとしよう」

「またお酒を……正直すぎるのもどうかと思います。少し持つのを手伝ってくださいよ」

つつしんで辞退するよ、少年。いつの時代も、それは男性諸氏の重要な務めだからね。それより……」


 くるりとアナエルが振り返った。慌てて止まるダンは、荷物の塔が崩れないようにバランスを取りながら。うず高く積まれた衣類の山から、自分の守護天使を見下ろした。


「少年、無一文では困るのではないかね? あれは汝の全財産なのだろう」

「いや、特には。僕のお金で買うから意味があるんです。そりゃ、稼ぎ方はちょっと誉められたものじゃなかったけど……」

「主への祈りは、ただ祈ることでも通じるというのに。やれやれ、人間はいつの世も」

「祈るリーチェさんの気持ちが、いつも穏やかであって欲しいから。駄目ですか、これ」


 鼻から抜けるような溜息を一つ。それ以上アナエルは何も言わなかった。


「それよりアナエル、僕も聞きたいことが……あの店に並んでた品は、偶像ぐうぞうにはあたらないのですか?」


 あの店、とは最初にリーチェのロザリオを換金した古物商のこと。そこで見た聖母像や宗教画のことを、ダンはアナエルに聞いてみた。

 アナエルは自分とリーチェの命の恩人。だからできるだけ、彼女の神聖な使命に協力したいとは思うダンだったが。未だに偶像という概念がよく解らない。


「その件に関しては、天国でも大昔から何度も議論がなされているのだよ。白熱するあまり、とっくみあいの大喧嘩になる位に熱心にね」

「そ、そうなんですか。天使も大変なんだな、なんか」

「彫像や絵画、そしてロザリオ――全ては主への祈りを仲立ちするものに過ぎない、というのが一応の見解なんだけどね。ただ、偶像は違うのさ」


 アナエルの言葉が、僅かに熱を帯びた。いつもの達観したかのような全てを見透かす微笑が消え、その頬が引き締まる。


「偶像とは今、主への祈りを力で簒奪さんだつし、自らを神を名乗る不遜なやからさ。つまり――」

「アナエルの使命は、世界中の《エリール》を破壊することなんですね」

「うむ、長い旅さ……だから少々、寄り道も構わない。少年、汝の旅に私は最後までつきあおう。汝の愛がなくば、私も戦えないからね」

「は、はあ」


 天使の力は、愛。

 何度言われてもピンとこないが、確かにダンは見た。この世界で絶対の力を誇る《エリール》を、おおいなる力で破壊するアナエルの姿を。

 話の終わりをせかすように、アナエルの腹の虫がなった。ほれ見たことか、という態度を前面に押し出し、再びアナエルは歩き出す。

 彼女の手の中で突如、先程使った途中下車証が奇妙な音を響かせた。


「アナエル様、いまどちらにいらっしゃいますか?」


 小さな手元をのぞき見るダンは、思わず仰天してしまった。

 アナエルの手の中に、小さなギリウスの姿が浮かび上がっていた。半透明の小人は、いつもの調子で抑揚に欠く声。落ち着き払った彼の言葉にしかし、二人は驚きを隠せない。


「今すぐエンピレオ号にお戻り願えないでしょうか。リーチェ様を引き渡すよう要求されているのです。フィレンツェからの貨物便から姿を現した《エリール》に」


 リーチェの名を聞いた時にはもう、荷物を手放しダンはアナエルを追い越し走り出していた。彼の姿はもう、銃を手に最奥のホームへと向う浄罪鉄道じょうざいてつどうの駅員達に続いて見えなくなる。


「ふむ、強い執着を感じるね。それで?」


 アナエルも足早に歩き出す。


「はい、事情は聞いておりますが、わたくし共と致しましては乗客全員の安全を保障する義務がございます」

「当然、その乗客全員の中にはリーチェも含まれるのだろう? 私が行くまで時間を――」


 しかし次の一言を聞いた瞬間、アナエルも走り出していた。


「勿論です、アナエル様。今、浄罪鉄道の保安員達が――リーチェ様? 客室に今はお戻り下さい、リーチェ様」


 手元のギリウスが横を向き、次いでその姿が見えなくなった。

 リーチェの強い自己犠牲を感じて、アナエルは加速する。

 恐らく、偶像は要求に応じなければ、エンピレオ号に危害を加えるだろう……楽園への切符を奪われる恐怖に、思わず祈りをたがえる者達が生まれてはならない。

 アナエルは我が身が熱くなる感覚に高揚し、ダンとは逆に階段を駆け上がった。

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