1-4

 早めの昼食を取るかたわら、アナエルの説得にギリウスは普段の機械然とした緻密さを発揮できず……結果、ダンは乗車が許された。しかし、客室は無い。だから今、戸惑っているのだ。リーチェの部屋の前で。

 そう、特例としてダンは乗車が許された。あくまでリーチェの付き添いとして。更に言えば、アナエルと使命を共有する契約者として。


「参ったな、終点までは長い旅だって。その間、この部屋でリーチェさんと一緒に暮らすのか? それは嬉し――いや、まずい! でも、廊下で寝る訳にもいかないしな」


 先程から、ドアの前で行ったり来たり。しかし意を決して、ダンは軽くドアを叩く。

 即座にドアが開いた。言い訳を考える間も与えられず、リーチェの笑顔に迎えられるダン。彼女はずっと、扉の向こうで待っていたのだ。ギリウスから決定が伝えられ、この部屋を与えられた時から。


「え、ええと、すみません……お、お世話になります」


 おずおずと気まずそうに、消え入りそうな声のダン。リーチェも恥ずかしそうに部屋へと彼を案内した。

 それは簡素な、しかし充分な広さの部屋だった。ベージュを基調とした、清潔感に溢れる内装。大きな窓はカーテンを開け放てば、外は相変わらずトンネルの中。

 二人掛けのソファを進められ、腰を下ろして身を沈めるダン。リーチェは、お茶の用意をするべく踵を返した。


「あ、僕がやりますから!」


 慌てて腰を浮かせて手を伸べるが、小さな背中は台所へと消えていった。勢いでそのまま立ち上がり、追いかけるダン。

 個室には台所の他にも、どうやらトイレやシャワーも備えられているらしい。台所の見慣れぬ箱は妙な手触りで、蓋を開ければ漏れだす冷気に驚くダン。中には食料品や飲み物が並んでいた。


「え? あ、すみません。でもリーチェにこんな事させて……その、落ち着かないです」


 ファミリーのボスが寵愛ちょうあいする女性だったリーチェ。それが今、ダンの為に茶を淹れている。落ち着かないどころか内心、ダンは生きた心地がしない。既にもう、ファミリーの手から逃れた。そう思い込んでいたにも関わらず。

 台所から追い出されて一通り室内を見渡し、彼はソワソワと視点を落す。意識的に避けていた、最後の調度品へ。


「一つ、しかないよなあ……まずい! どうやって寝よう、むしろ寝られるものかよ……」


 白いシーツに、柔らかな羽毛布団――ベッドはこの部屋に唯一ただひとつ。

 一瞬、ダンの脳裏を甘美な光景がよぎる。妄想は広がり、自然と頬が緩んだ。


「いやっ、これはしょうがないよな。不可抗力って奴だよ、ウンウン……」

「何が不可抗力なのだ? 少年」


 不意に背後で声がして、鼓動が跳ね上がる。アナエルへと振り返るダンは、次いで呼吸が詰まるのを感じた。


「なっ、何て格好をしてるんですか!?」

「見ればわかるだろう。服を着て沐浴もくよくする者がいるのかい?」


 アナエルはだった。濡れた金髪を拭きながら、無防備にダンに歩み寄る。


「はっ、はしたない! はしたないですよ、アナエル」

「本当に初心うぶなのだな、少年。なんじをからかうのはしかし、面白い」


 平坦な肢体をバスタオルで包んで、アナエルは幼い容姿に似合わぬふくんだ笑みを浮かべると。台所のリーチェに一言、二言声をかけて。何やら缶詰のような物を受け取った。

 呆れながらも流石は天使、とダンは感心する。缶切りも用いず、人差し指一本でアナエルは缶詰を開封してしまった。プシュッ! という短い音が二人の間に響く。


「うむ、美味。やはり沐浴の後は麦酒ビールに限るね」

「そういえばさっきも……天使って、お酒飲むんだ」


 口元の泡を手の甲でぬぐって、アナエルはダンの言葉を肯定した。


「物質界では天使と言えど、物理法則に縛られるからね。この肉体を維持する為に、食事や睡眠、排泄に飲酒と、人間に最低限必要なことを私も行わなければいけないのだよ」

「最後のは違いますよね、絶対に」

「いや、違わないさ。酒は魂の糧、命のしずくだよ。少年もいずれ解る」

「そうかなあ?」

「そうだとも。主は等しく、パンとを与えてくださる。つまり、そういうことさ」


 呆れて溜息をつきながら、ダンはぼやいた。


「何か、育った教会で知った天使とは随分違うな……寧ろ、実在しただなんて」

「それは済まないな、少年。汝の天使のイメージは、むしろ彼女だろう?」


 ニヤリと笑って、アナエルが振りむくと。そこには、慣れぬ台所で格闘した挙句に、何とかお茶の用意を完了したリーチェの姿。

 確かにリーチェは天使……ダンはそう思えば、自分へ微笑むその笑顔も一際眩しい。


「喜べ、リーチェ。汝のことを少年は、この私以上に天使のようだと――」

「わーっ! わーわーっ! 何でもない、何でもないですから!」


 慌ててアナエルの口を両手でふさぐダン。顔は耳まで真っ赤になっていた。

 ダンにとってリーチェは、女神であり聖女であり、そしてやはり天使だった。

 例えて形容する天使そのものが実在したように――リーチェ自身もまた、確かにダンの傍らにいる。その事が嬉しい反面、改めて接すると気恥ずかしさに何もできない。

 いままではずっとはかない微笑をただ、遠くから見ているだけだったから。


「だっ、だいたい何でアナエルがリーチェの部屋にいるんですか。」


 動揺する自分を隠して、話題をそらすダン。アナエルは彼の手をどけてビールを飲み干すと、缶をベコリと握り締めて。思い出したように脱衣所にとって返す。

 すぐに戻ってきたアナエルは、手にする修道服から一枚の板切れを取り出した。


「少年、隣の部屋の鍵だ。困っていたんだろう? 私が代ってあげよう。それとも……」


 おどけてアナエルは、恭しくダンへと頭を垂れた。


「私と寝るかい? 我が契約者」

「ど、どど、どうしてそうなるんですかっ!」

「まあ、端的に言えば私が汝の守護天使だからさ」


 面と向ってそう言われて、思わずダンは言葉に詰まった。そんな彼をリーチェが、不思議そうに小首を傾げて見詰めている。


「この星にはびこる偶像を破壊する為、汝には私に愛を注いで欲しいのだ」

「あ、あっ、愛を……注ぐ……僕が」

「残念ながら少年、汝の想像するような行為では無い。愛とは天使にとって、聖なる戦いに欠かせぬ力なのだ」


 手に持つ缶を、ペキペキと丁寧に折りたたみながら。アナエルは言葉を続ける。


「先程も言った通り、天使も物質界では人間と変わらない。だから偶像と戦うために断罪形態アウゴエイデスへと変身した場合は、強力な愛の力が必要になるのだよ」

「つまり、ええと……」

「汝の愛は強い。私は汝の守護天使として、思う存分戦えるだろう。だが――その愛は主に祝福されし形でないとね。そんな訳で、この部屋は私とリーチェで使う。汝は隣だ」

「え、あ、ああ……はい……」

「リーチェもいいかい? 婚姻関係にない男女が共に寝起きはいけないよ。天使的にも」


 例え相思相愛でもね、と付け加えてアナエルが笑う。今度はダンだけではなく、リーチェまで真っ赤になった。


「まあ、旅は長いのだろう? 二人で良い思い出を作るといいよ」


 鍵というには抵抗のある、不思議な感触の板切れを複雑な気持ちで受け取るダン。

 空き缶を圧縮し終えると、アナエルは二杯目を求めて台所へ向う。

 ダンとリーチェは、アナエルの一言につい意識してしまった。始まったばかりの旅の終わりを。

 それは決して避けられず、避ける理由もない筈の終着点。その時、笑顔で送り出せるように――ダンは二人の時間をどう使うべきか、初めて真剣に考えていた。

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