始まりのエリュシオーネ.03
普通の日常生活というのは、意識して集中するのは難しい物で。何事も普通にと、気張って過ごす一日はエリを極度に疲労させたが。それも最初だけで、慣れてしまえば普段と何も変わらぬ日々が続いた。
自分の中のエルベリーデはおとなしく、コメディにアリガチな授業中のドタバタや、ある日突然
『エリ、頼みがある。時間が無い、起床して貰えないだろうか』
やっと訪れた日曜日の朝。怠惰な安眠を貪るべく積極的に二度寝を試みるエリは、いつになく深刻なエルベリーデの声を聞いた。
このところはずっと、必要に応じてエリが質問し、エルベリーデがそれに可能な範囲で応えるというやりとりが続いていたから。プライベートには干渉せず、エリ自身の記憶や心情には絶対触れないとも誓われていたので。突然のエルベリーデからの呼びかけに、ぱちりと目を開くエリ。
「まさか、今直ぐ地球の敵と戦えとか言うんじゃないでしょうね……嫌よ、寒いし眠いもの」
『大丈夫、まだ開戦してはいない。それよりエリ、テレビをつけて欲しい。見逃せない重要な番組があるのだ』
「こんな日曜の朝っぱらから、何を見るっていうのよ。やだ、まだ七時じゃない」
『決まっている、アニメだ。アイ・ハブ・コントロール!』
ユー・ハブ!勝手に身体が動いて叫ぶなり、エリの肉体は
そのまま華麗に床へ音も無く着地するなり、彼女は無意味に俊敏な動作でリビングへと飛び込んで。コタツの上に有るリモコンを
『チャンネル確認、時間ヨシ。秒読み開始…三、二、一、電源オン』
「あのねぇ、エルベリーデ。そんな事の為にいちいち私を乗っ取らないでくれる?」
『す、済まない……急を要していたので、つい。ユー・ハブ』
「はいはい、アイハブアイハブっと……何?こんなの見たいんだ、宇宙人は」
寒さに凍えてコタツに潜り込み、電源を入れて
日曜はお昼近くまで
「えーと、なになに……
『エリは今まで食べたパンの枚数を覚えているのか?ふふ、今いい所なのだ。話は後にして貰おう』
「だいたい、どこでこんなの覚えて来たのよ」
『エリは毎日新聞を読んでいるからな。それにしても驚いたぞ、何故こんなにアニメ枠が少ないのだ?』
ブラウン管の中では可憐な少女が、歯を喰いしばって死闘を繰り広げていた。どうやら視覚や聴覚といった五感は共有しているらしく、必然的に子供向けアニメを鑑賞する羽目になるエリ。自分の中で時々、感嘆の声があがるのを聞きながら、彼女は漠然と思った。エルベリーデの実年齢は兎も角、その精神年齢は意外と幼いのかもしれない、と。
『ふむ、
「ねえエルベリーデ、もしかして……私もあんなの持って戦ったりする訳?この歳であゆ格好はちょっと……」
テレビアニメの主人公はフリルとレースを散りばめた極端な薄着で、ツインテールの金髪を振り乱すと。身長に倍する長大な大砲を
『残念だがエリュシオーネは、固定武装以外全て使用不能だ。厳しい戦いになるだろう』
「うっ、聞かなきゃ良かった。やだな、戦いとか……ねえ、話し合いで何とかならないの?」
『長きに渡る話し合いの結果、
「複雑ねぇ、まあいいわ。今日はゆっくり時間が取れるもの、色々聞かせて貰うからね」
『ああ、だがそれは後程。Bパートが始まる、話し掛けないで貰おう』
「やだやだ、これだからオタクは……あれ、不思議。何か懐かしい感じ」
再びエルベリーデの意向で、テレビに釘付けになるエリ。彼女は画面の中で華麗に大空を翔び回る、二次元の少女に自分を重ねて見た。
地球の敵と自分が戦う……確かにこの肉体、エルベリーデがエリュシオーネと呼ぶロボットは、凄まじく身体能力が高かったが。ちゃんと人間本来の感覚もあるのだ。きっと戦えば痛い思いもするのだろう。そう思えば、今からエリは
「ねえ、エルベリーデ。貴女のその趣味って、もしかして……」
『知らない声優ばかりだ、七年という年月は残酷なものだな。ん?どうしたエリ』
エンディングテーマソングに合わせて、スタッフロールが流れる。その中に知った名を探して、エルベリーデは溜息。どうやら彼女のオタク知識は、七年前の最先端のようで。その事はやはりエリの脳裏に、一人の人物を思い描かせた。
「さて、フィジカルなんとかも終わった事だし。今度は私に付き合ってよね」
『ラジカルはるか、だ。魔砲少女ラジカルはるか』
ストーブに火を入れ、コンロで湯を沸かしながら。エリは今日を丸一日潰してでも、事情を説明して貰おうと思ったが。エルベリーデは些細な事に拘り、話の腰を折ってくる。
この感覚にしかし、やはりエリは身に覚えがあったから。先ずはその事から確かめようと、戸棚からマグカップを取り出し苦笑。知らずに二つ取り出しており、慌てて一つを戻す。
「先ず一つ、エルベリーデ。貴女は七年前の
『そこから入るのか?もっと優先すべき議題があるだろう。地球の危機なのだぞ?私は宇宙人なのだぞ?』
「貴女を見てると、嫌でも思い出しちゃうのよ。普段忘れてるのに……だからまずそこ、ハッキリさせたい訳。解る?」
『理解は可能だ、エリ。フッ、可愛い所がある……意外に萌えキャラなのだな』
「な、何よその萌えってのは。いいから私の質問に答えて頂戴」
『勿論だ、だが余り衝撃を受けないで欲しい。ヨシアキは私の師であり盟友、そして想い人なのだ』
インスタントの珈琲をマグカップに入れ、沸騰した熱い湯を注ぐ。その作業をこなしながら、別に驚いた様子も無く、エリはふうんと余裕の笑みを返した。彼女の中でエルベリーデの人物像が、どんどん幼くなってゆく。
「想い人、と来たか。じゃあ、七年前の失踪事件は」
『我々の
「あのバカ、自分からホイホイ付いてったのか。まったく……でもどうして由亜紀君なのよ」
『彼は
「ちょっと待って、今メモを取るから……銀河連盟か、何か俗っぽい名前ね」
『地球の言語で一番近い概念に翻訳して話している。今回の認定戦争における、我が国唯一のアドバンテージ……それがヨシアキだった』
銀河連盟、戦争管理局、そして認定戦争。とりあえずは珈琲片手にコタツへ戻ると、エリは古新聞の束からチラシを抜き取り裏返して広げる。ペンを手に取り、事実関係を解りやすく書き出す傍ら。聞き覚えの無い単語を隅に並べていった。
「つまり七年前、貴女達は由亜紀君に戦争の協力を申し込んだ、と。そんな感じ?」
『うむ、概ね正しい。そして私はヨシアキに出会い、地球の文化や地球人の心情を師事したのだ』
「……その知識、多分偏ってるわよ。すっごく」
『そ、そうなのか?だが本国では、ヨシアキの
「この私、エリュシオーネって訳か。大丈夫なの?オタクが考える戦争の道具って、非現実的じゃないかしら」
『そうでもない、寧ろヨシアキの存在で我が国は、共和国との認定戦争に勝てるかもしれないのだ』
戦争というからには当然、国家かそれに類する組織が絡んでくるのだろう。世界史の教師であるエリは当然、どうやら危機的状況であるらしいこの地球の歴史を振り返った。
それは有史以来、戦争で彩られた
「エルベリーデ、貴女の所属は?敵は共和制の国家みたいだけど。地球は宇宙から見て、どういう立ち位置にあるのかしら」
『私の母国はファフナント
「王制対共和制、か。古典的なのね、宇宙人も。主義や思想、か。んじゃ、エルベリーデはファフナンタラ皇国の軍人さんってトコかな」
『軍人では無いぞ、エリ。私はファフナント皇国
ちょっとした驚きにペンを止め、冷めてしまった珈琲を
『
「そう言って貰えるとありがたいわね。お姫様、か……ふふ、由亜紀君はそゆの好きかもしれないな」
『うむ、ヨシアキは私に教えてくれた。身を
「また出たか、エルベリーデ・ファ・メル・ファフナントは萌える、と」
『違う、その字では無い。燃えっ!だ』
「……もういいわ、話が進まないもの」
ファフナント皇国。それがどうやら、地球を守ってくれるらしい勢力の名前で。そこの第三皇女がエルベリーデ。そうメモして、萌えと書き添えた文字を塗り潰し。やれやれとエリは書き直す。大きな文字で、燃えっ!と。
「で?どうしてそのリヴァ、ええと、リヴァイウス共和国?は地球を狙ってくるのかしら」
『解らぬ、しかし降りかかる火の粉は振り払わねばならん。それは国を治める我等皇族の義務であろう』
「民主主義の
『何度も協議を重ねたが、共和国側は理由を明らかにしないまま地球の消滅を望んでいる。開戦も時間の問題だ』
自分の中で少しだけ、エルベリーデが
ついつい忘れてしまう……地球を守るべく単身地球へ舞い降りたエルベリーデが、手違いで自分を死なせてしまった事を。事情を知るにつれ、内なる同居人は徐々にその
「ふむ、大体こんな所かな……後はそうね、どうしてエルベリーデは、ファフナント皇国は地球を守ってくれるのかしら?」
エリの素朴な疑問を、当然だと言わんばかりにエルベリーデは受け止めた。しかしその事を説明するには、ファフナント皇国の歴史を紐解き神話の時代を語る事になるから。だからかいつまんで解りやすく、取りあえずは簡単に説明するエルベリーデ。
『地球は、というか太陽系がまあ、ファフナント皇国の領地内だと思って貰っていい』
「ああ、ナルホド。なんか、宇宙も地球も似たようなものなのね」
びっしりと書き込まれたチラシを改めて見回し、それを手にとって天井に
『どうした、エリ?少しテンションが落ちているな』
「んー、まあ……あ、中からいじらないでよね。少し休憩しましょ」
まさか今までの話を、警察に持っていく訳にもいかず。地球人類が共有する危機だが、しかるべき場所で訴える事も出来ないだろう。これでは余りに、ファンタジー過ぎる内容だったから。実際、当事者であり被害者でもある、エリ自身もまだ現実感が無かった。地球人はつまり、宇宙戦争に巻き込まれつつあるのである。
「それはそうと……由亜紀君は元気にしてるの?随分と仲良さそうに聞こえるけど」
エルベリーデの態度を見れば、容易に想像出来る事だった。富矢由亜紀は恐らく、彼女に熱っぽく自分の趣味を語ったのだろう。七年前、エリに対してそうだったように。完璧に感化されていると言っても差し支えが無い程に、エルベリーデの言動の隅々にエリは、富矢由亜紀の面影を感じる事が出来た。
『人間関係は良好だ、と思う。仲は、なかなかフラグが……元気にしてれば良いが、心配だ』
不意にエルベリーデの声が翳った。朗々として歯切れの良い、小気味良さが感じられない。
「大丈夫、元気にしてるわよ。貴女の国にアニメや漫画、ゲームがあればね」
『ヨシアキは現在、共和国側に
エルベリーデは
もし、七年前の失踪が無ければ……自分もまた、あのまま由亜紀との仲を深めていったのだろうか?自分は由亜紀に、恋心を抱けただろうか?それは今はもう、解らない事で。しかしエリはエルベリーデの姿に、あの日途絶えた少女の自分の、その先の未来を重ねて見た。
『本国では猛抗議し、戦争管理局にも訴えていたが……それももう、出来なくなった』
「何があったの?」
『私もまた、重大な協約違反を犯した。地球人と接触し、その命を奪ってしまったからな』
「それって私の事か、そっか……ゴメン」
『何故謝る?エリは被害者だ、私の過ちのな。あの場所は私が、七年前に始めてヨシアキと出会った、馴れ初めの地』
「凄い吹雪の日よね……由亜紀君、言ってた。約束があるって」
『ヨシアキと造り上げたエリュシオーネで、地球を守って戦い抜く。その誓いを馴れ初めの地に刻みたかったのだ。だが……』
「元気出しなよ、エルベリーデ。何故か知らないけど、由亜紀君って重要人物なんでしょ?きっと無事よ」
ああ、と弱々しい声が虚しく響く。始めてみせる弱気に、エリは深い心の霧を払い除ける様に立ち上がると。寝室にとって返して鏡台の前で身を正す。そして彼女は、鏡の中の自分に
「第三皇女殿下、そう気を落とされますな。本日はこの
色々とまだ、聞きたいことは山程あったが。例えば、本当に戦争になった場合、自分はどうなるのかとか。だが、それよりも今はもう年頃の少女としか思えぬ同居人を、どうにかして元気付けたいとエリは思った。
そうして外出の準備を始める彼女は、青森市へ向うバスに乗って後悔する事になる……エルベリーデが正しく、富矢由亜紀そのものを継承する人物だと、嫌と言う程に思い知らされたから。
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