始まりのエリシュオーネ.02

「先輩っ、聞いたッスよ。今日は遅刻したそうじゃないスか」


 午後の授業を全て終え、職員室へと歩く廊下で。放課後へと飛び出してゆく生徒達と挨拶を交わしながら、エリはその声に振り向いた。眼前には堆く積まれた本が、この私立白台学園高等部しりつはくだいがくえんこうとうぶの世界史担当教師を見下ろしている。その影から覗く人懐ひとなつっこい笑顔。


「授業には間に合ったわよ、そりゃ朝礼とか職員会議には……」

「ははは、まあ偶にはそんな日もあるッスよ。あ、そうか昨日は」


 すっかり忘れていた何かを、思い出して合点がいったようで。目の前の青年は一瞬言葉に詰まる。しかしそんな彼を……高校時代の後輩にして学内図書館の司書、庵辺秀樹イオリベヒデキをエリは責めなかった。忘れる事を忘れては、人は生きてはいけないから。


「……すんません、昨日だったんスね。富矢トミヤ先輩が失踪した日って。もう六年も」

「七年よ、庵辺君。ま、気にしない気にしない!私だって普段は忘れてるんだ、考えないようにしてる」


 それって普通の事よ、と笑って。それでも申し訳なさそうに佇む、後輩の気遣いにエリは感謝した。彼のような人が居てくれるから、自分は独りよがりな悲劇のヒロインで居なくて済む。自分だけが富矢由亜紀トミヤヨシアキという人間を覚えているというのは、傲慢ごうまんな思い込みに過ぎないのだから。


「やっぱ小鳥遊タカナシ先輩、富矢先輩の事が…」

「言ったでしょ?私は普段は忘れてるって。忘れるようにしてるの、結構忙しいしね」


 そう言ってエリは踵を返した。実際、一教科だけとは言え多感な高校生の相手は忙しく。まして社会では技能や知識よりも、教養として軽視されがちな世界史……それに興味を抱かせ学ぶ意欲を発奮させるのは、並大抵の事では無かった。

 忙しいのは良いことで、体よく由亜紀の事は忘れられる。忘れると言えば……昨日の夜の、そこだけ切り取ったように欠落した記憶の事がふと気になったが。それを頭の中の、どうでもいい事を蓄積させておく引き出しに放り込んで。今は今日の小テストの採点をするべく、職員室へと急ぐエリ。


「じゃ、庵辺君もお仕事頑張って」

「は、はい……せ、先輩っ!」

「ん、何?」

「俺、俺っ!俺じゃ……富矢先輩の代り、にっ!?おわわわ」


 よたよたとエリの後を、秀樹は追って来た。天井まで届けとばかりに彼の手に詰まれた、本の塔がゆらゆらと揺れる。それは意を決した男の告白を邪魔し、遂にバランスを崩して倒壊した。振り返らずに応対していたエリへと、重力に引かれた本の群が襲い来る。


「先輩っ!危ない!」

『待機モード、メインシステムへ介入。アイ・ハブ・コントロール!』

「ユー・ハブ!……って何を私は言っ、わっ!」


 突如声が脳裏に響いた。それがあの声だと感じるより早く、勝手に口を突いて出る応答の言葉。同時に俊敏しゅんびんな動作で振り向いたエリは、自分へ降り注ぐ本の群へと相対する。

 その落下はどれもがスローモーションかと思える程にゆっくり。僅かに腰を落として身構えるなり、エリの身体はまるで操られているかのように素早く動いた。エリ本人の意思とは無関係に。

 秀樹の目にそれは、人間業とは思えぬ芸当に映った。振り向くなりエリは緊張感を漲らせ、宙に散らばる本を一冊残らず拾い上げたのだ。床へと落ちる前に全て。


「せ、先輩?すげ、何か格闘技とかやってるんスか?」

「え?う、あ、いや……ははは、何だろね。ビックリだね!うんうん、あ、はいこれ!」


 常人ならざるその挙動は正に、目にも留まらぬ早業はやわざとしか形容出来ず。気付けばエリは目の前で、再び堆く積まれた本を秀樹に差し出していた。片手で軽々と。


「ど、どうも」

「じゃ、じゃあ私、行くね」


 伝えたかった事も、目の当たりにした異様な光景も。その全てを秀樹に喋らせず、強引に会話を打ち切って。ツカツカと大股でエリは歩き出した。それも自分の意思とは関係無く。その背に手を伸べようにも、ズシリと重い本で両手は塞がって。秀樹は呆然とエリを見送る他無い。


『待機モード、メインシステム復帰。ユー・ハブ・コントロール。思った以上に動けるようだ、安心した』

「アイ・ハブ・コントロー……って貴女あなた、誰!?何処に居るの、昨日は何があったの!?」


 擦れ違った女子生徒が、ビクリと身を強張らせて振り返る。例の声はどうやら、自分にだけ聞こえている……というより、頭の中に直接響いているようで。動揺したエリは思わず、大きな声で取り乱してしまった。何事かと見詰める女子生徒に曖昧な笑みを返して、エリはいそいそと歩き出す。最早、小テストの採点どころではない。


「夢じゃ無かった…もうっ!貴女は何なの?私に今、何が起こっているの?」

『炉心温度上昇、エネルギーバイパス内に負荷ストレス物質発生。先ずは落ち着け、エリュシオーネ』

「これが落ち着いて居られますかっ、それと!私の名前は、小鳥遊エリですっ」

『いい子だから落ち着こう、エリュシオーネ……直通回線確立、もう声に出さなくていいぞ』


 それはやはり、ちがう生徒達から奇異の視線を集めてしまう。ブツブツと独り言を呟くエリを、誰もが首をかしげて見送った。それにもう、いちいち構っても居られずに。ずは一人になれる場所を求めて、彼女は廊下を足早に歩く。そのまま職員室を通り過ぎて階段を駆け上がれば、当然の様に息が切れて鼓動が激しく脈打った。先程の超人的な運動能力が嘘の様。


『単刀直入に説明する。小鳥遊エリ、君はもう人間では無い……一度死んでしまったのだ』


 バン!と屋上の扉を開け放って。同時に声にならない悲鳴を叫び、エリはそのままへたり込む。積もった雪でスーツのズボンが濡れるのも構わずに。頭の中の声は、淡々と驚愕の事実を語っていたが。それも含めて、自分が非日常に放り込まれてしまった事に衝撃を隠せない。

 自分はどこにでもいる、東北でも有数の進学校の世界史教師。自分で言うのもおこがましいが、スタイルそこそこ、容姿そこそこ、何より地味だが性格美人で。男女を問わず、生徒達の隠れた人気者……愛称は小鳥コトリ先生。念仏の様に自分のプロフィールを唱えてみたが、頭の中の声は鳴り止まない。


『先ずは謝罪を。私のミスだ、まさかめの地にこの季節、地球人が居るとは思わなかったのだ』

「うっ、ううう……もうやだ、何なの?私、そんなに疲れてる?まだ夢を見てるの?」

『重ねて謝罪する、本当に申し訳無いが現実だ。それと喋らず念じて欲しい、他の地球人に不審に思われたくは無いのだ』

「何それ、テレパシーって事?他の地球人って……これじゃアニメか漫画だよぉ」


 込み上げる涙をボロボロと零し、それを拭う素振りも見せず。パニックに陥り泣き出しながら鼻をすすって、それでも何とか屋上のドアを閉めると。そこに寄り掛かって立ち上がり、エリは心の中で語り掛けた。自分の平凡で平和な日常を台無しにした、内なる人生の簒奪者さんだつしゃに向って。


(ぬぎぎぎぎぎ……こ、こうかな?これで通じてる?先ず貴女の正体は何処どこの誰?)

『感度良好。当然の質問だな。私の名はエルベリーデ、!……ふふ、一度言ってみたかったぞ』

(ふざけないでよ、ええと、エルベリーデ?貴女まさか……)

『うむ、私は君達から見ると外宇宙知的生命体……解りやすく言えば宇宙人だ。地球降下の際、誤って君を巻き込み死なせてしまったのだ』

(じゃあ、今生きてる私は何?まさかコピー人間とか言わないわよね)

『恐らくそれがベストな選択だったろう。だが、クローン技術による蘇生では間に合わないと判断した』

(頭が痛いわ……)

『メンタルパルスに乱れが発生しているな。安定物質を精製しよう』

(ちょっと待って、エルベリーデ。貴女今、何処に居るの?姿ぐらい見せてよ)

『悪いがそれは物理的に不可能だ。私は今、君の中……エリュシオーネの中に居る』


 ずるずると背をドアに擦りつけ、膝を抱えて座り込むと。エリはうつむき再び泣き出した。混乱で上手く機能しない思考はしかし、不思議とクリアに澄み渡ってゆく。頭の中の宇宙人の仕業だと思ったが、感謝する気にもならず。もどかしげにティッシュを取り出し、大きく息を吸って鼻をかむと、エリは深呼吸して自分を落ち着かせた。


(だいたい何よ、さっきから言ってるその、エ、エリシオーネ?ってのは)

『端的に言えばロボットだ。小鳥遊エリ、私はく君の全情報を、緊急措置としてエリュシオーネに漏らさず全て移植したのだ』

「ロボットですって!?私が!?」

『声を出すなと頼んでいる。安心しろ、待機モードのエリュシオーネは、普通の地球人と機能的に何ら変わらない』


 よくも言ってくれると、押し掛け同居人を苦々しく思いながら。確かにエリは今日、普段と変わらぬ日常生活を送っていた事に気付く。つい先程まで、後輩の前で超人的な能力を披露するまでは。空腹を覚えて学生食堂で昼食を食べたし、その後は久々のお通じまであった。


『先程は緊急事態と判断し、コントロールをこちらに切り替えた。待機モードでは全ての主導権が入れ替わる訳では無いみたいだな』

(どうするのよ……庵辺君、絶対に変な目で私を、私達を見てたわよ?)

『軽率だったかもしれない。しかし私は不用意に傷付けたく無かったのだ……ヨシアキと造った、このエリュシオーネを』


 突然飛び出た名前にドクンと心臓が……それに代る機関が跳ね上がる。そう、確かに今エルベリーデは由亜紀の名を口にした。これで二度目となれば、決して偶然では無い。有り触れた名前だが、それはエリにとって特別な名だから。

 そしてエリは、先程から感じる奇妙な既視感デジャヴの正体を突き止める。エルベリーデの言葉は、その節々に懐かしい面影が見え隠れしていた。それは七年前の昨日、突如として姿を消した富矢由亜紀に他ならない。


「貴女、由亜紀君の事を知ってるのね!?」

『声が大きいぞ、直通回線を使って欲しい』

「教えて、彼は……由亜紀君はどうしたの?今、何処で何をしてるの!?」

『落ち着こう、エリュシオーネ。いい子だから』

「私は小鳥遊エリ!エルベリーデ、質問に答えて!」

『……そうだったな、済まないエリ。今はまだ話せない。メンタルパルスが乱れ過ぎている』


 確かに今、エリは極度の興奮状態で。先程のように自分の中で、エルベリーデはこの状態を緩和しようとしているに違いないのだが。膝を抱く手に力がこもり、爪が食い込む程に自分の腕を握り締めると。エリは真冬の寒さも感じぬほどに、身体が熱くなるのを感じていた。


『いずれ事情をキチンと説明する。そして協力を要請する事になる。だから今は……』

「もう、訳が解らないわ……とりあえず、私は普通に暮らしてていい訳?」

『まだ構わない。寧ろ周囲に怪しまれぬよう頼む。私も今後は自重する事にしよう』

「説明はそうね、順次ゆっくりと聞かせて貰いますからね。で、協力っていうのは」

『先程も言っただろう。地球は狙われている、私は地球を守りに来たのだ』

「呆れた、私に正義の味方をやれって訳?」


 自分の中でエルベリーデが、申し訳無さそうにうつむく姿を想像して。姿どころか顔も見せずに、突然我が身を乗っ取り押しかけて来た同居人。彼女には彼女の、宇宙人には宇宙人なりの事情があるのだろう。今はそれを納得出来ずとも認識するしか無く。溜息を吐いてエリは、灰色のくもぞらを見上げた。


『それと……先程は済まない、改めて謝罪する』

「もういいわよ、何か謝らせてばっかりだし。はぁ、どうなるんだろ私」

『折角立ち掛けたフラグを、私はヘシ折ってしまったかもしれない』

「何それ?ああ、そうか……宇宙人だもの、宇宙語よね」


 気を取り直して立ち上がると、冷たく濡れた尻の感触を気にしながら。小鳥遊エリは諦めにも近い、覚悟と言うには少し軽めの気持ちで。取りあえずは非日常を受け入れ始めた。

 同時に今はもう、姿無き我が身の同居人を責める気にはなれず。ただ、七年前からくすぶっていた事件の鍵が見つかったのかもしれないと、その時はまだ前向きに物事を捉える事が出来た。

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