始まりのエリュシオーネ.04

 自分の中で感嘆かんたんするエルベリーデにうながされて。エリは居心地の悪さに周囲を見渡しながら、手に持つ雑誌のページをめくってゆく。

 エルベリーデを元気付けるべく、エリは二人で一つの我が身を青森市内へと連れて来た。彼女が住む日登町ひのぼりちょうは、私立白台学園しりつはくだいがくえんがあるという以外は、何の変哲も無い田舎町だったから。

 だがまさか、第三皇女だいさんこうじょ殿下がこんな場所を行啓ぎょうけいなさるとは夢にも思わなかった。否、あの富矢由亜紀トミヤヨシアキに師事し憧れを抱く少女である……これくらいの事は予想してしかるべきであったが。


「ちょ、ちょっとエルベリーデ」

『直通回線を、エリ。どうしたのだ?炉心の運転が不安定だぞ』

(んん、ゴホン……ねえエルベリーデ。それ買ったげるから、ここで読むのはやめない?)

『それは嬉しいが、エリ。買って貰えるなら尚更吟味せねば。次はあっちだ』


 手にしていたアニメ情報誌を棚に戻して。やれやれと溜息を吐きながら、エリは異世界とも異空間とも思える店内を歩いた。ここは青森市内にある、アニメグッズの専門ショップ。昔に比べて客層も違い、その店内も大きく様変わりしていたが。七年ぶりにエリはこの地を踏んだ。一人で来るのは無論初めてだったが、一人じゃないと内なる声が彼女を急かす。


『ヨシアキの言っていた通りだ……地球文化の何とまばゆい事よ。む、エリ、それは何だ』

(はいはい、次はこれね?ライトノベルってのじゃないかな)

『なるほど、これが本物のラノベか。なかなか大胆で前衛的な趣向のようだな、男と男が』

(これは無しっ!駄目っ!)


 パン!と手にした文庫本を畳んで。それを戻してエリは、棚に書かれたジャンルを読み上げ赤面。ボーイズラブとはこういう物かと、半ば呆れながらも。エルベリーデに言われるままにエリは、あっちにこっちにと店内の狭い通路を彷徨う。

 最新のオタク事情はどれも、自分が由亜紀に付き合い見てた頃より、何倍も華やかで過激だった。


(ねえ、そろそろ出ない?もう充分堪能したでしょ、奮発したげるから)

『待って欲しい、エリ。まだ大事な物が見つかっていない。何故だ……何故、あの名作に関する物が一つも無いのだ』

(何よ、大事な物って)

だ。超銃棄兵ちょうじゅうきへいガンダスター……私とヨシアキが最も愛した、至高のアニメ』


 その名にはエリも聞き覚えがあった。エルベリーデが言う通り、七年前に大流行したテレビアニメのタイトルだったから。

 世間的にも大ヒットを飛ばしたこの作品を、由亜紀もこよなく愛し語ったもので。その話を聞く度に、さほど興味は無いと思いながらも……熱っぽく瞳を輝かせる由亜紀に、よく付き合ってやったものだ。そんな彼に心酔するエルベリーデならば、やはりこの作品は外せないのだろう。


(んー、でも七年前のアニメだからなぁ……)

『名作は時を経ても色褪いろあせない……ヨシアキは私にそう言った』

(もう、ずるいなぁ。そんな顔しないでよ、店員さんに聞いたげるからさ)

『私の顔が見えるのか?済まない、恩に着るぞ。是非とも全五十話を見たいのだ。出来れば劇場版三部作も』


 無論、顔など見えないが。エリが思い描くエルベリーデは、その声色から察するに落胆の表情でうつむいている。そう思ったから、エリは億劫な気持ちに鞭打って。気恥ずかしく思いながらも店員に声を掛けた。


『断片的には、ヨシアキが持ち込んだ貴重な文献や資料で知っている。しかしアニメは』

(アニメは作品自体を見なければ論じれない、ね……由亜紀君、良くそんな事言ってたわ)


 呼ばれた店員が振り返るなり、エリは勇気を出して聞いてみる。「おいが好きなのよね」などと見苦しい言い訳を添えて。

 ガンダスターは一世を風靡ふうびした名作で、恐らく店員の男もその世代なのだろう。聞いてもいないのに作品を誉めながら、店の隅へとエリを案内した。

 当時、由亜紀が一週送れのテレビ放送を、夢中でビデオテープに録画していたロボットアニメは……小奇麗にDVDとなって、エリとエルベリーデを待っていた。


『おお……これだ、エリ。これを私に買って欲しい』

「ちょっと待って、この値段……無理、無理よっ!ただでさえ給料日前で苦しいんだから」


 思わず声が口を吐いて出たが、店員は笑って応えた。既に生産が終了していて、プレミアがついているのだと。もう少し待てばブルーレイで……などとまた、ペラペラ喋りだしたが。目の前に提示された価格を前に、エリはもうその言葉を聞いては居ない。それは彼女の価値観では、アニメに払うには高額過ぎた。


(ちょっとエルベリーデ、貴女お姫様でしょ?自分で買いなさいよ)

『残念だがエリ、私は地球の通貨を持っていないのだ……高いのか?』

(高いなんてもんじゃないわよ、アニメよ?アニメ……それにこんな)

『しかしヨシアキの話を聞けば、ガンダスターは素晴らしい作品だ。本国ならばいくらでも私財を投じる事が出来るのだが』


 結局エリは店員に礼を言って、何も買わずに店を出た。異次元とも思えるアニメショップから、普通の日常へと帰還……零した溜息は白く煙って、冬の空気に溶けて消えゆく。それはエルベリーデも同じで、二人の溜息は小さな二重奏デュエットを奏でた。


『エリ、無理を言って済まない』

「ん、ああ、私こそゴメンね。って、やっぱり謝ってばかりじゃない、エルベリーデ」


 道を歩きながら小声で囁くエリ。思えばエルベリーデは、エリに謝罪ばかりしているような気がしたから。自分を死なせてしまった事も、地球の存亡を賭けた戦いに巻き込んでしまった事も。


「よーし、私に任せて。何もわざわざ、買わなくてもいいのよね」

『何か手があるのか?』

「先ずは腹ごしらえして、日登町に帰りましょ。ふっふっふ、地球には便利なお店があるのだよ」

『解った、確かにそう言えば私も空腹だ。何か食事を』

「あのさ、エルベリーデ。ご飯とかその……色々どうしてる訳?私の中で」

『私はエリュシオーネと……エリと完璧に同調している。エリが食事や睡眠を取って貰えれば、それで私も満ち足りるのだ』


 エルベリーデの言葉をエリは、そんなものかと納得してしまった。単純に今、二人は一つの肉体、一つの空腹を共有している。とりあえずエリは海風の抜ける通りを、新町商店街しんまちしょうてんがいへと歩いた。


                  ※


 結局二人は、青森市内の駅前通である新町商店街で少し遅めの昼食を取り。そのまま時間を待って、日登町へと戻るバスに乗り込んだ。

 車中でもずっと、興奮冷めやらぬ様子でエルベリーデは喋り続ける。その様子は話題の内容こそ偏っているが、年頃の少女その物といった印象で。エリはそれが微笑ほほえましく思えたから、普段は余り足を運ばない日登町の寂れた商店街へと彼女を誘った。


(ほら有った。ん、どしたの?嬉しくないの?エルベリーデ)

『私は今、猛烈に感動している。素晴らしい……この店ならば購入出来る価格なのか?』

(買う必要は無いわ、貸してくれるんですもの。レンタルビデオショップっていうのよ……ま、最近はDVDが主流だけども)

成程なるほど!地球規模の文化遺産なれば、広く人類全体で共有しようという試みか』


 何を大袈裟おおげさな、と苦笑しながら。エリはしかし、貸出中のラベルが並ぶ棚を見渡して。残っている巻を見つけて手に取った。

 このビデオショップは日登町でも数少ない、娯楽事情の最前線。シャッターばかり目立つ商店街にあって、今日もそれなりの客入りで繁盛していた。広いとは言えない店内はしかし、ツボを押さえた品揃えで。当然アニメコーナーには、ロボットアニメの傑作である超銃棄兵ガンダスターが全巻揃っていた。


『待って欲しいエリ、それは四巻だ。私は一話の入っている一巻から見たいのだ』

(だって一巻、貸出中なんですもの。いいじゃない、また借りに来てあげるから)

『駄目だエリ、途中から見るなどは邪道だ。言語道断、断固反対だ』

(なんかお姫様らしくなってきたわね……このワガママっぷりは)


 それならしかし、また後日出直すだけの話で。棚へとDVDを戻そうとしたエリは、聞き慣れた声に呼ばれて振り向いた。

 痛恨の極み……複雑な事情があるとは言え、地元でアニメを選んでいるところに声を掛けられるなんて。そう思うエリはしかし、相手が旧知の仲と知って内心胸を撫で下ろした。


「こんちわ、珍しいッスね先輩。やっぱ時々見たりします?昔みたいにアニメとか」


 高校時代の後輩、庵辺秀樹イオリベヒデキ。彼はカゴに山と詰まれたアニメや特撮映画を隠そうともせず、アニメコーナーに居るエリに驚きもしなかった。当然エリも、相手が秀樹となればうろたえる必要は無かったが。だから彼女は見逃してしまった……意外な場所で出会った後輩の、その偶然への小さな喜びの表情を。


「んー、まあ、時々ね。でもお目当ての物は貸出中みたい」

「ま、神作品ッスからね、ガンダスは。先輩、見たいんスか?」


 エリ本人は見たい訳でも無く。一度由亜紀に全部見せられていたし、それでも内容を忘れているという事は……彼女の趣味に合わなかったのだろう。しかし今、エリの押し掛け同居人は、彼女の中で何度も首を縦に振っている。エリにはそう感じられた。


「俺、全巻持ってるッスよ。劇場版もあるし、貸しましょっか?」

「えっ、うーん、どうしようかな」


 エリにはエリで、厚意を断る必要も無いのだが。申し出を受けるよう哀願あいがんするエルベリーデの声は、頭の中で割れんばかりに響く。


『神作品?地球ではそう評するのか?ふむ、確かに神々しいと感じるが。この紳士は先日の……エリ、紹介して欲しい』

(庵辺秀樹君、うちの学内図書館で司書をしてるの。高校の二つ下、由亜紀君と私の後輩)

『おお、ヨシアキの同志ヒデキ!勇名は聞き及んでおるぞ、厚意に感謝を……申し出をありがたく受けるべきだ、エリ』

(それもちょっと、ね……まったく、どんな勇名だか)


 内なる同居人との対話はしかし、傍目には葛藤に見えるだろうか?否、眼前の秀樹にはそれは、後輩の思わぬ厚意……好意に恥じらい迷っているように見えていた。当然脈アリと、長年に渡り二次元の世界で乙女心を研究してきた彼は確信する。


「先輩、どっかでお茶でもしてて下さいよ。俺、すぐに家から取ってくるッス」

「あ、いいのいいの!そんなに見たい訳でも無いから」


 一際大きな抗議の声が、頭の中でガンガン響いたが。エリは秀樹にそこまでさせるのは悪いと思ったから。秀樹は由亜紀の後輩であると同時に、自分の後輩でもある。気さくで人が良い彼を、余り都合良く振り回すのには抵抗があった。


「そスか、じゃあ近いうちに。それより先輩、この後……」

「っと、もうこんな時間か。ゴメン!一週間分の買出しして、家で明日の準備しなきゃ」

「は、はあ」

「じゃ、またね!」


 落胆して静かになってしまったエルベリーデにしかし、少し申し訳ないと思うエリ。彼女はしかし、買い物もしなければいけないし、明日の授業の準備だってある。だが、エルベリーデが黙ってしまったのは、何も切望するアニメが見れないからだけでは無かったが。


「っと、そうだ秀樹君」


 自動ドアをくぐるエリは、トボトボとレジに歩く秀樹を振り返った。


「DVD、明日借りてもいいかな?少しずつでいいから」

「そ、そりゃもう!じゃ、じゃあ、また明日」


 また明日、と微笑み手を振って。エリは夜気が忍び寄る夕暮れの商店街へと飛び出した。頭の中で小さな歓声を聞きながら。

 エルベリーデが無邪気に喜びはしゃぐ、その理由を作ってあげられた事が少しだけ嬉しくて。エリは足取りも軽く、一週間分の食材を求めていつものスーパーマーケットへと歩いた。


「明日になれば見れるわ、ガンダスター。感謝しなさいよ?私と庵辺君に」

『勿論感謝しているぞ、エリ。ヒデキにも。それに……良かった、これでフラグが立ったに違い無い』

「な、何よそれ。また宇宙語?私にも解るように喋ってよね」

『ヒデキは類稀なる文化人にして、ヨシアキの一番の理解者だったと聞いている。何より紳士ではないか』


 何やら噛み合わぬ会話を呟きながら、人影まばらな商店街を歩く二人。その声に振り向く者も無く、閑散かんさんとした街並みは、二人で一人の長い影が去るのを黙って見送った。

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