魔王と黒衣の勇者
「ふう……さ、姫。もう終わりましたよ」
惜しくも勇者になり損ねた冒険者達を、部屋から追い出しながら。ラドラブライトは奥の間に控えるシトリを振り返る。その手に、今しがた巻き上げた金貨の革袋がズシリと重い。
今日もまた、ラドラブライトは死に損ねた。この玉座の間に訪れるのはいつも、危険な迷宮を踏破せし屈強な冒険者達だが。まだまだ彼を打ち倒すには力及ばない。充分手加減しているにも関わらず。
いつになれば、己を苦しみから解放してくれる勇者は現れるのだろうか? 魔王は今日も苦悩を胸に秘め、玉座の影から顔を出すシトリに、
こんな時、伝説の
いっそ自らの手で己を……そう思う事も
「おじ様、御疲れ様でし……あら? あ、あの……」
「ん? どうかしましたか? シトリ姫」
嬉しそうに駆け寄ってくるシトリの、その歩調が次第に失速した。そのまま立ち止まると彼女は、不思議そうに首を傾げるラドラブライトを、ゆっくりと指差す。
正確にはその背後に、いつの間にか現れた人影を。
肩越しに首を巡らし振り返って、ラドラブライトは瞬時に魔王の仮面を被り直した。そのままマントを
その男は扉にもたれて寄り掛かり、
ラドラブライトの冷たい視線を受けて尚、
自信に満ちた瞳に、鋭い光を輝かせて。何より眼を引くのは、黒一色に染め上げられた着衣。まるで伝説にある、黒衣の勇者を
「黒衣の勇者気取りとは面白い……では来い。
久々に期待出来そうな相手を前にして、ラドラブライトはシトリを
今までに無い突然の行動に、ラドラブライトは内心動揺した。決して面には現さなかったが。
普段の冒険者達ならば、お決まりの定型句を言い終わらぬ内に、襲い掛かってくるのが定石だったから。自分を前に、こんなにも落ち着き払った人間を、ラドラブライトは久方ぶりに見る。
一種異様な雰囲気を持つ、この男はもしや?
ラドラブライトの胸中を淡い期待が過ぎる。盛んに自分に並ぼうと前に出る、シトリに無言で奥へ戻るよう促しながら。黒衣の勇者の再来――そんな言葉が一瞬、脳裏で閃いた。
それを裏付ける言葉を、眼前の剣士は朗々と謳い上げた。
「俺の名はカルドニーセ……またの名を、黒衣を継ぎし者」
静かに腰の剣を抜きながら。男は名乗ると同時に奇妙で奇抜な構えをとる。
黒衣を継ぎし者。カルドニーセと名乗った男は、確かにラドラブライトにそう告げた。その身を覆う黒衣が、今は伝説となった偉大な英雄の物であるとでも言いたげに。
黒衣の勇者……
「フッ……フフ、フハハハハ! 嬉しいぞ、こんなに嬉しいことはない。さあ! 全力で挑んで来い!」
ラドラブライトは狂喜した。
身を震わせて心から笑った。
条件は整った……完璧過ぎる位に。今日、伝説の勇者の
「魔王ラドラブライト、貴様の悪行もここまでだ。正義の剣を、とくと見よ!」
その剣技は、長年に渡り人間と戦ってきたラドラブライトが、始めて見る流派だった。カルドニーセは珍妙な構えをさらに変化させ、ゆっくりと剣を両手で握る。そのまま頭上に高々と剣を掲げ、彼はラドラブライトを
ラドラブライトは待った。恐らく
同じく唯一つの命を失ってさえ、二人は同じ場所へはいけないと、ラドラブライトには解っていたから。魔王が天国に行ける筈も無く、その存在すら信じていない。
そっと眼を
馬鹿な、と呟いた瞬間、ラドラブライトははっきりとその者の声を聞いた。
「おじ様っ! 危ない!」
不意に、かっと見開かれた視界に、気勢を叫んで飛翔するカルドニーセが飛び込んでくる。
その時ラドラブライトの身体は、主の願いに反して躍動した。宙より襲い来るカルドニーセに対して、空気を押し退け右手をかざす。膨大な魔力の
捨て身で飛び込んできたカルドニーセは、突如現れた障壁に弾かれ、入口の扉までスッ飛んでいった。その衝撃音に耳を塞ぐシトリを、ラドラブライトは呆然とした表情で振り返った。
あの人の死を悔いて今、その罪を死で
「クッ、クソ……やるな、ラドラブライト! 俺の最大奥義を退けるとは!」
カルドニーセは弱々しく立ち上がり、剣を構えようとして膝を付いた。しかしラドラブライトの眼には、その無様な姿は映っていない。
ラドラブライトは半ば、正気を失っていた。待望の瞬間を、思いがけぬ自らの反撃で
そんな筈は無いと否定しながら。
「フッ……どうやらあの技を使うしかないようだな。流石と言っておこう、ラドラブライト」
カルドニーセは苦しげに立ち上がると、再びゆらゆらと剣を構える。その膝は笑い、切っ先は震えていた。
戸惑うラドラブライトはしかし、今は勇者との戦闘に意識を集中することにした。
ここに至りようやく、大いなる疑念を抱くラドラブライト。眼前のカルドニーセなる、黒衣を継ぎし者を自称する男。彼は果たして、本当に伝説の英雄の末裔なのだろうか? と。現に今、
「あ、あの……おじ様、ひょっとしてあの方、実は……」
シトリにもどうやら、ラドラブライトと同じ印象を抱かせるらしい。それでも念の為、シトリに再度下がるよう、今度は言葉ではっきり伝えると、ラドラブライトはカルドニーセに相対する。
「言っておくが、コイツを喰らって無事だった奴は居ないぜ……」
もしや……いや、しかし……
「はぁぁぁぁぁ! 受けよっ! 我が剣、最大にして最強の奥義!」
そう、もしかして……
「さらば魔王ラドラブライト! 冥府の死神にでも、己を倒した者の名を誇るがいい!」
カルドニーセが再び地を蹴ろうと身を屈めた瞬間。ラドラブライトとシトリの疑念を確信へと変える者が、勢い良く扉を開け放った。
「カル~、おまたせっ! はぐれちゃってね、みちにまよっちゃったんだよ~! あれ? カル?」
突如、冒険者の少女が飛び出して来た。舌足らずな口調の彼女は、目の前にラドラブライトが居るにも関わらず、呑気に周囲を見渡し相棒を探す。が、カルドニーセの姿は無い。それもその筈、黒衣を継ぎし者は今、彼女が開け放った扉によって、そのまま壁に叩き付けられていたから。
「……クリン! 手前ぇ、何しやがる! ここからが俺様の見せ場だってのによ!」
「あ、そんなトコにいたんだカル~! さがしたんだよ、ひとりでさみしかったんだから~」
壁と扉の
最早誰の目にも、真実は明らかだった。否、真実がどうであるかは問題では無い。
それが現実というもの。
「ごめんね、カル。でもだいじょうぶ、カルはいつでもかっこいいよ~」
「ゴホン! お嬢さん、彼は……もう戦闘不能で良いかね?」
疲れた表情で、右手を伸べるラドラブライト。きょとんとした目でその手を見詰めるクリンは、思い出したように財布を取り出し……素直にその半分を差し出した。
結局、カルドニーセが何者なのかは、遂に解らなかったが。少なくとも、伝説の黒衣の勇者のように、魔王を打ち倒す力がないことは伝わった。無邪気に手を振るクリンに背負われ、部屋を出て行く彼を、ラドラブライトは溜息で見送った。
「ビックリしましたわ。まるで本物の、物語に出てくる勇者かと思いましたもの……最初は」
傍らのシトリは、半ば
彼が……カルドニーセが、真の勇者であったなら。自分とシトリ、両者に幸福が訪れたのではと、ラドラブライトは内心思う。自分は生と言う名の縛鎖を解かれ、シトリは生まれた場所へ帰れるのだから。
そう思えばこそ、心から残念に思う反面……先程芽吹いた感情が、小さな小さなしこりとなってラドラブライトを苛んだ。
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