魔王と最強のアンデット

「収支については以上ですじゃ。次に四階の回転床の件じゃが……伯爵?」


 朗々と報告を読み上げる老人が、玉座で物思いにふける自分を呼んだ。ふと我に返ったラドラブライトは、足を組み替え直すと、肘掛に頬杖ほおづえを付いて欠伸あくびを一つ。


「すみません、教授。聞いてますよ、続けて下さい」

「はは、伯爵はお疲れですかな? しかし、この城の維持運営にも少しは……」


 短い説教を挟んだ後に、教授と呼ばれた老人、ゲルドスルフの報告は続いた。

 彼はネクロマンサーとして、ラドラブライト城を徘徊はいかいするアンデットモンスターを生み出すかたわら、迷宮を管理する要職も兼任していた。最も、細々とした事務手続きだけで、実際の管理はバイロンに任せっ切り。

 異才溢れる錬金術師アルケミストは、喜々として彼から仕事を奪っていた。

 ゲルドスルフとの付き合いは長く、ラドラブライトがこの国に来るずっと前……大陸中でまだ、恐怖の権化として暴れ回ってた頃までさかのぼる。当時、ゆいくに最大の帝国と大戦争をしていたラドラブライトに、人間でありながら協力者として、死人を統べる若き学者の姿があった。それが彼、ゲルドスルフである。


「ふう、これで全部ですか……毎度ながら御疲れ様です」

「伯爵の方からは何か、要望とかは無いもんかの?」


 長い長い報告を書き記した、羊皮紙の巻物を仕舞いながら。ゲルドスルフが問うと、ラドラブライトはしばし考える素振りを見せた。そして、前から言おうと思っていたことを、迷宮の管理者に告げる。


「あまり手の込んだ迷宮にする必要はありませんよ。僕の所まで来て貰わないことには……」

「迷宮内の仕掛けに関しては、バイロンの奴めが張り切ってましてな」


 ラドラブライトの脳裏に浮かぶ、マッドアルケミストの不気味な笑顔。

 バイロンは非常に研究熱心で、趣向を凝らした城内の仕掛けに、日々冒険者は悲鳴を上げる。


「まあ、バイロンめも加減してやっとるんですわ……ここはワシ等にお任せあれ、伯爵」

「貴方達の迷宮を突破出来ぬ者に資格なし、ですか。解りましたよ、教授」


 そう、その程度の困難を踏破出来ぬ者に、資格などありはしない。

 ラドラブライトは一人、小さく呟くと玉座に浅く腰掛け直して、背もたれに崩れる。彼の言う資格とは己と戦う資格であり、己に死をもたらす資格……即ち英雄の資格。


「ところで伯爵、最後に一つ。王国の冒険者ギルドから苦情が多数出てるんじゃが」

「はて、何でしょう? 三階の謎掛けが難解過ぎるとか? あれはでも、黒衣こくいの勇者伝説を知っていれば誰でも、それこそ子供でも解ける」


 ゲルドスルフは神妙な面持ちで姿勢を正すと、ラドラブライトに向き直る。


「我が娘、ネリアの件で……少しのぅ」


 邪悪な背教者はいきょうしゃ、死人を統べるネクロマンサーが眉根を寄せた。


                  ※


「あー、待て待て! お前等、そんな頑張らんでもいいっ!」

「しかし当初の計画では、この立て看板をあそこに」

「ですからここは、私が行くと。ハンク、貴方は駄目です」

「そうです、現場監督の仕事ではありませんよ、これは」


 迷宮内を賑わす、魔物達の声。

 私が私がと仕事熱心なホムンクルス達は、同じ顔で口々にハンクへと任務遂行の意思を伝える。傍らで見守るシトリは、一見して簡単そうな仕事の内容に、思わず口を挟んでしまった。


「では、中を取ってわたくしが行くというのは如何いかがでしょ――」

「だーっ! そりゃ駄目だ、お嬢! いいか、よーく見てみな」


 ハンクは頭をくしゃくしゃ掻きながら、シトリを問題の区画へと連れてゆく。そこは四階の隅を走る長い回廊で。暗くてよく見えないが、行きつく先は袋小路いきどまり


「あの突き当たりに、その看板を立てれば良いのですよね? それ位ならわたくしでも」

「お嬢、床を良く見てみなって。こいつぁ、博士が作った不思議なタイルでよ」


 成程、よく目を凝らして見れば、袋小路へ続く長い一本道には、複雑な紋様もんようを刻んだタイルが敷き詰められている。


「このタイルの上を歩くと、普段より何十倍も体力を消耗します」

「ここ最近では一番の傑作だと、父が張り切ってました」


 ホムンクルス達の話では、それはどうやらバイロン博士の自信作らしい。

 そして、それを用いた対冒険者用の罠は、ハンクが今抱えている「危険!不思議なタイルは体力を奪うぞ!」の立て看板を、突き当たりに設置する事で完成する。酷く悪趣味でいやらしい、いかにも博士が考え付きそうな冒険者イジメ。


「ったく、看板立ててからタイルを敷き詰めりゃ良かったんだよ……どーすっかなぁ」

「……私がやるわ。貸して、ハンク」


 抑揚よくようの無い少女の声が静かに響き、皆が一様に振り向いた。

 シトリは笑顔を咲かせて駆け寄り、ふらりと現れた友人の手を取る。


「ネリア! お久しぶりですわ、今までどちらに? 最近見かけないので心配してましたわ」

「……棺桶かんおけで寝てたわ。あと、下層をブラついたり」


 冷たく、血の通わぬ土色の手。しかしシトリは、驚いた様子も無く両手で包み込む。ネリアと呼ばれた少女は、大きな縫い目が縦に走る顔に表情も乏しく、普段通り眠そうな濁った半目でシトリを見詰めた。


「ネリア、いくらお前さんだってなぁ……あ、ちょ、ちょっ、おまっ!」

「……いいから貸して」


 シトリの手を静かに振り払うと、ネリアはハンクから軽々と立て看板を取り上げた。

 何の躊躇ちゅうちょも無く、件の通路へ踏み出す。たちまち眩い光と共に、タイルに封じられた術式が発動した。

 並みの魔物や冒険者であれば、一歩歩く毎に多大な消耗を強いられる筈が。まるで普段と変わらぬ足取りで、ネリアはどんどん奥へと進んでゆく。虚しく発動する術式の光を引き連れて。


「流石はこの城最強のアンデット、ってか? ちょっと真似出来ねぇな」

「あらハンク、ネリアは貴方よりも強いのですか? ホムンクルス達よりも?」


 突き当たりに到達したネリアが、立て看板を無造作に床へ突き立てるのを眺めながら、シトリはハンクを見上げて首を傾げた。


「姫、彼女は教授の娘にして、教授の最高傑作です」

「私達が束になって掛かっても、恐らくかなわないでしょう」


 ホムンクルス達の説明に、ハンクも腕組み何度も頷く。

 ゲルドスルフ教授が嘗て若かりし頃……ラドラブライトと共に世界を脅かしていた時代。彼は最愛の愛娘まなむすめを不幸な事件で失い、最強のアンデットを生み出した。恐るべき怪力に、驚異的な耐久力。決して朽ちず老いず、そして成長しない永遠の少女、ネリア。


「……終わったわ。あれでいい? ハンク」

「あ、ああ……い、いいんじゃねぇかな」


 真っ直ぐ伸びる一本道の奥へ、微かに見える立て看板。このフロアの重要なヒントと思い込んで、明日からここを通る冒険者達は、我先にと進むだろう。本当にバイロン博士は人が悪い、と苦笑するハンク。


「ネリア、御疲れ様ですわ! ネリアって凄いんですのね。今日はお暇ですの?」

「……別に。そうね、退屈だしシトリ、貴女に付き合ってあげる」

「はは、女の子同士仲が良いこって……でもな、お嬢。ネリアを下層に絶対に連れてくんじゃねぇぞ?」


 王国との協約では、ラドラブライト城は上層へ進む程、手強い魔物が出現する事になっている。本来ならネリアは、最上階の玉座の間周辺位しか居場所のない強さなのだ。だが、彼女にその自覚も無く、協約に従う気もない様子。


「わかりましたわ、ハンク。では、ごきげんよう。ネリア、博士の研究室に行って見ましょう」

「……好きにすれば」


 ネリアの手を引き、シトリは走り出した。その光景を見送るハンクは、傍らのホムンクルス達に声をひそめて零した。遭遇する冒険者達から、文句を言われる可能性が大幅に減った、と。


                  ※


「下層でまれにネリア君と遭遇してしまう、と。そう苦情が来ているのですね」


 ラドラブライトはふむ、と唸ると、形良い顎に手を当て考え込んだ。恐縮した様子で、主の言葉を待つゲルドスルフ。


「ではこうしましょう。ネリア君には大量の宝石や金品、その他稀少な品を持たせる、と」

「伯爵、それは……」

「危険に対して見返りが釣り合えば、ギルドも納得するでしょう。ネリア君と戦うも逃げるも、冒険者達の好きにして貰いましょう」

「では、今まで通り娘の……ネリアの自由を許して貰えるのじゃな?」


 無言でラドラブライトが頷くと、ゲルドスルフの白髭に覆われた頬がほころんだ。

 協約があるとはいえ、命をして勇気を振り絞り、魔王を倒して英雄になろうと言うのだ。城内をうろつく規格外の強敵にも、臨機応変に対処して貰いたい。ラドラブライトはそう思い、そうでなければと自分にも言い聞かせる。

 ネリア程度で根を上げる勇者であれば、彼の望みを叶えることなど、無理に違いないから。


「娘も喜びます、あれは気まぐれで我侭わがままな所がありましての。でも、この城は気に入っておるのです。親馬鹿と笑うてくだされ」


 そう言って目を細めるゲルドスルフは、初めて共に戦った戦乱の日々に比べて……随分と老いて小さく感じる。それが人間なのだと、ラドラブライトは溜息を吐いた。

 娘を溺愛する余り、不死の命を与えてしまった男。彼はしかし確実に老いて、しかもそれにあらがう素振りも見せない。となれば自然と、別れの時はやってくる。

 人間は一人の例外も無く、人間のまま永遠を生きられはしないのだ。


「もしあの時、教授が居てくれたら……もしかしたら僕も、あの人に……」


 それが無意味な妄想であったとしても。ラドラブライトはその実現しない可能性を考えてしまう。楽しげにゲルドスルフが、愛娘の事を語って聞かせる度に。

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