第7話 新しき世界 ーさよならストロベリーー 後編 (1)
このところ、毎日報告を読み上げている。今日はこの先五年の流れについてだ。録画が始まるまえに、建部女史がわたしの白髪をなでつけネクタイを締め直した。ちょっときつめなのは、気を引き締め原稿を誤読するなという暗黙のプレッシャーか。
「国民のみなさん、こんばんは。中川です」
ここでいちど微笑む。自然な笑顔には定評ありだ。
「今日は今後の五年間の変更点についてお知らせします。まず、いちばんの関心事でありましょう貨幣のことから」
貨幣は廃止、かわりにクーポンが発行される。だれもが飢えないよう、きちんと配慮する。
「貨幣廃止後は、共にはたらく『共働』と『配給』が基本となります。衣食住をととのえること、つまり生産や、インフラを維持することは国民のみなさんに当番制でしていただくことになります」
ここで、おそらくは画面の向こうで声が挙がっていることだろう。じっさい目の前のテレビ関係者も口を開けている。
「各企業は今後、活動をされるかどうか現在討議調整中です」
勤めに出なくてもよい、ただし公な労働は発生する。けれど、それは交代交代で行い、それ以外は自由に過ごしてほしい。
「もちろん、そうなると交通網や流通等が今よりも、かなり数が減ることになります。石油の割り当てが制限される関係上、車両は公共交通機関と緊急車両、各自治体に必要分のみとし、自家用車は使えなくなると思われます。今よりさらに自然エネルギーを活用します。富を全世界でわけあうと、今よりも不便さを感じることが多くなるでしょう。けれど、潤沢とはいえませんが衣食住は保証します」
不便は、不幸ではない。
「学校教育は大学まですべて学費を無料とします。教育は必要です」
たとえ、未来がないとしても。人としてのなりたちに知識と教養は必要だ。
「時間に追われることなく、過ごせる社会を実現していきたいと思っております」
ああ、個人の財産の処遇についてはまた別日に説明だ。
原稿はこれで終わりだ。でも一つ伝えたいことがあった。わたしはいちど下げた視線をあげ正面のカメラを見つめた。
「悲しいことに、毎朝列車の事故をテレビのテロップで知ります。その片付けにあたる皆さんは疲労困憊しています。電車が時間どおりに来ることを前提に人は今日の予定を組みます。電車に乗る人には果たすべき約束や予定があって、ほんの少し先の未来へいくために乗るのです。終わらせるために乗ってるんじゃない。その方たちの邪魔をしてはいけない。みんなの時間をあなたの都合で奪ってはならないのです。どうかご配慮ください」
ふかぶかと頭を下げてわたしは画面からフェードアウトした。
電車、きみと乗った。
車を持たない若いころ、どこへ行くにも電車だった。海へ、山へ、買い物へ……産婦人科の定期検診へは必ず付き添った。
お腹の大きなきみは学生さんに席を譲られて、二人でお礼を言った。
あの日々を忘れない。
ふたりで未来の話した。
学校に近い場所に、もう少し広い部屋を借りよう。子どもが通学しやすいように、すぐに迎えに行けるように。
ばら色に頬をそめ、大事そうにお腹に手を当てるきみがまぶしいほど輝いて見えた。
「お疲れ様でした! これどうぞ」
思い出に浸っていたわたしをオトラの声が現実に引き戻す。ついでに顔の真ん前につき出されたモノを受けとる。
ストロベリーチョコレート……。
「ありがとう」
う、生暖かい。きっと半溶け状態だ。男の肌で暖められたチョコレートか。
「疲れがとれますよ」
早く食べろと言わんばかりの顔でわたしを見ている。タスケテ! 建部を探すと誰かと通話中だ。食べるしかないと観念してパッケージの紙を破いた。
と、建部が髪を振り乱して駆け寄ってきた。
「チョコなんか食べてる場合じゃありません!」
建部女史は頬がひきつり、携帯端末を握りしめた。
「佐和子ちゃんが、暴漢に襲われて怪我をしたと連絡が」
「な……!」
「今は女性警官と官邸に戻ったそうです」
「帰るぞ」
うかつだった。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、将を射んと欲せばまず馬より射よ? なのか。
早足でテレビ局内を駐車場へと急ぐ。
とちゅう、二十歳前後のアイドルとすれ違った。大きな花束と紙袋を抱えたマネージャーらしき男性の後をヒールの細い靴で歩く。
いまの子くらいになっていた。きっと、きみによくにた目の大きな可愛らしい子だったろう。
いつか家を建てよう、車を買おう。わたしはそんな夢を見ていた。
きみは、子どもの歳をずっとかぞえていた。
家も車も手に入れてたけれど、わたしたちの子どもは生まれなかった。
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