第6話 新しき世界 -さよならストロベリーー 中編

 密かに召集された会議室で各党の党首から伝えられた、その話をみな最初は信じなかった。

 確かにここ数年来、メディアが興味本位でとりあげてはいたが。一部のアマチュア天文家たちが騒いではいたが。

 だから初めて耳にしたときの印象は「出来の悪い空想科学小説の設定」だった。

 みな狐につつまれたような顔をしていた。無理もない。それでも、スクリーンに映された彗星やその軌道シミュレーションを見せられて、沈黙した。

 にわにか信じられるはずがないだろう。

 世界が終わる、なんて。

「地球は六十二年後に彗星が衝突し破壊される」

 岬党首の声はふるえていた。

 聞かされてすぐに思ったことは。


 ああ、うちには子どもがいなくてよかった。


 ……ああ、そうだ。これは二年前の出来事で。秘密裡にすすめられていた彗星破壊のためのミサイルの失敗が確実となって。でも、それよりも、わたしには隠し通すべきことがあった。


 隠し事は無しにして。

 ずっと悩んでいる。それは私には話してはくれないの? そんなに白髪がふえるほど、悩みを抱えているなら私に聞かせて。


 きみは言った。勘の鋭い人だから、いつまでもだまし通せるはずはなと分かっていた。

「落ち着いて聞いて欲しい……地球が終わるんだ」

 ぽかんとした、きみの顔。病名を打ち明けられると思ったのかい? それは教えない。きみに教えられない。

「世界が終わるんだ。だから、その前にみんなで平穏に過ごせる社会を、新しい世界を作ろうとしているんだ。そう、カカオ農園の子どもたちにチョコレートを渡せるような世界」


 ちがう、きみがいなくなったら、わたしの世界は終わるんだ。


 アラーム音で目が覚めた。枕がぐっしょり濡れて冷たく感じた。

 きみの夢を見ていたからだろう。今朝も目覚めた。過労で眠ったまま、召される……という日はこないのだろうか。

 今日が始まる。遮光カーテンの向こうから朝日がさしている。雀の声がかまびすしい。

 佐和子嬢が通いのコックと朝食を用意しているだろう。食器がたてるかすかな音と、ふくよかなコーヒーの香りがする。

 起きよう、起きなければ。そう思うたびに体は重くなってベッドにめりこみそうだ。

 扉がノックされて建部女史の声が響いた。

「総理、寝坊してたらオトラにぜんぶ食べられてしまいますよ」

 起きねば。布団をはねのけた。


「今日は九時から閣議があります。それから厚生省と科学技術庁との連絡会議。それから、国民への今後五年の計画を説明するスピーチの録画撮りが。原稿こちらです」

 紙の原稿とデータが入ったタブレット。ゆうべあれから作ったのか。建部女史のくまはメイクできれいに隠されているようだ。ただ、眉間のしわはカバーし切れていない。

 オトラはといえば、山盛りのソーセージをプロテイン飲料で流し込んでいる。タンパク質、摂りすぎではないか。エネルギー効率はどうなってるだ。見ているだけで胸が焼けた。

 背は平均的だが、ワイシャツの上からでもたくましい胸の筋肉が見て取れる。胸板が厚くスーツは特注だったいうのもうなずける。意外と経費がかかる。とくに食費が。

「以上です。復唱はしません」

 フォークを手に宣言すると女史はカリカリに焼いたベーコンを突き刺した。

「ああ」

 気迫に押され、とりあえず返事をしておく。

 テレビのニュースは今日のお天気と、昨日の出来事。画面の上部に鉄道情報。運休の知らせにはため息が出る。

 画面を見ずにトーストを口に運ぶ。聞き慣れてはいるが生理的に受け入れづらい音がしてきた。

「昨日のスピーチですね」

 佐和子嬢が給士の手を休めてモニターを見た。自分の声はいつになったら受け入れられるのか。作り声のように感じてしまう。

「まったく、どうしてわたしなんかが選ばれたのか。寒村出身で苦学して議員先生の鞄持ちからの泥臭いまでの叩き上げ。少しばかり見栄えがよいことくらいしか取り柄がないのに」

「ご自分でおっしゃる」

 建部女史のコメントと視線が冷たい。コーヒーはうまい。

「オトラさん、映ってますよ」

 昨夜の捕物だ。視聴者提供とあるから、居合わせた通行人が撮影したのだろう。後ろ手にねじあげた賊をうつ伏せに倒し背中に膝を乗せたオトラが映っている。

「見ているだけなら頼りになる腕利きのSP……」

 現実は寝癖も直せない天然モノ。

「今日のスーツはそれか」

 オトラのスーツは青寄りの濃紺の地に細い銀の縦じまが入った柄だ。堅気に見えない。どちらかというと……。

「芸人さん、みたいですね」

 佐和子嬢がトレイで顔を半分隠して笑うと、二つに結った栗色の髪がぴょんとはねる。ほめられたと思うのか、オトラはニコニコと笑う。

「舞台を中心にして活動してます系ね」

 いいえて妙。さすがは建部女史、と膝を打つと当の女史はナプキンで軽く口をふいて立ち上がる。

「さあ、今日の舞台ステージが待ってます!」

 幕はあがる。

 きみのいない世界で。


 乗車すると、いつものようにラジオが付けてあった。ニュースを聞きながらタブレットからメールをチェックする。

「各国のようすはどうだろう」

 ゆれる車内でキーボードの手元を見ずに、建部女史はキーをマシンガンのように打っている。次の原稿だろうか。

「欧米やアジアでは、半月ほど休みにする会社が多いようです。やはり自死増加の報告はあります。それと、政府との対話ですね。穏やかではない場合は、騒乱やデモも発生しているようです」

 国民との討論会、テレビで全国生中継での公開形式は現在準備中。二週間後だ。すぐにその日がくるだろう。

「うちの国民はおとなしいねえ。こんな状況でもあたりまえのように通勤しているのが大半だ」

 車窓から見る朝の風景は、みな早足で仕事へ向かっている。コート姿をみかけて、いまが秋であることを思い出す。あまりに忙しすぎて、今が何月なのかも忘れてしまいがちだ。

「会いたい人はいないのか、冷静なのか」

 世界が終わるまでたしかに六十年あるが、その前に会えなくなることだってあるのに。今日と同じ明日がくる保証はどこにもない。

 かけつけて、言葉を眼差しを交わせばいいのに。手を握り抱きしめ、あなたは誰よりも大切な人だと。

「早々に失望した方々もおりますが。幼い子どもを連れての心中は、止めたいです」

 いつの間にか女史の指も止まっていた。

 わたしは深くうなずく。

 ラジオは、産油国の大富豪が宇宙船を作って地球から避難しようとしているというニュースを読み上げる。

 宇宙に逃げ出してどうする? 生存可能な惑星など太陽系にはない。宇宙船の中で朽ち果てるだけだ。それはまるで……。

「ちょー高い棺桶ですね」

 本日もネクタイが曲がっているオトラが朗らかに言う。まったくだ、珍しく同意するよ。

「厚生省では、研究は順調に進んでいると。すでに製薬会社、何社かに試作品を作らせているそうです。今日の会議で詳細が聞けるでしょう」

「そうか」

 前を見ろ。まだ死んだわけじゃない、などとわたしにいえるだろうか。意気地なしのわたしに。

「しんみりな気分になったら、佐和子嬢の山菜の煮付けが食べたくなったな……夜食にリクエストしておいてくれ」

「季節外れですよ、今からなら茸料理のほうが彼女だって作りやすいでしょう」

 では、それを楽しみに今日は生きていける。


 丸いテーブルに座る大臣たちの顔色は芳しくなかった。今は国家最優先だろうから家族のある者たちは、さぞたいへんだろう。任命されたのはわたしが独り身だったからかもしれない。

 基本的なラインは国際的に基準が出されていたし、あとは各国の取り組み次第なのだ。だからといってすべてが円滑にいくはずはないのだが。実務にあたる市町村の公務員には、かなりの負担がかかってしまうことは想像に難くない。

 連絡会議はしずかな緊張感に包まれていた。

 出席した大臣や役人、研究開発担当者たちからは順番に話を聞いた。

 薬の効能というか「至るまでの体の負担」について説明を受け実際に試薬品を提示されたときには、みな固唾を飲んだ。

 白い錠剤は永遠への眠り薬だ。今後は医師の確保が重要な問題点となると誰もが危惧していた。

 他者の命を終わらせるための管理者。貨幣が廃止され、別のものを報酬として受けとる社会になったとき、医者を希望する子はいるだろうか、

 建部女史は渡されたデータを吟味している。スピーチにいずれ織り込もうとおもっているのだろう。

「大病にかかったとき、治療より安楽死を望む患者が増えるのではないでしょうか」

 薬の開発者である研究員が沈んだ声で話す。グレーの背広は着慣れていないようだ。ふだんはきっと白衣なのだろう。

 安楽死を医師が手伝うのは罪にならないか。法の整備も必要だ。

 科学技術省へは、作業用ロボットや生活をサポートする人に寄り添うアンドロイドの開発について政府からの要望を伝えた。

 レンズの分厚い眼鏡をかけた技術者がうなずいた。

「いずれ、人々の生活を見守るために外見もより人に近いアンドロイドが必要となるでしょう。アンドロイドが人に混じり介護や看取りまでしてくれるように。幸いといいますか、彗星破壊のために培われた技術が転用できます」

 不幸中の幸いだ。今後、子どもをもつ人たちは極端に減るだろう。

 最期を看取るのが機械でもしかたないだろう。今でも孤独のうちに亡くなるケースを考えるのならば、たとえ血の通わぬ者でもそばにいてくれたら、上等といえるのかもしれない。

 明るい話題はしょうじき一つもない。壁際にいた若い秘書が顔を伏せ肩をふるわせていた。彼にはたしか幼い娘さんがいたはずだ。

 顔を曇らす者たちにわたしは言った。

「これを敗残処理と見るか、修復しようもないほど広がった格差を是正し再生させる好機チャンスととらえるかだ。割りきれないことが、これからますます起こるだろうが……せめて最後を生きる人々が混乱と恐慌の世界に残されることがないようにするのが我らの努めだ」

 おう、と部屋の隅で待機しているオトラが小さく拍手したが、建部が素早くそれを止めた。


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