没落の推理作家

 しばらくして円谷が、その後から瀬戸家がリビングに現れた。

 妻鳥に促されてそれぞれ空いている席に着き、珈琲を貰う。

 二人とも自室のベランダに出て、そこからの眺めにしばらく見入っていたらしい。彼らの自室は僕の部屋とは違い、ベランダへの硝子戸の鍵が壊れているというわけではないようだ。

「先程氏が姿を見せられたんだが、どうも様子が変なんだ」

 穂村はそう前置くと、その場にいずに事情を知らないでいた二人に掻い摘まんで説明した。

「それで一体、氏はどうされたんですの?」

 回答を先送りにされて少々苛立たしげにしていた加賀美が、急かすように妻鳥に尋ねる。

「いえ、あの方は百夜様ではありません。あの方は、今回の催しに特別招待枠として招かれた、推理作家の新羅黎明にられいめい様です」

 妻鳥の言葉に、穂村が、

「新羅黎明だって?」

 思わずというように目を眇めながら、その名を繰り返す。

 僕としても、驚きを禁じえない。

 新羅黎明とは、百夜とほぼ同時期にデビューした推理作家である。

 百夜フリークであるだけでなく、ミステリィフリークとしても人一倍な僕は、もちろん彼の著作にも通じている。

 ただ、デビュー作こそ快作と言える出来映えで、(もちろん氏の著作には遠く及ばないが)期待の新鋭と一時騒がれてはいたが、作品を重ねる程にその才気は衰え、最近では、既出のトリックの焼き増しでしかないような内容のものも多く、『過去の人』――そういういうレッテルが貼られることもしばしばだ。

「新羅様は、出版社を通じて今回のツアーのことを知り、『同じ推理作家として切磋琢磨する百夜氏と直に会ってもみたいから、ぜひ私も参加させて欲しい』と申し出られ、百夜様、は、それを快諾されたそうなんです」

 対談が組まれたり、私的に交流する推理作家らも多いと聞くが、百夜は覆面作家であるため、これまでそういう機会はなかったんだろう。

 それにしても、今や草の根レベルのファンしか残っていないだろう、黎明どころか頽廃の一途を辿っているような新羅などと交流を持つなど、メリットがないどころかデメリットにもなりかねないというのに、さすが百夜、寛大だ。大物、そして本物としての余裕が窺える。

「そして新羅様は、広島にいる友人のクルーザーで、一足先の今朝早くにやって来られて、百夜様に扮装してまで催しを盛り上げようと考えておられたようですが、元々風邪気味だったのを押しての来訪であられたため、その風邪の症状が酷くなり、高熱を出して休んでおられたんです。喉が酷く痛むとのことで、会話するにも、携帯に文字を打ってのやり取りしかできないような状態で、ああして百夜様の仮面を被って顔を出し、まだ催しへの参加を諦めてはおられないようですが、とりあえず薬を渡して安静にしてもらっています」

「なんだ、そういうことだったのか……」

 穗村が、残念そうに零した。

「紛らわしいことですわね。まったく、人騒がせなお人」

 と加賀美も不満げに眉根を寄せる。

 二人とも新羅の容態を気遣うわけでもなく、ただ不満を募らせるばかりだ。

「それでは、新羅様の件が分かってもらえたところで、皆様にこれをお渡ししておきます」

 と妻鳥はエプロンのポケットから四つ折りにされて束ねられた数枚の用紙を取り出した。

「それは?」

 円谷が尋ねると、妻鳥は、「これは、ここ逢ノ島と百夜邸の簡単な見取り図になります」とその一枚ずつをそれぞれに配りながら、

「皆様お待ちかねの謎解きですが、それが始まるのは午後七時からの夕食の後となっておりますので、それまではそのお渡しした見取り図を参考に、邸内や島で事前の情報収集を行うなど自由に行動されていてください。その際、公正を期すために、それぞれの自室を自由に調べることができるよう、そこを離れる際も入口の鍵は開けておいて頂き、万が一のトラブルを避けるために、貴重品は身につけてからにしてくださいますようお願いします。ですが新羅様はあのような状態なので、あの方の部屋を訪れることだけはご遠慮願います。以上ですが、何かご質問はありますか?」

 特に質問が挙げられることもなく、そのままそこで昼食が摂られることになり、妻鳥が腕を振るった料理を味わった。

 妻鳥の料理の腕前は中々のもので、いつも飢えて喘いでいる貧乏学生の身としては、普段味わえない美味な昼餐となった。


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