百夜邸


 僕達を乗せたクルーザーは、穏やかに揺れる瀬戸内海を順調に進み、出発から二十分程で、目的地である逢ノ島へと到着した。

 コンクリート敷きの岸壁から伸びる突堤にクルーザーが接岸し、下船していよいよその地へと降り立った僕は、思わず昂ぶってしまい、「ビバ孤島! ビバ百夜白夜! ビバ惨劇の舞台!」と両手を広げて声高に歓喜した。

 そんなテンション上げ上げの僕に対し、他からの白い視線が向けられる。

 だが、そんなことは一向に構わない。なにせこれから後、崇拝する百夜が仕掛ける殺人事件の謎に挑戦することができるのだから。

 僕はそのまま、空中歩行しかねない程に浮かれた足取りで、先導する妻鳥に続いて岸壁の奥に茂る鬱蒼とした森の中の道へと進んだ。


          *


 森の中の緩やかに傾斜した登り道をしばらく進むと、左右に茂っていた木々が途切れ、島の反対側の平坦な開けた場所に出た。

 百夜邸は、その一番奥の断崖を背に立っていた。

 サスペンスドラマで使われそうな崖っ縁に邸宅を構えるとは、さすがはミステリィ作家と言ったところだろうか。

 外壁が茶で塗られた洋風の造りの横に長い方形をした二階立てで、一人で暮らすには持て余す程の大きさだ。

 ただ、ベストセラー作家と貧乏学生のヒエラルキーの差を痛感させられるでもなく、想像していたような華麗な豪邸というのとはちょっと違っていた。

 崖を背にぽつりと佇む邸の回りには、彩り豊かな庭園部があるわけでもなく、申し訳程度に、小さな花々が咲いたプランターが正面に四つ置かれているだけ。その外観も小洒落たマンションといった程度だ。華美な装飾を嫌ってのことなのかもしれない。

 惨劇の舞台としてはちょっと物足りなさを感じてしまいはしたが、別段問題ではない。なにより大事なのは、百夜が仕掛ける謎なのだから。

 その百夜邸の玄関口へと辿り着き、外壁よりも濃い茶で塗られた扉を妻鳥が開け、邸内へと招き入れられると、まずここで家政婦役を演じる事になる妻鳥に、一泊する間に自室として宛がわれることになる部屋へとそれぞれ案内された。

 二階の奥の部屋を宛がわれた僕が、最後の一人となって、そこまで案内してくれた妻鳥と別れて、押して開けるタイプの観音開きの扉を開けて、その部屋へと入る。

 アパートの六畳一間の三倍はあるだろう広々とした中、センスの良い置物などが収められた丈の高い棚や箪笥、心地良さそうなベッド(アパートで使っている、よく滑り落ちてしまう幅の狭いパイプベッドと違い、ゆったりとしたセミダブルだ)勉強や仕事が捗りそうな立派なデスク等が置かれている。

 どれもが暖かみのある木製。壁に掛けられた丸時計は、午前十一時半を少しすぎたことを示している。

 奥の壁は、一面が硝子張りで、その先には、穏やかに揺れる瀬戸内海を望むベランダが張り出している。

 僕は、扉の横の衣装掛けにコートを脱いで掛けると、背負ったデイパックを部屋の角隅に置かれたベッドの上に放り、ベランダからの景色を愉しませてもらおうと、そこへと通じる引違いの硝子戸を開けようとした。

 だが、そのクレセント錠が、どれだけ力を込めても、閉じた状態のままぴくりとも動かない。残念なことに――いや、もしかするとこれは、後に待つ謎解きで重要な手掛かりの一つとなってくるのかもしれない。

 他にも空いている部屋がありそうだったのに、あえてこの部屋に宛がわれたのだ。これは何かある。

 僕はそう踏むと、「要チェック、だな」呟きながら、そのことをしっかりと記憶の端にとどめておくことにし、後程階下のリビングへと降りて来て欲しいとの妻鳥の言葉に従った。


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