百夜白夜の消失
雨想 奏
【序章】百夜白夜の招待
驚喜のメール
皆さんは、
もし、知らないというのであれば、それは、人生の五割は損をしていると言っても過言ではない。言いすぎ? いや、これでも遠慮したつもりだ。
まあ、それだけの短い言葉で、その魅力を分かってもらうつもりは毛頭ない。
自分ばかり得をして、大損を食らっている方々を見過ごすような酷い真似を、僕は好まない。
その損失を、今から少しでも埋めてもらうためにも、氏(親愛の意味もこめてそう呼ばれることが多い)の紹介から始めさせてもらうとしよう。
誰でも一人くらいは、尊敬する人物というのがいるはずだ。僕にとってのそれに値する人物というのが、百夜白夜その人なのである。
いや、尊敬というより、崇拝していると言った方が適当だろうか。それくらいに熱を上げている。
僕にとっての百夜とは、言ってみれば、三度の飯よりも、仮にイスラム教徒で断食をしなけ
ればならないとしても、氏だけは切り離せない――そんな必要不可欠な存在なのだ。
もし、一日でも触れられない日があったとしたら、不調をきたし、最悪、死に至る(さすがにこれは言いすぎたか)。
なので、周囲から、『病的』、『百キチ』、『百夜パラノイア』、などの呼ばわり方をされたとしても、まったく気にはならない。
事実、その通りだと自覚しているし、むしろ光栄、誉れだと感じるくらいだ。
では、それほどに言う百夜白夜という人物は、いったい何者なのかというと、氏は、著名な推理作家であらせられる。
思い起こせば、あれは、九年前の冬――小雪が舞い散るクリスマスの夜のことだった。
僕は当時、十歳を迎えたばかりの小学四年生で、クリスマスプレゼントとして、叔父から、一冊の文庫本が贈られた。
それこそが、記念すべき百夜白夜のデビュー作だったのだ。
《
まさに、電撃的な出会いだった。
幼いながらに、その内容に衝撃を受けた僕は、そのデビュー作を、夢中のままに読み耽り、読み終わると、次々と他作にも手を出し、いつしか、完全に氏の作品の虜となってしまっていた。
それが、僕と百夜白夜との出会い。
その百夜は、年明けに刊行された、最新刊である《
むしろ、回を重ねるごとに、魅力を増し、さらなる熱意を溢れさせた作品を生み出し続けていると言えるだろう。
そんな、今や斯界の重鎮として知られる百夜だが、その素性の多くは謎のベールに包まれている。
年齢や経歴等は一切不詳。幾つかの著作の扉頁に写真が載せられてはいるものの、その素顔を晒すことはない。
というのも、男物の白いタキシードスーツ、首をすっぽりと覆う幅広な白革の首輪、手には白革の手袋と白ずくめの上半身で写る百夜は、束ねられた白髪を後ろに覗かせながら、意味ありげな薄い微笑を浮かべた白い仮面を嵌めた、訳ありげな姿しか見せたことがないからだ。
話によると、デビュー作を含めた幾つかの著作の受賞式への出席も悉く辞退し、他の公の場にも出て来た試しがなく、文字通り仮面で素顔を隠した覆面作家ということになる。
だが、そうやって長らく秘密主義を貫いてきた百夜だが、最近その心境に変化でもあったのか、ウェブ上でブログを始め、趣味を綴った日記を公開するなどしている。
作風としては、常に新鮮さを提供しつつも、その作家としてのスタイルが、いささか保守的であったことに、自身でも思うところがあったのだろう。
時代の流れに逆らうことが、まるで自分のアイデンティティであると誇らしげにするような輩とは違い、自分のスタイルを変えることを受け入れる柔軟さも併せ持っているということだ。
もちろん、生粋の百夜フリークを掲げる僕は、連載第一回目から、更新されるごとに欠かさず目を通している。
だいたい週ごとに一回とのんびりとした更新で、先週末にようやく十二回目を迎えたばかりだが、そこで明かされたことの一つに、氏が星座鑑賞を趣味としていることが挙げられていた。
それを知ることができて、星座をモチーフにした著作や、それに関連した内容だったりが少なくないことにも、ああなるほどな、と納得できたものだ。
そんな百夜だが、今から五年程前、ある事件によって、一躍時の人となった。
それまでにも、幾つかの著作が映像化や舞台化されたりもしていたわけで、世間的な認知度は高かったのだが、その事件との関係で、その名声が飛躍的に高められることになった。
その事件とは、かの有名な『三億円事件』に並ぶものとして迷宮入りになるだろうとも言われた、京都の広隆寺に祀られていた、国宝である阿弥陀如来坐像が盗み出されるという大事件――通称《
当時国内を騒然とさせ、多くの関心が寄せられたその前代未聞の大事件は、警察の懸命な捜査も空しく、犯人の目星さえつけられないままでいたのが、事件から半年程が経った頃に刊行された、百夜の記念すべき五十作目にあたる《
その内容は、舞台や背景等は変えてあるものの、祀られていた神器が盗み出されるまでが、《阿弥陀如来事件》と酷似していた。
そして、最終章で明かされるその巧緻な犯行トリックや逃走手段などが、それまで他の誰も考え及ばなかったものであり、これはまさか――とその内容を元に捜査を進めてみたところ、なんと実際に犯人が曝かれる結果となったのである。
そうして、百夜という救世主のおかげで、長らく窃盗犯などの手許に置かれながら、「神も仏もあったもんじゃない」などと嘆いていたであろう阿弥陀如来も、幸いまだ売り飛ばされるなどされておらず、無事元あった広隆寺へと返還されることとなり、安堵にほっとその顔を円満なものに戻されたに違いない。
そういうわけで百夜は、『仏を救った推理作家』と大いなる畏敬の念を込めて呼ばれるようにもなったのである。
そんな稀有な経歴も持つ百夜だから、僕以外にも氏のフリーク(信者とも呼ばれる)は数多いる。
多種多彩なミステリィが溢れる昨今、頑なに本格という枠組みの中で勝負し続け、その中で新たな可能性の扉を幾つも開いてきた、本格の愛好者であり探求者でもある氏。
だから、金字塔とも言うべき百作目では、一体どんな境地を見せてくれるのだろうと、ファンならずとも多くから待ち焦がれられていたわけだが、九十九作目となる《九十九折りの殺意》が年明けに刊行されてから、既に、至る山々の紅葉も見納めかとなった十月も終わりに差しかかったというのに、いまだその一報は届いてこないでいる。
氏のブログにも、ただ趣味の星座鑑賞についてなどの世間話程度が短く綴られるだけ。それまでは長く空けても三ヶ月に一作は刊行してきた百夜なだけに、こうも間が空くと、期待よりも不安の方が先立ってしまうというのも分からないでもない。
そのため、巷では、引退説がちらほらと囁かれていたりもするようだが、それは所詮形だけのファンでしかないような、そんじょそこらの甘ちゃんたちでしかない。
たまたまなにかの拍子で賞を獲って文壇の地へデビューはしたものの、そのあとは期待に押しつぶされたり、ネタに困ったりで、いつしか名前さえ忘れ去られてしまうというような、一発屋たちとではわけがちがうのだ。
なので、氏はデビュー十周年にもあたる今年、記念すべき百作目を渾身の作とするために、それだけ長い時間を掛けているからなのだと、自分にそう言い聞かせていた。
そんな折り、ある寒々とした晩秋の夜のこと。
出したばかりの炬燵で暖をとりながら、九州で江戸時代から農家を営んでいる実家から送られてきていた蜜柑のほのかな酸味をともなった甘さに、郷愁を覚えながらまったりと寛ぎながら、ノートPCと向き合って、オンデマンドのミステリィ特番を鑑賞しているところに、一通のメールが届いたことを告げるポップアップが浮かんだ。
他のどうでもいい、大学の友人やら覚えのない企業からの勧誘メールだったりが未開封のまま並ぶ中、燦然と踊る『百夜白夜ファンクラブ会員であられる
百夜のファンクラブが結成されたのはつい半年程前――ブログの連載開始と同時にだった。
デビューから十年目にしての結成は遅すぎる感があるものの、それまで頑なに秘密主義を貫いてきた氏が、それを許容してくれただけで、僕はブログの連載開始ととともに、そのことを喜んだものだった。
ただ、募集開始と同時に即座に入会を果たしたものの、気が急く余り個人情報の入力に少々手間どってしまい、名誉の一番は逃してしまった。僕の会員番号は、惜しむらくもその次席となる二番である。
とうとう氏の百作目が完成か! やっぱり氏は筆を折ってしまわれたわけじゃなかった、どうだ、見たか、まいったか! この○×*%#@△(自主規制)!
と誰相手にだか罵声を浴びせながら突きつけつつ、頬張っていた蜜柑を一息に飲み下すと、ノートPCのディスプレイに齧りつくようにしながら、そのメールをいそいそと開封した。
〈拝啓 寒冷の候、晴原様には益々ご健勝の事とお慶び申し上げます。
さてこの度、百夜氏からファンクラブ会員の皆様方へ向けるファンサービスの一環として、氏が住まう瀬戸内海に浮かぶ孤島で、氏自らが考案したシナリオを用いてのミステリィツアーが開催される運びとなりました。
ですが、会員の皆様方全員をご招待というわけにもいかず、不本意ではあるものの、その中から抽選で五名を選ばせてもらう事となった次第なのですが、なんと数ある会員様の中から、晴原様が、見事その五名の内の一人に当選されたのです!
つきましては、来る十二月二十四日のクリスマス・イヴに――〉
メールに並ぶ文章を読み進めるに従い、僕は思わず、むふうと鼻息を荒くしていた。
百夜は二年程前、瀬戸内海に浮かぶ
招待されるのは、厳正なる抽選によって選ばれた五名。
幾多の会員の中からその内の一人に選ばれるだなんて、僕はなんて幸運なんだろう。年末ジャンボやロトなどで末等さえも引き当てられず惨敗を喫し続けてきたのは、この時のために運を温存しておくためだったというわけか・・・・・・。
その五名は、孤島の百夜邸で起こる殺人事件の謎の解明にあたり、その謎を見事解き明かした栄えある優勝者には、ファン待望の記念すべき氏の百作目を、誰よりも先んじて読める権利が与えられるというのだから、百夜フリークとしてこれ以上の喜びはない。
百作目の報が中々届かないでいたのも、その時のために用意されていたからだったというわけだ。
孤島で起こる殺人事件!
しかも崇拝する氏自らが考案したシナリオ!
なんという魅惑的な響き! なんという甘美なる誘い!
それも、なんのはからいか、氏の著作を最初にこの手にしたのと同じ、クリスマス・イヴの夜に!
僕は喜びに打ち震え半ば恍惚としながら、すっくと炬燵から立ち上がると、六畳一間のアパートの部屋で低い天井に向けて拳を突き上げながら、
「よし! 氏が仕掛ける謎を見事解き明かして、記念すべき百作目の栄えある最初の読者になるぞ、おー!」
と高らかに宣言し、両隣の部屋から、盛大な壁ドン(ロマンティックなものとは真逆な意味の)を頂いてしまうこととなった。
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