5.現代ファンタジー①

 異世界ファンタジーの次は、現代ファンタジーについて語ろうと思う。これは定義が少し難しい。現代を舞台にしているもの、だけれども、半分異世界に足を突っ込んでいるものもある。歴史ものにファンタジーが混ざったものもある。そういう前提で聞いてほしい。




 異世界ファンタジーにはまっていたのとほぼ同時期か、少し早いくらい。同じく小学3~4年生ぐらいに、現代ファンタジーともであった。その入り口となってくれたのは、佐藤さとる「コロボックル物語」シリーズである。これは「日本初のファンタジー小説」と呼ばれているほどに古い。ストーリーは短編連作だったり、一つの長いストーリーだったりするが、主軸としては「小さな人」と人間の主人公の交流が描かれている。


 そのなかでも私は「豆つぶほどの小さないぬ」という本が大好きだった。「マメイヌ」という小さな犬(人間たちの間ではクダキツネと呼ばれている)を飼いならすため、コロボックルたちがあの手この手でわなを仕掛け、成功するまでの話だ。わなのえさに出てきた「肝油」をなめてみたくて、親にねだって怒られたのはいい思い出である。

 またこの本には同時にコロボックルたちが自分たちの手で新聞を作り上げるまでの過程も描かれている。なんと一番最後には、米粒よりも小さい文字で書かれた原寸大の新聞までついている。(虫眼鏡で読んでねという注意つき。本当に読める!!)こういう仕掛けに小学生の私はとてもわくわくした。なにより村上勉の挿絵が大好きで、それだけのために何度も何度も読み返していた。




 同じくらいに母から買ってもらってであったのが、ヒュー・ロフティング「ドリトル先生」シリーズである。これもまた言わずと知れた児童文学の名作だろう。(ただし執筆された時代が古く、今では人種差別だといわれるような表現もいくつか書かれている)ちなみに今本を見ていて気付いたのだが、現代語訳は「山椒魚」で有名な井伏鱒二だ。彼は小説家としての顔のほうが有名で(実際私も今気づくまで全くそのことを知らなかった)、翻訳物は後にも先にもこのシリーズのみである。


 さて、ストーリーのほうにも少し触れよう。ドリトル先生はイギリスの田舎に住む腕のいい医者だったが、屋敷に住む動物たちが原因で人間の患者が寄り付かなくなってしまう。そこでペットのオウム、ポリネシアの提案で動物語を習い、動物のお医者さんとして有名になり始めたところから物語は始まる。

 動物好きだった私にとって、動物と話せるなど話だった。ドリトル先生みたいになれたらいいのにと、何度思ったことだろう。この作品に影響され、このころの夢は獣医さんだった。

 「ドリトル先生」シリーズは1作目を除き、すべてドリトル先生の助手の少年トミーがポリネシアの口述を基にして書いた回顧録、もしくは助手の目線から語られる物語という形をとっている。番外編を含めて13作あるのだが、それはもう何度も何度も読みまくった。


 一番好きな作品は月世界三部作といわれる、ドリトル先生と助手のトミーが月へ行く話である。このころにはもう月は天体で、空気はなく、生き物はいないというくらいの知識を持っていたのだが、本当はこんな風だったらいいなあと思ってしまうくらいにここで描かれる月は別世界だった。(この物語が書かれたのは1928年なので、人類はまだ月面に降り立っていない)まずそもそもの始まりからがすごい。家に入りきらないくらいの大きな蛾が月からやってきて、ドリトル先生に助けを求め、その誘いを受けて蛾の背中に乗り、月へと向かうのだ。そこには巨大化した生き物や喋る植物がいて、独自の世界が作り上げられている――そんな世界に私は胸を高鳴らし、わくわくせずにはいられなかった。


 ちなみに現在はロフティングの著作権満了を受け、井伏訳以外にもいくつか新訳が出ている。こちらは今では使われない言葉(トリュフを松露、バースニップをオランダボウフウとするなど)を現代の言葉に直し、刊行されているという。

 一番面白いのは、作中に出てくる胴体の前後にそれぞれ二本の角をはやした頭がある動物「オシツオサレツ(Pushmi-pullyu)」が訳者によって違うこと。「フタマッタ」「オシヒッキ―」「ボクコチキミアチ」などいろいろだ。どれも訳者の苦労が何となくにじんでいる。原書の「Pushmi-pullyu」は「Push me,pull you」をもじったものだろうからオシヒッキ―も捨てがたいが、私はやっぱり井伏訳の「オシツオサレツ」が一番しっくりくる。子供のころは何も思わず読んでいたが、小説を書くようになってから、改めてこの語感を選んだ井伏鱒二に深く脱帽した。私には絶対思いつかない。




 最後に、ちょっと変わり種を上げて出会い編は終わりにしよう。

 ファンタジーには変わりないのだが、剣も魔法も全く出てこない。それは岡田淳「ようこそ、おまけの時間に」である。

 主人公の賢はよくぼーっとしているといわれる、普通の小学生。ある日、いつものように居眠りをしながら授業を受けていたのだが、12時のサイレンが鳴ると同時に世界が変わった。そこは茨に囲まれた世界だった。賢はすこしずつ茨を切り取り、自分だけでなくクラスメイトも助け、みんなを目覚めさせていく。そうしていつしか夢の世界でクラス、いや小学校全体で一体となり、茨へ立ち向かっていく――ひとつの力が集まって世界を変えていく、高揚感と爽快感が主人公たちとともに味わえる作品である。

 岡田淳の作品はほかにもいろいろ読んでいる。たとえば「二分間の冒険」や、「放課後の時間割」。だが私は断トツでこの本が一番好きだ。児童書なのでとても読みやすく、それでいて大人でも楽しめる内容だと思う。

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